長編『亀のゾンビサバイバルログ』(全26話番外編3話、完結済)

 アパートを出発した僕はまずバス通りに出た。
 とりあえず、自分の通っていた大学に向かって歩いてみることにした。
 見渡す限り、通りに人影はない。
 早朝なので人気がなくてもおかしくはない。しかし、並んでいる店の様子がおかしかった。
 店やコンビニの窓ガラスは僕のアパート同様めちゃくちゃに割られ、中が荒らされた形跡があった。
 本当に何が起こったのだろう。窓ガラスが割れているということを考えると、暴徒か何かだろうか。暴徒だとして、それはなぜ発生したのだろう。地震か何かでライフラインが止まったとかだろうか。しかし、室内にいるとき大きな地震なんか全く感じなかったぞ。寝ていて気付かなかっただけだろうか。そうかもしれない。
 僕はとりあえず地震が起きたと仮定することにし、周囲に気を配りながら大学への一本道を進んだ。

 いつもの西門に着く。遠くに見える広場には数人の人影があった。
 避難者だろうか。それにしたってこんな朝早くから活動しているのはなぜだろう。しかし、この人たちに何か聞けるかもしれない。僕は広場に向かって歩き出した。
 とりあえず最初は何が起こったのかを聞いてみよう。今の状況を確認しないと。そんなことを考えながら速足で進む。人影がだんだん近くなる。ふと、違和感を覚えた。
 あの人も、この人も、なんだか身体が欠けかけている。欠けている、ではない。欠けかけているのだ。這っている人もいる。そして、みんな動きが妙に遅い。
「すみません、大丈夫ですかー?」
 遠くから声をかけてみる。途端、その場にいる人たちが一斉にこちらを向いた。
「ひっ」
「ゴアー」
 うめき声のようなものを立てながら、人々はゆっくりとした動きで一斉に近づいてくる。
 僕は少し怖くなって回れ右をし、走り出した。なんだあの人たちは。もしや暴徒だろうか。これはどこかに隠れて撒いた方がよさそうだ。

 道を何度か曲がり、僕は食堂まで逃げた。
 見たところ、食堂内に人影はない。とりあえずそこに逃げ込み、ドアの前に三角コーンを置く。ないよりましだろう。
 外を見ても、暴徒らしき人たちの追ってきている気配はなかった。
 僕は食堂内を見渡す。
 普段は整然と並んでいる長テーブルと椅子は全部隅に寄せてあった。
 併設のカフェのドアは閉まっており、窓にはガラスがなく、金属製の何かで目張りされていた。
 目張りには隙間があったので覗こうとしたら、奥の方から声が飛んできた。
「客か?」
 僕はびっくりして身体を震わせた。意思疎通できそうな人がいたのか。
「様子を窺っていただけです、すみません」
「喋れるなら、客だな」
「客? いえ……僕はここの学生です」
「学生か。そんなのがまだいたとはな。まあ、入ってくるといい」
 ガシャンという音がして、カフェのドアが自動で開いた。両開きの金属製のドアだった。大学に通っていた頃は確かガラスのドアだったような……僕は首を捻りながら中に入った。
 甲羅型リュックまで中に入り切ると同時に、ドアは閉まった。
 カフェ内に目を移す。室内は少し物が散らかっていた。テーブルと椅子は中央に集められ、円形になっている。テーブルの上にはルーレットやらトランプやらが散らばっていて、椅子の上には携帯食料が積みあがっていた。そして、一番手前の椅子に男が一人、座っていた。
「いらっしゃい」
 こちらを見据える目は暗く澱んでいた。
 やっぱりこの辺では何かよくないことが起こってたんだ。瞬時にそう悟る。天井の蛍光灯がチカチカ光った。
「電気……点いてるんですね」
「自家発電さ。便利なもんだよ」
「へえ……」
 僕が感心しながら蛍光灯を見ていると、男が突然、
「ゲームをしないか」
 と言った。
「ゲーム?」
 僕は問い返す。
「そっちが勝ったら携帯食料を4日分やる。その代わり、俺が買ったら同じだけ携帯食料をいただく。なに、ちょっとした運試しさ」
「え……」
