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しっぽや(No.85~101)

side<KAZUHA>

それは、僕が影森マンションに引っ越してきて暫く経った頃のこと。
専門学校が夏休み期間中の僕は、家で本を読んだり携帯のゲームで遊んだりダラダラとした日々を過ごしていた。
「カズハ、暇ならこれ、クリーニング出しに行って
 今日は移動クリーニングが来てくれる日でしょ
 前回頼んだ分も受け取ってきてよ」
部屋のドアをいきなり開けた姉が、僕に服の束を押しつけてきた。
「えー、母さんに行ってもらってよ
 クリーニングなんて、頼み方わかんないもん」
僕は顔をしかめて答えてみせる。
「父さんも母さんも、今日は朝から伯母さん家に行ってるわよ
 あんたはいつまでも寝てたから、気が付かなかったんでしょうが」
呆れ顔の姉に
「いつまでもって、9時過ぎには起きてたよ
 夏休みなんだから、ゆっくりしたいじゃん」
僕は少しばつの悪い気持ちで言った。

「いいから、行ってきてよ
 あの店のオジサン優しいから、頼み方ちゃんと教えてくれるって
 私はカズハのお昼作ったら、店に行くからね
 ちゃんとチンして食べるのよ
 暑いからって牛乳とゼリーだけで済ませるとか無し」
そんなに年が離れていないのにしっかり者の姉に釘を刺され、しかたなさそうな感じで
「は~い」
と言うのが、僕の精一杯の抗議であった。


マンションのエントランスを抜け表に出ると、音楽が聞こえてくる。
この曲が移動クリーニング店が来たことの合図になっているのだ。
時間が遅いせいか、店を利用しようとしている人の姿はまばらだった。
それでも僕は決心が付かず、暫く移動クリーニングの車を遠巻きに眺めていた。
店の人らしきオジサンが、お客さんと話している。
少し白髪が目立ってきているオジサンではあったが、まだ40代くらいであろうか。
姉の言う通り優しそうな人で、僕はホッとした。

「あの、すいません」
お客さんが切れたタイミングを狙い、僕がオドオドと話しかけると
「はい、いらっしゃいませ」
オジサンは穏やかに、でもニッコリと笑ってくれた。
「クリーニングを頼みたいんです…
 でも、姉の服なので素材とかよく分からなくて…えっと…」
僕がモタモタと言いよどんでも、オジサンの笑顔は変わらなかった。
「それは、こちらで確認するので大丈夫ですよ
 特に気になるシミや、ボタンが取れている部分はありますか?」
オジサンは優しく聞いてくれたけど
「え?あの、ちょっとよくわからなくて…
 特にそんなことは言ってなかったから、大丈夫…なのかな…?」
僕はアワアワしてしまう。
「そっか、お姉さんの服でしたね
 それも確認しますから、大丈夫
 それではお名前と、部屋番号を教えてください」
オジサンは僕を落ち着かせるよう、ゆっくりと話しかけてくれた。

イヤな顔をされなくて少しホッとした僕は、名字と部屋番号を告げる。
書類を確認していたオジサンは
「樋口さん樋口さん、と、ああ、前回頼まれていたものがありますね
 少々お待ちください」
そう言って、ワゴンの車内につり下げられているクリーニング済みの服の束を探し始めた。
「あれ無いな、さっきジョンに配達頼んだ中に入ってたのか
 どうやら、店の者とすれ違ってしまったようですね
 すいません」
「いえ、僕が早く来なかったから、お手間取らせてすいません」
謝り合っている僕達の元に
「ただいまー、7階までの配達済ませたぜー」
そんな陽気な声と共に、一人の人物がやってきた。

「お帰り、ジョン
 さっき配達頼んだ物の中に、樋口さんの入ってた?」
「樋口…?ああ、あのお姉さん
 そうそう、ちょうど出かけるために家から出たところで渡せた人だ
 ナイスタイミング!きっと日頃の行いが良いんだぜ」
ジョンさんは屈託の無い笑顔をみせる。
明るい茶髪にハーフみたいな顔立ちでイケメンって感じの人なのに、人懐っこそうな瞳が暖かい雰囲気を醸し出している不思議な人だった。
「お預かりしていた物は、お引き渡し済みのようです
 では、こちらの受付だけいたしますね」
オジサンに持ってきた服を示されて
「え?ああ、えと、はい、それでよろしくお願いします」
僕は慌てて頭を下げた。
「4着で4200円です」
「は、はい、財布、財布」
僕は財布を取り出してお金を払うのに、またモタモタしてしまった。
そんな僕をジョンさんはジッと見ていて
「この人、昔の岩月みたいで懐かし可愛い!」
そう言ってニッコリと笑った。

「ジョン」
窘(たしなめ)るようにオジサンに呼ばれても
「今の岩月だって、可愛いけどね」
ジョンさんはヘヘッと笑っている。
「すいません」
オジサンは苦笑しながら僕に謝った後
「僕もね、昔は人と話すのがすごく苦手だったんだ」
内緒話のように小声でそう告げてきた。
驚いて見つめる僕に
「自分が接客する仕事に就くなんて、考えもしなかったよ」
悪戯っぽい笑顔で話しを続ける。

