謝憐誕生日!

 菩薺村にある鄙びた道観。
 その名もそのまま菩薺観である。
 こんな小さな村で、しかも見た目にも綺麗と言えない家屋なのに、近頃その菩薺観は若い女の参拝客でにぎわっていた。
「仙楽太子様、太子殿下。どうぞ私とあの人の縁を結んでください」
 そう祈る娘の何と多いことか。
 そんな時、謝憐は出来るだけ顔を出すまいと道観の裏手で参拝客が帰るのを見守っていた。
 今日もそうして娘たちがお詣りに来、供物と祈りを捧げている間、謝憐は菩薺観に隣接する竹藪からその様子を窺っていたのたが、突如声を掛けられてびっくりして戦いてしまった。
「何をしてらっしゃるのです」
「うわぁ!」
 声の調子は慇懃だが振り向いた謝憐を見る目は限りなく冷たい。
「なんだ、風信と慕情か。驚かさないでくれ」
「別に驚かすつもりはないぞ」
「あなたに縁結びなどお願いして何になると言うのか。あの女ども。馬鹿じゃないのか」
 歯に衣着せぬ、慕情の取り付く島もない物言いに、謝憐は苦笑いをしながら一応窘める。
「お嬢さん方も別に私に本気で恋愛成就を願っているわけじゃない。若い娘が神に願うことなんて大体、そんなものしかないだろう」
「だからって何もあなたの道観なのに、こんな裏手から覗き込まなくても」
「趣味なんじゃないですか、この人の」
 んなわけあるか!と謝憐の代わりに風信が慕情に食ってかかる。
 まったく菩薺観を訪れてくれるのはありがたいが、風信と慕情と来たら、仲が悪い癖にいつもこうして同じタイミングで謝憐に会いに来るものだから迎える方としてはほとほと困りものだった。
「あの娘さんたちが縁を結びたいと思う相手が厄介でね」
「どう言うことです?」
 謝憐の言葉に風信と慕情が眉を吊り上げる。
 娘たちも消えたことだし、やれやれと菩薺観へ戻る謝憐に続き、風信と慕情もおんぼろ道観の中へ入って来る。
 謝憐一人でも手狭に感じる道観の中だから、当然、武神二人が加わればもっと狭い。
「くっつくな」
「貴様こそ」
 椅子に座ることでさえ、大喧嘩を繰り広げる風信と慕情は放って置き、謝憐は二人の為にお茶を淹れてもてなしてやった。
「ところでさっきの娘たちが縁を結びたい相手って誰なんです?」
 風信の問いに、謝憐も肩を竦める。
 その相手と言うのが、実は三郎サンランなのだ。
 その名を聞いて風信と慕情の顔もこれ以上ないほどに引き攣った。
 二人共美男のうちに入るのに、嫌悪を示す時の顔と言ったら、えげつなさ過ぎてもはや別人に変わっている。
「馬鹿な女どもだ。寄りにも寄って血雨探花など!」
「まあ、祈る相手は仙楽太子ですから。この人に祈ったところでケチがつくだけですよ。勝手にやらせておけばいい」
「きみたちね、本人を目の前にして言う言葉じゃないよ」
 しかも仮にも彼らは謝憐より高位の神官だ。
 さすがに引き攣った顔をした謝憐を睨みつけ、慕情は「あなたが悪いんですよ」と釘を差した。
「私の何が悪いと言うんだ」
「悪いところだらけじゃないですか。大体、あいつの正体が血雨探花だと分かっていながら、何故、まだ奴と関わりを持とうとするのですか」
「何故って……」
 無意識に風信に助っ人を求める謝憐の目を、向けられた風信もどうしたものかと思案しながら、結局、謝憐の味方にはなってくれなかった。
 二人共本当に花城のことが嫌いなのだ。
「何故、関わりを持とうとするかなんて理由は簡単だ。私は三郎と気が合う」
「絶境鬼王ですよ? あいつが何をしたのか忘れたって言うんですか」
「三郎が何をしたって言うんだ。確かに帝君に楯突いたり、天界の神官たちを小馬鹿にしたやり方は褒められない。でも三郎の挑戦を受けて負けたにも関わらず、誰一人彼との約束を守らなかった神官の側に問題があるんじゃないか?」
「何故、あなたはいちいちあいつの味方をするんです」
「身贔屓で言ってるんじゃない。私は自分が正しいと思うことを信じているだけだ」
「止めろ、慕情。仮にもこの人は太子殿下だ。殿下がいなければ、我々が点将されることもなかった。お側を離れたとは言え、敬意は払うべきだ」
「はっ、そんなに貧乏神に敬意を払いたいなら、お前だけが畏まってればいい」
「なんだと?! 貴様、こっちが下手に出ていれば」
「貴様のどこが下手に出てると言うんだ!」
「だから、止めなさい! お前たちが暴れたら、このおんぼろ道観は崩れるぞ!」
 まったく顔を突き合わせれば喧嘩ばかりのくせに、何故か彼らは気が合ってしまうようで、本当に謝憐を訪ねてくる時、偶然にこうしてお互いに出会してしまうのだから縁と言うのは不思議なものだ。
