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七度五分の願い事
熱が出た。起きたときになんだか体が熱い気がして、体温を計ってみたら、37.5度だった。
どうして……今日、やっと会えるのに……。
今日は何週間も前から予定していたデートの日。
なかなか都合が合わなかった彼と、久しぶりに会える大事な日。
ずっとわくわくそわそわして、昨夜はすぐに寝付けなかった。いい歳をした大人が、遠足前日の小学生みたいだと、布団で自分の口元を隠したくらいに。
窓から入ってくる光は明るくて、今日が快晴のデート日和だということを私に知らしめる。
このまま準備をしてしまおうか。薬を飲めばなんとかなるかもしれないし。でも、もし悪化して彼に迷惑をかけることになったら……。
ぼんやりと宙を眺めながら、そんなことを考える。
彼には会いたい。でも――――
そのとき、ツキツキと頭の中が痛み始めた。
……やっぱりダメ。彼に迷惑はかけられない。
私は枕元に置いてあるスマホを手に取った。メッセージアプリのアイコンをタップし、一番上にある彼とのトーク画面を開く。
『ごめん、熱が出て』
そこまで打って、指を止めた。彼のことだから、これだと心配して家まで来てしまうかもしれない。
私は少し悩んだあと、後ろの四文字を削除する。
『ごめん、急な仕事が入っちゃった。また違う日に予定立てよう? 本当にごめんなさい。』
打ち直した文章を見て、罪悪感が湧き上がる。
嘘を、ついてしまった。
いつもまっすぐ向き合ってくれる、大切な人に。
たった数行の簡素な言葉。ズン、と重くなる頭と心。履歴に残っている昨日までの楽しかったやりとりも、すべて落胆の奥底に沈んでしまう。
……ごめんなさい。本当に。
ズキズキと痛みが増していく。刺すように明るい画面を見ているのも辛くて、湧き続ける罪悪感と悲しみから、私は早々にスマホを元の場所に伏せ置いた。
***
少しうとうとしていたところで、玄関のチャイムが鳴った。ベッドから体を起こし、ドアの向こうにいるであろう彼の姿を思い浮かべる。
『とりあえず、そっち行くから』
薬を飲んだあと、ベッドに戻った時に届いた彼からのメッセージ。急な仕事ではないことが、すでにバレていた。
*
「どうして嘘なんかつくんだ」
「ごめん……心配させたくなくて……」
「逆に心配するだろ。あんなに楽しみだってはしゃいでたお前が、急に仕事が入ったから、なんて」
「ごめんなさい……」
「まったく……」
寝間着のままでいた私の姿を見て、彼の推測が確信に変わったらしい。部屋の奥へ辿り着く前に、すべてを白状させられてしまった。
対策まで抜かりのない彼が、着けてきたマスクの中で小さなため息をつく。
「熱が出たならそう言って。そんなことで怒らないし、迷惑とも思わないから」
ぴしゃりと放たれた彼の声に、私はもう一度ごめんと謝る。久しぶりに会った彼は、泣きたいくらいに綺麗で、凛々しくて、そして、優しかった。
「もういいから。熱は? もう一回計ってみて。咳とくしゃみは出る? 喉の痛みは?」
ここに来る途中で買ってきてくれたのだろう。手に持っていたビニール袋から、冷えピタやスポーツドリンク、ゼリー、アイスなんかを取り出しながら質問を重ねてくる。
「いや、ごめん。忙しないよな。ゆっくりでいいから」
私が口を開けないでいる間にも、彼は冷えピタを一枚箱から取り出し、その残りとアイスを持って冷蔵庫に向かっていく。私は彼に言われたとおり、すぐそばに置いておいた体温計を襟から脇に差し込んだ。
「薬は? 飲んだの?」
「飲んだ」
「ならいいけど」
冷蔵庫の扉を閉め、彼が戻ってくる。そして、ベッドの横に腰を下ろすと、じっと私の目を見つめてきた。
「熱、終わった?」
「ん……37.2。ちょっとだけ下がってる」
「そう。頭痛は?」
「薬飲んだから、今は平気」
「よかった」