 この人は突然何を言い出すんだ。携帯食料を賭けてゲームをするなんて。
「滅多にない楽しみなんだ。ここに来た客と勝負をするのは」
「それにしたって……」
「このクソッタレな世界でゾンビと戯れる以外の楽しみをおじさんに与えてくれてもいいだろう」
 何と戯れるって? ゾンビって聞こえたような気がする。
「ゾンビって実在したんですか?」
 思わずそう訊いてしまった。
「お前さん、知らないのか?」
 男は目を丸くする。
「ええ……広場で見たあれはゾンビだったってことですか? 地震が起きたとかじゃなく、ゾンビが発生したからここはこんなゴーストタウンみたいになっちゃったんですか?」
「ああ」
「どうしてそんなことに……」
「さあな。ゲームをするなら教えてやらなくもない」
「僕はその……」
「知りたくないのか?」
「知りたいです」
「じゃあ、決まりだな。ここにあるものならどれを使ってもいいぞ」
 男はルーレットの側にトランプの箱を置いた。
 僕は困った。ルーレットはやったことがないし、トランプもババ抜きと大富豪くらいしか知らない。でも、それって二人だとゲームが成立しないやつだよなあ。
「じっくり考えて決めてくれ。時間はいくらでもあるからな」
 とは言ってもなあ。僕は困ってテーブルから目を逸らし、部屋の隅を見た。ごちゃごちゃと物が置かれている。
 と、ある一つの物が僕の目を引いた。
「あれは……」
 男が僕につられて部屋の隅を見た。
 それはあるゲームソフトだった。モンスハント人、略称モンハン。プレイヤーは巨大モンスを依頼によって狩る「ハント人」となって色々な依頼を受けながら狩ったモンスの素材で装備を強化してより強いモンスを狩ってゆくというゲームだ。僕も昔付き合いのために購入し、みんなで遊ぶための口実にモンハンしたいからという理由を使っていたものだ。ただ、いつの間にか口実のためのモンハンがモンハンのための遊びに切り替わり、一緒に始めた人たちよりも深くハマってしまったけれど。
 モンハンはシリーズ化してたくさん種類が出ていたが、そこに置いてあったモンハンは携帯ゲーム機でプレイできるタイプのものだった。部屋の隅には同じ物が二つ並べて置いてあり、パッケージはやや埃を被っていた。バージョンも少し古めだ。
「あなた、モンハンもするんですか?」
「まあ……」
 男は曖昧に頷いた。その目は妙に凪いでいた。
「モンハンなら僕もできますよ。どうですか、お互いに同じクエストを受けてどちらが先にクリアできるか競うというのは」
 外の状況も携帯食料のことも気にならなくなっていた。久々にモンハンができるという思いで頭の中がいっぱいだった。僕は男の凪いだ目をじっと見た。
「……いいぜ。じゃあ取ってくれ」
 僕は部屋の隅まで行ってパッケージを取ろうとした。
「ああ違う違う。その横のゲーム機だ。入れっぱなしになってる」
 パッケージの横で携帯ゲーム機が二つ、充電されていた。片方には塵が積もっていたが、もう片方はきれいだった。と言っても新品というわけではなく、ボタンやスティックには傷がいくつもついている。使い込まれているのだろうか。その割には画面に指紋やら何やらがついていない気がするが。
 僕は二つのゲーム機を充電器から抜いた。一つを男に渡し、自分の方のゲーム機の電源をつける。
 ゲーム機の画面が明るくなり、機名の後、ゲーム会社の名前が表示される。
 わくわくする。この全てを忘れられるような錯覚。夢を見ているときと若干似ているが、そのときよりは頭が若干はっきりとしているので色々なことを考えられる。ボタンの感触や武器の使い方、視点の変え方、敵モンスの行動パターン。それらが少しずつ頭の中で立ち上がっていくような感覚だった。
 「現実」が遠くなる。
 僕は久々にモンハンのオープニングムービーを眺めた。
「それで、どのクエストにしますか?」
 男の方を見ると、男は既にこちらを見ていた。目が合うと、すっと逸らされる。
「お前さんが決めてくれ」
「いいんですか? じゃあこのUkmにしますね。BGMが好きなので」
