jujutsu
name change!
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その人柄を知ってから、ずっと避け続けていた。極力接点を持たず、会話を振られれば適当にはぐらかし、自分の印象を薄く薄くしようと心掛けた。それは、ともすれば穏やかなしかとかもしれないとは気付いていた。真希からははっきりと、「感じ悪ィ。」と言われたが、仕方が無いだろう。目の前に蟻地獄が在れば誰だって迂回する。それと同じ事だ。
「おっ。夢野先輩だ。」
「……虎杖くん。」
背中から声を掛けられたものだから、苦虫が口いっぱいに顔を出した。ひっそりと噛み潰して、気の重さを可視化した様な緩慢さで振り返る。
案の定、人当たりの良いにこにことした笑顔が私を焼いた。
「今から外行く感じ? じゃあ俺も――」
「はい。でも、忘れ物をしたので戻ります。」
晴れやかであった目の前の表情が、薄曇りになるのが見て取れた。
自分でも呆れる程に素っ気無い声音だ。この身に取り付けられた声帯はこんな声も出せるのだと、そう知ったのは彼と出会ってからであり、初めて聞いた時は、自らの肉が引き起こした事ながら驚いたものだ。尤も、冬の空風の様に潤みの無い、如何にも事務的な声で応答された彼の方が驚いていたようだが。
声だけでは無い。自分では観測出来ないが、表情だってそうなのだろう。お世辞にも特別に愛想が良いとは言えない私だが、彼と関わる時と他の人間に対する時とでは、余りにも対応に温度差があると自覚している。当たり前だ。自覚してやっているのだから。
無味乾燥としたそれで彼との間に壁を作って、万が一にでも伸ばされそうな手を、「それでは。」と別れの言葉で刺す。忘れ物なんて方便だが、Uターンをして来た道を戻る。
一歩、二歩。自然体を心掛けて、慎重に距離を空けてゆく。三歩、四歩。
「やっぱ、おっかないもんなんだなあ……。」
ぽつん、と。思わず溢れたと言う風だった。
誰に聞かせる心算も無いものなのだろう。注意していたからこそ聞こえた、引き留めるにはささやか過ぎる音だ。だから、この儘遠ざかった所で、何の遺恨も残らない。私は彼に関心を持たれたくないのだから、尚更そうすべきだ。――それでも。
平静に努めているだけで、少し潜った場所には、一抹のさみしさがひそんでいる。鼓膜が、心臓が、そう捕らえてしまった。
踵を返す。一、二、三、四歩。
Uターンから更にUターンをして元の場所に戻って来た私に、彼は見事に面食らったようだ。「先輩?」と私を窺う声は、腫れ物に触るかの様な気遣わしさで出来ていた。続けて何事かを口にしようとする彼を、片手を挙げる事で制する。僅かではあるが、言葉を選ぶ時間をそれで捻出する。
私達以外の人気が無い廊下のど真ん中で、溜息にも似た深呼吸を一つ。
「おそろしいですよ。」
「……うん。だよね。」
「私、世界の真ん中みたいなひとに嫌われるのがおそろしいんです。」
眉を八の字に下げた憂える笑い顔が、俄に疑問で埋め尽くされ、遂には唐突に東大の入試問題でも出されたかの様に眉間に深々と皺を刻んで瞠目した。
「……え? 何? どゆこと?」
「その儘の意味です。」
「えーっと……? 五条先生が誰かを嫌うのとか、想像出来ないんだけど。強者の余裕って言うかさ。」
「今の話の中心は、君です。」
「俺?」
「はい。」
自分を指さして首を傾げる彼に、確りと頷く。
これが彼を拒み続けた、矮小な私らしい、矮小な理由だ。
宿儺の器だとか何だとか、そう言う事よりも、その太陽の様な人柄がとてもこわいのだ。見向きされれば目映さに焼失してしまいそうでこわい。見向きされなければ暗がりの中で枯落してしまうからこわい。私は脆弱だから、その何方に耐えられるとも、耐えられるように強くなれるとも思えなかった。だからこそ、彼に近付かない事を選んだのだ。太陽に近付くと陸な事にならないなんて遥か昔に証明されているのだ、と言い聞かせて。