ほっとしたような彼の様子に、本当に申し訳ないけれど、少しだけ頬がゆるんでしまう。今のところ、咳もくしゃみも出ていない。それでも念のためにと着けたマスクが、さっそく役に立った。
「なにニヤニヤしてるの」
……前言撤回。まったく役に立っていない。
「そんな、ニヤニヤなんて……」
「嘘。目が笑ってる」
マスクでは隠せないところを指摘され、思わず両手で目を覆う。
「もう、ふざけてないで寝てなよ」
「今は眠くない〜」
彼がいるのに眠るなんてもったいない。熱は出てるけど苦しくないし、むしろすごく楽しくて、夢の中にいるみたいにぽわぽわする。ほんの少しだけ酔いが回ったときの、心が浮いているみたいな、あの感覚。
「またそんなこと言って……熱が下がらなくなっても知らないから」
「……へ?」
突然、首にひやりとしたものが当たった。驚いて手を下ろせば、彼の腕が私に伸びているのが目に入る。
「赤いし、熱い」
私の首筋を撫でる、すべらかな皮膚の感触。冷えピタとは違う、人間の温度がある、心地のよい冷たさ。
広く開いたシャツの襟ぐりから、彼の手がするりと肩のほうへ滑っていく。ふふ、と小さく笑うその声に、違う意味での熱が上がっていくような気がした。
「僕とのデートが楽しみすぎて、熱が出たんじゃないの」
「……そうかも」
しっとりとしたやわらかさを纏った空気に、抗えない体温の上昇を感じ取る。
もしかしたら風邪かもしれない。
だから、あんまり近づかないで。
本当なら、そう言わなければならないのだと思う。
でも、言えない。私にとって、彼は誰よりもそばにいてほしい人だから。
自分に伸びている腕に手を添えながら、いつもより熱を感じる薔薇色の瞳を見つめる。
「わがまま、言っていい?」
「いいよ。聞いてあげる」
肩に置かれた手を取って、自分と彼の指を絡ませる。それから、ひやりと気持ちのよい彼の手の甲を首にあて、いま一番叶えてほしいことを、私は素直に彼に告げた。
熱が出た。起きたときになんだか体が熱い気がして、体温を計ってみたら、37.5度だった。
どうして……今日、やっと会えるのに……。
今日は何週間も前から予定していたデートの日。
なかなか都合が合わなかった彼と、久しぶりに会える大事な日。
ずっとわくわくそわそわして、昨夜はすぐに寝付けなかった。いい歳をした大人が、遠足前日の小学生みたいだと、布団で自分の口元を隠したくらいに。
窓から入ってくる光は明るくて、今日が快晴のデート日和だということを私に知らしめる。
このまま準備をしてしまおうか。薬を飲めばなんとかなるかもしれないし。でも、もし悪化して彼に迷惑をかけることになったら……。
ぼんやりと宙を眺めながら、そんなことを考える。
彼には会いたい。でも――――
そのとき、ツキツキと頭の中が痛み始めた。
……やっぱりダメ。彼に迷惑はかけられない。
私は枕元に置いてあるスマホを手に取った。メッセージアプリのアイコンをタップし、一番上にある彼とのトーク画面を開く。
『ごめん、熱が出て』
そこまで打って、指を止めた。彼のことだから、これだと心配して家まで来てしまうかもしれない。
私は少し悩んだあと、後ろの四文字を削除する。
『ごめん、急な仕事が入っちゃった。また違う日に予定立てよう? 本当にごめんなさい。』
打ち直した文章を見て、罪悪感が湧き上がる。
嘘を、ついてしまった。
いつもまっすぐ向き合ってくれる、大切な人に。
たった数行の簡素な言葉。ズン、と重くなる頭と心。履歴に残っている昨日までの楽しかったやりとりも、すべて落胆の奥底に沈んでしまう。
……ごめんなさい。本当に。
ズキズキと痛みが増していく。刺すように明るい画面を見ているのも辛くて、湧き続ける罪悪感と悲しみから、私は早々にスマホを元の場所に伏せ置いた。
***
少しうとうとしていたところで、玄関のチャイムが鳴った。ベッドから体を起こし、ドアの向こうにいるであろう彼の姿を思い浮かべる。
