02.風に、ひとひら
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唸るような滝の音を傍で聞きながら、澄んだ川の水を汲む。渓谷には再び穏やかな空気が流れていた。
「…これで、あの小国へ行く手間も省けたな」
「そうだね。腕、大丈夫?」
私を庇ってできた傷口が膿んでしまわないように、最低限の応急処置を施そうと濡れた布で優しく拭う。デイダラは痛そうに顔をしかめるものの、ただ静かに頷いた。
綺麗に傷口や周辺の汚れを落とし、包帯を巻きつけていく。純白のはずの包帯は、彼の肌に触れるとすぐにじんわりと赤く染まり始めた。
「…アジトに戻ったら、すぐサソリに診てもらわなきゃ」
「心配すんな。これぐらい、どうってことねぇよ」
私が自分を責めているのに気が付いたデイダラは、笑いながらそう言って頭を撫でた。彼の大きな手の温もりに安堵する。
「……帰ろっか。なんか、疲れちゃったし」
普通の戦闘よりも動いてないはずなのに、すごく疲労を感じる。
2人でアジトへの帰路を歩きながら、デイダラはあの男を取り逃してしまったことを謝ってくれた。そんなの、全然気にしてないのに。
それよりも……──。
「……欠けちゃった」
そっと髪から簪を引き抜いて手に乗せ、1つだけ歪な形になってしまったヒマワリを撫でる。
もう、元には戻らない。
あいつらから情報を得られても、これが壊れてしまったら喜ぶことなんてできなかった。
「…芸術は爆発だ。散っていくからこそ、美しいんだよ。うん」
デイダラはそう言って私の手からそっと簪を取り上げ、陽の光に透かして見せた。欠けたヒマワリは他のヒマワリよりもたくさんの光を反射する。
彼が言うように、それはとても美しかった。
いくつもの小さな虹の影が、漆黒の装束を鮮やかに照らし出している。
「綺麗……」
光のビー玉を掴もうと手を伸ばしながら思わずそう呟く。そんな私を見て、デイダラは「だろ?」と得意げに笑った。
再び私の手に戻った簪は、彼のおかげで輝きを取り戻したように見える。
────やっぱ、すごいな。
こういう彼だからこそ、私は好きになったんだ。いつも、私1人では見つけられない世界を見せてくれる。
陽気な彼に元気をもらい、いつの間にか私にも笑みが零れ始めていた。
2人で他愛ない話をしながら歩く、そののどかな時間に束の間の幸せを感じていた時──。
ふと、色褪せた木々だけが茂っている寂しい森の中に、ぽつん、と佇む桃色の花を見つけた。まだ小さく開ききっていない未熟な蕾にどこか親近感を覚え、そっと触れる。
「コスモスか、うん?」
私が触れた花を見てデイダラが呟く。
「健気だよねぇ……」
元気に天を仰げるような環境じゃないのに、懸命に咲きほころうとする姿を見て、私はため息を吐いた。咲けば綺麗なんだろうけど、きっとここで花開いても弱々しいだけだ。
だんだんとその花に自分を重ねてしまいそうになって、足早にその場から立ち去ろうとする。そんな私を引き留めたのはデイダラの言葉だった。
「この先まで続いてんのか」
「え?」
思わず振り向くと、デイダラは「ほら」と言って最初に見つけたコスモスのずっと向こう側を指差した。その先にはぽつり、ぽつりとコスモスが顔を出し、まるで誘うようにこちらを見ている。
気が付けば、体は勝手に動いていた。
心なしか奥へ進むに連れ、コスモス達は大きく、逞しく、そして鮮やかな花弁を見せてくれる。
見惚れながらゆっくりと、けれど確かな足取りでその小道を抜けた時──。
突風が吹き抜け、花吹雪となって私を襲った。咄嗟に目を閉じ、髪が風に巻き上げられる感覚だけに意識を向ける。
「────っ!」
風がおさまったのを感じて開けた目に飛び込んできたのは、息を呑むほど美しい光景だった。
どこまでも続く、桃色のコスモスの群生地。日当たりも、風も気持ち良いその場所に咲くコスモス達は、今まで見てきたどの花よりも生き生きとしていた。
まるで、壮大な自由を感じているように。
桃色の中で白や濃い紫の花弁が揺れ、自然が魅せるコントラストに目を奪われる。その花畑の中を、一歩一歩、背の高いコスモス達の間を縫いながら進んで行く。
