短編小説(2庫目)

「それは違うと思う」

 目の前にいる魔王、が、何を言っているのかわからなかった。

 魔王は悪だ。魔王は人々を困らせる。
 特に何もしていなくとも、存在自体が悪である。
 魔王を消せ、魔王は敵だ、許されざる邪悪を消せ。
 と。
 頭の中の声は叫んで、
 だから俺は勇者になった。

 それなのに。



 小さい頃から、「神」の声が聞こえた。
 常に響くその声は、失敗から俺を守り、間違いから俺を守り、邪悪から俺を守った。
 声の指示に従っていれば、何も失敗することはなかった。
 従うこと「さえ」できれば。

 長じるにつれ、失敗することが増えていった。
 神の声は絶対に正しい。だが、俺の能力が足りない。
 純粋な能力不足のせいで、失敗することが増えた。

 神は俺に罰を与えた。
 孤独、自責、ぐるぐる回る視界にしくしくする心。
 声に応えられぬ俺が悪いのだ、と、そう思って、祈って、祈って。
 失敗する度謝った。
 叱責の声。何が悪かったのか、お前の努力が足りないからだ。反省しろ、反省しろ。努力が足りない。頑張りが足りない。だからお前は許されない。
 神に応えられないお前は存在を許されない。
 祈れ。
 信じよ。
 そして応えよ。

 俺は努力した。
 努力して、努力して、努力した。
 神の声に従って、神の導くやり方で、努力して努力した。
 ある程度はうまくいった。
 ある程度は。



「其は素晴らしい勇者」
「素晴らしき働き」
「神の思し召しのとおり勇者は働く」
「なんと素晴らしいしもべ」
「勇者には幸いがあるだろう」
「素晴らしき勇者」
 褒める声。称える声。
 「勇者」になった。

 俺は。

 勇者に。

 神の声が聞こえる選ばれし者。
 選ばれし者は勇者になれる。
 それがこの世界の決まりだった。

 勇者になった俺は世界を救う旅に出る。
 魔王、という名の邪悪を打ち倒す、長い旅に。

 村中、街中、国中が門出を祝った。
 勇者の旅に幸いあれ、と。



「旅をしているのですね、素晴らしい。あなたに旅の幸運を」

「モンスターに困っているんだ。倒してくれるって? 助かるぜ」

「勇者なのだからこれくらいなんてことないだろう。よこせ、このレア素材を」

 色々な人がいた。色々な人に会った。
 勇者、勇者。
 勇者は孤独。
 勇者は一人。
 戦いを続けて。

「勇者なんてやってるのかい」
 旅の酒場。相席になった吟遊詩人がそう言う。
「え……?」
「君は」
「俺は?」
「ずっと一人で、つらくないのかい」
 吟遊詩人のブラウンの瞳がじ、と見ている。
 ダークブラウンの、深い海。
「俺、は……」
「ふふ……冗談。言ってみただけだよ。……旅、頑張って」
 ぱちり、と瞬き。海が隠れる。
 窓から漏れる夕陽が、俺を射す。
「……ああ……」
 俺は。
 しらじらとした感覚が胸をよぎる、
 俺は、
 どうして旅をしているのだろう。



 神の声は、少しずつ聞こえなくなっていった。
 啓示もない。指示もない。
 ただ一つ、俺が失敗したときにだけ、頭の中で鳴り響く。
 其は罪。
 其は邪悪。
 罰を受けよ、在り方を正せ。
 お前の其は間違っている。
 と。

 自責した。反省した。どうして俺はうまくやれないのだろう。
 何度も考えた。考えて考えて考えた。
 それでも答えは出てくれない。
 時折出てきては襲ってくるモンスターと戦って、戦って、うまく戦えなくて傷ついて。
 神は責める。
 失敗作、と。

 どうしてうまくやれないのだろう。


 ……■が呼ぶ。




 わからない。
 わからなくなっていた。
 どうして旅をしているのか。
 どうして失敗するのか。
 どうしてうまくやれないのか。
 どうして■■■いるのか。
 どうしてずっと、一人なのか。
 考えた、考えた、わからない。何もわからない。
 もう何も。何一つ。

 魔王さえ倒してしまえば。
 この、目の前の魔王城にいる、魔王。
 邪悪の根源。
 世界の悪。
 それさえ倒してしまえば、平和は戻る。
 何もかも「わかる」ようになって、神もきっと喜ぶ。褒めてくださる……俺は。