だのに、彼は臆する事無く私に関わろうとして来る。こんな風に、気さくに。
彼は、自分を毛嫌いしている人間に揚々と近付くような悪趣味な人間では、決してない。無意識なのだろうが、勘が良いと、好きと嫌い、得意と苦手の機微迄わかるものなのだろうか。だとすれば、私自身が見詰めないようにしている、胸の奥底にある、彼に抱いている感情の真理。それをもいの一番に見つけてしまいそうで、またおそろしかった。
――嗚呼、おそろしいばかりだな。
自分が情けなくなる。一刻も早く逃げ出したい気持ちが募り始めた。
「俺、そんな大した人間じゃないよ。それに、嫌いになるような事を先輩からされた覚えがない。」
「親しくなればわかりませんよ。」
「先輩、そんなタイプじゃなくない?」
「さあ。兎に角、私の事はお気になさらず。」
余程の難問なのだろう、彼は腕を組んで項垂れてしまった。我ながら気難しい事だとは思うので、気持ちは理解出来る。だが、これが良い機会である事に変わりは無い。その黙考を利用して、「では、そう言う事なので。」。一方的に話を切り上げようとする。しかし、「ちょい待って!」と敢えなく引き留められた。
「でもさ。そう言われても、俺は夢野先輩の事、好きだよ。」
「…………………………は。」
間の抜けた音が、間の抜けたタイミングで、間抜けにも転び落ちた。
潤みを帯びたこの音階の変化を敏感にも感じ取ってしまったようで、彼は慌てて両の手を振っては弁解を試みようとする。その頬には、此方も染まってしまいかねない程に朱が注がれていた。
「いや、変な意味じゃなくてね!? 折角知り合ったんだから、もっとちゃんと話したいって思うし、もっと先輩の事知りたいと思っ…………いや、ほんと、下心無くね!?」
「そ、そうですか。」
「で。先輩は俺の事、嫌い……ではない……んですかね……? 今もこうして待ってくれた訳だし。」
「――普通、ですね。」
「そっか。良かった。」
一目で安堵したのだとわかる吐息を漏らして、声を掛けて来た時と同じ天気の笑顔をふたたび取り戻す彼。
その顔を見た途端、私も胸を撫で下ろしてしまった。その理由は、きっと、ここがもう、あれ程おそれていた蟻地獄の渦中だからなのだろう。
「――よっし!じゃあ踊ろっか!」
「踊る?」
突然の提案に、今度は私が首を傾げる番だった。
何故そんな展開に導けるのか。顰めた眉で訴えると、彼は何でもない事のように、「そ。」と軽く首肯する。
「訳わからん時には特に踊りたくなるでしょ。」
「その理論がもうよくわからないんですが。」
「……今だけわかってくれる?」
「わかりました。」
気を取り直す為に――或いは照れ隠しだったりするのだろうか。彼は咳払いを為い為い、そろりそろりと手を差し伸べて来た。
そして臆面も無く斯様な事を言うのだ。
「何て言うか、先輩が俺の事を世界の真ん中だって言うんなら、一緒に踊れば二人で世界の中心になるかなって。」
弾みで見詰めてしまった感情が、世界の真ん中みたいなひと、ではなく、君、だったのだと。世界の中心に御座す人間がおそろしいのではなく、私の中心が君になってしまう事こそがおそろしかったのだと、己の誤解を主張する。
選択権なんて、落ちた身にはそもそも用意されていなかったのだろう。どれ程逃れようとも、丸で引力が働いているかの様に逃れられない。
秘していた奥底の扉をたったの一言を以て暴かれて、思う。
厄介なものだ――恋、とは。
内心でそう独り言ちながら、諸々を観念せざるを得なくなった私は、譫言じみた答えを携えた手をよろよろと差し出したのだった。
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