猫と春。⑥

 自分の部屋に仕掛けられていたモノの名前に、春田はぞっとした。
 盗聴されるようなことを誰かにしてしまったのか。無意識に他人を傷つける真似をどこかでしでかしたのだろうか……覚えがなさすぎる。やったとしても、牧との恋がらみくらいだと思うが。
「にゃーあ」
 和泉と共に盗聴器を見つけた黒猫が、神妙そうに鳴いて和泉を見上げた。
「……春田さん、大丈夫です。私たちで全部探してきますから」
「にゃ!」
 ぽやぽやして頼りなさしかなかった表情が、頼もしくなった。和泉が時折垣間見せてくる頼もしさのようなものは今に始まったことでもないのに、ドキドキしてしまう。
 スーパー家政夫さんとはまた違った、年上の余裕めいた感じ。
「お願いします……!」
 湧き起こった不安を払拭してくれる強いまなざしに、春田は否とは言えなかった。
 そして、数十分後――リビングのローテーブルの上には、和泉と黒猫が見つけ出して電池を抜いた小さな機器が十個余り並べられた。
「……こんなにあったんすか」
「ダミーもありますが……コンセントは全部、シンク下、冷蔵庫、給湯器、それとエアコンの送風口のちょうど死角ですね。超小型カメラも二台ほどあったので、それも取っておきました」
 こんなおっさんの生活なんて盗聴や盗撮して、なんか得があるのか……。動画投稿者でもあるまいし。
「やはり、点検に入った業者は偽物だと思います。春田さんの動向を掴むことが目的だとしても……誰か、心当たりはありますか」
「全ッ然ないっす!」
 そんな問いに思わず食い気味に答えてしまい、和泉が一瞬目をまるくした。
 心当たりなんて本当にない。それでも、ほんのちょっとした勘違いによって凄惨な事件も引き起こされる世の中だけに、テーブルに並べられた小型機器に背中が寒くなる。
(おれ、命狙われたりしてないよな……?)
 業者を装ってまで侵入してきた何者かが、何らかの意図を持っていることにはきっと間違いない。和泉と黒猫がいなかったら、のほほんと日常生活を送り続けていただろう。
「明日、大家さんにどういう感じの人が来たか聞いてみるっす」
 アパートの電気工事を担う業者は決まっているし、知り合いもいる。社員の入れ替わりはあるだろうが……。
「……業者に直接、担当者について問い合わせは出来ますね」
「にゃん!」
 黒猫の合いの手も入り、盗聴器に関しても大家に相談する流れになった。大家のおばさんもさすがに、大事な収入源を事故物件なんかにしたくはないはずだ。
 それにしても、和泉と話していて、なんだか警察官と話している気分になるのはどうしてだろう。悪いことをしたわけでもないのに、遭遇すると妙に緊張してしまうあの感じ。
 強くて鋭い目つきや迫力みなぎる雰囲気。言葉遣いもしっかりしていて、いつもより声も低い。
「なんか、さっきから和泉さん……警察の人みたい」
 起きたことに対する不安から守ってくれようとしている。屋上で泣いたあの日、和泉が前は人を守る仕事をしていたと明かしてくれたのを春田は思い出す。
 ローテーブルに注がれていた和泉の視線がゆっくり上がった。その傍らでまるくなっていた黒猫がすっと立ち上がり、春田の膝に乗ってくる。
 和泉が答えたくないのなら、何も言わなくてもいい。沈黙が答えとも受け取れるから。
「……メシ、何にします? ぶちょーが大きい白菜くれたんで、鍋にでもします?」
「あ…………はい、お願いします……」
 話題の切り替えにしてもわざとらしかったかもしれない。あなたのことを無理に暴くつもりはないと和泉に伝えたいだけだった。
 春田が立つ動作に入ると黒猫は素早く膝から下り、春田の座椅子にあらためておさまる。和泉は荷物を置きに行くと、テーブル上の小型機器を回収して一旦隣の部屋へ帰った。
 静かになった部屋に、エアコンの駆動音がはっきり聞こえる。
 春田は冷蔵庫から、鍋ものの具にする食材を選び出し、シンク下から土鍋風のセラミック鍋を出した。
 自分でもだいぶ、料理には慣れてきたと思う。包丁一本扱うのにも、ハラハラが伝わるまなざしで手元を見られていたのが懐かしい。塩と砂糖も間違えないように容器に目印をつけたり、ニラと細ネギの区別もつくし。
 牧とのことだって、ちゃんと二人で区切りはつけられた。自分は少しずつ変わってきていて、前に進めている。
 和泉が部屋に戻ったきり、二度とこの部屋に来ないとしてもきっと平気だ。
 具材を切り終わり、白だしを希釈して煮立たせておいた鍋に火の通りにくい具から入れていく。鍋の具を煮ている間に春田は座椅子で寝ている黒猫へと近づき、膝を突く。
 春田の気配に黒猫はまぶたを半分だけ開けた。
「……なあ、おまえさ、うちの子にならない?」
 呼吸に合わせて艶やかな黒い毛が上下する。猫という生き物をかたちづくるなだらかな曲線に手のひらを添わせながら、春田は訊ねてみた。
「ちゃんとペット可の部屋探すし……おまえだって毎日、あったかくて屋根のあるとこで寝起きできた方がいいんじゃない?」
「……なあ」
 黒猫は短く鳴くけれど、それがイエスかはわからない。半月にした目を開いて、顔をゆったり上げた。そして、じっと見つめてくる。
「そりゃ、おれより和泉さんのがいいかもだけど……一応おれたち、友だちだろ」
 黒猫と友だちだと思っているのは自分だけで、猫にとっては下僕や給仕くらいの人間かもしれない。それでも、ことばは上手に伝え合えなくたって、心が通じ合うこともある。
「考えといてな。おれも、四月までに部屋探すから」
 黒猫は「にゃん」とも返事をしない。鍋に具を足す頃合いか確かめるために、春田はキッチンへと戻った。
1/3ページ
スキ