「縁頼みなら他に相応しい神がいるだろうに」
「まったくその通りだよ」
 しかも相手は三郎だ。
 確かに若い男に変装した彼の容姿が年頃の娘を虜にするのは謝憐も頷けるが、彼女たちの願いが叶うことは生涯ないだろう。
「そう言えば殿下。あいつが中指にしているあの紅い紐はなんのつもりなんですか?」
 それは謝憐も気になっていた。
 中指の紅い糸と言えば、縁結びの神の伝承だ。
「まさか血雨探花が縁結びの相手を探しているとかじゃないですよね」
「南陽、お前もそんなくだらない下世話な話が好きだとはな。女嫌いの堅物のお前には縁のない代物だろう」
「いちいちうるさいな、そう言うお前こそ」
「だから止めなさい。喧嘩をするなら今すぐ天界へ帰れ。一体、何をしに来たんだ、きみたちは」
「何って」
 慕情がむくれた顔で肘をつき、風信がそんなの決まっていると言う顔で頷く。
 つまり彼らは謝憐の落ちぶれた姿を見学しに来、彼が怠惰に過ごしていないか逐一観察に来ているのだ。
「暇なのか、きみたちは」
「違いますよ。こちらの方角に用事があったんです」
「俺も、用事があったんです」
 彼らの憂さばらしになど付き合っていられない。
「あ、何をするんです、殿下!」
「何故、押す! 殿下!」
 謝憐は細い身体からは到底、想像しにくい馬鹿力を発揮し、風信と慕情の二人を菩薺観から追い出すと、彼らの目の前で扉を閉めてしまった。
 何やら外で喚いているが、神官の暇潰しに付き合ってやる義理もない。
「ん? 静かになった?」
 疑問に思ってそっと謝憐が扉の隙間から外を覗いて見ると、外の様子は真っ赤になっていた。
 ぎょっとして目を見張るとスッと扉が開き、四つん這いで外を覗き込む謝憐を、花城が興味津々に見下ろしていた。
「今日は何の遊びなの、兄さん」
「あは、あはは、やあ、三郎!」
 慌てて立ち上がり、花城の肩越しに庭を見るが、どうやら風信と慕情の二人は彼の到来に気付いてさっさと逃げてしまったらしい。
 逃げたと表現してはきっと風信と慕情は怒るだろう。
(戦略的逃走ってことだよな)
と彼らのために訂正してあげ、変なところを見られてバツの悪い謝憐は苦笑いしながら、膝についた埃を払った。
「床に落ちていたゴミを拾おうとしてね」
「でも扉をうっすら開けて、外の様子を眺めていたよね」
「…………」
 ふふふ、と笑ってごまかす謝憐を見、花城もまあ、いいかと笑顔になる。
「さっきまで風信と慕情が来ていたんだ」
「お供え物も持って来ないなんて、あいつらは本当に使えない従者だな」
「三郎、風信たちは私の従者じゃない」
「そうだね。あんな奴ら、兄さんに必要ない」
 どうして花城がここまで神官を毛嫌いするのか、謝憐にはさっぱりわからない。
 いや神官は鬼を退治するものなのだから当然かも知れないが、だとすれば鬼を見てもこうして親しげにお茶を淹れる謝憐の立場とは一体、何なのだろう。
「はい、お茶」
「ありがとう、兄さん」
 謝憐の淹れたお茶を受け取る花城の指には、やはりあの赤い糸が巻かれていた。
 それを見るたび、謝憐は複雑な気持ちにさせられる。
 彼が縁を結びたい相手とは一体、誰なのだろう。
 花城ほど魅力的な存在なら、意中の人を射止めるのはいとも簡単な筈だ。
 存命しているのなら彼のそばにいても良い筈なのに、謝憐は一度もそんな対象を見た覚えがなかった。
 だとすれば残される条件は───
「三郎、その中指の赤い紐だけど」
「ああ、これ?」
 謝憐に問われた三郎がこれ見よがしに指に巻かれた赤い糸を差し出す。
 彼ほどの男が手に入れられない相手ならば。
 その対象は既に故人となっているのではないか。
 そう思い、謝憐は質問の言葉を飲み込んだ。
 死者が相手では敵うはずもない。
 記憶の中の相手は完全無二で、花城の思いのままの顔を常に見せ、彼の想いを惹きつけて止まないに違いない。
 それに謝憐は修行の為に情を捨てた。
 花城の想い人が誰なのか気になっても、彼を好きだと認められない謝憐にそれを問う資格はない。
 しかし花城はそんな謝憐の迷いには気付かず、彼に微笑むと、
「ある人との縁を繋ぎ止めておきたいんだ」
と答えてくれた。
 本当に謝憐の想いに気付いていないのだろうか。
 彼を見つめる花城の目はどこかおかしそうに笑っているかに見える。
 その碧眼に心を見透かされそうになり、謝憐はそっと視線を落とした。
「兄さんは」
「え?」
