花散らす無垢
菩薺村の十数里先に見事な花を咲かす桃林がある。
そして近頃その桃林に旅人を襲う鬼が出ると言う噂が立っていた。
菩薺観に祈りに来る人々の話からそれを知った謝憐は、早速笠をかぶって出掛けて見ることにした。
「神仙様、お出かけですか?」
村人が謝憐を見かけ、そう声をかけてくる。
「こんにちはお爺さん。私は神仙ではありませんよ、ただの道士です」
「また小花が来たら、教えてくだされ」
まったく花城と来たら、すっかり菩薺村の人気者だ。
彼らが花城の正体を知ったら何と思うだろう。
(どう思われようと、三郎は三郎だし)
謝憐が知る血雨探花は知的で品もあり、礼節を弁える、とても生真面目な青年だ。
鬼を青年と呼ぶべきかは置いておき、人も神も鬼も、基礎となる人格にさほど変わりはない。
さすがに二度も貶謫された謝憐は身を持ってそのことを嫌と言うほど学んでいた。
「どこに行くの、兄さん」
「!」
なんと、彼のことを考えていたら、早速花城が現れた。
「三郎、心臓に悪いなあ。来ても良いけど、そんな急に現れないでくれよ」
「ごめんごめん」
ちっとも悪びれない様子で花城は謝憐を見下ろしながら歩幅を合わせて歩く。
彼と共に行くことに何の支障もないが、その格好では悪目立ちする。
やはり彼には小花 の姿になってもらうことにして、化身を終えた彼に行き先と事情を説明した。
「その鬼の件はきみも知っているのかい?」
「ん? まあね。だから来た」
「きみもその鬼を退治に?」
時々思うが、花城の話しぶりは説明不足で思わせぶりなことが多い。
慎重さの表れなのだろうが、謝憐はそれよりも多くを語らないことで、常に主導権を自分の手に掌握していたいからなのだろうなと思っていた。
振り返ると黒々とした彼の瞳がじっと謝憐を見つめている。
彼の瞳に気がつくと謝憐はいつも落ち着かない気分にさせられる。
自分のすべてを見透かされるようでいて、花城の視線は「兄さんの好きなようにして良いんだよ」と言いたげな彼の気遣いも感じられる。
たまらなく大事にされている気分だ。
だから謝憐も落ち着かない。
二人の間の距離を、そして彼が動く時に聞こえてくる衣が擦れる音や些細な動きに敏感に反応してしまう。
「兄さん」
「えっ、なに? なにか言った??」
唐突に話しかけられ、あたふたと返事をする謝憐に、花城はあっさりと「着いたよ」と目的地を指差す。
まだそんなに歩いた記憶もないのだが。
もう十里も歩いてしまったのだろうか。
「あ、三郎。ひょっとして縮地千里を使ったのかい?」
「うん。だって兄さんを疲れさせちゃいけないでしょ」
「そんな仙力の無駄遣いはしないでくれよ」
「ごめん、ごめん」
まったく謝憐と来たら花城に謝らせてばかりだ。
彼は何も悪くないのに、どうしてか花城を相手だと謝憐らしからぬ我が儘が出てしまう。
ごめんと言いたいのは謝憐の方だったが、彼は謝罪は望まないだろうと思い、代わりに「ありがとう」と素直に感謝した。
やはり感謝の念は正解だったようで、花城は鬼らしからぬ明るい笑顔で謝憐に「お安い御用さ」と笑って返した。
「兄さんのためなら、三郎の力なんて全然惜しくない。俺の命も全部、俺が持つものはすべて兄さんにあげる」
「そんなものはいらないよ。一度きみから全部もらってしまったら、私はきみに頼らず、全部自分でやらなきゃならないじゃないか」
「それはそうだ。兄さんは本当に面白い考え方をするね」
「それ、褒めてないよ」
「あはは」
ふざけ話はここまでで、目的の鬼を探さなければと謝憐は桃林に向かって目を凝らした。
目を細め、じーっと見つめるがおかしなところは何もなく、ただの桃林で、見事な桃の花が咲き誇っているだけだった。
謝憐のマネをして、花城も渋い顔で顎に指を当て、じーっと桃林を眺めている。
それに気づいた謝憐がピエッと怒り出すと花城は途端に笑いだしてまた「ごめん、ごめん」と謝った。
