藍湛とかくれんぼ

 寒さにぼんやりと目を覚まして見ると、普段余り見ることのない藍忘機の寝顔が目の前にあった。
 思わずふふ、と魏無羨の唇から笑いが洩れてしまう。
 藍忘機は眠る時も寝返りを打ったりせず、いつも天井を向いて、両手を胸の上に組み合わせて眠る。
 陶器のような肌と言い、まるで動かない彫像の様で何だかすごく悪戯したい気分になって来た。
(ま、俺もいつまでも子供じゃないからな)
 端からはどう見えるかは別として、これでも夷陵老祖と畏れられる魔道士だったのだ。
 彼の素の顔はともかくとして、そう年がら年中、悪戯ばかり考えているわけじゃない。
 空の白み様を見るに、そろそろ夜が明けるのだろうか。
 ふと魏無羨の頭にあることが唐突に浮かび上がった。
 年齢相応の落ち着きを見せねばと思った傍からこれだ。
 にやりと笑うとこっそり寝台を抜け出し、履き物を身につけてそそくさと静室の外へと飛び出した。
「うひゃあ、寒い、寒い!」
 ぶるぶると身を震わせながらどこか隠れる場所を探す。
 朝寝坊の常習犯の魏無羨が居ないと知ったら藍忘機がどんな顔をするか、それを想像するだけで心が踊ってしまった。
 子供の頃から江澄に散々呆れられて来たが、魏無羨は根っからの祭り好きで、何かしら問題を起こさねば気が済まないタチなのだ。
 隠れるのなら、出来るだけ藍忘機の慌て振りをじっくり観察出来て、なおかつ彼の姿が目につきにくい場所がよい。
 屋根の上と思ったが、魏無羨はいつも屋根の上で酒を食らって寝ていることが多かったから、多分、藍忘機なら真っ先にそこを思い当ててしまう筈だ。
(でも縁の下じゃ俺が藍湛を見られないし。井戸の中に隠れてもそれ出て来るの大変じゃんって話だし)
 さてさてどうしたものか。
 と言うことで呪符の力を借りることにした。
 人型の符を取りだすとそこにさらさらと血文字で呪いを徴し、ぺたりと額に貼り付ける。
 これで魏無羨からは藍忘機は見えても、藍忘機から魏無羨は見えない筈だ。
 へくしっとくしゃみが出てしまい、これなら部屋の中に潜んでいても良いだろうと思いはしたが、万全を期すためだ。
 藍忘機は魏無羨より呪符の知識は浅いとは言え、そこはやはり天下の含光君なのだから、何かしら魏無羨の痕跡を探し出してしまうかも知れないし、外の方が色々な気が辺りに立ち込めている分、魏無羨の気も薄れて見つけにくくなるに違いない。
 ふはは、と得意気な笑みを洩らすと、姿の見えない魏無羨は庭に植えられた大木の陰から藍忘機の動向を見守ることにした。
 卯の刻になり、いつも通りに藍忘機が目覚め、部屋の中を歩き回る音が聞こえて来る。
 寝台を出て、静室内を見回った藍忘機は、やっと魏無羨の不在に気が付いたのだろう。
 いつもの彼なら真っ先に身嗜みを整えそうなものなのに、薄衣を羽織ったままの胸元を露わにした姿で露台に出、魏無羨が居そうな屋根の上をじっと凝視していた。
(やっぱり藍湛、まずはそこを探すよな。さてお前はどのぐらいの時間を掛けて俺を見つけられるかな)
 キョロキョロと辺りを見渡す藍忘機にクスクス笑い、魏無羨は木陰にじっと身を潜ませる。
 呪符の力で彼の姿は見えないのだが、木から肩がはみ出さない様に縮こまってしまうのは習性だ。
 とうとう我慢出来なくなったのか、藍忘機の口から「魏嬰」と彼を呼ぶ声が出て、魏無羨は勝ち誇った気分に浸ってしまった。
「魏嬰、出て来なさい」
 さく、さくと雪を踏む藍忘機の声音が段々と不機嫌になってくる。
 たまにはこんな風に焦る彼を見るのも乙なものだ。
 何しろいつも寝台の上であれやこれやと酷いことをされているのだから、魏無羨が意趣返しをしたところで罰は当たらないだろう。
「魏嬰」
(ここだよ、藍湛)
「魏嬰、どこにいる」
(お前のすぐ傍にいるってば。ははっ、さすがに藍湛でも気が付かないか)
とご満悦で微笑んでいた魏無羨だが、ふと積もった雪の上を歩く藍忘機の足が素足なことに気が付き、楽しかった気持ちもすーっと醒めてしまった。
「魏嬰、どこに行った」
 段々と彼が魏無羨を呼ぶ声が小さくなり、しまいにはもう呼び掛けもしなくなってしまった。
 自分を探すのを諦めてしまったのだろうかと不安になり、魏無羨はそっと木陰から藍忘機の様子を窺って見、そして彼の表情を見て途端に胸が苦しくなってしまった。
 俯き加減でぼんやりと宙を見、藍忘機は何かを考え、そして垂れ落ちる前髪を指ですくって後ろへ撫でつける。
 藍忘機の瞳はいつもと変わらない無感動を湛えていたが、唇をきゅっと噛み、魏無羨を見失った焦りにじっと堪えている様に見えた。
(──藍湛……)
 こんな形で彼の気持ちを確かめた自分の幼稚さを呪いたくなる。
 でもお前を騙してたんだぜぇ!なんて陽気に姿を現すわけにはいかなかったから、魏無羨はそろそろと足音を潜ませてその場を離れることにした。
 藍曦臣にでも協力してもらい、彼の部屋でお茶でも飲んでいた振りをしようと思ったのだ。
 さく、さくと雪を踏む度に、嫌でも音が立ってしまうし、それどころかしっかり足跡まで残っていた。
 ヤバい、と藍忘機の様子を確かめたが、やはり彼にも気付かれてしまったようだ。
 ものすごい怖い顔で近付いて来られてしまった為、魏無羨は全力で寒室までの道を走り出す。

