謝憐誕生日
謝憐のオンボロ道観の屋根に激しい雨が打ち付ける。
外は薄暗いのだが、その音で目が覚めた謝憐はこれと言って財産らしきものはなにもない殺風景な道観の中を見渡した。
いつもは日の出とともに自然と目が覚めるのだが、激しい雨降りのせいで室内は薄暗く、すっかり寝過ごしてしまった。
起き出しては見たものの、土砂降りの雨で外の小川へ顔を洗いに行くことさえ億劫だ。
とは言え、育ちの良い彼だからさすがに寝起きの見苦しい姿で一日を過ごすのも心苦しく、そこで無精者の謝憐はとある名案を思いついた。
彼の数少ない財産である底の空きそうな火鍋を手に、開口部へと向かった謝憐は窓から外へ火鍋を出して、そこに雨水が溜まるのをまだかまだかと根気よく待つ。
こうしている間もうとうとと寝入ってしまいそうだ。
窓枠に腕を掛け、うたた寝をする謝憐の隣に、いつの間にか人影が現れていた。
ひらひらと舞う銀の蝶が謝憐の鼻先を掠め、ふわあと欠伸をして、火鍋に溜まった水を確かめる。
「もう少しかなぁ」
と独り言を漏らしていると、なぜだか隣に人の気配を感じ、そちらを振り返った謝憐は、「はうあっ!」と大きな声を放って、せっかく貯めた火鍋の 雨水を取りこぼしてしまった。
「さ、三郎 ! い、いつからそこに?」
「兄さん、服が濡れてしまった」
「ああ、良いってば、私が愚かだったんだ。水を汲みに行くのが面倒だからって雨水を貯めようなんて」
「水を汲みに行くのが面倒だった?」
しまったと慌てて口を閉ざすものの、花城はすっかりツボに入ってしまい、笑い顔を見られない様に俯いて肩を揺すっている。
「そんなに笑うことか?」
「ごめん、兄さん。でも、水を汲みに行くのが面倒だから雨水で代用なんて。もしかして飲水もないの?」
そう言えば飲水もいつも外の小川へ汲みに行っていた。
仕方がないな、と呟き、花城は「ちょっと待ってて」と桶を手に外へと向かう。
「待った、三郎 、きみが濡れてしまう」
「少しぐらい平気さ」
いや、そんな謝憐の為に鬼王閣下を使い走りにさせるなんて申し訳過ぎるだろう。
謝憐は慌てて花城を止めに向かうが、当の彼はすでに裏手にある川へと消えていた。
「はい、お待ちどおさま」
「三郎 ……、きみに申し訳なさすぎる」
「本当にいいから、気にしないで。ほら、この通り、濡れても全然平気」
確かに鬼ならば少しぐらい濡れても風邪を引いたりはしないだろう。
しかし雨に濡れそぼり、額や項に張り付く花城の姿は謝憐にとある光景を思い出させた。
彼らが黒水玄舟の領域に踏み込んでしまった時、水に落ちて溺れた謝憐を花城が救い、水中で彼に息を送ってくれた。
(あれは、蘇生術だから───)
そう言い聞かせるものの、謝憐の胸が激しく疼いたのも事実だ。
花城から水が張った桶を受け取り、「ありがとう」と小声で礼を言う。
その変化に気がついたのか、花城が「兄さん?」と問いかけて来たが、謝憐は彼の顔を見ることが出来なかった。
きっといま花城の顔を見てしまったら平静でなんていられない。
だから彼に背を向けてしまったのだが、それはそれで花城を傷つけたのではないかと気が気ではなく、ドキドキしてしまった。
こんなに動揺するなんて全く彼らしくない。
慌ててあの水中での口づけを頭から追い出し、
「三郎 、髪を拭いてあげよう!」
と手拭いを握りしめたものの、今度は濡れて肌に張り付く花城の赤い衣とそこから覗く素肌を見、今度こそ顔から火が出そうなほど真っ赤になってしまった。
「どうしたの、兄さん。具合が悪い?」
「いや、あの、私は全然元気だ! きみこそ、濡れてしまって風邪を引くといけないから、着替えを」
「兄さん、俺は鬼だよ。鬼の俺は風邪を引いたりしない」
「そ、そうだけど」
じゃあ、いつ着替えてくれるんだと心の中で呟き、出来るだけ花城を視界に入れない様に背中を向けて喋る。
