いつかきみに会いに行く

 こんな感じで彼らは常に連み、青丘のあちこちで騒動を引き起こしていた。
 そんなある日。
 江澄が面白い情報を仕入れて来た。
 青丘の外れ、東の海に若水と呼ばれる地方があるのだが、その浜辺に奇妙な法器が沈みもせずに浮かんでいると言うのだ。
 一気に喋りまくる母譲りの整った顔が期待で紅潮している。

「あー。それなら本で読んだ記憶があるよ。昔の大戦で青丘も巻き込んだ大きな戦があったんだろ。虞夫人はその戦の最中にお前を産んだって言うじゃないか。お前の言うそれは東皇鐘と呼ばれる法器で、先の天帝が全霊力を使って魔族の王、魔尊を封じ込めているんだ。近付いちゃ駄目だって江おじさんからも言われてるだろう? 言ったところで多分、龍族の番人に追い返されるだけだ」
「それなんだけど、あそこに度々、魔族が出没するみたいでさ。しょっちゅう龍族と小競り合いをしているみたいなんだ。その中に真っ白いお面をつけた強い男が出没するみたいで、この間は父上が駆け付けて追い払ったって話なんだよ」
「真っ白いお面をつけた男? それ、江おじさんが怪我して帰った日の話か?」
「ああ。父上が怪我する程、強いなんてどんな野郎かお前は興味が湧かないのか、魏無羨」
「ん~? ンフフフフフ。どうだろう、江兄ー」
「ヒヒヒヒヒ、だよなぁ、魏兄!」

 顔を見合わせ、悪ガキ二人はニカーッと笑い合う。
 どちらの関心も真っ白い顔と聞いて頭に浮かんだのは、おしろいを塗りたくり、奇妙な化粧をした男の顔だった。

「魏無羨、この件は」
「勿論、俺と江兄だけの秘密だ」
「そう言うこと。早速、行ってみようぜ」

 人間の歳ならば十六、七になる彼らは、青丘で特にこれと言った危険に遭うこともなく、日々、面白おかしく笑いながら過ごしてきた。
 彼らの怖いもの知らずな性格は、世間を知らない未熟さと、過保護で幸福な生活環境がもたらしたものだった。
 若者で、しかも妙齢の男子となれば、やはり自分の力を誇示し、力量を量りたいものである。
 九尾狐の江澄は武器など不要だが彼はいつでも自分の剣、三毒を無から取りだすことが出来る。
 仙力のない魏無羨は弓矢を背に担ぎ、成人の祝いで作って貰った、愛剣「随便」を腰に差して彼らはこっそりと狐狸洞を出た。
 若水までは人間の足で三日はかかる行程だ。
 しかし狐の姿になった江澄の脚ならば、ほんの一瞬。
 一刻も経たずに風のように駆け抜け、山も林もあっという間に通り抜ける。
 江澄の背に跨がり、その早さで目も開けられない魏無羨の前に、唐突に空から二筋の光が降りて来た。

「危ない、江澄! 右に避けろ!」

 彼の毛皮を掴み、魏無羨が慌てて方向を変えさせる。
 しかし速度がのっていた江澄は止まりきれず、不意に現れた二人の神官へぶつかりそうになってしまった。
 彼らが突進して来ることに気が付いた藍曦臣が素早く陣を張り、その陣に突っ込んだ江澄の変身が融けて、その反動で魏無羨が宙へと投げ飛ばされる。
 空を飛んでいる実感もないまま、唖然とした彼の体は急に誰かの腕に抱きとめられ、ガクンとした衝撃の後、ふわふわした浮遊感からしっかりした安定感へとすり替わった。
 見上げると言葉に出来ない程、美しい相貌が湖面の様な静けさで彼を見下ろしている。
 ジッと魏無羨を見つめる琥珀色の瞳にはどこか懐かしさがあり、抱きとめられた感触にも覚えがある気がした。
 彼に助けられたことに気が付いた魏無羨は「あ、どうも」ととりあえず簡単な礼をし、相手の反応を窺った。