「た、沢蕪君、助けて!」
「一体、何があったんだ、魏公子」
 出て来た藍曦臣に抱きつき、慌てて彼の後ろに隠れたが、得も言われぬ迫力を身に纏った藍忘機も彼を追って来ていて、
「おはよう、忘機。一体、なにが」
と戸惑う藍曦臣の後ろから襟首を掴まれて引き摺り出されてしまった。
「ごめん、ごめんってば、ちょっとした冗談のつもりだったゆだって」
「乱暴は止めなさい、忘機」
「乱暴などしていません。ただ、魏嬰の洗顔がまだなので。外に出るのなら、まずは髪を直し、顔を洗ってからでないと」
「はあ……、でもお前」
 藍忘機の髪は結わずに下へ垂らしたままだし、それどころか寝間着の前も開けたままで、沓さえ履いていない。
 魏無羨の身嗜みの前に、まずは自分の身嗜みだろうと藍曦臣は思ったが、いつにない弟の迫力に黙らされ、大人しく魏無羨を差し出してやった。
「仲が良いのは結構だが、朝から私を巻き込んで騒ぐのは止めなさい。さあ、帰った、帰った」
「そんな沢蕪君、藍湛に殺されるってば! 本当にちょっとした茶目っ気だったんだよ、もうしないから、許してってば」
「魏嬰、私がいつきみを許さなかったと?」
「らんじゃん……」
 うるうると涙目になった魏無羨ににっこりと笑みを向けると、藍忘機は問答無用で彼を担いで静室へと帰って行った。
 毎度毎度お騒がせなことだと藍曦臣は溜息を吐き、廊下にっ残された弟の泥だらけの足跡にムッとする。
 勿論、静室に戻った後は魏無羨は正座をさせられ、百編ごめんなさいを言わされたし、それだけじゃ済まなくて寝台の上でもまた何度もごめんなさいを言わされた。

 とは言え、自分が居なくなってあんなに哀しい顔をする藍忘機を見て、魏無羨は二度と隠れんぼなんてするのは止めようと心の中で反省し、藍忘機の胸に腕を回して、彼の体をぎゅっと抱き締める。

(藍湛は本当に俺のことが大好きなんだな)

と幸せに思う半面、魏無羨も彼が大好きだと再確認する。

「ごめんな、藍湛。俺は二度とおまえの前から黙って姿を消したりしないから。だからおまえもちゃんと俺のことを信じて待ってくれよ」
「うん。でも──、それは多分、出来ない」
「なんで? 俺のことが信用出来ない?」
「違う。きみと片時も離れたくない。出て行くと言われても絶対、許したくない。断って出て行っても、絶対にきみを探しにいく」
「藍湛。おまえって結構、駄々っ子なんだな」

 うん、とう頷く代わりに、藍忘機は微笑み、そして魏無羨の唇に口付けした。
 こんな融通のきかない、我が儘な駄々っ子、置いて出て行ける筈がない。
 藍忘機の頭を胸の上でぎゅっと抱き締め、背中をぽんぽんと叩いてやった。
 冷たかった藍忘機の足先も、魏無羨の体温で温まり、そして交わり、融けて行く。
 窓枠に積もっていた雪も融け、春の訪れももう間もなく来るだろう。
 雪が融けたら、何をしようかと二人は寝台に寝転がりながらこそこそと喋り合った。

終わり
20240214
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