「冗談は止めにして、三郎は何か感じるかい?」
「もう少し奥まで行ってみる? 桃の花が綺麗だ」
「そうだね」
じゃあ、と彼が自分の片手を差し出し、謝憐にどうぞと手を取るように勧めて来る。
「きみにはものすごく大切にされている気がする。私はどこかの深窓の令嬢ではないのに」
「仙楽の太子殿下なら、令嬢以上に尊い存在でしょ」
「仙楽太子は、ガラクタの神、疫病神だよ」
「百人や万人がそう言っても、俺は俺の言葉しか信じない。たとえ帝君がそう言ったとしても、本当に正しいのは俺自身だ」
「────」
三郎、と言いかけたが、謝憐はその言葉を飲み込んだ。
彼の手を支えてくれる花城の手は鬼らしく冷たくひんやりとしているのに、その手から伝わってくる彼の心はとても熱くて、温かい。
「ねえ、サンラ……」
謝憐がそう呼びかけた時、突如として彼の姿が消えた。
「三郎?!」
唐突に桃色に染まった嵐が謝憐の目の前に広がり、彼の身体は一面に飛び散った桃の花びらで埋め尽くされる。
「三郎! どこにいる!」
目を開けられない程、桃色の嵐は謝憐の身体を包み込み、口の中にまで入って来た。
「三郎、三郎!」
呼び続けていると、誰かの力強い腕が謝憐を引っ張り、彼の身体は赤い服を着た男の腕に抱き締められる。
「三郎? 三郎なのか?」
「うん」
桃色の花びらの群生の中から、花城の美麗な顔つきが浮き上がり、謝憐は思わず嬉しくなって「三郎!」と彼に抱きついてしまった。
「驚いた。凄い嵐だ」
「俺に捕まっていれば大丈夫」
「この嵐も鬼の仕業なのか?」
「そうだよ。鬼の仕業だ」
だとすればなかなかに実力のある鬼と見た。
花城の衣服をぎゅっと掴み、いざとなれば自分が守ると謝憐はキッと花びらの向こうを睨み据えたが、どうも花城の様子がおかしい。
謝憐の必死さに笑いを堪えているように見える。
「三郎? ねえ、真面目にやろうよ。こんなに力がある鬼を野放しにしては村人が」
「大丈夫さ。そいつは兄さんの命令なら何でも聞くから。試しにやめなさいって言ってごらん」
「え? や、止めなさい?」
そう謝憐が口にした途端、ピタッと花の嵐は収まった。
花城が謝憐の髪や顔についた花びらを手で払い除けてくれる。
「一体、これはどう言うこと?」
「ん? さあ」
さあ、じゃない。
どう考えてもこれはおかしい。
だって花城の片腕は謝憐の腰をしっかりと抱き、敵かも知れない鬼が近くにいると言うのに落ち着き払って花城は肩を竦めるだけだ。
「正直に言いなさい」
謝憐がめっと睨むと、花城は観念した子どもの様にぺろりと舌を出した。
やはりさっきの嵐は彼のいたずらだったのだ。
「もう、真面目にやってくれ、三郎! 村人が被害に遭わない様に、ここの鬼を退治しなきゃならないんだ」
「それなら簡単だよ。兄さん、俺の頭を叩いてくれる?」
「え?」
「良いから、早く」
「はあ???」
理由がわからないまま、謝憐は花城の頭をぽこんと叩く。
叩いたと言っても触れただけに等しい様なもので、自分の指先に触れた彼の髪のしなやかさに謝憐の心臓が高鳴ってしまった。
花城はと言うと、
「ほら、退治完了したよ」
とあっさり終了を告げる。
そこまで言われてようやく謝憐にも彼の魂胆が読めた。
「まさか、三郎! 桃林に出る鬼ってきみのこと?!」
「うん。兄さんにこの桃林を見せたくてさ」
「じゃあ、旅人を襲ったのは……!」
「襲ってないよ。うわあっと声を上げて脅かしただけ」
「………」
絶境鬼王。
鬼界の四大害が何をやっているのかと、謝憐は頭が重くて、両手で支えなければへなへなとその場に倒れてしまいそうだった。
「三郎、あのね……」
「ごめん、ごめん」
謝れば良いと言うものじゃない。
でも白い歯を見せて笑う花城を見ると、謝憐は何も言えずに自分も笑い返すしかなかった。
「この桃林、気に入ってくれた?」