「───」

 彼に抱きかかえられたまま、地面に下ろされ、魏無羨は再び、「ありがとう」と今度はちゃんと礼を言ったのだが、彼を救ってくれた男は返事をすることもなく、素っ気なく視線を逸らしてしまった。
 横を向いた時の彼の背筋がぞくりとするような怜悧な目と琥珀色の瞳にはやはり見覚えがあった。
 こんな美人さん、忘れる筈がないんだがなあ、と呑気に考えながら、「あ、江澄!」とようやく義弟のことを思い出す。
 キョロキョロと辺りを見回すと、視線の先。
 さっき魏無羨を救ってくれた男が江澄を抱きかかえ、彼にめちゃくちゃに引っ搔かれていた。
 さっき魏無羨を救ったばかりなのになんて早業だとびっくりしたのだが、しかし隣にも同じ顔をした男が立っている。

「ど、どゆこと?」

 兄と弟を交互に指差す魏無羨に、藍忘機は溜息を吐くと、「私の兄だ」と簡潔に答え、「怪我はないか」と今度はちゃんと魏無羨に向かってちゃんと言葉で返してくれた。

「離せってんだ! 唐突に現れやがって、お前ら、何者だ!」
「江公子、暴れないでくれたまえ。我々は龍族だ。私は藍曦臣、そして向こうは弟の忘機だ」
「藍曦臣? 沢蕪君と、含光君?」
「うん」

 天帝の二人の優秀な息子の名は、青丘にも勿論、伝わっていた。
 何かと言えば、すぐに引き合いに出される為、江澄も魏無羨も、沢蕪君、含光君の名前が大嫌いで、[[rb:蕪 > カブ]]を見れば沢蕪君を思いだし、江澄なんか包丁でめった刺しにするくらいだった。
 それは良いとしていまだ藍曦臣の腕の中に抱えられている事実にまたもや江澄は四肢をばたつかせて反抗する。

「良いから、離せ! 俺は狐帝の息子の江澄だぞ! 天帝の息子だろうと、青丘の皇族に無礼を働くことは許さん!」
「うーん、それは素直に謝るけれど、ところで江公子。きみたちはお父上から若水に近付いてはならないと聞かされていないのかな?」
「むっ」
「ほらね。悪戯っ子は制裁だよ」

 にっこり笑う藍曦臣の質問に答えられず、江澄は人の姿から九尾狐の姿に戻り、しかとを決め込むことにしたようだ。
 しかしこれは藍曦臣にとってはますます好都合で、「可愛いなぁ、やっぱり九尾狐の毛皮はふさふさして気持ち良い」と撫でさすり、また江澄にしこたま引っ搔かれている。
 そんな彼らに笑いながら魏無羨は余り喋らない藍忘機の方を振り返った。

「ごめんな。俺の名前は魏無羨。で、こいつはさっきあんたの兄君が言ったように、狐帝の息子の江澄だ」
「知っている」
「ん? ああ、そりゃ江澄は青丘の皇子だからな。知っていて当然か。俺は狐帝に拾われた人の子で……」
「きみは魏嬰だ。私がきみを拾った」
「へ?」
「覚えていなくても無理はない」

 何の話かと魏無羨が聞き返す前に、藍忘機はこの話は終了とばかりに兄に近寄り、彼の手から江澄を解き放とうと手をかける。

「何をする、忘機。乱暴はいけないぞ」
「この狐は駄目だと申した筈です。離してやりましょう」
「ちょっと抱くぐらい、いいじゃないか。彼だってこうして懐いているし」

 どこが懐いていると言うのか───。
 藍曦臣のきめ細かい真っ白な手は江澄に引っ搔かれた傷跡が痛々しいし、藍忘機そっくりの美しい相貌にも無数の引っかき傷が出来ている。
 しかし藍曦臣の腕の中におさまることをとりあえず江澄も許容した様で、今は大人しく腕に抱かれている為、藍忘機もこれ以上、無駄なことに時間を費やすのは止め、またもや魏無羨へと向き直った。

