サンランの口づけ

 ひらひらと一葉の紅葉が謝憐の目の前に舞い落ちる。
 まるで瀟洒な貴婦人の舞踏を見るようで、些細な幸せを感じた彼は隣にいる信頼出来る相手に同じ喜びを分かち合おうと振り返った。
 振り向いた途端、目を丸くした謝憐に、卓に肘をついてだらしない恰好でもたれかかっていた花城は、「なに、兄さん」と片眉を持ち上げて笑う。
「いや、ほら、紅葉が」
「ああ、綺麗だね。兄さんは紅葉が好き?」
「うん。花も好きだし、青々とした緑も大好きだ。美しい景観はそれだけで心が弾む。三郎はそう思わない?」
「思うよ」
 その割には彼の視線は謝憐しか見て居らず、さっき驚いたのも、てっきり花城の視線は広々とした菩薺村ののどかな景色に向けられていいると思ったのに、振り向いた謝憐とばっちり目が合ってしまったからだ。
 これが初めてではない。
 振り返ると、いつも隻眼の瞳はじっと静かに謝憐を見つめている。
 それは時に穏やかに、そして時には謝憐の心を掻き立て、何ともおちつかない気分にさせてしまうのだった。
 兄さん、と花城に話し掛けられ、動揺を隠せずに、謝憐はあわあわと返事をする。
「なに、三郎?」
「兄さんが紅葉が好きなら、今からあの山の紅葉樹を全部赤く染めてあげる」
「三郎、そう言うことじゃないんだ。確かに紅葉は好きだけど、自然に染まる課程と秋の風情が好きなんであって、赤い紅葉が好きなんじゃない」
「そうなの」
 まるで𠮟られた子供の様にシュンとする彼を見、謝憐の胸にも何とも言えぬ愛情が湧き立ってしまった。
「俺は兄さんの様に雅や趣きは理解出来ないから」
「三郎の鬼界の宮殿だって、立派だよ」
「違う。俺には分かる。兄さんはあんな華美な宮殿は好まない。でも俺にはどうしたら兄さんの好みに近付けるか、それが分からないんだ」
「花城でも分からないことがあるんだね」
「あるよ、いっぱい」
 特に、兄さんのこと、と聞こえた気がしたが、恥ずかしくなった謝憐は聞こえない振りで無視してあげた。
「きみが私の一番の理解者だ」
 そうして卓の上の花城の指に自分の手を重ねる。
 恥ずかしくて彼の方を向くことは出来なかったが、きっと花城の目は謝憐を見つめ、唇には微笑を浮かべているだろう。
 いつも彼の目は謝憐を追っている。
 彼の瞳を感じているこの時が、世界で一番美しい風景だ。
 きっとそう。
 謝憐の心に幸せが満ち、ぎゅっと花城の手を握り締めた。


終わり
1/1ページ
スキ