「あの、えっと、せっかく三郎 が来てくれたのに、お供え物が何もなくて」
「大丈夫。お腹は空いていない。それより兄さんはお腹空いてない?」
「わた、私は、大丈夫、全然、大丈夫だ!」
「思うんだけど」
「ん? な、なに?」
相変わらず花城の方を振り返らず、謝憐は赤くなった顔を隠しながら、あわあわと答える。
どう考えてもおかしい。
鬼王花城のことは三度目の飛翔まで謝憐は耳にしたことはなかった。
つまり彼は謝憐よりも遥かに年下だ。
八百歳を生きる彼が自分より遥かに年下の花城にこんなに動揺させられるなんて何かが間違えている。
「兄さんって、動揺するとわかりやすいよね。お腹が空いたとか、全然関係ない話に持って行こうとするのはわざと?」
図星を突かれ、ビクッと背筋を震わせる。
そう、彼、謝憐は育ちが良すぎて、こういった場面をうまく切り抜けるずる賢さを持ち合わせていないのだ。
引き攣った笑顔で花城を振り返りながら、何でもない振りを通すのだが、余りにもわかりやすかったのか、花城には腹を抱えて笑われてしまった。
「兄さんは本当に可愛い」
「………」
「ねえ、顔を洗わなくていいの?」
「あ、洗う」
「うん。その手ぬぐいは兄さんが使いなよ。身支度を整えたら、少し出かけよう」
「出かける?」
この雨の中を?と尋ねたが、花城は「うん」というだけでどこに行くとは教えてくれなかった。
それにしても──
「雨師殿は、雨が欲しい時には恵んでくれないくせに、不必要な時にはたくさん降らせるんだな」
「神官なんて皆、勝手なものさ。考えても見てよ。あいつらは神と言ってももともとはただの人間」
私も神官で、もともとはただの人間なんだが、と彼に抗議したかったが、ガラクタの神に祈ったところで何の効力もなく、謝憐には雨師の様な力もない。
「天昇したからには、神官にも秀でた才があったからだよ、三郎」
「うん。もちろん、それは分かってる。でも兄さん、俺ってもともとこう言う性格でしょ。気を悪くしたのならごめんよ」
「別に気を悪くはしてない。きみが神官を蔑むのは、神官が神官としての仕事をしている様には、鬼のきみの目からは到底見えないからだろう。だとすればそれは神官である私達の怠慢だ」
「そんな難しいことはどうでもいいよ。ねえ、兄さん、ちょっと目隠しをしてもいい?」
「目隠し?」
返事をする間もなく、謝憐の目は布で覆われ、彼の腰に花城の腕と思しきものが巻き付けられた。
「うわ、三郎、ど、どこに行く気だ。外は雨だよ!」
「すぐに雨は止むから、少し我慢して」
ずぶ濡れになりながら空を飛翔し、気がついた時には暖かい陽射しが謝憐を包んでいた。
「目隠しを外してもいいよ」
と花城の声が聞こえた為、謝憐はそっと布を外し、連れられて来た世界に目を見張る。
清々しい程の真っ青な緑が広がる広大な丘だった。
白い花が風に揺れ、眩しい太陽が優しく地面を照りつけている。
思わず、「うわ」と声を上げた謝憐を、三郎は嬉しそうに眺め、そして彼の頭に花で作った冠を載せてくれた。
「シロツメクサの冠?」
「うん。その意味を知ってる?」
「さあ、なんの意味があるんだい?」
「秘密。今度、自分で調べて見てよ」
「えー、なんの意味があるんだ、教えてよ、三郎!」
と謝憐が頼むが、花城は笑うだけで教えてくれなかった。
「ねえ、兄さん、ここに来て。ここから下まで転がって落ちるときっと面白いよ」
「そんな私はこれでも一応、神官で」
「うん。ガラクタ仙人の太子殿下だよね」
「……」
何も言い返せない謝憐に笑い、三郎は彼を突き飛ばしてゴロゴロと丘の上を転がせる。
すぐに花城も追い付いて、笑いながら、謝憐を抱きかかえて地面の上を転がり続けた。
「三郎、き、きみは一応、絶境鬼王……!」
「うん。でも兄さんも毎日雨降りで退屈だったんでしょ。せっかくの誕生日に塞いでる兄さんは見たくないもの」