「この先は危険だ。きみたちはすぐに帰りなさい」

 そうは言われても、魏無羨と江澄はその危険を冒しに来たのだ。
 藍曦臣から江澄を手渡されても魏無羨は素直にうんと頷けずにいた。

「この近くに魔族が頻繁に出没しているんだろ? 青丘に生きる者として、俺たちにも知る権利はあると思うぜ」

 その時だ。
 藍曦臣のにこやかな顔が急に引き締まり、宙から彼の剣、裂氷が青い光を放ちながら形を作り始めた。
 その柄を掴むと、

「忘機、彼らを安全な場所へ」

と言い置いて、即座に走り出す。
 藍忘機もすぐに頷き返し、江澄を抱いた魏無羨を問答無用で抱きかかえると、宙を飛び、彼らを丘の上に残して再び去ってしまった。

「おい、待てって! 江澄、いつまで狐でいるつもりだ! いや、いい、俺を乗せてあいつらの後を追うぞ」

 魏無羨の言葉に大きく頷いた江澄は、彼に背中に乗る様に顎で指し示し、そして彼らもまた藍忘機が消えた方角へと駆け抜けた。
 問題の法器、東皇鐘がある付近へ近付くと江澄の変身が融け、人の姿へと戻ってしまう。
 しかし霊気が凄まじいのか、彼の九つの尻尾と尖った耳だけはそのままで、確かにこれは相当厄介な場所だと二人も剣を手にし、身構えながら前へと進んだ。
 ゴクリと唾を飲み、剣の柄を握り締める彼らの目に飛び込んで来た光景に、魏無羨も江澄も言葉を発するのを忘れてしまっていた。

「なんだ、あのデカい法器は──」

 青空が薄紫へと変色し、法器がある空へ近付くほど、どす黒い赤へと変色している。
 海の水も同様で、海水は赤を通り越し、真っ黒な色へと変貌し、沸騰して泡さえ浮き立っていた。
 剣がかみ合う音が激しく響き、魏無羨と江澄も急いで其方へと駆け付ける。
 藍曦臣、藍忘機の兄弟が魔族と闘っており、中でも一人の白面の男に二人とも苦戦しているようだった。

「江澄、あいつが化粧男だ!」
「ああ」

 想像していたような面白い顔ではなく、顔が白いのも化粧ではないようだったが、白面の男は藍曦臣、藍忘機の攻撃を軽々と躱し、藍忘機が捕まるのが魏無羨の目にも見えてしまった。

「行くぞ、江澄! あの二人を助けるんだ!」
「いちいち命令すんな!」

 二人も剣を手にこの闘いに討って出て、魏無羨は藍忘機を捕まえた白面の男に斬りかかる。
 随便の切っ先が男の顔を切りつけ、白面の男の目が怒りに燃え、魏無羨を捉えた。
 その目が怒りから驚愕へと移り変わる。

「魏…公子……?」
「何?」

 確かに相手が自分の名を口走ったかに聞こえた。
 敵の動揺を見逃さず、藍忘機が反撃に出て、避塵が白面の男の頭上へと振り下ろされる。
 しかしこの男、なかなか闘い慣れている様で、魏無羨の腕を掴むと身を翻し、素早く後退してしまった。

「逃すか! 」

と眥を決した藍忘機が後へと続き、空中で激しい攻防が繰り広げられた。

「忘機、助太刀する!」
「[[rb:魏無羨 > そいつ]]を離せ!」

と雑魚を一掃し終えた藍曦臣と江澄も続き、三方向から攻められた白面の男も歩が悪いと覚ったのだろう。
 魏無羨の身体を東皇鐘の方へと突き飛ばすと、彼の体が見る見るうちに法器へ吸い寄せられて行く。
 藍忘機がすかさず追い、魏無羨の手を掴んだが、吸い込む力の方が強く、彼の体の半分は既に法器へ呑み込まれていた。

「藍二公子! 俺は良いから手を離せ! 俺のことより江澄を頼む」
「離さない、絶対にきみは私が助ける」
「ら……、」

 藍忘機の努力も虚しく、魏無羨の身体は吸い込まれ、藍忘機を見つめる彼の目も赤黒く染まった表面へと呑まれて行く。
 魏無羨を何とか救い出そうとする藍忘機に向かい、白面の男が襲いかかって来たが、藍曦臣と江澄で抗戦し、そして遂には魏無羨の名残は藍忘機の手の中に包まれた彼の指しか残っていなかった。
 灼熱の鏝を当てられた様な痛みが藍忘機の肌を刺し、彼の無表情な顔面を苦痛へと変えていく。
 弟のそんな様を見た藍曦臣は慌てて彼を東皇鐘から引き剥がし、そして魏無羨は残った指先まで消えてなくなってしまった。

「兄上! 何故、見殺しにする!」
「仕方ない。お前まで犠牲には出来ん」
「魏嬰を救いにいかねば……!」

 しかし魏無羨を呑み込んだ東皇鐘は既に役目を終えたのか、あれ程赤黒く燃えていた表層は本来の鉄の色を取り戻そうとしていた。
 見る見るうちに色を失い、小さな法器へと戻る鐘を見、藍忘機はいちかばちかで避塵を振り下ろして見たが、一品霊器はそんなに簡単に破壊出来るものではなく、ぽとんと海水に落ち、そして辺りは何事もなかったかのように静まり返った。
 あれ程どす黒かった空も澄み、血のように紅く染まっていた海も普通の海水へと戻っている。

