長編『亀のゾンビサバイバルログ』(全26話番外編3話、完結済)

 日が沈む。
 今日はよく歩いたな。雑草が生え放題の田んぼの脇で、携帯食料をかじりながら夕陽を眺める。
 世界の終わりかと思うような真っ赤な夕焼け。実際この地域は世界が終わっているような感じなんだろうな。外の様子はわからないけれど。
 田んぼの向こう、遠くの方に、住宅街が見える。僕が迂回してきたあの街の端っこだ。住宅街の手前には農家の倉庫が立っていて、そこからこっちはずっと田んぼだ。
 秋の虫の声が聴こえる。昼間も何か別の虫が鳴いていたよな。田んぼ周辺は一日中何かしらの音がするな。でも、ゾンビのうめき声とかはしなくてよかった。
 今朝甲羅でやっつけた個体以降、ゾンビには出遭っていない。荒れた田舎道をゆっくり進んできただけだ。
 そういえば、休憩はちょくちょく挟んだものの昼から歩き通しだったのに、そんなに疲れてないな。
 引きこもりは体力がなくなると聞いたことがあるが、歩いていてちょっと息が切れてもそのうち何か収まるし、実感は今のところない。中学の頃に運動部で鍛えた体力が残っていたんだろうか。
 ただ、同じペースで歩いているはずなのに息が切れたり切れなかったりしてなんだか安定しないんだよな。歩き方に問題があるんだろうか。
 考えている間に、夕陽は地平線に残光を残すのみとなっていた。
 真っ暗になる前に、寝る準備をしよう。
 僕は背中の甲羅に手探りで包装紙をしまい、ダウンを出して被り、草むらに横向きに寝転がった。
 夜が来る。僕はゆっくり目を閉じた。

◆◆◆

『この24ページの演習問題、どうやって解いた?』
『……』
『あれ? 聴こえてる?』
 友人はこちらを向いたが、黙って何も答えてくれない。
『どうして黙ってるの?』
『……』
『何か悪いことをしたなら謝るから、教えてほしい』
『……』
 おかしいな。僕は隣の席の友人にも声をかけることにした。
『A君が怒ってる理由ってわかる?』
『……』
『どうして誰も喋ってくれないんだ?』
『……』
 無視されるのはきっとどこか僕に悪いところがあるからだ。直さなければいけない。この世の中には守らないといけないルールがたくさんある。たとえば、
 みんなが退屈そうなとき、楽しそうにしてはいけない。みんなが楽しそうなとき、一緒に楽しんではいけない。仲良くない人の前で、笑ってはいけない。みんなが嫌いなものを好きでいてはいけない。みんなが嫌いなものを好きでいてはいけない。少し仲良くしただけで友達だと思ってはいけない。僕の声は人を不快にさせるので、声を潜めて喋らなければいけない。
 まだまだある。こんなものでは到底足りない。全部見つけ出して、頑張って直していかないと。
 僕はこれまで周囲に甘えて生きてきた。努力だって常に足りない。もっと頑張らなくてはいけないんだ。みんなと仲良くできないのは努力が足りないせいなんだ。頑張っていればいつかはきっと仲間に入れてもらえるはずなんだ。
 だって、僕もみんなも同じ○○だから。

◆◆◆

 がばりと身を起こす。
 全身が汗と朝露でじっとりしている。夢を見ていたらしい。
 朝の冷たい空気がぬれた身体を冷やして寒かった。
 ダウンを身体の上から巻き付け直し、ぼんやり遠くを眺める。農家の倉庫が朝もやに煙っている。
 嫌な夢だった、と思う。内容はもう覚えていないが、何かを押し込めたような感情だけが胸に残っている。
 とりあえず、朝ご飯を食べよう。
 甲羅から携帯食料を取り出し、包装紙を開けてもそもそとかじった。携帯食料と一緒に心のもやもやを 飲み下そうとするが、もやもやは胸の奥にわだかまったままなくなってくれない。
 朝の分の携帯食料を食べ終えてしまっても、もやもやは滞留していた。
「よいしょ」
 気分を変えようと、掛け声をかけながら立ち上がる。
 今日もたくさん歩かなければいけない。気が向かないが、先に進もう。僕は土手から道路に戻って歩き出した。