「え?」
「忘れたの? 今日は兄さんの誕生日だよ」
そう言えばそうだった。
落ちるところまで落ち、地面で止まった彼らは起き上がり、謝憐の髪についた草は花城が丁寧に落としてくれた。
「たまにはこう言うのも童心に返って楽しいでしょ?」
確かに。
仙楽国の皇子だった謝憐はこんな遊びをしたことはなかったが、これはこれでお互い、髪も乱れ放題で笑えてしまった。
同じ様に花城の乱れた髪を直してやりながら、謝憐は心からの「ありがとう」を彼に向かって言い、そして笑いかける。
その笑顔を見た花城の相好も緩み、そして屈託のない笑顔を返してくれた。
「ねえ、三郎、このシロツメクサの冠の意味って」
「だから自分で考えてよ。わからなければわからないままで良いよ。兄さんは何も心配せず、兄さんらしくいてくれればそれでいい」
「三郎」
くいっと袖を引く謝憐の顔に花城の顔が下りて来て、そして頭頂部に軽い口づけをされた。
「もしかして、これも蘇生術の一つ?」
「さあ、ねえ、もう一度滑ろうよ、兄さん」
ごまかして上へと上る花城の手に引っ張られ、謝憐も堪えきれずに噴き出し、そして今度はどちらが早く下に落ちるか競争しながら転がり落ちた。
くだらない遊びだが、自分が誰で、彼が誰なのかを忘れて過ごすのがこんなに楽しいとは思っても見なかった。
「ありがとう、三郎。雨のせいで気分が塞いでたけど、きみのおかげでいまはすっかり雨上がりの気分だ」
「どう致しまして。ねえ、兄さん、今度は火鍋に雨水を貯めようとなんてしないで、俺のことを呼んで」
「洗顔の水のためにわざわざ鬼王閣下は呼べないよ」
謝憐の明るい笑い声はきっと花城にとっても一番のお返しになったに違いない。
花城が謝憐に贈ったシロツメクサの花冠の意味。
それは「私を想って」だ。
鈍い謝憐が気付くことはこの先もなさそうだが、花冠を頭につけた謝憐の可憐な美しさだけで花城は満足だった。
終わり
20240702
外は薄暗いのだが、その音で目が覚めた謝憐はこれと言って財産らしきものはなにもない殺風景な道観の中を見渡した。
いつもは日の出とともに自然と目が覚めるのだが、激しい雨降りのせいで室内は薄暗く、すっかり寝過ごしてしまった。
起き出しては見たものの、土砂降りの雨で外の小川へ顔を洗いに行くことさえ億劫だ。
とは言え、育ちの良い彼だからさすがに寝起きの見苦しい姿で一日を過ごすのも心苦しく、そこで無精者の謝憐はとある名案を思いついた。
彼の数少ない財産である底の空きそうな火鍋を手に、開口部へと向かった謝憐は窓から外へ火鍋を出して、そこに雨水が溜まるのをまだかまだかと根気よく待つ。
こうしている間もうとうとと寝入ってしまいそうだ。
窓枠に腕を掛け、うたた寝をする謝憐の隣に、いつの間にか人影が現れていた。
ひらひらと舞う銀の蝶が謝憐の鼻先を掠め、ふわあと欠伸をして、火鍋に溜まった水を確かめる。
「もう少しかなぁ」
と独り言を漏らしていると、なぜだか隣に人の気配を感じ、そちらを振り返った謝憐は、「はうあっ!」と大きな声を放って、せっかく貯めた火鍋の 雨水を取りこぼしてしまった。
「さ、
「兄さん、服が濡れてしまった」
「ああ、良いってば、私が愚かだったんだ。水を汲みに行くのが面倒だからって雨水を貯めようなんて」
「水を汲みに行くのが面倒だった?」
しまったと慌てて口を閉ざすものの、花城はすっかりツボに入ってしまい、笑い顔を見られない様に俯いて肩を揺すっている。
「そんなに笑うことか?」
「ごめん、兄さん。でも、水を汲みに行くのが面倒だから雨水で代用なんて。もしかして飲水もないの?」
そう言えば飲水もいつも外の小川へ汲みに行っていた。
仕方がないな、と呟き、花城は「ちょっと待ってて」と桶を手に外へと向かう。
「待った、