「魏無羨…!」

 海に落ちた東皇鐘を追って江澄が海水へと潜ったが、海底から拾いあげたそれはただの小さな鐘だった。
 白面の男はと言うと、この混乱に乗じてとっくに姿を消している。
 西の空の方でゴオーンと重い鐘を打ち鳴らす様な音が響き渡った。

「まずい、父上の身に何かあったようだ。忘機、我々はすぐに天界へ帰るぞ」

 藍曦臣の言葉に藍忘機は頭を振り、そして江澄も「魏無羨はどうするんだ!」と叫んだ。

「お前らが青丘に乗り込んで来たから、魏無羨がこんな物の中へ吸い込まれてしまった! 魏無羨を返せよ! このまま見捨てていくのか?!」
「江公子、説明している暇はない。済まないが、私たちには他にやらねばならないことがあるんだ。理解してくれ。いくぞ、忘機」

 兄に腕を取られ、急かされたが、藍忘機はそれを振り払い、自分は行かないと頭を振った。
 藍忘機は藍曦臣よりこの東皇鐘について詳しく聞かされていない。
 彼にとっては天界の奥深くで寝たきりになっている父親よりも、目の前で消えてしまった魏無羨を助ける方が優先だった。

「父上の元へは兄上が向かってください。必要とあれば叔父上に援軍を乞い、あの男の行方を追いましょう。私は先にさっきの男を見つけます」
「忘機、これはそんな簡単な問題ではない。九重天だけの問題ではなく、」

 二人が揉める内に地響きが始まり、そして西の方角が赤く燃え上がった。
 其方を見た江澄の顔が青ざめる。

 それもその筈。
 燃えているのは彼の住処がある青丘の方角だった。

「父上、母上……!」

 狐の姿になった江澄は東皇鐘を放り投げ、ぎゅんと空を駆け抜ける。

「兄上、叔父上に報告を頼みます!」

 藍忘機もすぐに江澄の後を追い、藍曦臣は舌打ちしながらも止むなく、天界へ戻り、この件を叔父の藍啓仁に早急に伝えることにする。
 江澄はこれまでにないスピードで急いで青丘へと引き返したが、彼が戻った時には、瑞々しく青かった森は一面の焔に包まれ、動植物の悲鳴がそちらこちらから上がり続けていた。
 炎に飲まれ、大木が倒れ、逃げ惑う動物たちも火の手に追いつかれて焼け焦げて行く。

「ち、父上…、母上!」

 江楓眠たちが暮らす狐狸洞も例外ではなく、すっかり焼け落ち、黒焦げになった霊狐の死体が転がっていた。
 この現実に打ちのめされ、力無く地面に頽れた江澄はそのままにし、藍忘機は今も抗戦が続いているらしい激しい物音がする方へと飛んで行く。
 広まる炎の中、一匹の九尾狐が襲撃者と闘っていた。
 青丘の女狐こと、虞紫鳶だ。
 彼女の足下には狐帝だった江楓眠が遺体となって転がっている。

「魏無羨! 育ててやった恩も忘れて、お前の主を殺すとは、未来永劫、お前の子々孫々までこの虞紫鳶が祟り続けてやる!」

(魏無羨────?)

 藍忘機はその名に聞き覚えがあったが、彼の理性が受け容れようとはしなかった。
 宙に浮かび、泣き叫ぶ虞紫鳶を見下ろす魏無羨の顔も、藍忘機が飽きることなく見続け、愛おしんで来た少年と良く似ていたが、その表情はまったく別物で、彼の瞳は殺しの愉悦に浸り、妖しく浸っていた。

「魏無羨? 俺の名を忘れたのか、虞紫鳶。女狐如きが魔尊であるこの俺に盾突くなど身の程を知れと親から教わって来なかったのか?」
「黙れ! 誰が尊で誰が婢か、この場ではっきりさせてやる!」
「母上!」

 思わぬところで彼女の耳に入った叫びが虞紫鳶の油断を誘った。

「阿澄! 来るんじゃないよ! お前は姉を連れて早くお逃げ!」
「嫌だ、母上! 俺も闘う! 魏無羨、なんでこんなことをするんだ! 父上も母上もお前に優しかっただろう! それなのにお前のせいで青丘がめちゃくちゃだぞ!」

