長編『亀のゾンビサバイバルログ』(全26話番外編3話、完結済)

 スーパーを目指して、朝の日差しの中を歩く。
 今朝は涼しいが、昨日の日中は少し日差しが強く感じた。引きこもっている間に季節感が狂っていたが、今はおそらく残暑の時期だろう。
 昨日、少女の家で夜に聴いたコオロギの声から、秋が近いことはわかっていた。
 秋の後は当然、冬だ。
 僕は現在厚めのジャージを着ているが、これで冬を越すのは無理だろう。
 スーパーの中に古着屋さんがあったはずだから、何か拝借していこう。
 歩きながら、今向かっているスーパーに週一で通っていた時期があったことを思い出す。
 大型スーパーだったため、近場の小さい商店よりも食べ物の値段が安かった。しかし、スーパーまで片道一時間以上かかるというハードルを苦痛に感じて次第に足が遠いていき、最終的に買い出しは近くの商店に落ち着いた。
 その後はそのスーパーに行くこともなく、引きこもり期間を挟んで今に至る。
 ずいぶん長いこと行っていないな。大きく変わっていなければいいのだが。まあ数年前に改装されたばかりだし、そんなすぐに再改装なんかはしていないだろう。

 果たしてスーパーは変わっていなかった。
 割れた自動ドアの手前まで来てから、意識することなくいつものように正面入口から入ろうとしていた自分に気付く。
 習慣というのは抜けないものなんだな。そう思いながらガラスの隙間から中を覗くと、床に散らばった商品や倒れている棚の向こうで動いている人影が見えた。
 物陰に隠れてよくわからなかったが、人影の背中と思しきところには甲羅が見えなかったので、亀ではなさそうだ。おそらく、人間かゾンビだろう。
 ゾンビに出会いたくないのはもちろん、こんなところにいる人間にもあまり出会いたくないので、別の入口を探すことにした。
 ぐるっと横に回ってみる。ATMコーナーの前だ。そこのガラスが割れていた。
 これはちょうどいい。ATMコーナーの隣が古着屋さんだった記憶があるので、すぐ入ってすぐに出て来れそうだ。
 少し明るい気分で中に入って、ぎょっとした。
 ATMがめちゃめちゃに叩き壊されていたのだ。バットで殴打したような跡と、そこにほぼ重なるように残った焦げ跡。ATMを破壊できるのだから余程すごいバットなのは予測できるが、なぜ焦げているのだろう。
 そういえば、入口の割れたガラスにも熱で溶けたような跡があった。建物が火事にあったようには見えないし、なんだか不気味だ。
 さっさと服を拝借して出よう。そう思いながら古着屋に足を踏み入れた。

 古着屋の荒れ具合は本屋よりはましだった。破られて床に落ちている服もあるが、きれいな状態のままハンガーにかかっている服もある。
 スーパーの奥には携帯食料売り場があるから、みんなそこに集中したのかな。正面入口から見たときの売り場の惨状を思い出しながら、僕は推測した。
 店には冬服がまだ並んでいた。
 街にゾンビが現れたのは半年前、半年前といえばまだ冬だ。冬服が残っていてもおかしくはないだろう。
 僕はそこから緑のダウンと緑のゴアーテックス――アウトドア用雨がっぱのようなものである――を拝借した。これで寒くても雨が降っても大丈夫だ。
 ついでに、これから足場の悪いところがあるかもしれないと思って靴コーナーも見に行った。

 靴コーナーも、ある程度靴が無事に残っていた。無事な靴の中には、なんとアシセブンの運動靴があった。
 アシセブンといえば、履きやすいことで有名な靴メーカーだ。僕も中学時代走り込みをするときに履いていた。
 靴底には明朝体で『安全靴』と書いてある。安全靴? どう見ても運動靴だけど。不思議に思ったが、動きやすくて安全という理由からのネーミングかもしれないと思い、気にしないことにした。
 しかしアシセブンの運動靴があるとはラッキーだ。何せ僕の靴はイロハマートで買った、底の薄い安物だ。これから先のことを考えてここでいい靴を入手しておくのは悪くない。
 うきうきしながら靴を履き替える。アシセブンの靴は予想通り僕の足によく馴染んだ。
 荷物になるから古い靴はここに置いていくか。
 靴ひもをしっかり結んで顔を上げたら、ぼろぼろの服を着た何者かが目の前にいた。その何者かは両手で振りかぶった棒のような物を僕に向かって振り下ろそうとしていた。
 とっさに横に転がった僕の目の前で、古い靴が炎を上げながら潰れた。床にめりこんだ凶器は、金属バット。よく見ると、へこんだ床が熱で溶けている。バットにはこう書かれていた。
『バット(炎)』
 安易な名前だな! そう思いながら立ち上がろうとしたら、足がもつれた。相手の足に向かって倒れ込む僕。頭突きをくらった形になって倒れる相手。僕は急いで立ち上がったが、へこんだ床に足をとられてバランスを崩し、相手の上にかなりの勢いで甲羅から倒れ込んでしまった。
 嫌な感触がした。
 おそるおそる上半身を起こすと、相手――表出している皮膚の腐敗の程度からおそらくゾンビだろう――の身体が、甲羅の当たったと思しき部分、頭と胸だけ消えていた。
 どういうことだろう? 僕は自分の目をこすってみたが、確かにそこだけきれいに消失している。
 もし甲羅についていたりしたら嫌だなと思って手で確かめてみたが、触った限りは何の異常もない。
 さらなる状況確認のために立ち上がろうとしたら、右足首に鈍い痛みが走った。
 捻挫でもしたのだろうか。
 足首をかばいながらゆっくり立って、ゾンビの身体に向き直る。
 動かなくなっても、ゾンビはバット(炎)をしっかりと握っていた。ひょっとすると生前はこのバットに愛着があったのかもしれない。
 そのまま見続けていると、ゾンビの身体は空気に溶けるように消えていった。握っていたバット(炎)も一緒に。
 ちょっとだけかわいそうな気分になった。暗い目の男が言っていた、「倒されたゾンビが消えたり」ってこういうことか。
 ただ、これ以上ここにいるとまた別のゾンビが襲ってきそうで怖いので外に出よう。
 おそるおそる歩き出すと、足首の痛みがすっかり消えていることに気付いた。そんなに早く治るものなのか?
 まあ一次的に痛くなっていただけかもしれないし、気にするほどのことでもないか。

 ATMコーナーを通って外に出ると、軽い虚脱感に襲われた。何かが自分の中から抜け落ちたような感覚。
 きっと疲れてしまったのだろう。今日はゆっくり歩こう。引きこもっていた期間、運動していなかったので、体力がなくなっているはずだ。
 昨日今日はそこまで疲れを感じなかったが、これから長距離を歩くわけだから、ペース配分には気を付けないと。
 高くなった日を見上げて、よし、と僕は言った。

 北の山の麓まで、あと50km。
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