「少しぐらい平気さ」
いや、そんな謝憐の為に鬼王閣下を使い走りにさせるなんて申し訳過ぎるだろう。
謝憐は慌てて花城を止めに向かうが、当の彼はすでに裏手にある川へと消えていた。
「はい、お待ちどおさま」
「
「本当にいいから、気にしないで。ほら、この通り、濡れても全然平気」
確かに鬼ならば少しぐらい濡れても風邪を引いたりはしないだろう。
しかし雨に濡れそぼり、額や項に張り付く花城の姿は謝憐にとある光景を思い出させた。
彼らが黒水玄舟の領域に踏み込んでしまった時、水に落ちて溺れた謝憐を花城が救い、水中で彼に息を送ってくれた。
(あれは、蘇生術だから───)
そう言い聞かせるものの、謝憐の胸が激しく疼いたのも事実だ。
花城から水が張った桶を受け取り、「ありがとう」と小声で礼を言う。
その変化に気がついたのか、花城が「兄さん?」と問いかけて来たが、謝憐は彼の顔を見ることが出来なかった。
きっといま花城の顔を見てしまったら平静でなんていられない。
だから彼に背を向けてしまったのだが、それはそれで花城を傷つけたのではないかと気が気ではなく、ドキドキしてしまった。
こんなに動揺するなんて全く彼らしくない。
慌ててあの水中での口づけを頭から追い出し、
「
と手拭いを握りしめたものの、今度は濡れて肌に張り付く花城の赤い衣とそこから覗く素肌を見、今度こそ顔から火が出そうなほど真っ赤になってしまった。
「どうしたの、兄さん。具合が悪い?」
「いや、あの、私は全然元気だ! きみこそ、濡れてしまって風邪を引くといけないから、着替えを」
「兄さん、俺は鬼だよ。鬼の俺は風邪を引いたりしない」
「そ、そうだけど」
じゃあ、いつ着替えてくれるんだと心の中で呟き、出来るだけ花城を視界に入れない様に背中を向けて喋る。
「あの、えっと、せっかく
「大丈夫。お腹は空いていない。それより兄さんはお腹空いてない?」
「わた、私は、大丈夫、全然、大丈夫だ!」
「思うんだけど」
「ん? な、なに?」
相変わらず花城の方を振り返らず、謝憐は赤くなった顔を隠しながら、あわあわと答える。
どう考えてもおかしい。
鬼王花城のことは三度目の飛翔まで謝憐は耳にしたことはなかった。
つまり彼は謝憐よりも遥かに年下だ。
八百歳を生きる彼が自分より遥かに年下の花城にこんなに動揺させられるなんて何かが間違えている。
「兄さんって、動揺するとわかりやすいよね。お腹が空いたとか、全然関係ない話に持って行こうとするのはわざと?」
図星を突かれ、ビクッと背筋を震わせる。
そう、彼、謝憐は育ちが良すぎて、こういった場面をうまく切り抜けるずる賢さを持ち合わせていないのだ。
引き攣った笑顔で花城を振り返りながら、何でもない振りを通すのだが、余りにもわかりやすかったのか、花城には腹を抱えて笑われてしまった。
「兄さんは本当に可愛い」
「………」
「ねえ、顔を洗わなくていいの?」
「あ、洗う」
「うん。その手ぬぐいは兄さんが使いなよ。身支度を整えたら、少し出かけよう」
「出かける?」
この雨の中を?と尋ねたが、花城は「うん」というだけでどこに行くとは教えてくれなかった。
それにしても──
「雨師殿は、雨が欲しい時には恵んでくれないくせに、不必要な時にはたくさん降らせるんだな」
「神官なんて皆、勝手なものさ。考えても見てよ。あいつらは神と言ってももともとはただの人間」
私も神官で、もともとはただの人間なんだが、と彼に抗議したかったが、ガラクタの神に祈ったところで何の効力もなく、謝憐には雨師の様な力もない。
「天昇したからには、神官にも秀でた才があったからだよ、三郎」
「うん。もちろん、それは分かってる。でも兄さん、俺ってもともとこう言う性格でしょ。気を悪くしたのならごめんよ」