デイダラは何も言わない。ただ静かに、見守るように──落ち着いた足取りで私の数歩後ろを歩いている。
その景色に感動しながらしばらく進んで行くと、さっきの突風に煽られたせいか、茎からなぎ倒されてしまっているコスモスを見つけた。
濃い紫色のコスモスをそっと手に取る。
別に、何かを思ったわけじゃない。ただなんとなく、無意識にそうしていた。
「やっぱ、こうして見ても綺麗だな。うん」
それまでずっと黙っていたデイダラは私と同じように地面に伏する花を手折り、口角を上げてこちらを見た。私も彼に影響されるように、思わず笑みを零す。
すると────。
「この可憐さ、今のお前にぴったりだ」
そう言いながら彼は手に持っていた純白のコスモスを私の髪にそっと挿す。耳元で揺れる花がくすぐったい。
花と髪に優しく触れたあと、彼の手はゆっくりと滑り落ち、私の頬を撫でた。
────心臓、うるさい。
熱い視線から逃れられなくなってしまいそうで、私は誤魔化すように持っていたコスモスを見た。
「デイダラだって、似合うと思うよ?」
私ばっかりが心を乱されている気がして、仕返しのつもりでそっと彼の髪にもコスモスを飾り付ける。
「──ほら、似合う」
太陽に照らされる金色の髪に、濃い紫が映える。思いの他似合うその姿に、愛おしさが込み上がった。
まさか私がこんなことをするなんて思っていなかったのか、デイダラは驚いた顔をして固まっている。そしてやっと状況を察したかのように、ゆっくりと片手で顔を覆い、私に背を向けてしまった。
「…照れてる?」
こんなにわかりやすい彼は久しぶりに見た。なかなか見られないその姿に悪戯心が刺激され、思わずそう問いかける。
「……照れてねぇ。ちょっと向こうが気になっただけだ、うん」
────かわいい。
全然言い訳になってないし、バレバレなのに、拗ねてそう呟く彼がかわいくて仕方ない。堪らず抱きついてその匂いを肺いっぱいに詰め込む。少しの火薬と血と、花畑の匂い。
鼻腔をくすぐるいつもの香りに安心感を覚えていると、急に世界が反転した。
「…調子に乗るなよ、満月」
さっきまではデイダラの背に顔を埋めていたのに、今は何かを抑えているような表情の彼と、それを見守る花達と、清々しいほどの蒼い空だけが見える。
同時に、耳元で涼しげな音が響いた。
デイダラの突発的な行動に驚きつつも、私はそっと音のした方を見る。そこには押し倒された拍子に私の手から滑り落ちた、ヒマワリの簪が横たわっていた。
────そうだ、簪。
あることを思いついた私は簪を拾い、デイダラの目の前で翳す。
「ね、お揃いで簪買わない?」
「なんだよ、急に……」
「だってほら、デイダラも髪長いし。それに、この花だって似合ってるから」
そう言いながらまだデイダラの耳元で風に揺れている紫色のコスモスを撫でた。
また恥ずかしがるかな…なんて思ってると、意外にもデイダラは真剣な顔で目を伏せる。
そして私の上から退き、呟くように──けれど、どこか納得したように口を開いた。
「お揃いか……悪くねぇな、うん。なら、今度はコスモスの簪でも探しに行くか」
「意外とノリノリだね?」
立ち上がったデイダラは私に手を差し出した。その温かい手を取ると、力強く抱き寄せられる。
「守るものが増えると、それだけ強くなれるってもんだろ。うん?」
同意を求めるように悪戯っぽい笑みを向けられ、心臓が一際大きく脈打つ。
────そうだ。私はデイダラがいたから、彼からもらった簪があったから、ここまで強くなれた。
彼も同じ思いなんだと知った今、心は今までに無いほど踊っていた。その感情を抑えるように、彼の胸元に顔を埋めながら簪を抱き締める。
顔は、たぶん綻んだままだ。
彼の腕の力が抜けるのを感じてそっと離れる。見上げた彼の瞳は空と同じくらい──いや、それ以上に澄んだ青色で、吸い込まれてしまいそうだった。
私達は何も言わない。ただその時間すらも愛おしかった。
抱き締めていた簪で、優しく、丁寧に髪を結い直す。
そよ風に揺れるコスモス達はまるで、並んで歩き出した私達に手を振っているようだった────。
ー完ー
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