黒猫

 日本の夏は暑苦しい。樹たちの応援のために、電車を乗り継ぎ試合会場へ向かう。一緒に歩いている女の子たちは、きっと僕よりも暑いに違いない。オシャレのためとはいえ、重ね着をしてみたり、流行りのロングスカートをまとったりしている。凛はいつものパンツスタイル。彼女は裏切らないなあ。女の子としては好みのタイプだ。
「スポーツやってる人って、大変ですよね」
「メイはスポーツやらないの」
「私は無理です。足も腕ももげます」
 その表現おもしろい。
「リンはなにかスポーツやっているの」
「私は、朝ジョギングしてるよ」
「へえ、走っているんだ」
「犬と一緒に」
「それって、ジョギングとは言わないんじゃないかな」
「でも、ちょっとかっこいいでしょ」
「そうだね」
 リンがこんなにユーモアのある女の子だなんて知らなかった。またひとつ、リンのいいところ見つけちゃった。
「アオイ、私には聞かないの?」
「めぐみは、将棋一筋。おじい様と父上譲りでしょ」
「そうだけど……」
 むくれた顔は、可愛いものだな。樹はこの顔に会ったことあるのか? まあ、どうでもいいか。
 会場の中に入ってみると、遠くから誰かを呼ぶ声がした。
「おおい、来てくれたん? 嬉しいわ」
 関西弁が聞こえるのだけれど、シュウではない気がする。見ると、ユニフォームの胸元に『高峯高校』と書いてある。
「大阪の学校かな?」
「シュウトくんかと思いましたね」
「シュウはもっと鼻声じゃなかった?」
 芽衣も凛も、柊斗の声を聞き違えていないか? 柊斗の声は、ほんの少し鼻にかかった感じがするけれど、決して鼻声ではない。
「アオイ、来てくれたん。ありがとう」
「シュウ」
 僕は久しぶりに会う柊斗にハグをしてしまった。
「アオイ、嬉しいけど人が見てる。はずいわ」
「ごめん」
 凛の睨む顔にもなんだか慣れてきた。男前だと思ったけど、やっぱり女の子なんだな。
「リン、応援席の場所確保しに行こう」
「うん」
「シュウ、頑張ってね」
「おう、コートに入れたらな」
 あんなこと言ってるけど、大事なところではちゃんと頼れる選手なんだよ君は。
「あとふたつ勝ったら、優勝だね」
「めぐみはイツキにおまじないかけてきた?」
「アンタがかけたんじゃないの?」
「僕は今、神楽台のマンションにいるから、イツキとは会っていないんだ」
「そうなの?」
 三人とも驚いた顔をしている。僕が当たり前のように、蒼野の家にいるものだと思っていたんだな。
「この夏休みにライブやるんだ。その練習があるから、神楽台のマンションで寝泊まりしている」
「ひとりで?」
「めぐみは知っているかな……佐々木楓。彼のバンド仲間と一緒に、合宿みたいなことしているよ」
「へえ、アオイも青春してるんだ」
「青春なのかな、照れるな」
 僕は鼻の頭を掻きながら笑っていた。
 たしかに、PRISMのメンバーはバレー部のメンバーとは違う楽しさがある。黙っていても気にならないし、口を開けば、「あそこの音は……」「あの曲のあのフレーズいいよな」なんて、音楽の話が絶えない。時々好きなタイプだの、好きな食べ物だのって話もするけど、最近は気を使わなくてもよくなってきた。もうひとつの僕の「居場所」かな?
「アオイ! でっかい声で応援してくれよ!」
「イツキ……」
 あまりにも突然声をかけられて、僕は言葉に詰まってしまった。
「ちゃんと応援するから、頑張ってね」
「おう」
 学園バレー部の横断幕の前に陣取り、僕たちは大きな声を上げた。

「勝ったね」
「これであとひとつ勝てば優勝ね」
「ケンタくん、コートに入っていました」
 芽衣、健太のこと本当に好きなんだな。最初は苦手だと思ってたのに、今はなんだか可愛らしい。恋する乙女って、こんな感じなのか。そういえば、めぐみも最近こんな感じだったな。凛は……僕の隣は嫌じゃないのかな?

