このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

しっぽや(No.85~101)

side<JYOUGEN>

秩父先生の家で、俺は再び半月と巡り会えた。
それはあのお方のお孫さんの、永田 岩月と言う方だ。
出会った瞬間、あのお方亡き後の俺の心を埋めてくれる存在だと確信する。
何故それが分かるのか言葉では説明できないけれど、愛しくて片時も離れたくなかった。
今すぐにでも飼って欲しかったが、それをどう伝えれば良いのか分からない。
親鼻や黒谷に色々と話を聞いてはいたが、いざ自分が飼ってほしい方と巡り会えると頭が働くなってしまった。
とにかく、岩月に気に入ってもらおうと色々話しかけてみる。
最初はぎこちなかった彼の態度が徐々に砕けてきて、お菓子やお寿司を分けてくれた。
愛しい人と何かを分かちあえる喜びに、俺の心は感動で打ち震えていた。

岩月が秩父先生の家から去ってしまうと、心に穴が空いた気分になってしまった。
けれども、そこには希望があった。
「ありがとう親鼻!俺、どう言ってこれから岩月の側にいれば良いのか、全然わかんなかった
 親鼻のおかげで、岩月の家に行くことが出来る
 もっと、岩月と一緒にいることが出来るよ」
俺は感極まって、親鼻に抱きついた。
「貴方が岩月君に飼ってもらいたがってることは、一目でわかりました
 商売をやっている方なので、私が実践したことを試してみればどうかと思って言ってみたのですよ
 私も秩父先生のお役に立ちたくて、強引に用心棒として雇っていただいたのです
 ただし、同じように上手くいくかどうかは貴方の頑張り次第ですからね」
親鼻は悪戯っぽい笑顔を向けてくる。

「それと、飼っていただく前に正体は打ち明けた方が良いです
 近くにいればいるほど、関係に綻(ほころ)びが出てきますよ」
親鼻は真剣な顔になり、そう忠告してくれた。
「ああ、うん…
 相手が好きであれば、どうしても些細な違和感が気になってしまうんだ
 ハナちゃんには辛い思いをさせてしまったね」
悲しそうな秩父先生に
「けれども、貴方は迎えに来てくださった
 私を、2度も受け入れてくださったのですよ
 あのとき、私は幸せで胸が張り裂けそうでした」
親鼻はうっとりとした笑顔を向ける。
「ハナちゃん」
「秩父先生」
2人はしっかりと抱き合って、思い出に浸っていた。

「よかったね、ジョン」
黒谷が俺の肩を叩いて、笑顔を向けてきた。
「え?ジョンって、岩さんのお孫さんに飼ってもらいたいって思ったの?」
「血縁者だから、大事な方だと思われたのですか?」
飼い主のいない新郷と白久にはピンとこないらしく、首を傾げて聞いてきた。
「血縁、とかではないと思う
 岩月を感じた瞬間、魂の片割れを得たような喜びが胸に走ったんだ
 俺はもう半月ではない、岩月と2人で満月になれるとね」
俺の言葉に、2人は分かったような分からないような曖昧な顔になる。
「僕が初めて和銅に会ったときは、君ほどはっきりとした感覚にはならなかったよ
 和銅は少し特殊だったから
 飼い主と巡り会えた時の感覚は、化生それぞれなのかもね
 君は宿でいつも岩さんの帰りを待っていた、だから飼い主が近づいてくる感覚に敏感だったのかな
 きっと白久も浮かれた反応になるんじゃないか
 飼い主が帰ってくるのを、いつも庭で待っていたんだろ?」
黒谷にそんなことを言われ
「そんなものですかね?
 確かにあのお方が病に伏せった後も、庭に姿を見せてくれることをずっと待っていましたが…」
白久は何だかよくわからない、と言う顔で首を捻っていた。

「とにかく、しっぽやの方は僕達で頑張るから、ジョンは岩月君のとこでしっかり働いてお役に立ってきて
 染み抜き覚えたらうちでもちょっとやってみたいから、教えてよ」
「お役に立ちたいというジョンの真摯な気持ちは、きっと岩月君に通じますよ」
黒谷と親鼻に励まされ、俺は明るい気持ちで頷いてみせるのであった。



数日後の朝、俺はドキドキしながら岩月のクリーニング店に行ってみた。
電話で再度約束を取り付けてはあるものの
『クリーニングの仕事なんて、手伝えるのかな
 俺、迷惑かけちゃったらどうしよう』
そう考えると、やはり緊張してしまう。
けれども、また岩月に会えるのだと思うだけで勇気がわいてきた。
「こんにちは、今日からよろしくお願いします!」
お店のガラス戸を開けて挨拶しながら入っていくと、光男氏が笑顔で迎えてくれる。
「やあ、来たね、こっちこそよろしく
 取りあえず、店番覚えて欲しいんだけどいいかな
 空いた時間で岩月に染み抜き教えさせるからさ
 クリーニングの方は薬剤使ったりするから、もう少し慣れてから教えるよ」
「はい、あの、岩月は?」
俺は緊張しながら、店内に岩月の姿を探す。
「あの子は今、配達に行ってもらってるの
 ジョンさん無給じゃ申し訳ないんで、せめてお昼ご飯はうちで食べていってね
 岩月が帰ってきたらお昼にするから」
朗らかな女の人が話しかけてくる。
彼女が岩月の母親のようであった。
岩月と一緒に食事が出来ると思うだけで、嬉しさがわきおこる。
「楽しみです」
俺が笑うと、2人も笑顔を向けてくれるのであった。


