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強い赤、やさしいあか
「お前、傘はどうした」
「えっと、忘れちゃいまして……あはは」
「夕方から雨足が強くなります」と、朝の天気予報で綺麗なお姉さんが言っていた。
雨はお昼過ぎからポツポツと降り始め、現在はおそらく19時くらい。バケツをひっくり返したように――とまではいかないけれど、それなりに雨量は多い。
頭から濡れた状態でエントランスから入るのはさすがに気が引けて、裏口からお邪魔しようとそちらに回れば、ちょうど来たタイミングが同じだった黒曜さんに驚かれた。
「家を出るときに折り畳み傘を持ったはずなんですけどね……」
「はずってだけで、実際忘れてんじゃ世話ねぇな」
ハンカチで軽く水滴を拭い、私の失敗に笑いながら階段を下りていく黒曜さんのあとに続く。
これじゃフロアには行けないし、皆さんに挨拶したら早めに帰ったほうがいいかなぁ。あ、運営さんに借りられる置き傘がないか聞いてみよう。
この後のことを考えながらお手洗い前の通路を歩いていると、不意に黒曜さんがこちらを振り返る。
「おい、ここで少し待ってろ」
「? はい」
真剣な表情につられて反射的に返事をすれば、彼は私を残してひとりロッカールームへ消えていく。そして程なくして戻ってくると、何でもない顔でさも当然のように言い放った。
「シャワー浴びてけ。ちょうど誰も使ってねぇ」
……ん? シャワー? 私が?
状況的に考えて自分しかいないのだけど、まさかここでシャワーを浴びることになるとは微塵も思っていなかったため、彼の言葉を理解するのに一瞬のズレが生じる。
「あの……タオルとか替えの服とか持ってませんよ?」
「俺のを貸してやる」
「えっ、そんな申し訳」
「あぁ?」
「おっ、お借りします!」
ほぼ強制的にロッカールームへ押し込まれ、タオルと一緒にレッスンのときによく着ている赤いシャツを渡される。
「安心しろ。今日はまだ着てねぇから」
いや、そういう問題では……
「別に素っ裸で出てきてもいいんだぜ」
「着させていただきます」
濡れた服はドライヤーでも使って乾かせ。そう言って、黒曜さんはロッカールームを出ていった。
ぽつんとひとり残されると、静かで人気のないこの空間が、なんだかとても不気味に思えてくる。雨に打たれた身体が、急にぶるりと震えた。
温まったらすぐに出よう。そう決めて、私は急いで冷たいシャワー室の床に足を着けた。
***
十分に身体を温めた後、シャワーを止めて借りたタオルを手に取る。ふわっと爽やかな香りが鼻腔をくすぐり、ずいぶんと和いでいた気持ちがさらにやさしく解れていく気がした。
黒曜さんも、こんな香りするのかな……。
「はっ、私は何を……!」
少女漫画にでもありそうな展開を自ら再現してしまい、慌ててそれを掻き消すように身体を拭う。その勢いのままシャワー室を出て、借りたシャツを頭から被った。
「わかってはいたけど、やっぱり大きいなぁ」
鏡で自分の姿を見ると、ちょっとしたワンピースのようだった。普段はここまで短いのは着ないし、色だって、自分ではなかなか選ぶことはない。それでも、想像していたよりも違和感はないように思えた。
ドライヤーのスイッチを入れ、まずは表面が湿る程度で済んでいた下着類に風をあてる。ブォーッと大きな音が響いて、温かい空気が自分のお腹や足にまで流れてきた。
「これ、ぜんぶ乾かすのにどれくらいかかるんだろ」
あまり長居をするのも申し訳ないからと、服の水分がある程度飛んだところでスイッチを切る。そのとき、ロッカールームに誰かが入ってくる気配がした。一瞬にして全神経がそちらに集中する。
待って、誰?