「じゃあ、僕はここで」
「本当にイツキの家にいないんだ」
「もし、イツキが寂しがってたら、慰めてあげて」
「バッカじゃないの。アンタがいなくても寂しがりはしないわよ、イツキは」
「そうだよね。明日の決勝は、応援に行けないから、僕の分まで応援してね」
「わかった」
「じゃ、Bye」
「バイバイ」
 僕がいなくても寂しくない……か、そうだよね。

 次の日。樹たちはインターハイの決勝戦。僕はライブの打ち合わせ。
(樹、リアム、シュウ、それにみんな。頑張ってね)

 NEXUSの事務所でライブの打ち合わせをする。
「田所さん、日程はこれでいいですか?」
「武富くん、いつもすまないね。うん、こんな感じ」
「ポスターを、ざっくり描いてみたんですけど、どうっすかね」
「いいんじゃない。あとは日程やらバンド名やらを入れていけば……」
「そっすね」
 田所店長と、武富という青年が話をしている。
「アオイくん、悪いね。午前中から来てもらって」
「学生は午前中から授業なんで、平気ですよ」
「そうだよね」
 本当にこの人は、あの『鬼の田所』だった人だろうか。今はとても穏やかで話しやすい。
「田所さん、初日はPRISMと別ですが、残りの二日間は、共演でお願いします」
「ほう、楽しみだね」
「はい。何度か練習しているんですが、毎回発見があるので楽しいですよ」
「君が……葵天くん?」
 武富という青年が、僕に話しかけてきた。
「はい」
「田所さん、もしかして彼は……ミシェルですか?」
「僕のことご存知なんですか?」
「俺も、音楽業界の何たるかを教わるために、アメリカの田所さんのところに、修行に行っていたんだよ」
「えっ、『鬼の田所』のところにですか」
「『鬼』? 全然、俺らには親切丁寧に教えてくれましたよ」
「もしかして……僕にだけ厳しかったのですか」
「そうだね。『ガキのくせに』とは、思っていたよね」
 ひどい。でもたしかにそうだ、十歳そこそこの子供がステージに上がるんだもんな。
「でもね、レオより抜群にいいものを持っているって感じていたよ。ライブ楽しみにしているからね」
 そんなことを、面と向かって言われたら照れるな。
「ありがとうございます。日本での初ライブ。楽しみます」
「そう、それだ。葵天くんのいいところだよ、それ」
「へへへ……ん」
 あれ、ちょっと頭が痛いかな。
 ──────────
 打ち合わせが終わり、楓たちと合流するため、スタジオStella Waveに向かった。
「お疲れ様。進んでる?」
「よお、アオイ」
「無敵モード」
「練習頑張ったよ」
「あとは、お前と合わせて仕上げるくらいかな」
「OK」
 この夏休みの間、四人で合宿同然の生活をしてきた。そのせいかな……結構、息が合うようになった。これなら本番も上手くいく気がする。いや、上手くいくに決まっている。
「アオイ、打ち合わせどうだった?」
「うん。日程は、八月最後の週末の三日間。初日は僕ら別々に演奏だけど、残り二日間は、共演という形でお願いしておいた」
「そか、楽しみだな」
「うん」
 ギターを手にしようとして、少しふらついた。
「おい、大丈夫か?」
 ふらついた僕の体を伊織が支えてくれた。
「あ、ちょっとね、頭が痛いんだ」
「無理すんなよ」
「ありがとう」
 ──────────
「よし、今日の練習はここまで」
「今夜、滝さんが夕飯の準備して待っていてくれるって、連絡あったよ」
「やりぃ」
「今夜のご飯はなぁにかなぁ」
「カオルちゃんて、本当に食べることが好きなんだね」
「人間、食と色と眠じゃない? だから僕は食べて寝て……あとはそのうち?」
「なあに、そのうちって」
「アオイ、お前はどうなの」
「僕は……『色』より『音』が、いいな」
 ここで『好きな人ほしい』なんて言えないよね。
 その日の夕飯は、滝さんが作ってくれた「煮込みハンバーグ」と「ポテトサラダ」と「明太子スパゲティ」があった。「明太子」はさすがに初体験だったけれど、パスタ好きの僕はとても美味しくいただきました。
 打ち合わせの時から頭が痛かった。今もズキズキする。
「アオイ、しんどかったら座ってろ」
「うん、そうさせてもらう」
 僕は楓の言葉に甘えて、ソファーで少し休むことにした。
 隣には伊織が黙って座っていた。

