短編小説

 「寂しいから」を伝家の宝刀のように使うやつは嫌いだ。例えば相手を傷つけることを恐れてしまうやつなんかは大抵それを断れなくなる。俺みたいに。
「でさあ、このときうちの 財布がばびゅんっと」
 うち寂しがりややねん、がこいつの口癖だ。こいつは本当に寂しがりやなのだろうか、と俺は常々考える。
 目の前でミルクティーをがばがば飲みながらいきいき話してる馬鹿には、先ほど「寂しい」と言った気配のかけらも残っていないからだ。
 寂しいなんていうのは都合のいい話し相手を逃さないための方便だったんじゃないか。
「北風くん、ねえ北風くん。うちの話聞いてるん?」
 考えを巡らせていると、馬鹿がいきなりこっちに身を乗り出してきた。
「聞いてる」
「ぼうっとしてたでしょ。何考えてたの」
 別に何も、と言葉を返す。
「まったく。人の話はちゃんと聞くこと、って学校で教わらなかった? ほんとそういうのないわ。せっかくこの南風さんが語っているというのにそれを上の空で聞くとは何事」
「ああごめん南風。悪かったって」
 誠意がないわ、と南風。そんなことを言われても困る。もともと誠意を見せるつもりなんてないからだ。俺のその場しのぎの言葉に南風が反応しているだけだ。
 南風はカバンからポップコーンを取り出し、口に流し込む。
「ポップコーンはキャラメルポッ」
「話すなら飲みこんでからにしろ」
「わはってる」
 こいつの変に馴れ馴れしいところにいつも腹が立つ。
 空になった袋を俺に押し付け、南風はまたしゃべり始めた。
「ポップコーンはキャラメルポップコーンに限るね。キャラメルのついていないポップコーンはただのポップコーンだよ。弾ける意義も意味もない。存在自体に価値すらない。私と同じだね」
 言いきると、南風は紅茶のボトルを取り上げた。飲もうとして空になっていることに気付いたようで、
「これもゴミでよろしく」
 俺の手元にペットボトルを投げつけてくる。ぺこん、と軽い音。
 慰めを求めながら、与えさせる隙を作らない。自己防衛。自己完結。そのずるさに吐き気がする。
「なんでも人に押しつけるのはやめろ」
「ごめん。でも、いいでしょ? なにもお金をくれとか頼んでるわけじゃないし。近場だよ、ゴミ箱は。ちょっと手を伸ばせば届く距離。ほら、あなたと私の心の距離よりは近いし」
 言葉を切って、南風は間を作る。俺はそれに応えてやることにはするが、こいつの望む慰めは与えてやらない。
「ちょっと手を延ばせば届くなら、自分で捨てろ」
「だってめんどくさいんだもの」
 それは半ば本当で、半ば嘘だ。こいつは切れそうな会話の糸口を保っておきたいだけ、話題が切れるのが怖いだけだ。
「嘘をつくな」
「え?」
 南風は一瞬泣きそうな顔をした。しかしそれもつかの間、すぐにわからないという顔をしてみせる。
「だって、本当にめんどくさいんだよ。君だって私のめんどくさがり率はわかっているでしょう」
 俺もお前の相手をするのがめんどくさいよ、南風。いい加減に解放してくれないか。
 そう言いたいが、言えない。
 いらいらする感情のやり場に困って、ポップコーンの袋をわざと乱暴に丸めた。幾分か気が晴れた俺は、声に苛立ちをにじませないよう慎重に口を開く。
「南風。」
「うん」
「わかったから」
 南風はほっとしたような表情を見せた。
「わかったならよかったあ」
 わかりきった茶番の一幕目がやっと終了した。それでもまだ一幕目だ。相手もそれを感じているのか、時計に目をやってからこちらを見る。
「北風、夕飯どうするん?」
「買ってくる」
「いてら」
 席を立ってやっと、現実を噛みしめる余裕ができる。ここがコンビニに備え付けられた飲食スペースだったこと、自分の持ち合わせがあまりなかったこと。
「まずいな」
 おにぎり一つがやっと買える金額しかない。しかし、今更帰るとは言い出しづらい。とりあえず梅おにぎりを一つ買って席に戻る。
「なにそれ少なっ」
「持ち合わせが少なかったんだよ、文句言うな」
「少なっ、なんかごめんね」
 許すわけがない。俺が南風を許すのは、すべてが終わった後だ。
 加速する南風への憎悪が最近しばしばこぼれそうになるときがある。とてもよくない。今ぶちまけたら台無しだ。
 北風は忍耐を強いるものだ。コートを着た旅人にだけではなく、自分にも。
 それをわかっていながら、わからないふりをしながら、不定形の憎悪だけを持て余してぺらぺらのやり取りを繰り返して、こんなこといつまで続くのか、何のためにやっているのか、全て投げ出してしまいたくなるが北風は南風がいないと成り立たないし、南風は北風がいないと成り立たない。
 人懐っこくて、頭が平和で、ノリが軽くて、でも繊細で、そんな南風のことが俺は嫌いだけれど、俺がいる限り南風もまた存在し続ける。でも本当はそんなこと全て妄想で、俺がいようがいまいが南風は存在するし、俺がいたって南風はいつもの軽いノリでふっと消えてしまうのかもしれないが、南風のことが好きなようで、執着しているかのようで、でも憎くて、どうすればいいかわからないから俺はこの気持ちを押し込めて、忍耐して、口角だけ上げてみせる。
「お前が謝ることじゃない」
 そう答えてやったら、南風はありがとうと言って今度こそ泣きそうな顔をした。


(おわり)
83/190ページ
    スキ