僕はその時初めて『この人と、もう少し話してみたいな』と思った。


「あの、人と話すのが苦手なのに、どうして接客の仕事を選んだんですか?」
僕は思わず、オジサンにそう話しかけてしまった。
不躾(ぶしつけ)な僕の質問にもイヤな顔を見せず、彼は少し考え込んだ後
「人と関わるのって楽しいな、って思えるようになったからかな
 そりゃ、客商売だから嫌な人とも関わっちゃうよ
 クレーマーって言うの?難癖付けてこっちから金を巻き上げようとするような人とか、日頃の鬱憤をこっちに全部ぶちまけてくる人とかさ
 それで嫌な思いをしたことも少なからずあるけどね
 でも、そんな人ばかりじゃないし、何より僕を支えてくれる人がいるから前向きになれたと言うか」
オジサンは照れくさそうに頭をかいて見せた。
「支えてくれる人…」
僕はその言葉を聞いて、子供の頃に飼っていたハスキー犬を思い出してしまった。
今もエレノアが生きていてくれれば、僕だってもっと前向きになれたかもしれないのにと悲しくなる。

俯いてしまった僕に
「誰か大切な人が亡くなってしまったのかな」
オジサンは優しく聞いてくれる。
「僕を守ってくれた、大好きだった犬がいたんです
 でも、もう死んじゃって…」
僕は答えながら、堪えきれずに泣いてしまった。
「僕もね、祖母と祖父が亡くなった後はもの凄く落ち込んで、もう一生前向きな気持ちになんかなれないって思ってたよ
 それなのに、祖父母の思い出が詰まった家を引っ越すことになって、この世の終わりみたいな気がしてた
 でも引っ越した先で、彼に出会えたんだ」
オジサンはジョンを見て、優しく微笑んだ。
それで、この人を支えてくれているのはジョンさんなんだと察しが付いた。
男の人との意味ありげなオジサンの告白は意外だったけど、2人を見ていると『イヤらしい』と言うよりは、そんな存在と出会えるなんて羨ましいと素直に思ってしまった。
「きっと、君もまた大切な存在と出会えるよ」
一般的な慰めの言葉ではあったけれど、僕はそれを聞いて救われた気持ちになっていた。

「犬、好きなの?
 なら、俺のこと撫でて良いよ
 俺、永田クリーニング店の可愛い看板犬だから」
ジョンさんが笑いながらそんな事を言って、頭を下げてきた。
戸惑ってオジサンを見ると、笑って頷いている。
僕は断るのも悪いと思い、恐る恐る彼の髪を撫でてみた。
それはエレノアのものよりフワフワした感触で、半長毛のミックス犬を撫でている気分になった。
学校の実習でよく触っているのに、僕は久しぶりに犬に触った気分になって心が慰められていた。

「また、お話ししよう」
別れ際、オジサンにそう言われ
「はい、あ、僕、樋口 一葉(カズハ)っていいます」
自己紹介していなかったことに気が付いた僕は、慌ててそう名乗る。
「僕は、永田 岩月
 彼は上弦、でも、ジョンって呼んであげて」
オジサン、岩月さんの言葉に
「ジョンって呼ばれた方が、しっくりくるんだ」
ジョンはヘヘッと笑ってみせた。


夏休みの間、僕は移動クリーニングが来ると2人に会いに行った。
犬が好きだからトリマーにはなりたいけど、接客に自信がないことを告げると
「僕も最初は戸惑うこばかりだった
 余所(よそ)のオバサンとなんか話したこと無かったから、注文を受けた後に気の利いたことも言えなくてね
 僕の父は、その辺そつなくこなせるのにさ
 どうして自分はダメなんだろうって、落ち込んだよ
 お客さんとまともに話せるようになったのは、ジョンと一緒に店番するようになった後かな
 月並みだけどカズハ君も直ぐに諦めないで、トリマーになった後、暫く頑張ってみて
 何か突き抜けるきっかけみたいな事、起こるかもしれないから」
岩月さんは、そんなアドバイスをしてくれた。

「トリマーって、犬の毛を切る人だろ?
 俺の髪も切ってみてよ」
ジョンが興味津々、と言った顔でお願いしてくる。
「人の髪とは違うから、無理ですよ
 でも姉が美容師だから、カットしたかったら紹介します」
僕は、自分より年上のこの2人とは、不思議と自然に話せていた。
きっとこの2人の持つ、人懐こくて穏やかな空気のお陰だろう。

「へー、カズハ君のお姉さんって美容師なのか
 最近白髪が目立ってるから染めてみたいな、って思ってるんだけど、美容院って僕みたいなオジサンが行っても良いのかな
 少し茶色く染めたいなー、なんて思っててね
 ジョンほど明るい色じゃなくても、焦げ茶とか
 今だと、ダークブラウンって言うの?」
岩月さんは照れくさそうに髪をいじってみせた。
「それ、岩月さんに似合いそう
 ちょっと姉に相談してみます」
「ありがとう!やってもらえるなら1回分のクリーニング代、タダにするよ」
「岩月が茶髪にしたら、俺達お揃いだ!」

ほんのちょっとの時間ではあったが、岩月さんとジョンと過ごせる時間は僕には友達と過ごす楽しいものになっていた。
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