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胸に秘めた花束
キュッ、キュッ――
床とシューズの擦れる音がレッスン室に響く。
鏡の前で何度かターン。最後にピシッとポーズを決めてから、少しだけ息を乱したカスミさんがこちらを振り返った。
「どうだったッスか、今の」
「とっても綺麗でした! ぜんぜんブレてなんかいませんでしたよ?」
飲み物を手渡しながら、彼に見ていてほしいと頼まれた部分の振りについて感想を告げる。素人の私が見ても……と一度は遠慮しようとしたものの、「その立場から見ててほしいんス」 と言われてしまえば、他に断る理由はなかった。
それにしても、一体どれほどの時間練習していたのだろう。所々レッスン着の色が濃くなっていて、ずいぶんと汗が染み込んでいるように見える。
「私が来る前から練習してらしたんですよね。大丈夫ですか?」
「心配無用ッス。モクレンについていくには、Wにいた頃より動けるようにならないと駄目ッスから」
もっと頑張らないと! と意気込むカスミさんは、もう十分すぎるほど頑張っていると思う。けれど、きっと彼はその言葉通り、まだまだ一生懸命になるのだろう。そんなふうに努力できる彼を、私は心の底から尊敬している。
「あの、……あ」
「ん? なんスか?」
またすぐに練習に戻ってしまうのかと訊ねようとしたとき、彼の頬にツ…と汗が伝うのを見つける。
そうだ、タオル……!
飲み物しか渡していないことに気がつき、慌ててタオルを手に彼へと腕を伸ばす。けれどタオルが頬に触れる直前、パシッとその腕を掴まれてしまった。
「カスミさん……?」
「あ、すんません、つい」
「いえ、こちらこそ余計なことを……」
掴まれていた腕が放され、お互いに向き合ったまま、少しの間沈黙が流れる。
どうしよう、何か話したほうがいいよね。あ、もしかして私もういらない? 帰ったほうがいいかな……?
妙な居心地の悪さに自問を繰り返していると、目の前にスッと彼の手が差し出される。
「タオル、もらってもいいッスか?」
「あっ、すみません、どうぞ!」
私からタオルを受け取ると、カスミさんはそれをそのままもふっと顔にあてた。長い前髪も一緒に巻き込んでいるけれど、きちんと汗は拭けているのだろうか。
「はぁ〜、汗だらけで助かったッス」
「?」
「汗だらけじゃなかったら、今頃あなたにハグしちゃってました」
「えっ」
どうしてそうなるんですか……! と慌てる私を見て、カスミさんはクスッと笑って続ける。
「可愛いんスよね、目の前でちょこちょこ動かれると。なんて言うんスかね〜、……あ、小動物みたいな感じッスかね。よく言われないッスか?」
そう問われて、言われるような言われないような……誰かに言われたことあったっけ? と記憶をたどる。
「ほら、その目ッスよ。純粋で、悪いことは何も知らなそうな……綺麗な目」
「!」
不意に落とされた低音に、まるで身動きを封じられたような気持ちになる。こちらからは彼の目が見えないのに、向こうからは見えている。その上じっと見つめられていると思うと、急に恥ずかしさが全身を廻った。
「か、カスミさんはっ」
「?」
「ぜんぜん、モブなんかじゃないです……!」
「ええっ?」
恥ずかしさを誤魔化そうと、お返しに私から見た彼の姿を伝える。するとカスミさんは「擬態失敗してたんスかね……もっと気を引き締めないと!」 なんて気合いを入れ直していて、会話が噛み合っていないというか、そこに私の思いが込められていることには気づいていない。
彼は普段から自分のことをモブだと言うけれど、それにしては私の中での存在が大きすぎる。確かに、居ることに気がつかなくて急に現れたときはびっくりすることもある。でも、私にとっては多分そういうことではなくて。
「ちゃんと、認識してますから……!」
「はい?」
「カスミさんはカスミさんです!」
勢いにまかせて言い張ると、目の前の唇が緊張を解くようにゆるやかな弧を描く。
「ありがとうございます。モブにそんな優しい言葉をくれるの、あなただけッスよ」
わたあめのようにやわらかな声でそう告げられ、ほわ、と穏やかな空気に包まれる。同時に、またモブって言った……と少しだけ胸の奥が切なくなった。
おそらく私の言いたいことはまだきちんと伝わっていなくて、それが何とも言えないもどかしさを募らせる。
「さ、もう一回頭から通しまスかね〜。もう少しだけ付き合ってもらってもいいッスか?」
「あ、はい、大丈夫です!」
私の心情なんて知らずに、カスミさんはまたくるくると足首をほぐし始める。
彼は一度だけこちらに顔を向けると、ともすれば見落としてしまいそうなほど淡くやさしげな笑みを口元に浮かべた。それからすぐに鏡の前へと戻り、再び室内にステップを踏む音を響かせる。
そこで、私はまた思い描くのだ。
たとえ彼自身や周りの人がモブだと言っても、私の中ではいつだって彼が主役。ステージで堂々と踊るその姿は、私の目にはとても眩しく、輝いて映るのだから。
キュッ、キュッ――
床とシューズの擦れる音がレッスン室に響く。
鏡の前で何度かターン。最後にピシッとポーズを決めてから、少しだけ息を乱したカスミさんがこちらを振り返った。
「どうだったッスか、今の」
「とっても綺麗でした! ぜんぜんブレてなんかいませんでしたよ?」
飲み物を手渡しながら、彼に見ていてほしいと頼まれた部分の振りについて感想を告げる。素人の私が見ても……と一度は遠慮しようとしたものの、「その立場から見ててほしいんス」 と言われてしまえば、他に断る理由はなかった。
それにしても、一体どれほどの時間練習していたのだろう。所々レッスン着の色が濃くなっていて、ずいぶんと汗が染み込んでいるように見える。
「私が来る前から練習してらしたんですよね。大丈夫ですか?」
「心配無用ッス。モクレンについていくには、Wにいた頃より動けるようにならないと駄目ッスから」
もっと頑張らないと! と意気込むカスミさんは、もう十分すぎるほど頑張っていると思う。けれど、きっと彼はその言葉通り、まだまだ一生懸命になるのだろう。そんなふうに努力できる彼を、私は心の底から尊敬している。
「あの、……あ」
「ん? なんスか?」
またすぐに練習に戻ってしまうのかと訊ねようとしたとき、彼の頬にツ…と汗が伝うのを見つける。
そうだ、タオル……!
