黒猫

 年が明けて一月下旬。聖陵学園大学附属高等学校(せいりょうがくえんだいがくふぞくこうとうがっこう)の一般入試が始まった。

「おはようございます」
「葵天くん、おはよう。昨夜はよく眠れた?」
「はい。頭もスッキリしています」
「アオイ、学校まで送ってく」
「Thank you!」
 昨年の夏の終わり、僕には辛い出来事があった。そして今、僕は日本にいる。だから自分の居場所を得るための試験を受けるのだ。今日が筆記試験、明日が面接試験となる。
 どちらの試験もさほど心配はしていない。最近の学習内容は復習がてらさらっておいたから何とかなるだろうし、学園長とは母さまを通じて知らない人ではないから、面接についても不安要素はない。それでも失敗はできないというプレッシャーはあるものなのだ。僕のハートって弱いな。
「ここが正門」
 正門の前で立ち止まった樹はそう言って、昇降口を指さした。
「あそこが昇降口で係の先生が待機しているから、分からないことは先生に聞くといい」
「わかった。じゃ行ってくるね」
「Good luck!」
 樹の言葉を背に僕は手を振った。
 昇降口で靴を履き替え、指定された教室へ入る。受験番号が記された席へ座り、必要なものをあらかじめ机の上に並べ、カバンを机の横のフックに下げる。昨夜、樹に手順を教わっておいて良かった。
「あの」
 突然、僕の背中を突くヤツが現れた。
「なに。日本語、話せるよ」
「あっ、ごめん」
「それで要件はなんですか」
「いや、髪の色があまりにも鮮やかだったからつい」
 ついって、そんなことで背中を突くのか。
「あの……日本人」
「ああ……フランスと日本のダブル。日本国籍を持つ、れっきとした日本人だよ」
「そうか……俺は、アメリカと日本のダブル。日本国籍。大山リアム、ヨロシク」
 その男は、赤黒い髪色で漆黒の瞳をキラキラ輝かせていた。
「黒い瞳が綺麗だね」
 その漆黒の瞳に吸い込まれそうになり……ってまさか。
「リアム! ノア・デイビッド・ミラーの息子」
「お前は……」
「あっ、ごめん。僕、立花葵天。フランス名ミシェル・エミール・ド・リシャール。ギタリストのミシェルだよ」
「世界大会の前夜祭で……」
「そうだよ」
 まさかこんな所で再び会えるとは思わなかった。
「君のその漆黒の瞳。忘れていないよ。とても綺麗だ」
「ありがとう」
「でも、どうして日本にいるの」
「あの世界大会の後、日本へ来たんだ」
「僕は、去年のクリスマスに日本へ来たんだ。でもなぜこの試験を受けるの? ここちゅうとうぶがあるよね」
「ここ私学でお金かかるから、とりあえずばあちゃんちの近くの中学へ入学したんだ」
「そうだったんだね」
「でも、どうしても全国へ行きたくて、授業料免除のシステムを調べて、チャレンジすることにしたんだ」
「授業料免除……」
「特待生になると、授業料が免除されるんだ。この学校は、だけど……」
「しょうがくきん……」
 わからないワードがいっぱい出てきた。夜にでも、樹に聞いてみよう。
「ところでさ、ミシェル……」
「ごめん、今日本名を名乗っているんだ。立花葵天。アオイって呼んでよ」
「そっか。アオイ……」
「はい! 私語は慎むように。テスト用紙を配ります」
 大山リアムと話しているうちに試験の時間が来たようだ。
 与えられた時間を使い切ることなく答えを書き記し、三度見直してから机に伏せて時間をやり過ごす。試験官の視線が少し厳しいようだが、カンニングをしているわけではないので、気にしないでおくことにした。
 午前中の試験が終わると、大山くんに誘われて一緒に昼食を取ることになった。
「アオイ、なんで日本へ来たの」
「イツキに手を引かれて来たんだよ」
「この学園のちゅうとうぶでバレー部にいた、蒼野樹」
「えっ。日本の中学生で五本の指には入るといわれた、あの蒼野か」
「そっ、僕の幼なじみ。僕が苦しんでいる時、いつも支えくれる大切な人」
「大切……」
「リアムの家はこの辺なのかな」
「いや、電車で四十分くらいかな」
「電車……あっ初詣の時に一度乗ったことあるよ」
「でも、俺この学園に入れたら、寮で生活するんだ」
「どうして」
「部活があるから」
「そういえば樹も朝早くから出かけて、夜遅くまで練習しているって言っていたな。休みが週に一度だけだって」
「そんなのいいほうだよ。俺が行ってた神楽台中学では、時間はさほど遅くならなかったけど、部活が休みになることはなかったから」
「年中無休……僕の仕事よりハードだ」
「ミシェルの活動していた時はやっぱり忙しかったのか」
「それなりに。でも日本人ほど働かないよ。体壊しちゃう」
「俺の親父も言ってた。日本人は働きすぎだって」
「ところで、さっき中等部に蒼野がいるって……」
「うん。四月からは同じ高等部だよ。受かればだけど」
「ハハハ。これは全国制覇はもらったな」
「ん?」
「蒼野と俺がいれば、全国もめじゃないってこと。絶対優勝する」
「わあ、リアムかっこいい」
 僕は手を叩いて称賛した。
 ──────────
 こうして今日は、試験よりも、リアムと話している時間の方がずっと楽しいと思える一日だった。
「明日の面接何時から?」
「僕は十時に学校へ来なさいって指示されているよ」
「あっ、俺もその時間」
「受験番号が隣り合わせだからね、同じ時間で間違ってないと思うよ」
「アオイ、終わった……ってお前、大山リアム!」
「あっ! 蒼野樹」
「なんでお前ここにいんだよ」
「一般入試受けに来たんだよ。悪いか!」
「お前受かんの」
「なめんなよ」
 何だかこのふたりは反りが合わないようだ。
「Shut up! 落ち着いて!」
「アオイなんで大山と一緒にいんの?」
 僕は樹に受験番号が隣で席が前後だったことを説明した。そして明日も一緒だということを付け加えた。
「大山、受かったらバレー部に入るのか?」
「当然! 全国制覇するためにここを受けに来た」
「リアムってかっこいいよね」
 また僕は手を叩いて称賛していた。
「俺だって全国制覇するって決めてんだよ」
「まただ」と思った瞬間、ふたりの手が固く結ばれているのを見た。
「ぜってい受かってこいよ! 全国制覇だかんな」
「任せろ!」
 なんだかんだ言ってこのふたりもバレー馬鹿のようだ。バレーをやるために生まれてきたんだろうな。
「じゃあ明日な」
 リアムっていいヤツかもしれない。僕はますます高校入学が楽しみになってきた。