「もしかして、この桃もきみが植えたのか?」
「うん」
やはりそうか。
本当に彼は謝憐のためなら、なんだってやってのける。
「きみは本当に私に良くしてくれる。でも、私はきみに何も返せない」
せいぜい食べかけの饅頭を賭けの元手にするぐらいで、本当に花城に何の恩返しも出来ていなかった。
そんな謝憐に花城は変わらず、皮肉めいた笑いを浮かべながら、「気にしなくていい」と彼を慰める。
「あるところにいつも傷ついてる一人ぼっちの鬼がいたんだ。その鬼はもう生きていたくなくて、さっさと死んじゃいたいといつも思っていた」
「三郎……?」
「でもとても美しい人に出会った。きらびやかで、それでいて古風な花の様に気品があって、何ものにも犯し難い究極の美がその人にはあった。兄さんにはわかるかな? その人の美は姿はもちろんだけど、内面の輝きが外見の美しさを一層際立たせていて、俺は息をするのも忘れて呆然とするしかなかった。今でもその光景を忘れない」
「……そうか」
花城の想い人はそれほど美しい人なのか、と何故か傷ついている自分に、謝憐はわけがわからなくなり、苛立ってしまった。
「そんなに美しい人がいるなら、世の中の人は、その人に嫉妬してしまいそうだな」
「大丈夫。俺がついている」
「──はは、そうだね。三郎の想い人だもんね。大切にしてあげなきゃ」
「うん。すごく、大切な人だ。むしろ、触れるのさえ戸惑うぐらい、俺にとっては至上の人で、そんな人に感謝されるなんておこがましくて、死んでしまいたくなる」
「どうして死ぬなんて言うんだ」
「あ、そうだね。どちらにしても俺は死んでいる。だって鬼だもの」
「三郎、あのさ」
「気にしないで。だから感謝とか、兄さんは何も考えなくていい。貴方が存在しているだけで、救われる者がいるのだから」
どうして花城の想い人の話から、謝憐は何も気にしなくて良いに繋がるのかさっぱりわからなかったが、謝憐はすっかりへそを曲げていた。
仙楽太子の彼は心を自在に出来る術を心得ていて、怒りも喜びもすべて波紋のない水面の様に保つことが出来るのだが、どうも花城のこととなるとそうもいかないようだ。
そんなに大切な人がいるのなら、自分にではなく、その人にこの桃林を見せればいい。
そう言葉を投げつけたくなり、それは自分の我が儘だと気づいて飲み込んだ。
ぱたぱたと衣服についた花びらを取り、
「帰ろう」
と花城に伝える。
「兄さん、気分を害した? 嘘をついて騙してごめんよ」
「良いんだ。誰かを傷つける鬼がいなくて、それがわかれば十分だ」
「兄さん、何か三郎に怒ってる?」
「別に。何も怒ってない」
「兄さん……」
一人で歩き出す謝憐を追ってくるかと思ったのだが、花城はいつまでも追いついて来なかった。
どうしたのかと振り向いて見ると、遠くでしょんぼりと俯いている。
これが鬼王閣下かと思うと笑いが込み上げ、謝憐は彼の名を呼んで手招きしてやった。
「家に帰ろう、三郎」
「兄さん、でも、俺」
「家族の間で、ごめんもなにもないよ。もう怒ってないから、機嫌を直して一緒に帰ろう」
一緒に帰ろう、と言う謝憐の言葉に小花の姿の花城は破顔し、駆け寄ると謝憐に抱きつき、甘えて来た。
これでは大型犬だ。
たまらずに謝憐は笑い出す。
「ねえ、三郎、もう嘘をついたりしないで」
「うん。約束する。兄さんの言うことなら、三郎は何でも聞く。でもこの桃林は気に入らなかった? 燃やしたほうがいい?」
「駄目だよ。これから毎年、桃の花が咲く時期になったら二人でここに来よう。あ、きみの想い人と来たいのなら邪魔はしないけど」
「大丈夫。その人も兄さんのことが大好きだから」
「んー、意味がわからないなぁ」
まあ、良いかと抱きつく花城の腕を叩き、彼らは菩薺観までの道をゆっくりと引き返す。
今度は縮地千里は使わずに、のんびりと、じっくりと。