その後、光男氏に教わりながら俺は初めて『接客』というものをやってみた。
覚えることはいっぱいあった。
お客がこの店を利用するのは初めてか確認し、2度目以降であれば顧客ファイルから用紙を探して情報を書き加えていくのだ。
預かった物の種類、目立つシミの位置、ボタンやホックが取れていないかどうかも確認する。
衣類や素材によって料金や、出来上がりの時間も違ってくる。
光男氏はその全てが頭に入っているようで、てきぱきと仕事をこなしていた。
俺は確認表とにらめっこしながら、とにかく間違えないように気をつける。
化生してから黒谷と白久に読み書きを教えておいてもらって良かった、と心の底から思っていた。
けれども、書ける漢字も少ないし、字が汚いのが恥ずかしかった。

「ジョンは、何かお店で働いていたことがあるのかい?
 接客上手いね」
お客の切れ間に、光男氏がそう話しかけてくる。
「いえ、初めてです
 俺、何でも屋より工事の仕事ばっかりやってたから」
俺は頭をかいてそう答えた。
いつかあのお方のお役に立てるんじゃないかと工事の仕事に精を出していたが、今は岩月の役に立ちたいので真剣にこの仕事を覚えたいのだ。
「じゃあ、筋が良いのかな
 来たばかりでなんだけど、午後は岩月と一緒に店番やってみてもらっていいかい?
 そうすれば、昼ご飯の後、俺とカミさんで作業できるからさ
 さっき大口の客が来たろ、こりゃ夜中までかかると思ってたんだが、昼から2人でやれば夜には終わりそうだ
 岩月は確認種類なんかは完璧に覚えてるんだけど、接客の方がどうも苦手なんでな
 ジョンと岩月、2人でやれば補いあえるんじゃないか」
「わかりました」
光男氏の言葉は、俺には嬉しいものであった。


お昼時間の少し前に帰ってきた岩月と2人で、用意してもらったお昼ご飯を食べた。
それは、まん丸のお好み焼きだ。
1人1枚用意してくれていたので半分こは出来なかったが
「満月メニューだね」
岩月がそう言って笑ってくれたので、俺は嬉しくなる。
「午後は僕達で店番だって
 お父さん、ジョンのこと接客向きだって誉めてたよ」
「まだ確認すること完璧に覚えてないから、迷惑かけちゃうかも
 お客さんの名前の漢字がわからないし、字も汚くてごめん
 でも俺、頑張るよ、色々教えて」
岩月に幻滅されたくなくて、俺は焦って言い募った。
「書類は僕が書くから、接客をお願いして良いかな」
上目遣いに聞いてくる岩月に
「任せて!」
俺は頼もしく頷いてみせた。

食べ終わった岩月はお茶を飲んで一服した後、食器を持って台所に移動する。
それから、お好み焼きを焼き始めた。
「これ、お父さんとお母さんのお昼ご飯なんだ
 僕が作れば、2人に出来立てを食べてもらえるからね
 焼きそば、チャーハン、ラーメンとか、簡単な物しか作れないけどさ
 お爺ちゃんに教わった野菜炒めは、評判良いんだよ」
俺も何か手伝いたかったが、何をしたらいいのかわからなかった。
『普段から、長瀞の手伝いしとけば良かったな』
ここでは、自分の至らなさを思い知らされてばかりいる。
「じゃあ、食器は俺が洗うよ、それくらいなら出来るから」
俺は慌てて、流しの食器を洗い始める。
「時間まで、ゆっくりテレビでも見てれば良いのに
 ジョンって、働き者だね」
岩月に誉められると、幸せで泣きそうになる。
あのお方と暮らしていた幸福な時間が、戻ってきたような感じであった。


最初は週2日くらい手伝いに行っていたが徐々にそれが増えていき、1ヶ月もすると定休日以外毎日通うようになっていた。
光男氏は申し訳ながってお給料を出すと言ってくれたが、俺は頑なにそれを断った。
その代わりに夕飯もごちそうになることになったので、岩月と居られる時間が増えていた。
俺にとっては、それはお金には換えられないかけがえのない時間なのだ。

「従業員が増えると、楽になるなー」
夕食時、ビールを飲んで顔を赤くしている光男氏が上機嫌で言ってくれる。
岩月と居られるのも嬉しいが、あのお方の忘れ形見に誉められるのも嬉しかった。
光男氏があのお方と居るべき時間を、俺が奪ってしまっていたような罪悪感があったからだ。
「丁稚奉公みたいな使い方して、申し訳ない
 本当にお給料いらないのかい」
もう何度目になるかわからない言葉をかけられ
「ここで色々教えてもらえる方が、俺にはありがたいんです
 それに岩さんにしてもらったことのご恩返しは、これじゃ足りませんよ」
俺がそう答えると、光男氏は必ず目を潤ませるのだ。
「そうか…親父は、立派な人だったんだな」
光男氏があのお方のことを好きになってくれる手伝いができることが、嬉しかった。

「じゃあね、ジョン、また明日」
岩月は俺が帰るときは見送ってくれて、いつもそう言ってくれる。
「うん、また明日」
岩月と別れるのは寂しいが、明日の約束を出来るという状況がとても幸せであった。
8/35ページ
スキ