私、今こんな恰好なのに……。
「終わったか?」
「っ、黒曜さん?」
顔を出したのは私をここに押し込んだ張本人。私の恰好を見るなり、にやりと唇の端をつり上げる。
「お前、赤も似合うじゃねぇか」
「あんまり見ないでください……」
無遠慮に近づいてくる彼に背を向けつつ、見られては困ると、急いで下着類を自分の服で包み込む。大きな影が私のすぐ後ろまで迫り、未知の緊張が私の心臓をバクバクと高鳴らせた。
「頭、まだ濡れてんぞ」
「……え?」
横に置いておいたタオルを手に取り、彼はそのまま私の頭をがしがしと拭いていく。
「ちょ、黒曜さん、雑っ」
「うるせぇ」
視界には、被せられたタオルと乱れ踊る自分の髪。後ろを窺い見ることはできなくて、ただ彼の手が止まるのを待つしかない。数分、いや、実際にはものの数十秒だったと思う。ようやく彼の手が止まり、「あとはドライヤー使え」と後ろの影が離れていく。
「っ、これだけのために入ってきたんですか?」
「なんだよ、他に何か期待してたのか?」
「へ? ……あ、いや、そういう意味じゃなくて」
「期待されてたんなら応えねぇとなァ?」
「だから違いますって!」
再び近づいてきた彼に、今度は真正面から見下ろされる。燃えるような赤い髪と瞳が目前に迫り、私はとっさに彼の胸板を押し返した。
「いっちょまえにビビってんのかよ、バァカ」
ぐっと目をつむって顔を背けていたら、次の瞬間には彼が部屋を出ていくところだった。さっさと着替えろよ。そんな、無愛想な言葉だけを残して。
何だったの? と一瞬だけ呆けてしまったけれど、すぐに我に返った私は素早く自分の服に着替えてロッカールームを後にした。
「あ、やっと出てきた〜。やっほー」
「晶さん」
休憩スペースまで行くと、私服姿の晶さんが「大丈夫? 雨に降られたんだって?」と優しく話しかけてくれる。黒曜さんもそこには居るものの、たばこの煙を吐き出すだけでこちらには一切目を向けない。
「こいつさァ、さっきまでロッカールームの前に陣取ったままぜんぜん動かなくて」
「おい」
「え〜、いいじゃん。誰かが入っていかないように見張ってたんだろ? 番犬かよって」
「……チッ」
「黒曜さん……」
聞かなかったら知り得なかった心遣いに、ぶわっと感謝の気持ちが湧き上がる。
「あの、ありがとうございました。タオルと服も……。洗ってお返ししたいんですけど、持って帰っても大丈夫ですか?」
「いや、それはこれから着るからよこせ。タオルは好きにしろ」
「えっ、黒曜今からそれ着んの? 名前ちゃんが着たやつ?」
「あ? お前も自主練付き合うか? 朝までみっちり扱いてやるよ」
「げぇ……だーれがお前と二人でなんて」
たばこの火を消して立ち上がる黒曜さんの凄味に、晶さんは「忘れモン取りに来ただけだから帰るわ。じゃあね〜」と退散していく。それを見送った私は、改めて黒曜さんのそばに駆け寄った。
「あの、自主練見ていってもいいですか?」
「勝手にしろ。つーか、髪乾かしてねぇだろ」
「あ、忘れてました」
「ほんとバカだな、お前。……風邪引くんじゃねぇぞ」
「え……」
お前が風邪でも引いたら、いちいちうるせぇヤツがたくさんいるからな。そう言って、黒曜さんは自分も着替えてくるとでも言うように、赤いシャツをひらひらさせてロッカールームへ向かった。
「黒曜さんが優しいから、たぶん大丈夫です」
私が呟いた言葉は、おそらく彼には聞こえていないけれど。
どこまでも強さを感じさせる赤を身にまとった彼を追いかけ、私もなぜだか気合いを入れてレッスン場に向かう。
「朝まで頑張るなら付き合いますよ! 私は見てるだけですけど」
「なに言ってんだ。雨が止んだらおとなしく帰れ」
「明日まで降ってるってお天気お姉さんが言ってました」
