長編『亀のゾンビサバイバルログ』(全26話番外編3話、完結済)

 背後でかしゃんと何かの開く音がした。
 反射的にそちらを見ると、僕より少し年上くらいの男性が勝手口らしきドアののぞき窓から顔を出すところだった。
「生存者かな? 嬉しいな、まだいたんだね。どこから来たの? そんなところで食べてないで、こっちに来たら? 待ってて、鍵を開けるから」
 男性は僕の答えを聞かずに窓を閉めた。ぎいぎいがしゃんという音がして、僕の後ろにあった鉄製のドアがゆっくりと開いた。
「ほら、こっちへ」
 男性が僕の手をひっぱる。
「待ってください、僕はまだここにいようと思ってて」
 はぐれてしまった同行者、神父が通るかもしれないので待っていなければならない旨説明しようとしたが、男性はその隙を与えない。
「そんなところにいたら危ないよ。ここはゾンビの集団がよくうろついてるんだ。襲われる前に避難した方がいいと思うけどな」
「そうなんですか」
「うん。ほら。中で話を聞かせてよ。さあさあ」
 確かに、ここで集団に襲われたら対処できない。ここは男性の言うことに従った方がよさそうだ。
「お邪魔します……」
 僕はそっと勝手口の敷居をまたいだ。
 勝手口は台所に繋がっていた。台所にはごみが溢れ、足の踏み場がない。
 男性は僕を居間らしきところに案内した。ソファを埋めていた携帯食料のパッケージをざあっと横によけて、どうぞ、と言う男性。
「失礼します」
「ごめんね汚くて」
「いえ、僕は避難させてもらう方なので……」
「いいんだよ、正直に言ってもらって。僕はここでしばらく暮らしてるんだけど、一人が寂しくてね。やけになってたんだ」
「そうなんですか、それは……」
 気の毒に、と言おうとしてやめる。
「実は僕もさっき……同行者とはぐれてしまって」
「本当かい。それは心細いだろうなあ」
「そうなんですよ。それで、あの道を通るかもしれないと思って待っていたんですけど……」
「それを早く言ってくれないと。ほら、このPC、外が映るようになってるんだ。ここを見てればその同行者さんが通るかどうか見てることができるよ」
 ごみに埋もれていて気付かなかったが、テーブルの上にはノートパソコンがあったらしい。男性はその画面をこちらに向けた。
「本当に映ってる……」
 画面には勝手口前の道が映っていた。僕はさっきここに座っていたから、画面に映っていたんだな。それでこの人は様子を見に来たというわけか。
 今のところ、画面には誰も映っていない。
「ありがとうございます」
 僕は礼を言った。
「いいよいいよ。君、どこから来たの? この街の人? この街ってまだ人いたんだ?」
「僕は旅をしてて、昨日までは隣の街にいました。あの工場の。この街の人ではありません。あと、僕は亀です」
「亀? ああ、亀ね。その甲羅型リュック。若い子の間で長いこと流行ってるよね。君くらいの歳にもなったら卒業するものかと思ってたけど。正直言って、ダサいからさ」
「はあ、まあ、すみません……」
 ださいと思う人もいるかもしれないけど、僕はこの甲羅に誇りを持っているのに。そう思ったが、言わなかった。言ってもわかってくれないだろう。それどころか、言い合いになってしまう可能性だってある。黙っておくのが一番だ。
「ところで、お兄さんはこの街の人なんですか?」
 僕は話題を変えた。
 男性は少し暗い顔をした。
「僕は……君が昨日までいた街の人間だ」
「ああ」
 工場にはコヅカさんたちがいたが、あの街の居住地域には全く人気がなかった。僕の探し方が悪かったのかもしれないが、最後に出会った少年以外、誰とも出会っていない。
「あの街はね、全滅したんだ」
 やはりか。うすうす想像はついていた。
「最後の避難所にゾンビの大群が攻めてきてね。皆は戦っていたけど、僕は怖くなって逃げた。しばらく近くの民家に隠れて戻ってみたら、バリケードは壊れ、避難所の中はゾンビだらけになってたんだ。必死で逃げてこの街まで来たけど、この街もゾンビだらけでね。なんとかこの家に転がり込んだら環境がよかったんでここで暮らすことにしたのさ」
「そうなんですか……それはなんというか、お辛かったでしょうね」
「辛いなんてものじゃないよ。寂しすぎて気が狂いそうだった」
「突然一人になったわけですしね……」
「でも君が来てくれた」
「え」
「僕はもう一人じゃない。同行者が見つかるまで、僕と一緒に暮らさないか?」
「ええ……それはちょっと。神父がこの道を通らなかったら、他のところも探さないといけませんから」
「同行者は神父なのか。それなら僕にも優しくしてくれそうだね。君が駄目なら、その神父を僕に譲ってよ」
「絶対に嫌です」
「ええ? なぜ? その神父は亀なの?」
「違いますけど……」
「人間なら、人間と一緒に暮らすのがいいに決まってる。その神父も亀なんかと一緒に旅したいなんて思ってないだろ」
「やめてくださいよ。そんなに誰かと暮らしたいなら、この街の避難所を探したらいいじゃないですか」
「こんなゾンビだらけの街で避難所が残ってると思うかい?」
「探してみないとわからないじゃないですか……」
 強い口調になってしまいそうになるのをこらえながら、僕は言った。
「僕も、この街の人が集まってるところを探してるんです。情報を集めたいんです。神父のことも聞きたいし。今なら一緒に探してあげられますよ」
「本当? やった! じゃあ行こう! 今すぐ!」