 なんとなく重い気分のまま歩いているうちに、橋へと差し掛かった。
 中ほどまで来てぼうっと川を眺めていると、突然後ろからクラクションが聞こえた。
 このご時世にまともに動く車だって? 驚いて振り返ると、ごつめの黒い4WDが目の前でゆっくり停まるところだった。
 すごい、壊れていない無事な車だ。じっと観察していると、車の窓が開き、サングラスをかけた女の人が顔を出した。

「あなた、生存者?」
 そう言って女性はサングラスを上にやった。
「ええ。一昨日旅を始めたばかりです」
 僕は答える。
「一昨日? それはまた最近ね。どこまで行くの?」
「北の山の麓まで」
「もしかして、避難民の村かしら?」
「そうです。あなたは?」
 見た感じ、大学で出会ったあの男のような暗い目ではない。意志を秘めた強い目だ。この状況にあっても諦めていないということだろうか。そして、動く車に乗っているということは、遠くのまだ無事な街とかから来たのだろうか。
「私は記者よ。外から来たの」
「えっ!」
 外から来たとは思わなかった。
「この地域は封鎖されていると聞いたのですが……」
「世の中コネとカネよ。あなたみたいな若い子は嫌がるでしょうけどね」
「いえ……」
 僕もコネとお金さえあればこの地域から脱出できるのだろうか、なんて思いかけたが、無駄な考えは追いやる。
「ところで」
 女性が髪をかき上げる。
「実は私も北の避難民の村に向かっているのよ。旅は道連れ、もしよければ乗ってかない?」
「いいんですか?」
「もちろん。その代わり、あなたの話を聞かせてね」
「ああ、まあ、それくらいなら……」
「決まったわね。助手席でいい?」
「はい」
「この車自動じゃないから、ドアの開閉は自分でね」
 はい、と言いながら、車の後ろから回りこんで助手席のドアを開ける。
「ああごめん、荷物置いてたわね。今どけるから」
 座席にあった大きめのザックを後部座席に置く女性……記者さん。
「はい、乗って」
 4WDは車高が高いので足をある程度の高さまで上げないと乗りにくい。運動不足で身体が硬くなっている僕には少し厳しい乗車であった。
「よい……しょ」
 中に入ってドアを閉める。前を向こうとして、なんだかすごく座り心地が悪い気がした。
「あなた、亀ね。この車は人に合わせて作られてるから、つらいかもしれないけど、リュックを外してもらうしかないわね」
「リュック?」
「甲羅のことよ」
 ああ、甲羅か。それが邪魔になっていたから安定が悪かったんだ。
 僕は甲羅を外そうとした。が、身体にぴったりフィットしており、なかなか外れない。
 そういえば、一昨日からずっとつけたままだな。ダウンやゴアーテックスをしまうときも、携帯食料を取り出すときも、なんとなく下ろしていなかった。
 僕が苦戦していると、
「あなた、ひょっとして甲羅を外したことがないの? ひょっとして、なりたて?」
 記者さんがこちらに身を乗り出して訊いた。
「いえ……甲羅を得たのは一昨日です」
 僕は生まれたときから亀なので、なった、という表現は適切ではない。
「ああ、そういう表現をするんだったわね。……亀の甲羅型リュックは外すことを強く意識しないと外れないらしいわよ」
「甲羅を外す、甲羅を外す……」
 イメージすればいいのかな? 僕は自分が甲羅を外した姿を想像してみた。
「う……」
 強烈な違和感。めまいのような感覚と共に甲羅がすとんと外れた。頭がくらくらして、僕は眉間にしわを寄せた。
「大丈夫?」
「だいじょ……いや、駄目です」
 激しい不安が僕を駆り立てていた。普段当然繋がっているべきものとのリンクが切れたような感覚。自分は現在普通の状態ではない、異常事態であるという感覚をとても強く感じる。
「なんか……違和感がすごいです。甲羅、って外したらこんなしんどいんですね……」
