『青服の日常』より

 普通の人間は生を許されない。
 普通でない者も存在を許されない。
 俺は普通の人間だ。辛い過去も不幸な境遇も持たぬ、ウィリアム・スミス/アンノウン。どこにでもあるような一般的な人生を送ってきた。
『どうしてこんなミスをしたの?』
『上には上がいる』
『君は天才ではないからな』
『どうしてできないの?』
『どうして?』
『俺は』
 俺はどこにでもいる普通の人間だ。
 普通の人間でしかない。
 故に誰にも振り向かれず、見られず、軽んじられ、見過ごされ。
 そこには何の感情もない。思いもない。興味もない。
 天才でなければ意味がない。頭がよくないと意味がない。世の中の役に立てなければ意味がない。
 生きて、働いて、税金を払って。それがこの国の最低限の「普通」。どちらかと言えば上の方の「普通」。
 普通の人は社会を支えるだけ。そこに在るだけ。
 役には立てない。変えられない。それは無力で、空虚で、社会をどうにかしたいなんて思っちゃいないけれど、社会を変えられればこの空虚もいくらかはマシになるのかなんて思ったり思わなかったりして。
 そんな感覚を回しながら仕事をしている。
 殺して、守って、手伝って……感謝される。陰の職業ながら福利厚生も制度も手当もきちんと整った、ありがたい仕事。
 殺した手で守る。殺した手で手伝う。凡人の精神ではついていけないギャップであるが、どうしてかなんとかやっていけている。
 同僚たちの中には天才がいたり秀才がいたり能力が突出して秀でている者がいたり、それはあぶれ者になる才能であるが、生を許される才能でもある。
 どんなに社会不適合者でも、社会の役に立つ能力を持っていれば生を許される。
 それなら俺は?
 普通の俺は?
 俺には「普通」しかない。才能もない。何もかも平均的、一般人のアンノウン。
 何の役にも立たない、ただ生きて、働いているだけのアンノウン。
 医者によると「俺の性質」らしい果て無き億劫さも人生への辟易も、クソの役にも立ちはしない。
『――くんは変わった子ね』
 違う。
『――くんって面白いね』
 違う。
「お前はアンノウン」
 その通り。俺は普通の人間だ。そういう名前を持っている。
 社会に馴染んでいる。存在を許されている。そのはず。
 そのはず。
 ぐるぐると思考の回転が止まらない。だけどみんなこんなもの。みんな眠れない。薬は不要。配慮も無駄。普通の人間にそんなものは必要ない。必要であるはずがない。
 精神が普通じゃなくても、普通が何かをわかって真似ることさえできれば普通になれる。外から見て普通であればそいつはきっと一般人。いくら無理をしていようが同じだ。
 対して俺は全てが普通であるから。正常であるから。哀れみ配慮を飛ばす立場であるから。それでいて、誰からも見向きされない空気であるから。
『それ、本当に普通なんスか?』
 わからない。わからなかった。だからこうして思考を回している。
 だがそれだって普通の範疇に入るはず。
 才能がない。天才でもない。それなら俺は普通なのだ。
 そんな俺を見てくれるあいつらは? 空気に目を向けたって見えるのは向こう側だけなのに。
 覚えている価値がある普通、「天才」であるドクターはそう言った。それは救いであるのかもしれないし、「向こう側」からの有罪判決であるのかもしれないし、それだってわからない。
 当然だ。普通の人間に真理などわかるはずがない。真理を知るのは愚者と天才のみだと昔から相場が決まっている。
 わからないのに思考を回す。変えられないのに思考を回す。
 ぐるぐるぐるぐる。
 それが普通。
 平凡な夜が今日も更けて、明日もきっと眠いまま。
 今回はたぶん、そんな話。
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