飲み物しか渡していないことに気がつき、慌ててタオルを手に彼へと腕を伸ばす。けれどタオルが頬に触れる直前、パシッとその腕を掴まれてしまった。
「カスミさん……?」
「あ、すんません、つい」
「いえ、こちらこそ余計なことを……」
掴まれていた腕が放され、お互いに向き合ったまま、少しの間沈黙が流れる。
どうしよう、何か話したほうがいいよね。あ、もしかして私もういらない? 帰ったほうがいいかな……?
妙な居心地の悪さに自問を繰り返していると、目の前にスッと彼の手が差し出される。
「タオル、もらってもいいッスか?」
「あっ、すみません、どうぞ!」
私からタオルを受け取ると、カスミさんはそれをそのままもふっと顔にあてた。長い前髪も一緒に巻き込んでいるけれど、きちんと汗は拭けているのだろうか。
「はぁ〜、汗だらけで助かったッス」
「?」
「汗だらけじゃなかったら、今頃あなたにハグしちゃってました」
「えっ」
どうしてそうなるんですか……! と慌てる私を見て、カスミさんはクスッと笑って続ける。
「可愛いんスよね、目の前でちょこちょこ動かれると。なんて言うんスかね〜、……あ、小動物みたいな感じッスかね。よく言われないッスか?」
そう問われて、言われるような言われないような……誰かに言われたことあったっけ? と記憶をたどる。
「ほら、その目ッスよ。純粋で、悪いことは何も知らなそうな……綺麗な目」
「!」
不意に落とされた低音に、まるで身動きを封じられたような気持ちになる。こちらからは彼の目が見えないのに、向こうからは見えている。その上じっと見つめられていると思うと、急に恥ずかしさが全身を廻った。
「か、カスミさんはっ」
「?」
「ぜんぜん、モブなんかじゃないです……!」
「ええっ?」
恥ずかしさを誤魔化そうと、お返しに私から見た彼の姿を伝える。するとカスミさんは「擬態失敗してたんスかね……もっと気を引き締めないと!」 なんて気合いを入れ直していて、会話が噛み合っていないというか、そこに私の思いが込められていることには気づいていない。
彼は普段から自分のことをモブだと言うけれど、それにしては私の中での存在が大きすぎる。確かに、居ることに気がつかなくて急に現れたときはびっくりすることもある。でも、私にとっては多分そういうことではなくて。
「ちゃんと、認識してますから……!」
「はい?」
「カスミさんはカスミさんです!」
勢いにまかせて言い張ると、目の前の唇が緊張を解くようにゆるやかな弧を描く。
「ありがとうございます。モブにそんな優しい言葉をくれるの、あなただけッスよ」
わたあめのようにやわらかな声でそう告げられ、ほわ、と穏やかな空気に包まれる。同時に、またモブって言った……と少しだけ胸の奥が切なくなった。
おそらく私の言いたいことはまだきちんと伝わっていなくて、それが何とも言えないもどかしさを募らせる。
「さ、もう一回頭から通しまスかね〜。もう少しだけ付き合ってもらってもいいッスか?」
「あ、はい、大丈夫です!」
私の心情なんて知らずに、カスミさんはまたくるくると足首をほぐし始める。
彼は一度だけこちらに顔を向けると、ともすれば見落としてしまいそうなほど淡くやさしげな笑みを口元に浮かべた。それからすぐに鏡の前へと戻り、再び室内にステップを踏む音を響かせる。
そこで、私はまた思い描くのだ。
たとえ彼自身や周りの人がモブだと言っても、私の中ではいつだって彼が主役。ステージで堂々と踊るその姿は、私の目にはとても眩しく、輝いて映るのだから。
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