「ハッ、そうかよ」
その赤は、強くて、やさしくて。
彼を形づくるその色に、私はいつも目を奪われてばかりだ。
「お前、傘はどうした」
「えっと、忘れちゃいまして……あはは」
「夕方から雨足が強くなります」と、朝の天気予報で綺麗なお姉さんが言っていた。
雨はお昼過ぎからポツポツと降り始め、現在はおそらく19時くらい。バケツをひっくり返したように――とまではいかないけれど、それなりに雨量は多い。
頭から濡れた状態でエントランスから入るのはさすがに気が引けて、裏口からお邪魔しようとそちらに回れば、ちょうど来たタイミングが同じだった黒曜さんに驚かれた。
「家を出るときに折り畳み傘を持ったはずなんですけどね……」
「はずってだけで、実際忘れてんじゃ世話ねぇな」
ハンカチで軽く水滴を拭い、私の失敗に笑いながら階段を下りていく黒曜さんのあとに続く。
これじゃフロアには行けないし、皆さんに挨拶したら早めに帰ったほうがいいかなぁ。あ、運営さんに借りられる置き傘がないか聞いてみよう。
この後のことを考えながらお手洗い前の通路を歩いていると、不意に黒曜さんがこちらを振り返る。
「おい、ここで少し待ってろ」
「? はい」
真剣な表情につられて反射的に返事をすれば、彼は私を残してひとりロッカールームへ消えていく。そして程なくして戻ってくると、何でもない顔でさも当然のように言い放った。
「シャワー浴びてけ。ちょうど誰も使ってねぇ」
……ん? シャワー? 私が?
状況的に考えて自分しかいないのだけど、まさかここでシャワーを浴びることになるとは微塵も思っていなかったため、彼の言葉を理解するのに一瞬のズレが生じる。
「あの……タオルとか替えの服とか持ってませんよ?」
「俺のを貸してやる」
「えっ、そんな申し訳」
「あぁ?」
「おっ、お借りします!」
ほぼ強制的にロッカールームへ押し込まれ、タオルと一緒にレッスンのときによく着ている赤いシャツを渡される。
「安心しろ。今日はまだ着てねぇから」
いや、そういう問題では……
「別に素っ裸で出てきてもいいんだぜ」
「着させていただきます」
濡れた服はドライヤーでも使って乾かせ。そう言って、黒曜さんはロッカールームを出ていった。
ぽつんとひとり残されると、静かで人気のないこの空間が、なんだかとても不気味に思えてくる。雨に打たれた身体が、急にぶるりと震えた。
温まったらすぐに出よう。そう決めて、私は急いで冷たいシャワー室の床に足を着けた。
***
十分に身体を温めた後、シャワーを止めて借りたタオルを手に取る。ふわっと爽やかな香りが鼻腔をくすぐり、ずいぶんと和いでいた気持ちがさらにやさしく解れていく気がした。
黒曜さんも、こんな香りするのかな……。
「はっ、私は何を……!」
少女漫画にでもありそうな展開を自ら再現してしまい、慌ててそれを掻き消すように身体を拭う。その勢いのままシャワー室を出て、借りたシャツを頭から被った。
「わかってはいたけど、やっぱり大きいなぁ」
鏡で自分の姿を見ると、ちょっとしたワンピースのようだった。普段はここまで短いのは着ないし、色だって、自分ではなかなか選ぶことはない。それでも、想像していたよりも違和感はないように思えた。
ドライヤーのスイッチを入れ、まずは表面が湿る程度で済んでいた下着類に風をあてる。ブォーッと大きな音が響いて、温かい空気が自分のお腹や足にまで流れてきた。
「これ、ぜんぶ乾かすのにどれくらいかかるんだろ」
あまり長居をするのも申し訳ないからと、服の水分がある程度飛んだところでスイッチを切る。そのとき、ロッカールームに誰かが入ってくる気配がした。一瞬にして全神経がそちらに集中する。
待って、誰?