 江澄の叫びにも魏無羨は笑うだけで正気に戻ることはなかった。

「喧しい狐だ。俺は獣臭いのが大嫌いなんだよ」

 彼の瞳が一層、紅く光り、手の中の炎が大きくなった。
 いち早くそれに気付いた虞紫鳶は息子を突き飛ばし、藍忘機の方へと放り投げると、自身は牙を剥き、魏無羨の方へと飛んで行った。

「母上!!」

 暴れる江澄を抑え、藍忘機は虞紫鳶が引き起こした爆発から身を守り、空へと飛翔する。

「離せ、魏無羨の奴、殺してやる! 離せってんだ!」

 じたばたと暴れる江澄のみねうちを叩いて昏倒させ、しばし悩んだ藍忘機だったが、結局、天界へ帰ることにした。
 命を粗末にし、あの状態の魏無羨に挑んでも、狐帝と虞紫鳶の二人がかりで殺せなかった程の存在だ。
 ただ、あれが魏無羨だとはどうしても思えない。
 自分の寝台に江澄を寝かせた藍忘機は急ぎ、青丘で見たことを叔父に伝える為に九重天の宮殿へと向かったのだが、天界は天界で別の事件が起こっていた。
 何者かに侵入された賊によって、寝たきりだった天帝が命を落としてしまったのである。
 東皇鐘の異常のすべては彼らの父の死が原因だった。
 結界が破られ、封じ込められていた魔尊が魏無羨の身体を借り、蘇ったのだろう。

「その魏無羨とやらは何者だ」

 悩ましい問題に叔父がこめかみに手を当て、兄弟に問い掛ける。
 本当のことを話すしかないが、彼らが魏無羨について知っていることと言えば───。

「あの子はただの人の子です。魔尊に利用されたに過ぎないでしょう」
「ただの人の子が依り代になど選ばれる筈がなかろう。大方、目眩ましの為に人の子として生を受け、東皇鐘に近付く機会を窺っていたに違いない。曦臣が言っていた白面の男と言うのは、おそらく鬼将軍、温寧のことだ」
「鬼将軍、温寧?」
「魔尊の片腕で、あいつ一人に何万もの天族が殺された。ひとまずこの件からお前たちは身を引け。特に忘機、お前はまだ上神にもならぬ身だ。何かあってからでは遅いし、曦臣、お前は兄上の跡を継ぎ、天帝に就任せねばならん」
「────」

 下界では魔尊となった魏無羨が暴れていたが、天帝を亡くしたばかりの龍族は何もすることが出来なかった。
 それに同胞だった青丘の壊滅も痛すぎる。
 江澄は藍忘機の屋敷に匿われていたが、始終、呆けた様に虚ろな目をして、誰が話しかけても返事をせず、時折、魏無羨の名を叫んでは暴れる状態だった。
 そんな江澄の姿を眺め、就任式の近い藍曦臣は溜息をこぼす。
 弟を見、そして彼の肩に手を置いた。

「忘機、早まるなよ。お前に上神の試練はまだ早い」

 藍啓仁にそう止められたことが弟を悩ませていることが兄には筒抜けなのだ。
 藍曦臣とて、天帝を継いだは良いが、式が済めばすぐにでも魏無羨への対抗策を練らねばならない。
 彼とて命を落とすかも知れないし、だとすれば弟の藍忘機が藍曦臣の跡を継ぐしかない。
 それも含めての諫言だった。

「可哀想に。彼は青丘の生活しか知らない。彼の地では何の辛苦もなく、自由気ままに過ごして来ただろう。一度に家族を失い、兄弟同然に育って来た者に裏切られるなんて」
「兄上。兄上も魏嬰は魔尊の生まれ変わりだと信じるのですか?」
「叔父上の言うことにも一理ある。それにあの子は百年を経ても少年が青年へと成長しただけだ。その時点でもっと疑問を抱くべきだった」
「────」
「ともかくも、早まったことはするな。今後は私がお前の主だ。勿論、お前の兄として今後もずっとお前のそばに寄り添い続けるが、お前は私の命に従う必要があることは忘れるな」
「はい……」

 兄が去り、自身の屋敷の庭で藍忘機はぶつぶつ独り言を呟く江澄の声に耳を傾けていた。

「魏無羨、殺してやる、殺してやる、殺してやる」

 何故だかすごく泣きたくなり、天を仰いで涙を堪える。
 それでも魏無羨を信じたい気持ちは消えなかった。
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