 目を閉じていたら、いつの間にか眠ってしまったらしい。
「ぎゃぁぁぁ! 嫌だ! リック死なないで」
「なに? アオイ、どうした」
「嫌だ! 僕を独りにしちゃ嫌だ」
「アオイ、しっかりしろ」
「カオル! 俺の親父に連絡して。すぐ来てもらって。滝さん、蒼野さんと赤城先生に連絡を。イオリ、アオイを抱きしめて落ち着かせろ」
「カエデ、おじさん……電話」
「親父、アオイがパニックを起こしてる。多分記憶が戻った。すぐ来てくれ」
 伊織が僕の体をギュッと抱きしめてくれる。樹じゃない手。樹じゃない声。でも、今僕の耳には、伊織のギターの音だけが聞こえている。
「楓くん、下にお父さんの車が来ています」
「わかりました。イオリ、アオイを抱き上げられるか?」
「大丈夫だ」
「カオルも行くぞ」
「う、うん」
 ──────────
 あれ、ここは……赤城ドクターのクリニックかな。そうだ、僕は思い出したんだ。あの日のことを、リチャードのことを。
「アオイ、大丈夫か? 俺がわかるか」
「イ、イツキ……」
「そうだ。ごめん、そばにいてやれなくて、ごめんな」
「大丈夫だよ。僕は平気」
「葵天くん、ここがどこかわかるかい」
「ドクターのクリニックですよね」
「そうだ。なぜ、ここにいるかわかるかい」
「さっき、夕食が終わって、僕は少し休んでいたんです」
「それで」
「それで……ギターの音が聞こえて。伊織のギターの音」
「ギターの音?」
「その音がとても心地よくて……僕、そのまま眠ったんです」
「伊織くんは……」
「俺です」
「彼を抱き上げて運んでくれた……」
「うちのバンドPRISMのメンバーです」
 なぜギターの音が聞こえたんだろう。そうだ、思い出したことを話さなくちゃ。
「わかった。それじゃあ、ここからは俺の仕事だな。蒼野、佐々木と手分けして、子供たちを送ってやってくれ」
「わかった」
「やだよ、俺アオイのそばにいる」
「樹、とりあえず今夜は赤城に任せよう。うちの母さんも、滝さんも心配している」
「……わかった。帰るよ」
「俺たちも、帰ろう。な、イオリ」
「……」
 みんながそれぞれの家に帰って行く。また僕は独りだ。
「今、『独りぼっち』なんて思った?」
「ドクターは人の心が読めるんですか」
「人の心は読めないけど、そうかなって察することはできるよね」
 そうだった、この人は精神科医で人の話をよく聞く人だった……かな。それでも、僕が辛いと感じたことを、一緒に探してくれる人なんだ。
「ドクター。僕、思い出したんです」
「話してくれるかい」
 僕は、あの日なにが起きたのか、自分の目で見たことを、耳で聞いたことを話した。
「薄れる意識の中でサイレンが鳴っていたんです」
「サイレンは……」
「おそらく、救急車だと思います」
「一台分だけ?」
「いくつか音が重なっていました」
「複数の救急車が呼ばれていたってことだね」
「初めは、あの女が制服警官に連れられていきました」
「それで……」
「そのあと、EMTかな……リックを救急車に乗せていったんです」
「君は救急車には乗らなかったの?」
「僕はそのまま、そこで意識が飛んでいます」
「そうか……」
「リックは、助かったんですか?」
「申し訳ない。リックのことは、何もわからないんだ」
「何も……どういうことですか?」
「事務所と、業界と、警察が、意図的に情報を開示しなかった」
「でも、僕当事者ですよ。知る権利はありますよね」
「おそらく、リチャードの家族が絡んでいるかもしれない。君の話では、逆恨みのようだから、報復を恐れて……とか」
「……」
「ところで、君とリチャードの関係を教えてくれるかい?」
「恋人です」
「……恋人って、キスした?」
「しました」
「その先は?」
「その先になにがあるんですか?」
「そうか……わかった」
 ドクターの言っていることがよくわからなかったけれど、気にしないで、僕はリックのことを話すことにした。
「僕は十歳になる年に、フランスからアメリカへ渡りました。バンドメンバーの中で一番歳が近かったのが、リチャード……リックだったんです。初めは、お兄ちゃんの後ろをついてまわる程度のことでした。でも、十五歳の誕生日直前に、僕はリックに告白をしてしまったんです」
「リックは答えてくれた?」
「うん。その日、僕の初恋が実りました」
「たしか、リチャードは二十歳くらいだったよね」
「そう。……恋人がいたんだ」
「恋び……と」
「彼女は僕の目の前に立ちはだかり、僕に恨み言を投げかけていた」
「恨みか……」
「僕は、二人の運命を変えてしまったんだ。ドクター、僕はどうしたらいいですか?」
 僕は、必死にドクターにしがみついた。ドクターは、優しく僕の背中をさすってくれた。
「君が運命を変えた?」
「そうです」
「じゃあ、君は好きな人を簡単に諦められるのかい」
 僕は首を横に振った。
「俺もそうさ」
「ん?」
「君のせいではないが、君の思いが絡んでいることは間違いないね」
「……」
 肯定か否定か、どちらかに傾いていたら、僕の心は壊れかけたかもしれない。肯定しながら否定する。曖昧なその物言いのおかげで、今の僕は気負わずに済んでいる。やはりドクターは大人だ。
「葵天くん。もし、リチャードが生きているとしたら、もう一度会ってみたい?」
「会いたい……会って話したいことがたくさんある」
 僕がいていい場所、大好きな人たち、大切な人、音楽……リックに会ったら話すんだ。たくさん僕のことを。話したいんだ。 
12/13ページ
スキ