黒猫

「おめでとう」
「おう、おめでと」
 朝早くから電車に揺られ、初詣に出かける。
 樹から紹介されたのは、同じバレー部の結城大夢(ゆうきひろむ)と空閑星矢(くがせいや)、そして高梨柊斗(たかなししゅうと)の三人だった。
「はじめまして、立花葵天です。よろしく」
 三人は僕の容姿と流暢な日本語にキョトンとしていた。
「あっ、日本語話した」
「いや、外人かと思たわ」
「瞳が、綺麗やね」
 そんな言葉に苦笑しながらも、僕は三人と握手をする。
「握手だなんてやっぱ外人みてえな」
「これからはグローバルに行こうじゃないか」
「お前ら馬鹿なの」
 三人とも、樹が言うように面白い人間のようだ。
「おい、アオイが呆れてっぞ」
 珍しく樹が怒っている。
「この電車はどこへ行くの」
「藤沢まで乗ってく……」
「そのあと電車を乗り換えて……」
「そして八幡宮へお参りに行くんやで」
 結城くんから空閑くんへ、ラストは高梨くんが締める。その連携は、まるでバレーのパス回しのように息が合っていた。
「なるほど君たちは本当に仲がいいんだね」
「チームメイトだからな」
 なぜか樹が誇らしげに言うと、三人は樹の髪をグシャグシャにした。
「やめろって」
 本当に楽しい人間たちだ。僕もこの中に入れるかな。
「八幡宮には戦の神が祀られているんだよね」
「よく知ってんな」
「神仏に少し興味があってね」
 日本の文化を知る上で、神仏について知ることも必要に思ったのは事実だ。
「だから全国制覇を祈願するんだ」
 結城くんが拳を握りしめて話すと、他の三人も「うん」と答えていた。
「全国制覇?!」
「中等部では優勝を逃したからな、高等部では絶対優勝するんだ」
 そういえば十三歳の頃から樹が「日本一」をやたらと連呼していたことを思い出した。
「目指せ、日本一! だったっけ」
「うっ、恥ずいからやめて」
 樹が画面越しに拳を突き上げていた。幼い頃の自分が恥ずかしいのかな?
「でもそういう目標みたいなものって大事かもしれない。僕も音楽で世界を夢見ているよ」
 樹以外の三人の男たちの呆けた顔が面白かった。
「イツキ、僕何か変な事言ったかな?」
「いや、こいつらには全国の先がないから驚いてるんだ多分」
「だって世界だよ、馬鹿なの。日本代表にでも選ばれなきゃ、世界へは行けへんよ」
 高梨くんの言うことはもっともだけど、目標は高い方がいいと思う。
「高い目標は、モチベーションを上げるのに、かなり効果的だと思うよ」
 僕はありったけのキラキラ笑顔を振りまいた。
「うっ……アオイ、久々のその笑顔は眩しい」
 樹の言葉と共に、三人の男たちの顔がとろけていた。
「君たちはナショナルチームに興味はないの?」
「ある」と、四人の男たちがハモった。
「僕は、世界ナンバーワンを目指したいな」
「世界……」
「ナンバーワン……」
「ほなアホな……」
「コイツ、ギタリストなんだ。まともに学校いってないから、俺がこっち……つまり日本に来いって誘った」
「イツキ。ありがとう。入試に受かれば、俺らと同じ学園やろ。天使と一緒に学べるやなんて……俺、幸せやわ」
 高梨くん、僕は天使ではない。
「よしてよ。僕は天使でもなんでもない。それとも君は本物の天使を見たことがあるのかな」
「……」
 何も言えないだろう。僕の何を見て天使と言うのか何となく想像はつく。この髪色と瞳の色と、異様に作った笑顔のせいなんだろうな。アニメではそんなふうに描かれている。
「アオイ、俺もお前に初めて会った時、天使が舞い降りたと思ったぞ。そんな俺は嫌か」
 な、何を樹は言っているんだ。
「わ、わかった。百歩譲って僕が天使に見えるとしよう。それでも、僕としてはそう言われるのは嫌なんだ。二度と言わないでほしい」
「ごめん。立花が嫌がることを言ったんやな。悪かった」
「わかってくれたら、それでいい」
 相手の出方を先読みしてトラブルを回避する大人のやり方ではなく、真正面からぶつかった上で修正していく……。同年代のコミュニケーションの取り方は面白い。ぶつかることを前提にしているようで、何となく小気味いい。
「僕、高校に行くのが楽しみになってきたよ」
「大人ばかりに囲まれているより、居心地いいだろ」
「母さまは、このことを知ってほしいと言っていたのかな」
「そだな、お前に唯一欠けているものかもしれない」
 樹にも、僕はいびつに見えるのかな……。

 どれくらい人混みの中に身を置いているだろうか。八幡宮へ続く人の波を眺めながら出会ったばかりの男たちとたわいもない話をしている。
