短編小説

 思考がぐるぐる回っている。部屋の中には何だかよくわからない半透明の生物たち。
 いつからか、こんな化け物ばかりになってしまった。
 化け物、などと呼ぶのは失礼かもしれないが、言葉が通じずふよふよ浮遊し視界を遮りそれでいてもたらすのは静寂のみなどという生物に気を遣う必要があると思うか?
 ……いや。おそらくどんな存在にだって気は遣わなければいけないはずだ。俺はそれを怠っている。あまりにいつも気を遣い続けすぎると疲れてしまうから適当なところでさぼっている。それがいいのか悪いのかはわからないが、世間の建前的にはたぶん悪いの部類に入るのだろう。
 ぐるぐると回り続ける。考えたくて考えているのではない。集中と集中の隙間で空いた頭がぐるぐる回り始めてしまうだけだ。思い出したくもない過去の記憶や根拠のない罪悪感がリピート再生され続けているだけだ。
 要求もしていない思考を浴びせかけてくるポンコツな頭を取り替えられたらいいのに、取り替えたらそれはきっと俺でなくなってしまう。快適になった世界を享受するのが今の自分でないのなら、努力も苦労もする意味などない。
 だが、魔法のようなことが起きて世界が快適になるなどというのがそもそも夢なのだ。叶いもしない夢を心のどこかで信じて、手に入らないことを恨んで、ぐずぐず沈んで生きている。だからこんな化け物が部屋に現れたのだろうか。
 化け物はこちらを見ず、気に留めることもない。俺の存在などどうでもいいと言うかのようだ。
 視界に入って邪魔をするのに向こうはこちらを知らぬ存ぜぬ。理不尽な不均衡だと思うが、人生なんてのはだいたいそんなものだ。
 諦めた方がいいのに感情だけは動いてしまう。静寂の中、半透明の群れの中、どうしようもなく一人であるとき、化け物でもいいからこちらを向いてほしい、見てほしいと思ってしまう。
 そんなこと叶っても仕方がないし、叶うはずもないというのに。
 いくら日が経っても心平穏になることはない。変わらず波立ち、変わらず沈む。あまりにも変わりがなさすぎてうんざりしてしまうほど。
 人間は進歩する生き物だという。努力も苦労も諦めた俺が生きている意味は果たして何なのだろう。
 半透明の奴らの姿はグラスに入った氷を思い起こさせて、冷えて、冷えて、冷えて、冷える。感情まで冷え切ってくれればよかった。思考まで凍ってくれればよかった。けれど現実はそうはならずに嵐の中の小舟のようだ。
 ほとほと参っている。だけどどうにもならない。
 何を思っても一人。どう動いても一人。嵐の海でもがいても、溺れる瞬間が早まるだけだ。それならじっと何もせず、少しでも晴れ間が戻ってくるのを願って耐えている方がいい。
 晴れ間など戻ってくるはずもないのだが。
 薄々気付いている。けれど封じている。水面下に沈めて見ないふりをしている。
 爆弾を抱えて生きている。
 半透明の化け物なんて本当は大した問題ではないのかもしれない。真実を解放することこそが一番重要なのかもしれない。けれど解放した真実と戦う力はもう残っていない。放たれた大嵐になすすべもなく溺れるだけだとわかっている。
 ゆえに思考を回すだけ。
 半透明の姿が視界を横切るのを見ながら夢を見るだけ。
 どこか遠く、知らない場所で、平穏に暮らす夢をずっと。


(おわり)
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