「つらいらしいとは聞いていたけど、つらさの正体は違和感だったのね。なるほど……ボイスレコーダー入れてもいいわよね?」
「えっ、それはちょっと」
「まあそう言わず。こちらで会った全ての人の記録を残すのが私の仕事だから」
「そうなんですか……?」
「そうよ。私は記事を書いているのだけれど、検閲で記事がダメでも、せめて私の手元に記録を残しておきたいの。多くの記録を残せば、いつか誰かに……例えば子孫とかに、見てもらえるかもしれないでしょう?」
 記者さんはそう言いながらシートベルトをしめた。
「あなたもシートベルトをして。甲羅は膝の上に置いて手で持つといいわ」
「はい」
 言われたとおりにして、シートベルトをしめる。
 車は静かに発進した。
「リュックを見てもしやと思ったけど、本当に亀だったのね」
「ええ……」
「若い子の間で流行ってるわよね、甲羅型リュック。私も昔、背負ってみたことがあるけど、身体に合わなかったわ」
「へえ、そんなことが」
 横目で窓を見ると、歩いているときとは比較にならない速度で景色が流れ去っている。
「速いですね……」
 思わずそう呟く。
「いいでしょ、この車。電気だから音も静かだし」
「電気自動車もすっかり一般的になりましたね」
「あれ、あなたの頃ってガソリン車とかハイブリッド車とかまだあった?」
「ガソリンは話に聞くくらいですけど、ハイブリッドはぎりぎり乗ったことあります。両親が買い替えないと買い替えないとっていつも言ってました」
 記者さんはあはは、と笑った。
「課税されるようになってたからね。ガソリン車やハイブリッド車に乗り続けてたらどんどんお金が飛んでいく……」
「それでみんな電気に乗り換えたんですね」
「ええ。それでも乗り換えなかった人は最終的に車を接収された、なんて話もあるわね」
「そうだったんですか……」
「もちろん、政府の方もいくらかお金は払ったみたいよ」
「環境には優しくしなければいけませんからね。亀だってそう思います」
「そういう考え方もあるわね。……気は紛れた?」
「え? ああ……」
 甲羅のことか。
「まだ少し違和感はありますが、なんか……手で繋がってるような感じでましになってきました」
「そうでしょうね」
 両手がじんわり温かくなっている。
「あの……記者さん」
「何?」
「記者さんはなんというか……亀にお詳しいような印象を受けるのですが、それは……?」
「ああ、上司が亀なのよ」
「え、上司さんが」
「そうそう。甲羅型リュックが流行り始めた頃にね、亀特集を組むことになって。取材班全員がリュックを購入して背負ってみたんだけど、『甲羅を得た』のはその上司だけだったの」
「甲羅を得られないことってあるんですね……」
「ええ。得られる人と得られない人がいるそうよ。ただ、なぜ甲羅を得られたのかその上司に聞いてみても『俺が亀だったからだ』の一点張りで、特集記事も上司が嫌がったのと、もっと上からの圧力で潰されちゃったけどね」
「ふうん……」
 上からの圧力はともかく、亀本人が嫌がったのなら仕方がないとは思ったが、言わなかった。
「さ、落ち着いたんだったら今度こそあなたの話を聴かせてよ。『甲羅を得る』前の話とか」
「いやそれはちょっと……」
「じゃあ『甲羅を得た』後の話でもいいわ。三日間だけとはいえ、旅をしてきたんでしょう? その話を聴かせて」
「いいですよ」
 僕は思い出しながら短い旅の話をした。久々に外に出たら世界が荒廃していたこと、旅に出ようと決めたこと、暗い目をした男との出会い、地図を探したこと、亀の少女との出会い、スーパーでゾンビと戦ったこと。記者さんは目を輝かせてそれを聴いていた。
 全て話し終わる頃、車は村に着いていた。
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