二人だけの帰路を愉しみながら、彼らは互いににっこりと微笑んだ。
終わり
20240606
そして近頃その桃林に旅人を襲う鬼が出ると言う噂が立っていた。
菩薺観に祈りに来る人々の話からそれを知った謝憐は、早速笠をかぶって出掛けて見ることにした。
「神仙様、お出かけですか?」
村人が謝憐を見かけ、そう声をかけてくる。
「こんにちはお爺さん。私は神仙ではありませんよ、ただの道士です」
「また小花が来たら、教えてくだされ」
まったく花城と来たら、すっかり菩薺村の人気者だ。
彼らが花城の正体を知ったら何と思うだろう。
(どう思われようと、三郎は三郎だし)
謝憐が知る血雨探花は知的で品もあり、礼節を弁える、とても生真面目な青年だ。
鬼を青年と呼ぶべきかは置いておき、人も神も鬼も、基礎となる人格にさほど変わりはない。
さすがに二度も貶謫された謝憐は身を持ってそのことを嫌と言うほど学んでいた。
「どこに行くの、兄さん」
「!」
なんと、彼のことを考えていたら、早速花城が現れた。
「三郎、心臓に悪いなあ。来ても良いけど、そんな急に現れないでくれよ」
「ごめんごめん」
ちっとも悪びれない様子で花城は謝憐を見下ろしながら歩幅を合わせて歩く。
彼と共に行くことに何の支障もないが、その格好では悪目立ちする。
やはり彼には
「その鬼の件はきみも知っているのかい?」
「ん? まあね。だから来た」
「きみもその鬼を退治に?」
時々思うが、花城の話しぶりは説明不足で思わせぶりなことが多い。
慎重さの表れなのだろうが、謝憐はそれよりも多くを語らないことで、常に主導権を自分の手に掌握していたいからなのだろうなと思っていた。
振り返ると黒々とした彼の瞳がじっと謝憐を見つめている。
彼の瞳に気がつくと謝憐はいつも落ち着かない気分にさせられる。
自分のすべてを見透かされるようでいて、花城の視線は「兄さんの好きなようにして良いんだよ」と言いたげな彼の気遣いも感じられる。
たまらなく大事にされている気分だ。
だから謝憐も落ち着かない。
二人の間の距離を、そして彼が動く時に聞こえてくる衣が擦れる音や些細な動きに敏感に反応してしまう。
「兄さん」
「えっ、なに? なにか言った??」
唐突に話しかけられ、あたふたと返事をする謝憐に、花城はあっさりと「着いたよ」と目的地を指差す。
まだそんなに歩いた記憶もないのだが。
もう十里も歩いてしまったのだろうか。
「あ、三郎。ひょっとして縮地千里を使ったのかい?」
「うん。だって兄さんを疲れさせちゃいけないでしょ」
「そんな仙力の無駄遣いはしないでくれよ」
「ごめん、ごめん」
まったく謝憐と来たら花城に謝らせてばかりだ。
彼は何も悪くないのに、どうしてか花城を相手だと謝憐らしからぬ我が儘が出てしまう。
ごめんと言いたいのは謝憐の方だったが、彼は謝罪は望まないだろうと思い、代わりに「ありがとう」と素直に感謝した。
やはり感謝の念は正解だったようで、花城は鬼らしからぬ明るい笑顔で謝憐に「お安い御用さ」と笑って返した。
「兄さんのためなら、三郎の力なんて全然惜しくない。俺の命も全部、俺が持つものはすべて兄さんにあげる」
「そんなものはいらないよ。一度きみから全部もらってしまったら、私はきみに頼らず、全部自分でやらなきゃならないじゃないか」
「それはそうだ。兄さんは本当に面白い考え方をするね」
「それ、褒めてないよ」
「あはは」
ふざけ話はここまでで、目的の鬼を探さなければと謝憐は桃林に向かって目を凝らした。
目を細め、じーっと見つめるがおかしなところは何もなく、ただの桃林で、見事な桃の花が咲き誇っているだけだった。
謝憐のマネをして、花城も渋い顔で顎に指を当て、じーっと桃林を眺めている。
それに気づいた謝憐がピエッと怒り出すと花城は途端に笑いだしてまた「ごめん、ごめん」と謝った。
「冗談は止めにして、三郎は何か感じるかい?」
