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しっぽや(No.70~84)

side<MINANO>

明日は土曜日で、黒谷の部屋に日野が泊まりに行く。
日野のお母様はデートで帰りが遅くなるから、お婆様1人の夕飯になってしまうらしい。
「よかったら、2人で夕飯食べに行ってあげて
 お客さん来ると、婆ちゃん張り切るしさ」
しっぽやの事務所で笑顔の日野に頼まれて、私と明戸は顔を見合わせた。
あのお方を思い起こさせる日野のお婆様との食事はとても楽しいものであるけれど、このところ頻繁にお邪魔しているので負担になってはいないかと私達は少し心配していたのだ。
余ったから、と料理のお土産をいただくこともしばしばで、嬉しい反面申し訳なくも思っていた。
お返しに私達からも何か差し上げたかったけれど、人間の女の人が何を貰えば喜ぶのか皆目見当も付かず、途方に暮れていたのだ。

「いつも色々いただいてばかりで、よろしいのでしょうか」
そう問いかけると
「婆ちゃん、世話焼きだから良いの良いの
 むしろ2人に来てもらえるの嬉しいよ
 こう言っちゃうと失礼だけど、本当は猫でも飼ってあげたいんだよ
 でもうちのマンション、ペット不可だから
 2人には、婆ちゃんの気晴らしに付き合ってあげて欲しいんだ」
日野は苦笑を見せた。
「ペットとしての役割なら、任せて
 俺達、甘え上手だもんな
 よくあのお方に誉められたもんよ」
明戸が朗らかな笑顔を向けてくる。
その笑顔で、私も過去を思い出した。
「そうですね、あのお方には1日に何度『可愛い』と言われたことか」
「いや、俺の方が『可愛い』って言われる回数は多かったって」
「私はお父さんにも『可愛い』と言われてました」
「俺だってお母さんに『可愛い』って言われてた」
私と明戸の会話に
「はいはい、2人とも可愛いよ」
日野は終止符を打つようにそう言って、私達の頭を撫でてくれた。

「あ、じゃあ、2人には買い出しに付き合ってもらおうかな
 ここんとこタイミング悪くて、俺、婆ちゃんの買い物に付き合ってないんだ
 トイレットペーパー、換えの電球、ツナ缶、牛乳、卵、果物、野菜、重い物とか、かさばる物を運んで貰えると助かるなー」
日野の言葉に
「買い物のお供、何だか楽しそうですね」
私はワクワクしてきた。
あのお方のお供をすることは永遠に叶わない、あのお方が何を求めていたのか私には永遠に知る術(すべ)がないのだ。
けれども、あのお方と似たところのあるお婆様と共に買い物できれば少しはあのお方に近づけそうな気がした。
それに、お婆様のお役に立てそうなことをしてみたかった。
猫だったときは家から出ることを好まなかったが、今は何をすれば人のためになるのか知りたかったのだ。
明戸も同じ思いなのだろう。
「良いね、それ
 好きなもの何でも買ってもらって、俺達でお金払えば、お返しみたいなプレゼントにならないかな」
瞳を輝かせてそんなことを言っている。

「いや、家で使う日用品の代金払って貰う訳にはいかないよ」
慌てる日野に
「それくらいのお返しはさせてください
 私達、お婆様にはお金では買えない素晴らしい時間をいただいておりますので」
「そうそう、それに俺達だってたまには有意義にお金を使ってみたいんだ
 自分達の為じゃなく、好きな人間のために何かを買うって楽しそう
 飼い主いると、いつもこんな気持ちなのかな」
私達は少し浮かれ気味に答える。
「日野、彼らの好きなようにさせてください
 2人とも、明日は早く上がって良いからね
 お婆様のお手伝い、しっかりしてくるんだよ」
黒谷が私達に優しい笑顔を向けてくれた。
それからまだ困惑気味の日野に
「僕も、日野のために何かを買うことが楽しくてしかたないんですよ
 飼い主のために何か出来ることが、嬉しくてたまらないんです
 彼らにもそんな気持ちを味わわせてあげてください」
そう言ってくれる。

「そう?それじゃ、甘えちゃおうかな
 でも、高いもの買わなくて良いからね」
日野はやっと折れてくれた。
「ちぇー、せっかくだから夕飯用に生本マグロの中トロでも買おうと思ってたのに」
明戸がムクレてみせる。
「まあ、双子も一緒に食べるものならちょっとくらい贅沢してもいいか
 でも、婆ちゃん年取ってから中トロより赤身の方が好きになったって言ってたな
 あんまり脂っこくない食材にしてあげて」
苦笑する日野に
「わかりました」
私は頷いた。

『お父さんは中トロが好きだったけど、あのお方は赤身が好きだったっけ』
思い出の中のあのお方と、お婆様が重なっていく。
同じ事を思い出しているのであろう明戸が、そっと手を握ってきた。
私はその手を握り返し
「楽しみですね」
魂の片割れにそう笑顔を向けるのであった。



