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つうと言えばかあ、とはどうにもいかなかったらしい。俺の言葉はしっかりと耳に届いたとはわかるが、それでそそくさと目が逸らされて、裏庭に飾られた盆栽の鉢にご執心になっちまうってんだから堪ったもんじゃねェ。先頃に買った磯辺団子の盛り付けられた皿の向こうで、今し方までこっちを向いていた夢子の二つの目は頻りにまばたきを繰り返している。目に見える横顔には少しの赤味も差していない。
照れ隠しっつー訳でもねェって事か。完全に間を外した。決まりが悪ィ。静まり返った縁側でがしがしと頭を掻くと、俺から逃れた黒目が戻って来た。華奢な作りの首が僅かに傾けられる。恋仲らしく癖が似てきたな、と、いつだかに囃して来た紺炉の愉快そうな声が蘇った。そしてその恋仲の女は、困惑しているように――ってェよりも実際に困惑しているんだろう顔付きで、俺の出方を窺っている。
「無しにするつもりは毛頭無ェからな。」
「それは、はい、有り難いです、けれども。」
「けれども?」
「突然、どうしたと言うんですか。――もしかして、茉希さん達と話していたの、聞いていたんですか。」
「聞こえて来ちまったモンは仕方が無ェだろ。」
年格好が近い事もあって、夢子は第8の女衆と仲が良い。皇国からお尋ね者とされた第8を匿っている小屋に用事が有ると話したら後を付いて来て、着くなり女衆に迎え入れられると、女四人寄り集まって姦しく話に花を咲かせ始めた。浅草の甘味処や呉服屋の情報交換を経て、誰それが何某に懸想していると色恋の噂話に移り、好感の持てる男の仕草の話題になった時。「普段饒舌な男の人が気持ちを伝えられずに黙ってしまったり、普段無口な男の人が気持ちを伝えようと言葉にしてくれる。そう言う“ぎゃっぷ”に女子はときめいちゃいますよねえ。」――そんなもんか。惚れた女のうっとりと語る様子に意識を向けると、自然と視線も釣られていた。遠慮勝ちに呼び掛けた桜備と、二、三、やり取りを交わして用を済ませ、小屋を後にしたのが少し前の事だ。
八つ時に食おうと、帰りがけに茶屋で買った団子の串を摘まむ。一言一句違わない言葉を重ねて告げてくどい男だと呆れられるのは御免だ。歯を立てた海苔と醤油味の団子を飲み込むついでに、いつも喉の辺りに溜め込んでいるそれを腹に落とす。二度、三度、と団子の分だけ念入りに仕舞い込む。
空になった串を皿の端に置いて、ふと隣を見ると、吹き出すのを我慢しているみてェにむず痒そうなにやけ顔があった。反射的に眉間に力が入る。
「俺ァ可笑しな事を言った覚えはねェぞ。」
「だって、新門さん、その様子だと自分の事を無口だと思っていたんでしょう。可笑しくて、可笑しくて。」
売られた喧嘩は買う。それは殴り合いだけじゃねェ、口喧嘩もだ。ガキの頃から紺炉ともやり合って鍛えられたからには無口な性分っつー事はねェが、口が悪い覚えは十二分にある。だからこそ、夢子を傷つけねェように掛ける言葉をあれこれ選んで、黙っちまう場面があると自覚していた。窮屈だと感じた事は一瞬たりともねェ。幸福だと、穏やかに微笑む夢子の顔を見つめる度に愛しさが募る。もっと大事にしてやりてェと情が膨れ上がる。
――馬鹿のする事に加えて、この際限の無さだ。幾ら隠そうとしてもすぐにバレるのは道理っちゃァ道理か。遂に吹き出した唇が、言う。
「ああ、可笑しい。新門さんはいつだって言葉にしてくれているではありませんか。」
「……してたか。」
「していましたよ。今朝も、好きだ、とお気持ちを伝えてくれました。」
「さっぱり気づかなかった。」
「無意識とは恐れ入りますねえ。」
掛けるや引くの算術どころか駆け引きも苦手と来た。これじゃあ愛想を尽かされても文句は言えねェ、が、愛想を尽かされる事はねェんだろうなと逆上せ上がっちまう。そう言った深い愛情のこめられた眼差しに思えた。
「ね。もう一度、言ってください。」
「――愛してる。」
夢子にとっては馬鹿の一つ覚えの台詞に違いねェ。飽きられねェように歯の浮くような台詞を仕入れるべきか。だが、嬉しい、と落っこちそうな程に弛んだ頬が真っ赤に染まるのを見ると、付け焼き刃に何の意味があんだと開き直れた。
情が伝わった頬に、手を伸ばす。肉刺だらけの掌を避けて、甲で軽く撫でる。心地好いと言ってくれるようにゆっくりと目蓋が閉ざされて、その無防備な姿にまた、腹に落とした筈の言葉が転がり出た。
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