「もう少し奥まで行ってみる? 桃の花が綺麗だ」
「そうだね」
じゃあ、と彼が自分の片手を差し出し、謝憐にどうぞと手を取るように勧めて来る。
「きみにはものすごく大切にされている気がする。私はどこかの深窓の令嬢ではないのに」
「仙楽の太子殿下なら、令嬢以上に尊い存在でしょ」
「仙楽太子は、ガラクタの神、疫病神だよ」
「百人や万人がそう言っても、俺は俺の言葉しか信じない。たとえ帝君がそう言ったとしても、本当に正しいのは俺自身だ」
「────」
三郎、と言いかけたが、謝憐はその言葉を飲み込んだ。
彼の手を支えてくれる花城の手は鬼らしく冷たくひんやりとしているのに、その手から伝わってくる彼の心はとても熱くて、温かい。
「ねえ、サンラ……」
謝憐がそう呼びかけた時、突如として彼の姿が消えた。
「三郎?!」
唐突に桃色に染まった嵐が謝憐の目の前に広がり、彼の身体は一面に飛び散った桃の花びらで埋め尽くされる。
「三郎! どこにいる!」
目を開けられない程、桃色の嵐は謝憐の身体を包み込み、口の中にまで入って来た。
「三郎、三郎!」
呼び続けていると、誰かの力強い腕が謝憐を引っ張り、彼の身体は赤い服を着た男の腕に抱き締められる。
「三郎? 三郎なのか?」
「うん」
桃色の花びらの群生の中から、花城の美麗な顔つきが浮き上がり、謝憐は思わず嬉しくなって「三郎!」と彼に抱きついてしまった。
「驚いた。凄い嵐だ」
「俺に捕まっていれば大丈夫」
「この嵐も鬼の仕業なのか?」
「そうだよ。鬼の仕業だ」
だとすればなかなかに実力のある鬼と見た。
花城の衣服をぎゅっと掴み、いざとなれば自分が守ると謝憐はキッと花びらの向こうを睨み据えたが、どうも花城の様子がおかしい。
謝憐の必死さに笑いを堪えているように見える。
「三郎? ねえ、真面目にやろうよ。こんなに力がある鬼を野放しにしては村人が」
「大丈夫さ。そいつは兄さんの命令なら何でも聞くから。試しにやめなさいって言ってごらん」
「え? や、止めなさい?」
そう謝憐が口にした途端、ピタッと花の嵐は収まった。
花城が謝憐の髪や顔についた花びらを手で払い除けてくれる。
「一体、これはどう言うこと?」
「ん? さあ」
さあ、じゃない。
どう考えてもこれはおかしい。
だって花城の片腕は謝憐の腰をしっかりと抱き、敵かも知れない鬼が近くにいると言うのに落ち着き払って花城は肩を竦めるだけだ。
「正直に言いなさい」
謝憐がめっと睨むと、花城は観念した子どもの様にぺろりと舌を出した。
やはりさっきの嵐は彼のいたずらだったのだ。
「もう、真面目にやってくれ、三郎! 村人が被害に遭わない様に、ここの鬼を退治しなきゃならないんだ」
「それなら簡単だよ。兄さん、俺の頭を叩いてくれる?」
「え?」
「良いから、早く」
「はあ???」
理由がわからないまま、謝憐は花城の頭をぽこんと叩く。
叩いたと言っても触れただけに等しい様なもので、自分の指先に触れた彼の髪のしなやかさに謝憐の心臓が高鳴ってしまった。
花城はと言うと、
「ほら、退治完了したよ」
とあっさり終了を告げる。
そこまで言われてようやく謝憐にも彼の魂胆が読めた。
「まさか、三郎! 桃林に出る鬼ってきみのこと?!」
「うん。兄さんにこの桃林を見せたくてさ」
「じゃあ、旅人を襲ったのは……!」
「襲ってないよ。うわあっと声を上げて脅かしただけ」
「………」
絶境鬼王。
鬼界の四大害が何をやっているのかと、謝憐は頭が重くて、両手で支えなければへなへなとその場に倒れてしまいそうだった。
「三郎、あのね……」
「ごめん、ごめん」
謝れば良いと言うものじゃない。
でも白い歯を見せて笑う花城を見ると、謝憐は何も言えずに自分も笑い返すしかなかった。
「この桃林、気に入ってくれた?」
「もしかして、この桃もきみが植えたのか?」
「うん」