 僕は画面に目を戻す。
「装備換えてきます」
 モンハンは色々なモンスターを何度も狩って素材を集めないと装備が作れないゲームだ。作る装備の種類はプレイヤー個人が選べるため、人によってどの装備を作っているかが少し違ったりする。このデータに僕好みの装備があるといいのだが。
 そう思いながら装備ボックスを開く。
「これは……なかなかいい装備を揃えておられますね。おじさん、僕と趣味が合うのでは?」
「……まあな」
 僕は弓を使うのが好きなのだが、このデータには弓使用時に効果的な装備がばっちり揃っていた。
「かなりやりこんでいるとみましたが……僕もベストを尽くします!」
 それを聞いて、男はふふっと笑った。楽しんでるのか? ゲームが好きだというのは本当だったようだ。
 僕は準備を済ませてからクエスト開始ボタンを押した。

 結果から言うと、勝ったのは僕だった。男はクエスト失敗条件、1クエスト中に3回HPが尽きるという条件に引っかかってリタイアしてしまったからだ。
「おじさん、やりこんでるんじゃなかったんですか……」
「まあその、な」
「いや僕は楽しかったんですけど……」
 わざと負けたのだろうか。しかし、この人はそういうことをする人ではない気がする。ということは、本当はそんなにやりこんではなくて、ただ装備が揃っているだけだった……?
「お前さん、情報のことを忘れちゃいないか? 知りたがってたろ」
 僕ははっとして顔を上げた。そうだった。勝負に勝ったら僕が引きこもっている間に外の世界がどうなっていたのか教えてもらうという話だった。
「教えてください」
 男は頷き、語り出した。その話によると、こうだ。
 半年ほど前、街に突然ゾンビが現れたらしい。ゾンビはそこにいた人を襲い、街は混乱状態になった。ゾンビは捕縛されたが、病院に送られた被害者たちは何日か後にゾンビ化し、病院は機能停止した。そこからはどんどんゾンビになってしまう人が増えていき、この地域の生き残りの人間たちは大学に避難して必死で抵抗したが、応戦しきれない数のゾンビが押し寄せたため大学を放棄、皆散り散りになったとのことだった。
「政府は何をしてるんですか?」
「噂によると、この地方を封鎖してるらしい」
「軍隊は……」
「全く派遣されてこなかった。報道が生きてる間も政府は全くノータッチだ。それどころかこの件は全くニュースにされなかった。原子力発電所の事故とだけ報道されていたが、それが本当かはわからん」
「物語の中みたいな話ですね……」
「それ以外にも、不可解なことは多いぞ。倒されたゾンビが消えたり、怪我をしてもすぐ直ったり、人間が突然消えたり。おかしなことになってるのは確かだな」
「妙ですね……謎が多い……安全なところはないんですか?」
「安全かどうかは知らんが、北の山の麓に避難者の町があると聞いたことはある」
「なるほど。そこには亀もいますか?」
「亀?」
「亀です」
 男は僕の甲羅型リュックを見、ああ亀ね、と言った。
「亀はいるかわからんが、いいんじゃないか? 亀でも」
「じゃあそこを目指してみようかな……」
「それがいい。……俺が教えられることはこのくらいだ」
「ありがとうございました、おじさん。お元気で」
 ドアが開く。僕が外に出かけたとき、男がぼそりと呟いた。
「俺にもお前さんと同じくらいの息子がいたんだ。モンハン好きの息子でな、この大学に通ってた。今はあの広場で元気にゾンビだけどな。久々にモンハンができて嬉しかったよ」
 僕は思わず振り向いた。ドアが閉まる。
「元気で」
 男が付け加えた別れの言葉と共にガチャン、という音。僕は窓を見たが、そこにもシャッターが降りていた。これ以上話すつもりはないということだろう。
「でも僕は……亀だから……」
 言い訳のように呟く。何かを置いていくような気持ちで僕はゆっくりと歩き出した。
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