『とりあえず、そっち行くから』
薬を飲んだあと、ベッドに戻った時に届いた彼からのメッセージ。急な仕事ではないことが、すでにバレていた。
*
「どうして嘘なんかつくんだ」
「ごめん……心配させたくなくて……」
「逆に心配するだろ。あんなに楽しみだってはしゃいでたお前が、急に仕事が入ったから、なんて」
「ごめんなさい……」
「まったく……」
寝間着のままでいた私の姿を見て、彼の推測が確信に変わったらしい。部屋の奥へ辿り着く前に、すべてを白状させられてしまった。
対策まで抜かりのない彼が、着けてきたマスクの中で小さなため息をつく。
「熱が出たならそう言って。そんなことで怒らないし、迷惑とも思わないから」
ぴしゃりと放たれた彼の声に、私はもう一度ごめんと謝る。久しぶりに会った彼は、泣きたいくらいに綺麗で、凛々しくて、そして、優しかった。
「もういいから。熱は? もう一回計ってみて。咳とくしゃみは出る? 喉の痛みは?」
ここに来る途中で買ってきてくれたのだろう。手に持っていたビニール袋から、冷えピタやスポーツドリンク、ゼリー、アイスなんかを取り出しながら質問を重ねてくる。
「いや、ごめん。忙しないよな。ゆっくりでいいから」
私が口を開けないでいる間にも、彼は冷えピタを一枚箱から取り出し、その残りとアイスを持って冷蔵庫に向かっていく。私は彼に言われたとおり、すぐそばに置いておいた体温計を襟から脇に差し込んだ。
「薬は? 飲んだの?」
「飲んだ」
「ならいいけど」
冷蔵庫の扉を閉め、彼が戻ってくる。そして、ベッドの横に腰を下ろすと、じっと私の目を見つめてきた。
「熱、終わった?」
「ん……37.2。ちょっとだけ下がってる」
「そう。頭痛は?」
「薬飲んだから、今は平気」
「よかった」
ほっとしたような彼の様子に、本当に申し訳ないけれど、少しだけ頬がゆるんでしまう。今のところ、咳もくしゃみも出ていない。それでも念のためにと着けたマスクが、さっそく役に立った。
「なにニヤニヤしてるの」
……前言撤回。まったく役に立っていない。
「そんな、ニヤニヤなんて……」
「嘘。目が笑ってる」
マスクでは隠せないところを指摘され、思わず両手で目を覆う。
「もう、ふざけてないで寝てなよ」
「今は眠くない〜」
彼がいるのに眠るなんてもったいない。熱は出てるけど苦しくないし、むしろすごく楽しくて、夢の中にいるみたいにぽわぽわする。ほんの少しだけ酔いが回ったときの、心が浮いているみたいな、あの感覚。
「またそんなこと言って……熱が下がらなくなっても知らないから」
「……へ?」
突然、首にひやりとしたものが当たった。驚いて手を下ろせば、彼の腕が私に伸びているのが目に入る。
「赤いし、熱い」
私の首筋を撫でる、すべらかな皮膚の感触。冷えピタとは違う、人間の温度がある、心地のよい冷たさ。
広く開いたシャツの襟ぐりから、彼の手がするりと肩のほうへ滑っていく。ふふ、と小さく笑うその声に、違う意味での熱が上がっていくような気がした。
「僕とのデートが楽しみすぎて、熱が出たんじゃないの」
「……そうかも」
しっとりとしたやわらかさを纏った空気に、抗えない体温の上昇を感じ取る。
もしかしたら風邪かもしれない。
だから、あんまり近づかないで。
本当なら、そう言わなければならないのだと思う。
でも、言えない。私にとって、彼は誰よりもそばにいてほしい人だから。
自分に伸びている腕に手を添えながら、いつもより熱を感じる薔薇色の瞳を見つめる。
「わがまま、言っていい?」
「いいよ。聞いてあげる」
肩に置かれた手を取って、自分と彼の指を絡ませる。それから、ひやりと気持ちのよい彼の手の甲を首にあて、いま一番叶えてほしいことを、私は素直に彼に告げた。
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