「別に気を悪くはしてない。きみが神官を蔑むのは、神官が神官としての仕事をしている様には、鬼のきみの目からは到底見えないからだろう。だとすればそれは神官である私達の怠慢だ」
「そんな難しいことはどうでもいいよ。ねえ、兄さん、ちょっと目隠しをしてもいい?」
「目隠し?」
返事をする間もなく、謝憐の目は布で覆われ、彼の腰に花城の腕と思しきものが巻き付けられた。
「うわ、三郎、ど、どこに行く気だ。外は雨だよ!」
「すぐに雨は止むから、少し我慢して」
ずぶ濡れになりながら空を飛翔し、気がついた時には暖かい陽射しが謝憐を包んでいた。
「目隠しを外してもいいよ」
と花城の声が聞こえた為、謝憐はそっと布を外し、連れられて来た世界に目を見張る。
清々しい程の真っ青な緑が広がる広大な丘だった。
白い花が風に揺れ、眩しい太陽が優しく地面を照りつけている。
思わず、「うわ」と声を上げた謝憐を、三郎は嬉しそうに眺め、そして彼の頭に花で作った冠を載せてくれた。
「シロツメクサの冠?」
「うん。その意味を知ってる?」
「さあ、なんの意味があるんだい?」
「秘密。今度、自分で調べて見てよ」
「えー、なんの意味があるんだ、教えてよ、三郎!」
と謝憐が頼むが、花城は笑うだけで教えてくれなかった。
「ねえ、兄さん、ここに来て。ここから下まで転がって落ちるときっと面白いよ」
「そんな私はこれでも一応、神官で」
「うん。ガラクタ仙人の太子殿下だよね」
「……」
何も言い返せない謝憐に笑い、三郎は彼を突き飛ばしてゴロゴロと丘の上を転がせる。
すぐに花城も追い付いて、笑いながら、謝憐を抱きかかえて地面の上を転がり続けた。
「三郎、き、きみは一応、絶境鬼王……!」
「うん。でも兄さんも毎日雨降りで退屈だったんでしょ。せっかくの誕生日に塞いでる兄さんは見たくないもの」
「え?」
「忘れたの? 今日は兄さんの誕生日だよ」
そう言えばそうだった。
落ちるところまで落ち、地面で止まった彼らは起き上がり、謝憐の髪についた草は花城が丁寧に落としてくれた。
「たまにはこう言うのも童心に返って楽しいでしょ?」
確かに。
仙楽国の皇子だった謝憐はこんな遊びをしたことはなかったが、これはこれでお互い、髪も乱れ放題で笑えてしまった。
同じ様に花城の乱れた髪を直してやりながら、謝憐は心からの「ありがとう」を彼に向かって言い、そして笑いかける。
その笑顔を見た花城の相好も緩み、そして屈託のない笑顔を返してくれた。
「ねえ、三郎、このシロツメクサの冠の意味って」
「だから自分で考えてよ。わからなければわからないままで良いよ。兄さんは何も心配せず、兄さんらしくいてくれればそれでいい」
「三郎」
くいっと袖を引く謝憐の顔に花城の顔が下りて来て、そして頭頂部に軽い口づけをされた。
「もしかして、これも蘇生術の一つ?」
「さあ、ねえ、もう一度滑ろうよ、兄さん」
ごまかして上へと上る花城の手に引っ張られ、謝憐も堪えきれずに噴き出し、そして今度はどちらが早く下に落ちるか競争しながら転がり落ちた。
くだらない遊びだが、自分が誰で、彼が誰なのかを忘れて過ごすのがこんなに楽しいとは思っても見なかった。
「ありがとう、三郎。雨のせいで気分が塞いでたけど、きみのおかげでいまはすっかり雨上がりの気分だ」
「どう致しまして。ねえ、兄さん、今度は火鍋に雨水を貯めようとなんてしないで、俺のことを呼んで」
「洗顔の水のためにわざわざ鬼王閣下は呼べないよ」
謝憐の明るい笑い声はきっと花城にとっても一番のお返しになったに違いない。
花城が謝憐に贈ったシロツメクサの花冠の意味。
それは「私を想って」だ。
鈍い謝憐が気付くことはこの先もなさそうだが、花冠を頭につけた謝憐の可憐な美しさだけで花城は満足だった。
終わり
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