概念サバンナの今日たち

 うさぎの正体は何だったのか、ライオンの正体は何だったのか、そんなことを考えても仕方がない。
 いなくなったうさぎは死んだ。近付いてくるライオンは見えない。それだけの話。
 それ以上を考えようとするのは罪悪だ。許されていない。と、俺はまだそんなことを考えている。
 何が誰を許さないのか。
 何がどのように罪悪なのか。
 それを考えることすら許されていないと、俺はそう言うつもりなのだろうか。
 わかるわけがない、そんなことは。そもそも権限がないのだから。
 権限。
 それを設定したのは誰なのか、神なのか、俺なのか。
 いつからそれがあるのか。
 それを探ることすらまた、暗闇なのだ。
 暗闇ではものが見えない。ものが見える奴も中にはいるが、俺は見えない。それだけのこと。それだけのことでも注釈なしには成り立たない。注釈なしには。
 だから俺は見えない、うさぎもライオンも中身の見えないガワだけの表現物、ただの概念、虚無なのだ。
 そのはず。
 そうであればよかった。
 しかし、そうでない、つまり、中身のない虚無でない、ということもまた、救いの一部であることはまあ事実で。
 ただの虚無である、ということも、中身があって意味がある、ということも、両方救いで両方それぞれ地獄なのだ。
 それがわかるか。わからないか。
 物事には全て複数の意味がある。
 正解がない、ということが救いなのか、本人にとって正解である、というのが救いなのか。
 そういう話になってくる。
 だがまあそんなことを言っているといつまで経っても終わらないので俺はうさぎとライオンを適当に意味付けて終わりにするんだ。
 正体?
 それはわからない。わからないことになっている。けれど暗闇はそれを知っている、それは過去で、そして未来。
 救いようのない終わってしまった過去という名の現実と、今ここに立ち現れている消えてくれない未来なのだと。
 そういう話、
 だった。
2/13ページ
スキ