 話しかけてくる花城の声に反応し、謝憐は再び瞼を開く。
 じっと彼の目を見、何かを企む様に笑う彼の態度に、謝憐も胸が苦しくなった。
 卓上をトントンと叩く花城の指の美しさに見惚れ、幾度かは触れたことのある肉の薄い唇に自然と視線が向いてしまう。
 謝憐のそんな感情に気がついたのか、彼がふいっと横を向いてしまい、カーっと謝憐の頬が赤く紅潮した。
(なんと、見苦しい──)
 そう自分を叱咤するが、赤くなった顔を隠すわけにも行かず、席を立とうとするとすかさず伸びてきた花城の手に止められる。
「行かないで。ここにいて、兄さん」
「三郎」
「今日は兄さんに贈り物があるんだ」
「私に贈り物?」
「うん。だって今日は兄さんがこの世に生まれた日だろ?」
「え?」
 そう言えばそうだったかも知れない。
 さすがに八百年を生き、祝ってくれる人はすべて死んでしまった今、謝憐は自分の誕生日がいつかなどすっかり忘れていた。
 ひょっとしたら風信と慕情はまだ覚えていて、そのために菩薺観を訪れたのかも知れない。
(いや、まさかね)
とは思うが、あの二人に続いて花城の訪問だ。
 誕生日でなければあまりにも出来すぎている。
「あはは、自分の歳も覚えていないのに、誕生日なんて忘れてたよ」
「兄さんへの贈り物を何にしようか考えていたんだ。あなたは財はいらないし、武器をあげても管理出来ないからと受け取ってくれない」
「うん。本当に気にしないで。誕生日なんてただのシンボルだ」
「でも俺は祝いたい。だからこれをあなたに」
「え?」
 花城がスッと謝憐に向かって手を伸ばして来たかと思うと、彼の耳に触れ、そしてそこに軽い何かを置いた。
 何だろうと気になり、外に出て、小川で自分の姿を移して見ると、白く可憐な花が謝憐の耳を飾っている。
 ゆらゆらと揺れる水面に花城の姿も映り、花を挿した謝憐の様子に満足げな笑みを浮かべていた。
「この白い花、すごく見覚えがある」
「そう? 兄さんが好きそうだなと思ってさ」
「………」
 そうだ。
 すごく好きだ。
 冠花武神である仙楽太子の手にはいつもこの白い花が飾られていた。
「良く似合うよ、兄さん」
「三郎、それは可愛らしい娘さんにかける言葉だ。うちの道観には毎日きみと縁を結びたい娘さんがたくさん訪れるよ」
「ふうん」
「嬉しくないの?」
「兄さんは蟻に゙想いを寄せられて嬉しいと感じる?」
「ひどい言い方だな」
「うん。でもそれが真実だ。どれだけ想って、慕って、その人に何かしてあげたいと願っても、蟻の思いが伝わるはずがない。見上げているうちは存在に気づいてさえ貰えないんだ」
「三郎?」
 首を傾げる謝憐に笑い、花城は少し曲がった謝憐の耳を飾る花を真っすぐに手直しする。
「三郎の想い人はすごく高貴で、手の届かない人だったんだよね」
「うん。でも今は俺の存在に気づいてもらえた。それだけで満足だ」
「そうか」
 羨ましい。
 そう感じてしまったことは罪なのだろうか。
 ほっと息を吐き出した謝憐の髪を花城は指で梳き、そして彼の肩にその手を置こうとして途中で止めた。
「兄さん、他に欲しいものがあったら何でも言って。今日は兄さんの誕生日だから無礼講だよ」
「うーん、じゃあ、饅頭でも要望しようかな」
「兄さんはいつもお腹を空かしているね。気まずくなるといつもそれだ」
「三郎、あれは…、あの時は戸惑っていて」
「冗談だよ。じゃあ、もっと美味しいものを食べに行こう」
 そう言って謝憐の手を取り、縮地千里で移動する花城の様子を、四つの瞳が忌々しげに見つめていた。
 花城が菩薺観を訪れた時、庭にいた風信と慕情の二人である。
「なにが誕生日だ、鬼の分際で」
「南陽、奴を見てさっさと逃げ出したくせに見苦しいぞ」
「誰が逃げた! お前のほうが先だったろうが!」
 謝憐の予想通り、風信と慕情は彼の誕生日を覚えていて、それで密かに贈り物を懐に入れて訪れたのだが、どちらも渡す機会を失ってしまった。
 仕方なく、さっきの娘たちが供物を置いた横にそれぞれの贈り物を置いておく。
「二度と俺に近づくな」
「こっちの台詞だ!」
 謝憐が去ってまで喧嘩の尽きない二人だが、菩薺観を壊しては謝憐が哀しむ。
 続きは天界でやることにして、騒々しい彼らが去った後の菩薺観はひっそりと静まり返り、花城が贈った仙楽太子悦神図の中の謝憐が穏やかな微笑を讃え、道観を見守っていた。

終わり
20240704
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