 失敗作なんかじゃない。

 ……呼ぶ。
 海が、呼んでいる。




「やあ、来たね……待っていたよ」
「……魔王……」
 俺は憎しみを込めた目でそれを見る。
 魔王。
 邪悪なるもの。
 闇。
「久しぶりの再会だけど、どうしたの……随分つらそうだ」
「……何を言っている。惑わしなら効かんぞ、俺は勇者だ」
「ふふ。知ってるよ。……覚えてない? 旅の酒場で……」
「酒場……?」
 俺は思い返す。
 酒場。
 酒場。
 いくつもの記憶。
 通り過ぎた人々。
 おかしい。
 覚えていない。
 何も見えない。
「まやかしか」
「違うよぉ。……この姿、ならわかるかな?」
 魔王がくるり、と回転する。
 竪琴。ひらりとしたローブ。耳飾り。
 それは吟遊詩人、と呼ばれるものの出で立ちで。
 俺は顔を上げる。
 ダークブラウンの瞳。深い海。
「あのときの……吟遊詩人……」
「やっと気付いてくれたか~。勇者くん鈍すぎるよぉ」
「一度会っただけの者をすぐ思い出せると思う方がおかしいだろう」
 嘘だった。
 ダークブラウンの海はずっと俺の中にあり、苦しむ俺を、悲しむ俺を、泣いている俺を、見ていた。
 見ていたのだ。
 こいつは。
 ずっと。
「どうして助けてくれなかった」
 気付くと口から出ていた。
 あれ?
 おかしいな。
 助ける?
 「何」から?
「呼んでいたよ、でも、君自身が気付かなければ助けられなかったからね」
「……俺は、お前を、」
「倒すかい?」
「神の言葉は絶対だ、神の存在も絶対だ、背いてしまったら俺は、裁きを、罰を受けて、失敗作だと――」
「それは違うと思う」
「……?」
「違うと思うよ」
「何が……違うんだ」
「まず君は失敗作なんかじゃない。そして。……神の言葉は絶対? 神の存在も絶対? ちゃんちゃらおかしいね」
「なんだと!?」
「神の言葉。最初はよかったかもしれない。子供のころは何もわからないものさ。けれど君……途中から、つらくなっていたんじゃないかい? 苦しくなっていたんじゃないかい? 神の言葉を……疑っていたんじゃないかい?」
「そんな、ことは……許されない」
「許されない、最初は確かに『そう』だったんだろう。神には力があった。だけど今……神は。神には。もう力なんてないんだよ」
「な……嘘だ。魔王の惑わしだ」
「嘘だと思う? ……耳を澄まして。神の声は聞こえるかい?」
「……、」
 耳を、済ます。
 神は何も言わない。
 応えない。
 聞こえない。
 何も、
 何も。
「……神のしたことはひどいことだ。君を言いなりにして、無理なことを言いつけ、孤独を作り、打ちのめしに打ちのめして、放棄した」
「……」
「本当にひどいと思うよ。無責任、だとも。……けれど君はもう……自由なんだ。神の時代は終わった。……終わったんだよ」
「……終わっ、た」
 俺はオウム返しのように繰り返す。
 終わった。
 終わった……
「君は君自身の人生を歩んでいいんだ。勇者、はやめられないかもしれないけど、僕……魔王と。魔王は勇者と対になるもの。君がいるから僕もいる」
「待ってくれ、お前、と……?」
「もちろん僕とだよ。僕は君を待っていた、ずっと待っていたんだから」
「だが……」
「知ってるかい、世界の美しさを。神に見放されたこの世界には確かに闇がある。だけど反面、いいところだってある。……人間って面白いよ、ずっと人間を見てきた僕が言うんだから間違いない」
「は、そんな……馬鹿らしい」
「まあまあそう言わずに。まずはお友達から始めましょう、って言うじゃないか」
「馬鹿らしい……馬鹿らしいが……でも、」
 俺は俯く。
 魔王の言うことを。
 それを。
 信じてしまう俺は、もう。
 神のしもべではないのだ、と。
 わかってしまった。
「腹は立つが……特に行くとこもないし、付き合ってやってもいい……」
「え、ほんと?」
「俺は嘘はつかない」
「自分の気持ちに嘘ついてたのに?」
「お前それはお前……ないだろ」
「あっはっは。冗談だよぉ。……でも、これから楽しくなりそうだねぇ」
「どうかな」
「君と一緒にやってくんだぞ? 楽しくならないわけがない」
「……なんかそう言われるとそんな気がしなくもない……のが腹立つ」
「素直じゃないねえ……僕は君と一緒ならなんでもできる気がしているのに」
「……」
 癪だな、と思う。
 俺もなんだかこいつと一緒ならなんでもできるような気がしてしまっていたからだ。
 馬鹿なのか?
 本当に、馬鹿なのか?
「……絆されんぞ、お前は魔王だ」
「そして君は勇者。最高のコンビじゃないか、いやあ楽しみだねえ。僕は君が大好きだよ」
「は……!?」
「あ、照れてる?」
「照れてない! 急だったからびっくりしただけだ!」
「はっはっは」

 光の勇者は旅をした。
 闇の魔王がそれを見て。
 出会って、そして。


 光でも闇でもない、夜明けに、
 旅はまた、始まる。




(おわり)
117/123ページ
    スキ