翌日、私と明戸は3時過ぎにしっぽやを上がらせてもらった。
「買い物の荷物持ちするから、動きやすくて汚れても良い服の方がいいよ」
そう日野にアドバイスをもらうものの、それがどのような格好のことかさっぱりわからない。
戸惑う私達に、日野が何とかコーディネイトしてくれた。
それは、普段組み合わせて着ることがないような服装で、私達は物珍しく感じてしまった。
「ここのクローゼットって、カッチリした服が多いんだよな
 黒谷、もうちょっとラフに着れるやつも入れといて
 飼い主居ない化生用にさ」
「そうですね
 今までは『これを着てれば怪しく見えない』と言う服をゲンに選んでもらってましたから
 日野に飼ってもらって『ラフ』やら『カジュアル』やら言うスタイルを知ると、ちょっと堅苦しいかなとは思ってたんです」
「でも、黒スーツの黒谷って格好良くって好きだよ」
「僕は所長ですからね、この方が威厳があって良いかと」

日野と黒谷のやりとりを、私達は不思議な気持ちで聞いていた。
「ボタンは、閉めたほうがよろしいのでしょうか」
シャツをいじりながら問いかける私に
「そのままで良いって
 黒いシャツから白いインナーが見える、その方が2人にもしっくりくるだろ?」
日野は笑いかけてくれる。
確かにこの色合いは、落ち着くものがあった。
「俺たちを見分けるのに、ネクタイした方が良い?」
明戸が首を捻った。
そう言えばお父さんはお酒に酔うと、首輪をしていても私と明戸を見間違えることがあったっけ、と懐かしく思い出す。
「あ、そっか、流石に目印無いとわかりにくいかも
 でもその格好にネクタイは斬新すぎてダメ
 そだ、これ付けると良いよ
 最近タケぽんがハマってるメーカーの缶バッジ
 『化生が付けると可愛い』って、こないだ置いてったんだ
 スーツに缶バッジは無いと思ってたんだけど、意外なところで役に立つな」
日野は青と緑のバッジを手渡してくれた。
そこには肉球の柄が描かれている。
「白久も言ってたけど、人間ってのは本当にこれ好きだね」
明戸がバッジをシャツに付けながら、カラカラと笑った。


私達は財布とエコバッグを入れた鞄を持ち、駅に移動する。
いつもと違う服装なので他の人に怪しまれていないか不安だったが、特に注目されることなく移動できた。
「猫の時は着替えなくて良いから気が楽だったぜ」
ため息を付く明戸に
「でも、新しい首輪にした後、あのお方に誉めて貰えるのは好きでしたよ」
私は笑って答えてみせた。
「まあな」
明戸も笑顔をみせる。
「この格好、お婆様に誉めていただけると良いですね」
「うん」
私達は期待と不安を半分に、日野のマンションに向かった。

玄関で出迎えてくれたお婆様は
「わざわざ来てくれて、ありがとう
 あら、2人とも、今日は可愛らしい格好なのね
 そーゆーのも、似合うわ」
目を細めてそう誉めてくださった。
それだけで、私は幸せな気持ちになってくる。
「今日の買い物は私達に任せてください
 お婆様は何が欲しいか、指示をお願いします」
「お金のことは気にせず、好きな物を何でも買ってください
 いつも良くしていただいているお礼です」
頭を下げる私達に
「日野に聞いてはいるけれど…やっぱり申し訳ないわ」
お婆様はオロオロとしてしまう。
「お気になさらずに、さあ、最初はどの店に行きましょうか」
「同僚にも借りて、エコバッグもいっぱい持ってきました
 車に詰め込めないので、2人で両手で持てる分しか買えませんけどね」
強引に押し切られたかたちのお婆様が
「それじゃ、お言葉に甘えさせてもらうわ
 あちこち行くの面倒だから、スーパーで全部買っちゃうわね」
少し苦笑しながら私達を従えて歩き出す。
私達はワクワクしながら、その後ろ姿に着いて行った。


マンションからほど近い大型スーパーに到着すると、お婆様はカートを用意する。
「今日はキャベツが安いの、後、キュウリとトマト
 モヤシがタイムセールで1袋18円ですって、後10分くらいで始まるわ
 お一人様1個までだけど、3人いるから3個買える
 皆で買い物できるとお得ね」
お婆様は嬉しそうにウフフッと笑った。
「お醤油とお豆腐も買わなきゃ、ショウガとネギと…
 ワカメも欲しいわね
 日野のお弁当用に海苔とソーセージとミートボールにハンバーグ、カニカマ、プチトマトブロッコリーにアスパラガス
 卵にハムにベーコンも
 オヤツにはバナナ、オレンジ、プラムなんか良いわね
 グレープフルーツもあればマリネにも使えるわ
 ママがね、あ、ママって日野のママ、私の娘ちゃん
 グレープフルーツで作るマリネ好きなの」
スーパーに入ったお婆様は、生き生きと品物を選び出す。
その楽しそうな様子に、私達も気分が高まっていくのであった。
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