私、今こんな恰好なのに……。
「終わったか?」
「っ、黒曜さん?」
顔を出したのは私をここに押し込んだ張本人。私の恰好を見るなり、にやりと唇の端をつり上げる。
「お前、赤も似合うじゃねぇか」
「あんまり見ないでください……」
無遠慮に近づいてくる彼に背を向けつつ、見られては困ると、急いで下着類を自分の服で包み込む。大きな影が私のすぐ後ろまで迫り、未知の緊張が私の心臓をバクバクと高鳴らせた。
「頭、まだ濡れてんぞ」
「……え?」
横に置いておいたタオルを手に取り、彼はそのまま私の頭をがしがしと拭いていく。
「ちょ、黒曜さん、雑っ」
「うるせぇ」
視界には、被せられたタオルと乱れ踊る自分の髪。後ろを窺い見ることはできなくて、ただ彼の手が止まるのを待つしかない。数分、いや、実際にはものの数十秒だったと思う。ようやく彼の手が止まり、「あとはドライヤー使え」と後ろの影が離れていく。
「っ、これだけのために入ってきたんですか?」
「なんだよ、他に何か期待してたのか?」
「へ? ……あ、いや、そういう意味じゃなくて」
「期待されてたんなら応えねぇとなァ?」
「だから違いますって!」
再び近づいてきた彼に、今度は真正面から見下ろされる。燃えるような赤い髪と瞳が目前に迫り、私はとっさに彼の胸板を押し返した。
「いっちょまえにビビってんのかよ、バァカ」
ぐっと目をつむって顔を背けていたら、次の瞬間には彼が部屋を出ていくところだった。さっさと着替えろよ。そんな、無愛想な言葉だけを残して。
何だったの? と一瞬だけ呆けてしまったけれど、すぐに我に返った私は素早く自分の服に着替えてロッカールームを後にした。
「あ、やっと出てきた〜。やっほー」
「晶さん」
休憩スペースまで行くと、私服姿の晶さんが「大丈夫? 雨に降られたんだって?」と優しく話しかけてくれる。黒曜さんもそこには居るものの、たばこの煙を吐き出すだけでこちらには一切目を向けない。
「こいつさァ、さっきまでロッカールームの前に陣取ったままぜんぜん動かなくて」
「おい」
「え〜、いいじゃん。誰かが入っていかないように見張ってたんだろ? 番犬かよって」
「……チッ」
「黒曜さん……」
聞かなかったら知り得なかった心遣いに、ぶわっと感謝の気持ちが湧き上がる。
「あの、ありがとうございました。タオルと服も……。洗ってお返ししたいんですけど、持って帰っても大丈夫ですか?」
「いや、それはこれから着るからよこせ。タオルは好きにしろ」
「えっ、黒曜今からそれ着んの? 名前ちゃんが着たやつ?」
「あ? お前も自主練付き合うか? 朝までみっちり扱いてやるよ」
「げぇ……だーれがお前と二人でなんて」
たばこの火を消して立ち上がる黒曜さんの凄味に、晶さんは「忘れモン取りに来ただけだから帰るわ。じゃあね〜」と退散していく。それを見送った私は、改めて黒曜さんのそばに駆け寄った。
「あの、自主練見ていってもいいですか?」
「勝手にしろ。つーか、髪乾かしてねぇだろ」
「あ、忘れてました」
「ほんとバカだな、お前。……風邪引くんじゃねぇぞ」
「え……」
お前が風邪でも引いたら、いちいちうるせぇヤツがたくさんいるからな。そう言って、黒曜さんは自分も着替えてくるとでも言うように、赤いシャツをひらひらさせてロッカールームへ向かった。
「黒曜さんが優しいから、たぶん大丈夫です」
私が呟いた言葉は、おそらく彼には聞こえていないけれど。
どこまでも強さを感じさせる赤を身にまとった彼を追いかけ、私もなぜだか気合いを入れてレッスン場に向かう。
「朝まで頑張るなら付き合いますよ! 私は見てるだけですけど」
「なに言ってんだ。雨が止んだらおとなしく帰れ」
「明日まで降ってるってお天気お姉さんが言ってました」
「ハッ、そうかよ」
その赤は、強くて、やさしくて。
彼を形づくるその色に、私はいつも目を奪われてばかりだ。
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