〈改稿版〉traverse
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歌にする言葉を、と言われたものの、素人の私には途方もなく難しいものに思われた。樹深くんは大丈夫なんて、軽く言ってくれちゃうけど。
「ほんとにね、難しく考えなくていいんだよ。
イッサはさ、あのナイターでナニが楽しかった?」
そう聞かれて、私は先週のナイターを思い返す。
「えーとー。
皆で一丸となって応援するの、すっごく気持ちよかったなぁ。知らない人同士なのに、気持ちは一緒なの。
あとはー、ホームランボール取れなくて悔しかったなぁ。あのボール取った男の子、宝物にしてるかな?
お弁当もさー、美味しかったよね。あー、また食べたいなぁ」
「ふむ、ふむ」
樹深くんがサラサラと歌詞ノートに書き留めていく。
「え、ちょっと…まさか今の全部詰め込む気じゃないでしょうね…?」
「うん? なんとかなるんじゃない? 入れよう入れよう」
「ギャー! お弁当美味しいとか絶対いらないよね!?」
「あはは」
樹深くんも歌詞考えるって言ったのに、私ばっかり言わされてるよ。
「樹深くんもアイデア出す約束でしょ、私ばっかりズルイ」
「んー…でも、俺もイッサと同じような感じだよ。
ただ、俺の場合は、それに昔の思い出も重なって…それはいらないと思うんだよね」
「えー? どうして? いいじゃん、入れよう入れよう」
「はー、適当に言ってる」
「へへーだ、樹深くんのマネ」
「フフッ…ま、いいけど。
さぁ、もっと出していこう」
こんな感じで、私と樹深くんは言葉の出し合いをしていって…結局この日はそうするだけで終わった。
全然まとまってなかったと思うのに、樹深くんは満足そうな顔をしていた。
「曲、ちょっとイメージ湧いてきた。金曜日までに形にしてくる。
じゃ、今日はここまでね。元さん、また金曜におじゃまします。味噌、ごちそうさまでした」
そう言って、樹深くんはギターケースを持ってきたいわ屋を出た。
「勇実、何ボサッとしてんだ。オマエも帰れ。
オーイ、樹深くん、一緒についてやってくんないか?」
元ちゃんがカウンターのこちら側に出てきて、私の腕を掴んで外に連れ出した。
樹深くんがビックリして振り返る。
「えっ? でも、俺、駅の方ですよ。メイン通りに出るまでしか、ついてやれないですけど」
「いいよ、それで。コイツチャリだし。ほれ勇実、早く行け。気を付けて帰れよ」
「わっ、わっ、わかったから、そんなに急かさないでよ。じゃあね元ちゃん、お店頑張ってね」
元ちゃんにそう言って、自転車を横から押しながら樹深くんに追いついた。
「心配性だね? 元さん」
「ん? …そうかも」
振り返ると、元ちゃんはまだ外にいた。
小さく手を振ると、元ちゃんも手を振ってくれた。
いつもなら、帰り際にキスをする。
樹深くんの前でするわけにはいかず…ちょっと、寂しかった。
…