やはりそうか。
本当に彼は謝憐のためなら、なんだってやってのける。
「きみは本当に私に良くしてくれる。でも、私はきみに何も返せない」
せいぜい食べかけの饅頭を賭けの元手にするぐらいで、本当に花城に何の恩返しも出来ていなかった。
そんな謝憐に花城は変わらず、皮肉めいた笑いを浮かべながら、「気にしなくていい」と彼を慰める。
「あるところにいつも傷ついてる一人ぼっちの鬼がいたんだ。その鬼はもう生きていたくなくて、さっさと死んじゃいたいといつも思っていた」
「三郎……?」
「でもとても美しい人に出会った。きらびやかで、それでいて古風な花の様に気品があって、何ものにも犯し難い究極の美がその人にはあった。兄さんにはわかるかな? その人の美は姿はもちろんだけど、内面の輝きが外見の美しさを一層際立たせていて、俺は息をするのも忘れて呆然とするしかなかった。今でもその光景を忘れない」
「……そうか」
花城の想い人はそれほど美しい人なのか、と何故か傷ついている自分に、謝憐はわけがわからなくなり、苛立ってしまった。
「そんなに美しい人がいるなら、世の中の人は、その人に嫉妬してしまいそうだな」
「大丈夫。俺がついている」
「──はは、そうだね。三郎の想い人だもんね。大切にしてあげなきゃ」
「うん。すごく、大切な人だ。むしろ、触れるのさえ戸惑うぐらい、俺にとっては至上の人で、そんな人に感謝されるなんておこがましくて、死んでしまいたくなる」
「どうして死ぬなんて言うんだ」
「あ、そうだね。どちらにしても俺は死んでいる。だって鬼だもの」
「三郎、あのさ」
「気にしないで。だから感謝とか、兄さんは何も考えなくていい。貴方が存在しているだけで、救われる者がいるのだから」
どうして花城の想い人の話から、謝憐は何も気にしなくて良いに繋がるのかさっぱりわからなかったが、謝憐はすっかりへそを曲げていた。
仙楽太子の彼は心を自在に出来る術を心得ていて、怒りも喜びもすべて波紋のない水面の様に保つことが出来るのだが、どうも花城のこととなるとそうもいかないようだ。
そんなに大切な人がいるのなら、自分にではなく、その人にこの桃林を見せればいい。
そう言葉を投げつけたくなり、それは自分の我が儘だと気づいて飲み込んだ。
ぱたぱたと衣服についた花びらを取り、
「帰ろう」
と花城に伝える。
「兄さん、気分を害した? 嘘をついて騙してごめんよ」
「良いんだ。誰かを傷つける鬼がいなくて、それがわかれば十分だ」
「兄さん、何か三郎に怒ってる?」
「別に。何も怒ってない」
「兄さん……」
一人で歩き出す謝憐を追ってくるかと思ったのだが、花城はいつまでも追いついて来なかった。
どうしたのかと振り向いて見ると、遠くでしょんぼりと俯いている。
これが鬼王閣下かと思うと笑いが込み上げ、謝憐は彼の名を呼んで手招きしてやった。
「家に帰ろう、三郎」
「兄さん、でも、俺」
「家族の間で、ごめんもなにもないよ。もう怒ってないから、機嫌を直して一緒に帰ろう」
一緒に帰ろう、と言う謝憐の言葉に小花の姿の花城は破顔し、駆け寄ると謝憐に抱きつき、甘えて来た。
これでは大型犬だ。
たまらずに謝憐は笑い出す。
「ねえ、三郎、もう嘘をついたりしないで」
「うん。約束する。兄さんの言うことなら、三郎は何でも聞く。でもこの桃林は気に入らなかった? 燃やしたほうがいい?」
「駄目だよ。これから毎年、桃の花が咲く時期になったら二人でここに来よう。あ、きみの想い人と来たいのなら邪魔はしないけど」
「大丈夫。その人も兄さんのことが大好きだから」
「んー、意味がわからないなぁ」
まあ、良いかと抱きつく花城の腕を叩き、彼らは菩薺観までの道をゆっくりと引き返す。
今度は縮地千里は使わずに、のんびりと、じっくりと。
二人だけの帰路を愉しみながら、彼らは互いににっこりと微笑んだ。
終わり
20240606