雪と世界と「もの」と俺と

「――はどこに行ったんですか?」
「――って何だ」
「雪ですよ」
「雪?」
 俺は顔を上げる。雪なんてどこにもない。この急な冷え込みでずいぶん降った地方もあるらしいが、俺が今いるところは降っていない、はず。
「雪があるはずなんです、ここに」
「ここに、ねえ……」
「あると聞いて来たんです」
「うーん……勘違いじゃないのか?」
「ラジオでやっていたのです。だからあるはずなのですが……」
「いやあ……雪は降ってないよ。残念だけど、ないんじゃないかな……」
「そうですか……」
 旅人だか通行人だかよくわからない人はそう言うと去って行った。
「……」
 ここに雪が降るはずはない。降ったらニュースになるはずだ。通行人はラジオで聞いたと行ったけど……ここに雪が降ったって? 本当に? 誤報じゃないのか?
 だが、降った、というニュースを誤報するなんてことがあるか?
 人生色々なことがあるんだから誤報に出くわすこともあるだろう、だがこの誤報は……
「……あれ?」
 この世界に俺以外の人なんていたっけか?
 そもそも。
「あれ……」
 雪がある。
「……」
 見渡す限り灰色の雪原、さっきの人はどこにもいない。
 一人だ。
 また。
 何が起きたって、これが俺の普通じゃないか。
 では俺の普通、ではない「普通」の世界に生きていた、と思った俺の認識も、旅人がいた、という認識も、全て幻だったのだろうか。
「まやかし……」
 いや、この世界に蝶はいないはずだ。そもそもこの世界に俺以外の生物はいない、はず。
 それじゃあさっきのは何だったのだろうか。
 雪がなくなったら全てのものが明るみに出てしまう。そんな世界が正常に機能するはずもない。それならあれは幻か、夢、蝶によらぬまやかしだったのだろう。
 まやかしに未練などない。まやかしはまやかし。仮に雪がない世界に憧れようがそれが真実になるわけではない。よって憧れは無駄……俺は春に憧れていたのではなかったのか?
 それはいつのことだったろうか。
 思い出すのはよくない気がする。
 春の中でなんて生きていけるわけがない。春はぼんやり。ないものと思った方がいいに決まっている。
 いつの間にか、手にスコップを持っていた。これで俺は何をするつもりだったのか、発掘をするつもりだったのか、いずれにせよ危険なのでしまっておこう。
 ぼんやり、スコップがぼやけてゆき、雪がそれを隠す。
 今夜はおそらく冷えるだろう。
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