短編小説

 雪が降る夜は静寂だ。
 手足が凍り付くような寒さの中、静かに降り積もってゆく。
 灯油を買いに行けなくて凍り付いた室内で、せめてもの抵抗で布団を被って、それでも寒くて震えている。
 いつもなら賑やかな学生アパートも今日は皆出払い、しんとした孤独の中、街灯の光だけが差し込んでいる。
 今日は何かの式典の日だったらしい。
 何の式典かは言うまでもない。1月13日。「大人」の仲間入りを祝う式典。連れだって出かけるという友人たちに、帰省をするという友人たちに、遠くの故郷を思った。
 案内の郵便は実家に届いたらしい。
 実家は彼方、次の日は講義もある。せめて翌日も休みであればチケットくらいは取る気になったかもしれないが、故郷への旅路はほぼ一日。それに耐える気力も体力も僕には残されていなかった。
 何のせいでこんなに疲れているのかはわからない。ただ毎日が、精神が、削られてゆく。
 朦朧としていく自我に対し、寒さだけがはっきりしていた。
 こうやって一人、手足も身体も浸食されながら震えているこのとき、それが一番自分を感じられるときなのかもしれないなんて、そんなの全然救われないが、それこそが「正気」なのかもしれない。
 そうじゃない可能性のことを考えたって、普段の僕はぼんやりしていて。講義室なんかで暖房が入るとますますぼんやりしてしまって、足先だけが氷のようで、温度差が感覚の処理容量を超えるからろくに何も考えられなくて、自分が生きてるのかどうかさえわからない。
 生きている実感を持つのは、怖い。
 「正気」に返るとき。
 己が個だと認識したときはいつも、どうして生きているのだろうと思う。数々の罪を犯してきた。罪に問われぬ罪、呼吸をしているという罪。
 未来に待つは確実な死。
 失われる瞬間のことを思う。無になることへの恐怖を思う。そんなとき、のっぺりとした無力感が襲う。
 一人でいると個を思うことが多い。買い出しに行くなんてことない道中、講義室を移動している晴れた日の道中、帰宅の途につく曇りの日の道中、ふと個であると気付く。
 気付いてしまう。
 常にぼんやりしていられたらそんなことには気付かなくて良いのかもしれない。
 でも、やってくるのだ。ふと、正気に返る瞬間が。
 幻想から醒めるということは、果ての無い残酷だ。一度醒めてしまったら最後、再び幻想に返れても「正気」への恐怖は残っていて。
 恐れて、怯えて、警戒して、「現実」に馴染めなくなる。
 正気、いつからそれを味わっていたのかは思い出せない。物心ついたときから時折襲う「正気」。個であるという実感、感覚。孤独。
 現実。絶望と憂鬱に一人で立ち向かうことの困難さ。それだって幻想なのかもしれない。けれど他者に甘える勇気もなくて、今日も布団を被っている。
 きっと今頃式典は二次会だ。スマートフォンがちかちかと光っている。
 現実に返らなくてはならない。「幻想」に返らなくてはならない。
 天窓に降り積もった雪が暗く影を落としている。
 馴染めない。いつまで?
 返れない。いつまで?
 感覚を持てあました僕はこれからどうなってしまうのだろう。
 何百回も回したその問いに今更答えが出るはずもなく。
 吐いた息が白く煙るのを見て、光っていたスマホを静かに裏返した。

(おわり)
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