短編小説

「嬉しみの舞!」
 俺は嬉しみの舞を踊った。嬉しみの舞というのは秋晴れの舞(室内)の派生形で、何かすごく嬉しいことがあった時に踊る舞である。
 嬉しくて仕方がないときにすまし顔で座っていられるか? 俺はできない。いや座っていられる人もいるとは思うがそういう人はきっとポーカーが強い。ババ抜きも強い。これはイケますわ。酒場で一試合百試合、性能のいい宇宙船を賭けて勝負だ。俺は声援飛ばしてるから頼んだ。
 いかん、話が逸れた。
 この前秋晴れの舞を踊ったのは鼻水が止まらないときに友人が前世イルカだったんだけどなどというふざけた電話をかけてきて、それがなんだかアホらしくて笑えて仕方がなかったので踊ったのだった。
 踊ると幸せな気分になるよな。これも俺だけか? でも人類は長い歴史の中で踊ったり歌ったりそういう儀式めいた祭りめいたものを発展させてきただろう。つまり踊るということには呪術的な何かがあるんだよだから俺のこれもれっきとした何かこう……儀式なの!
 誰に言ってるんだ。謎だな。ともかく俺は嬉しみの舞を踊った。今も踊っている。踊りながら思考をフル回転させている。プラスなフル回転のときはいいんだよ、嬉しくなるからな。でもマイナスのフル回転、お前はダメだ。マリアナ海溝の底にでも沈んでシーラカンスとよろしくやっててくれ。いや、シーラカンスにマイナスのフル回転を押し付けるのはよくないな。しかしシーラカンスはのんびり屋だからフル回転を押し付けられようがマイペースにのんびり生き続けるのではないか。そう信じていよう。すまんシーラカンス。スマンス。
 話が一段落したところで俺は嬉しみの舞の進化形を考えることに専念する。最近の体幹トレーニングのおかげで色々と新しいポーズを取れるようになったんだよ。最高だな。舞の種類は多ければ多いほど良い。飽きないし、自己満足的にもいいからな。そう、嬉しみの舞ってのは自己満足なんだよ。嬉しさを増幅し、更に高次元の嬉しさに向かうための一人の儀式。
 それをやる。
 見せてやるよ。
 嬉しみの舞!


(おわり)
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