 以前の僕だったら誘われてもこんな所に来なかっただろうし、オフは笑顔さえ忘れる。怠いし退屈だし疲れるし。楽しくないなら独りで部屋にいて、無駄に時間をやり過ごすことを選んでいたかもしれない。今はきっと、樹が手を取ってくれたからこうして人混みの中にいられる。
 樹の笑うその横顔が、今の僕には眩しい。僕のこの思いは変なのかもしれない。ただ、世の中には男と女の二種類しかいない。そこにはいろんな考えや感情があって、一般的と言われる価値観だけではないということを、僕は薄々気づいている。
 そして僕は、一般的ではない感情を持ってしまったということを、誤魔化しきれなくなっている。

「なあなあ、神社の作法とかってわかるやついる」
「二礼二拍手一礼じゃね」
「それな」
 相変わらず樹を除いた三人の男たちは連携プレーが上手い。
「二度頭を下げて、二度柏手を打ち、最後に一度頭を下げるんだよね。日々生かされていることに感謝するんだ。信仰心は感謝から始まると僕は思っているんだけれど……変かな」
 僕は両親から愛された記憶がない。それでも祖父母が優しくしてくれた。だから寂しくはなかった。僕の意志など関係なく、親が勝手に決めて、フランスからアメリカへ移り住んだ。周りはいつも大人ばかりで、自分を繕うことを覚えた。時には壁を作り、独りの世界に逃げ込むこともあった。それでも、曲がりなりにも人気商売をしている自負はあった。だから作り笑顔も覚えたし、嫌なこともそつなくこなせるよう努力した。十歳そこそこの可愛げのない子供だった。
 本殿前に到達した僕らは、作法に則って頭を下げる。時間制限もあり、参拝を済ませると右側の階段から下へ降りるよう誘導された。玉砂利を踏みしめる音が少しくすぐったく感じる。
「アオイ、お腹空かないか。なぁみんなも腹減ったろ」
「そだな、マックにするか」
 樹の提案に空閑くんが安易に答える。すると結城くんが僕に質問をしてきた。
「立花は食べたいものとかないの。ほら日本食とか興味ないかな」
「イツキママが和食を出してくれるから、結構いろんなもの食べてるよ」
 そう言えば、樹ママの料理に卵焼きがあったな。甘くて美味しかった。
「卵焼き……」
「ああ、うちの卵焼き、最近甘いんだよな。俺甘いの苦手なこと母さん知ってるはずなんだけどさ」
「僕が甘いの好きだから……かな」
 かもしれない。
「おっ?! 俺ん家は醤油味だ」
 結城くんの言葉に樹が羨ましそうにしている。樹ママに助言してみようかしら。
「あっ、卵焼き専門店見っけ」
 店の前で客引きをしている店員がいた。
「君たちお昼食べたかな。今なら席空いてるよ、どう」
 さほど若くはないが、気さくに話しかけてくるその店員は、おばさんと呼ぶには失礼なほど綺麗な人だった。
「ここ入ろ」
 樹の一言で昼食をとる店が決まった。
 中に入ると長テーブルに五人分の席を用意してくれていた。
「ご注文が決まりましたらお呼びください」
 店員の優しい声の余韻が心地よかった。
 店のメニューには写真が載っていて、一目でどんな料理かわかるようになっている。
「この店はすごいね。メニューに写真が貼られているから、どんな料理かわかりやすいよ」
「ここだけじゃないんだな。日本では大抵の店が写真付きのメニューなんだ」
 空閑くんのその説明に僕は驚いた。
「えっ、本当。知識として日本は優しい国だと知っていたけれど、本当に優しいんだね。前に日本へ来た時は、ホテルから一歩も出なかったから分からなかった」
「立花って、前にも日本に来たことあるんや」
 高梨くんの質問に僕は言葉を選んで答えた。
「二、三度パパの仕事で来たかな」
 そうだった、そんなこともあったな。
「その時はどこへ行ったん?」
 高梨くんのその聞き方が気にはなったけど、今は目をつぶることにした。
「いつも、アリーナがある街で仕事してた」
「アリーナ?」
 樹を除いた三人の男たちがハモった。
「あっ……パパの仕事がね、その辺だったから」
 ちょっと苦しくなってきたな。
「その時もホテルから一歩も出ないでいたから、どこかの店に入るなんてことがなかったんだ」
「そうか、これからは俺らとあちこち遊びに行こうぜ」
 結城くんの甘い誘いの言葉に、樹が釘をさした。
「結城、多分部活で忙しくて遊んでる暇などないと思うぞ」
「そうだった」
 男たちは落胆して肩を落としている。
「すみません。オーダーお願いします」
 僕は、その場の空気などお構いなしに店員を呼び、料理の注文をした。
「この卵焼き御膳をお願いします」
「おひとつですか」
「君たちは何にするの」
 慌てた男たちは、それぞれに食べたいものを注文した。樹と空閑くんは魚料理を、結城くんは肉メインのものを、そして高梨くんは僕と同じ卵焼き御膳を頼んだ。
「はい、少々お待ちください」
 やはり、この店員の声は柔らかくて聞きやすい。
