空の兄弟〈前編〉
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「当分帰ってこないでおくれ、顔を見たくない。晩ごはんだって出してやらない」
女性は振り返り、引き戸の玄関をぴしゃりと閉めた。
外に残された風結子、うつ伏せに倒れたまましばらく動かなかったが、やがて頭をもたげたまま上半身を起こした。
その時、足音が聞こえ、自分が何かの影に入った気配を感じた。
影の主は鷹だった。
「ほっぺた、汚れてる」
左の人差し指で自分の左頬を指し、右手で布を差し出しながら鷹は言った。
風結子は鷹の出現に少し目を見開いたけれど、差し出されたそれを手に取ると静かに立ち上がり、膝小僧をぱたぱたとはたいた。
「やだなあ…へんなところ、見られちゃったみたいね」
中腰になっている鷹を見下ろし、風結子は空笑いをする。
結局右頬の汚れは右手の甲で拭い、風結子は布を四つ折りに丁寧に畳んで鷹に返した。
「え、と、学校からもう帰ってきてると思って、来てみたんだけど」
鷹は返された布を握りしめながら、しどろもどろに言った。
風結子は少し驚いた顔をして鷹を見つめる、鷹は恥ずかしさに耐えかねて、そっぽを向きながら後頭部を掻いた。
「ねえ」
しばらくして、風結子が笑みをこぼしながら言った。
「向こうに夕焼けがきれいに見える所があるの、見に行こうよ」
…