 翌朝、ひとりで学校の正門へ向かうと後ろからリアムの声がした。
「アオイ、おはよう」
「おはよう、リアム。どう? 先生の質問にはちゃんと答えられそう?」
「何とかなるさ」
 昨日も思ったのだが、この男はあまり物事を深く考えることがないのかもしれない。
 面接室の前で待っていると、僕の名前を呼ぶ声がした。
「はい」
 部屋の中へ進み、礼儀正しく挨拶をする。目の前には学園長の姿もあった。
「立花くん、昨日の筆記試験はどうでしたか?」
「はい、今できることをしました」
「そうですか。君はこの学校で何を学びますか?」
「はい。僕は、同世代の人間とのふれあいを学ぼうと思います」
「それは、君にとって重要なことですか?」
「はい。とても重要なことだと思います。なぜなら、この先大人になっても付き合っていけるであろう人間に、出会えると思うからです」
 学園長は僕のことをよく知っている。あの質問は、ほかの面接官や教師たちに知らせる目的だったのかもしれない。少しでも、僕のことを理解してもらえると嬉しい。

 その夜も、僕の部屋で樹と話した。
 ソファなどないからベッドの上に座り込んで話す。
「今日の面接どうだった?」
「学園長は、僕の母さまと同級生なんだ。だから僕の事情をよく知っているんだ。質問の中で、周りの大人たちに僕のことを伝えるように話してたよ」
「そか。一人でも気にかけてくれる大人がいるのは、ありがたいな」
「そうだね。僕ってLucky boyかな?」
 僕は樹に、ありったけの笑顔を見せた。
「お、おお。そうだな」
 樹のしどろもどろな返事がおかしかった。
「そうだ、リアムってアメリカで知り合った『リアム』だって気づいてた」
「はっ……」
 中等部の頃の三年間『知らないヤツ』で通ってきたんだ。可哀想なリアム。

 合格発表の日の朝、指定された時刻。僕は携帯を握りしめ、その時を待っていた。
「アオイ、一緒にいいか?」
 時々、樹は言葉が足りない。一緒に見ようくらい言えないのだろうか。それでも僕は、何も言わず流してしまう。
「構わないよ」
 携帯が手のひらの中で震え始めた。
「アオイ、来た」
「うん」
 さほど心配はしていないのだが、こういった形の合否判定など生まれて初めてのこと、幾分緊張している。
 そこには『合格』の文字があった。合格を心待ちにしている人ならば、その文字は光り輝いているのだろうと思う。
「やったな!」
 樹とふたりでハイタッチを交わし、階下へ降りて蒼野の両親と姉に報告した。
「おめでとう」
「良かったわね」
「心配はしていませんでしたが、これで一安心と言ったところですね」
「奏子姉さん、ママ、パパありがとう。これから三年間よろしくお願いします」
 いよいよ僕の高校生活が始まる。年明けに出会った友達、試験の日に声をかけてくれたリアム、そしてこれから沢山の人に出会うのだと思うと何だかワクワクしてくる。こんな楽しみなことは初めてだ。母さま、日本へ行くように勧めてくれてありがとう。僕は新しい自分を見つけに行くよ。
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