「卵焼き専門店に来て、卵焼きメインを選ばないなんて変やんな、立花」
「食の好みは人それぞれだから、変も何もないよ」
 ちょっと冷たい言い方だったかしら。高梨くんのバツが悪そうな顔が気になる。
「それにしても、魚料理ってジジくさいな」
「結城みたいにがっついてないからな」
「がっつくって何がだよ」
「彼女欲しいとか、いつも言ってんじゃん」
 樹と空閑くんVS結城くんの構図が見えてきた。
「立花は彼女とかいないん」
 突然の高梨くんの質問に、僕は黙って首を横に振った。
「今はいないよ。でも大切な人はいる」
「大切な人って誰」
 その場の空気が凍りつくような音がした。
「アオイ……それ誰」
 あれ?! 樹はわかっていないんだ。みんながいるから、このまま内緒にしようかな。
「そんなこと誰にも言わないのが鉄則じゃないかな」
「俺にも言えないのか」
「聞いて奈落の底に落とされたいんだ」
「……」
 諦めたかな、あまり食らいついてほしくないからこれでいいや。
「お待たせしました」
 僕と高梨くんの料理が運ばれてきた。
「美味しそうだね」
「二人とも、冷めないうちに召し上がれ」
「蒼野、召し上がれってなんなん」
 また高梨くんの不思議な聞き方を耳にした。
「うちの母さんがよく言ってる、食べなさいじゃなくて、召し上がれって」
 確かに、樹ママは日本語がとても綺麗だ。
「イツキママって正しい日本語を使うよね」
「へえ、そうなんや」
「あのさ、高梨くんって時々変な日本語だよね。Weird!」
「はぁ?! ああ、少し関西風に喋るかも」
「シュウトって、エセ関西人だよな」
 また男たちは笑って話している。僕の知らない笑いのツボ。もっといろんなこと話したら仲間に入れるのだろうか。それはRPGゲームの「話す」に匹敵しそうだ。
「焼肉定食の方」
「はい」
「お魚御膳お待たせしました」
「ども」
「ありがとう」
 確かに、樹ママの言葉は手本になっているんだな。
「美味しいね」
 全員の料理がそろうと、話すことさえ忘れて黙々と料理に向かう男たちだった。
「ごちそうさまでした」
 昼食を終えた僕たちは、また電車に揺られ、家路についた。

 その日の夜、樹が僕の部屋に入ってきた。
「イツキ、今夜から僕ひとりで寝られるから……」
「大丈夫なのか。俺は構わないんだぞ、一緒でも」
「ん、大丈夫」
「うなされてたら飛んでくるからな」
「ありがと」
 樹の顔が赤くなっていく。怒っているのかもしれない。
「わがままばかり言ってごめんね」
「そんなことない」
 しばらく、黙ったまま静かな時間の流れが二人の間をすり抜けていく。
「あのさ、昼間言っていた大切な人って、岩田優一さんのこと」
 岩田優一(いわたゆういち)とは、日本ナショナルチームの選手。世界大会の時に知り合った。
「違うよ、ユウはお兄ちゃんって感じかな」
「本当に」
「随分と疑うんだな。僕が嘘ついたことあるかい」
「うん、いつもアオイは自分のことを隠してる……」
 そんなつもりはなかったけど、樹にはそんなふうに見えていたんだな。
「ごめん。僕、自分の素を出すのが苦手で……営業スマイルならいくらでもできるんだけど」
「営業スマイルってなに。いつものあのキラッキラの笑顔のこと」
「キラキラかどうか分からないけど」
「キラキラしてるよ。あれ……俺、嫌いじゃない。ハート撃ち抜かれそうだけど」
「どこかのアイドルみたいじゃない?」
「アオイは俺のアイドルだよ」
「はぁ?! バカなの……って、あれ、このセリフ、高梨くんみたいだね」
「ああ、アイツの口癖だ」
 思わずふたりで笑ってしまった。
「アオイ、いつか俺もお前の大切な人になれるかな」
 僕は、樹に抱きついていた。
「イツキがいてくれたから、僕は日本に来て迷子にならなかったんだよ。怖い夜も泣かないでいられた。僕の大切な人ってイツキなの。だから……だからずっとそばに……いて……ください」
「……」
 樹は何も言わなかった。それでも僕の体をきつく抱きしめてくれた。それだけで互いの気持ちがわかったような気がする。好きとか嫌いとかじゃなくて、今はただこの距離がいい。僕の大切な人だからこのままでいい。
「アオイ、ずっと……ずっとそばにいていいか? ダメだって言われても俺はいる」
「なら聞かないでよ」
「そか、ずっとそばにいるから。お前に彼女ができても、バンド組んで別の道を歩くとしても、俺はお前のそばにいる。どんな形でもお前のそばにいて、サポートしていたい」
「ありがと、嬉しい」
 僕は樹の耳元で囁いた。 
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