◆◆◆

「楽しいなあ。僕さ、一度誰かと旅してみたかったんだよ」
「相手が亀でも、ですか」
「なぜそんなことを聞くんだい? いいに決まってるじゃないか。楽しいよ僕は」
「でもさっき「亀なんか」って言ったじゃないですか」
「それは神父の話。僕は差別主義者じゃないから、相手が亀でも気にしないのさ」
「はあ、なるほど」
 本人がそう言っているならそうなのだろうか。どうにも心のもやもやが消えなかった。
「あ、そっちで何か動いたよ。見てきてくれない? たぶんゾンビだから。僕は弱いから戦えないけど、君は旅してたから大丈夫だよ」
「まだ気付かれてないなら、わざわざちょっかいかけに行くことはないでしょう」
「それでも、いつ気付かれるかわからないよね? 問題は先に片づけておいた方がいいに決まってる。さあ行って」
 笑顔で背中を押される。
 僕だってゾンビが怖くないわけじゃない。戦わないとやられてしまうから、恐怖を押し込めて戦っているだけだ。
 いつでも甲羅アタックができるように構えながら、何か動いたと言われた場所に近づいた。
 建物の角まで行って、その先を覗く。
「誰だ!」
 先には銃を構えた男性がいた。僕は慌てて頭を引っ込めて叫んだ。
「怪しい者じゃないです、生存者です! 銃を下げてくださると嬉しいです!」
「フン」
 相手が銃を下ろす気配がしたので、僕は角を曲がった。
「僕は亀です。旅をしています。あなたはこの街の方ですか?」
「そうだ」
「お一人で暮らしてらっしゃる?」
「避難所に仲間がいる。あっちにいる奴はお前の連れか?」
「ああその人は」
 例の男性の方を振り返ると、男性は僕から目を逸らした。僕は銃を持っている男性に目を戻す。
「隣街の避難所の生き残りだそうです。一人が寂しいと言っていたので、一緒にこの街の避難所を探していたところでした」
「避難したいってことか。いいだろう。お前もか?」
「いえ、僕は南の封鎖の情報を集めているのと、あと、人を探してるんです」
「南の封鎖に近づいて帰ってきた奴はいない。俺たちが知ってるのはそれだけだ。で、人ってのは?」
「僕の同行者で、背の高い、キャソックの上に紺色の長い上着を羽織った神父なんですけど……」
「知らないな。俺の仲間にも聞いてみるといい。ついてこい、あっちの男も呼んでな」
「ありがとうございます」
 僕は例の男性に向かって頭の上に丸を作って見せた。男性はこちらに走ってくる。
「避難所が見つかったって?」
「ええ。案内してもらえることになりました」
「意外に使えるね、君。あ、僕は綾西と言います。こいつは亀です」
「俺は古郷だ」
 銃を持った男性、古郷さんはそう言うと、すたすたと歩き出した。僕は慌てて後を追った。

◆◆◆

 避難所は小学校の体育館にあった。
「神父? 知らないなあ」
「知らないね」
「見てないよ」
「申し訳ないけど……」
 避難所の人たちに訊いて回ったが、神父を見た人は一人もいなかった。
 僕は古郷さんの方を見た。古郷さんは体育館の出入り口にもたれて目を閉じている。
 綾西さんは、と見回すと、体育館中の人に挨拶回りをしていた。
 誰も神父を見ていないのなら、この辺りには来ていないということだろうか。それなら、どこに神父はいるのだろう。
 と、
「あ、××じゃん」
 認識できない名前で呼ばれ、声の方向を見る。
 思いもよらない顔だった。
 大学に通っていたときの同期だ。
「久しぶり~お前生きてたのな」
 そう言いながら、同期は僕の方に近付いてきた。
「急に大学に来なくなって、みんな心配してたんだぜ。ゾンビが発生してからお前今までどうしてたんだ?」
「え、いや、まあその」
 この同期が僕に話しかけてくるのはいつ以来だろう。
「っていうかお前、亀になったわけ? ほんとに?」
 同期は僕の甲羅を指さした。
「やっぱ変わってるよな、お前。面白」
「変わってるというか、僕は亀だから」
「ふうん。お前ここに住むんだろ? また仲良くしようぜ」
「いや僕は旅を続けなきゃいけないから、行くね。それじゃ」
「おい」
 強引に話を打ち切り、僕は体育館の出入り口に向かった。

「行くのか?」
 古郷さんが僕に訊く。
「ええ。色々とありがとうございました」
「幸運を祈る」
 僕は古郷さんに頭を下げた。綾西さんにも挨拶しようと思って周囲を見渡すと、綾西さんは同期と話をしていた。
「え? あの亀って君の同期だったの?」
「知ってるんすか。あいつってなんか、ふ……」
 僕は、では、と言って避難所を出た。


◆◆◆


 いつのまにか夕暮れが来ていた。それほど動いたわけでもないのに、僕はひどく疲れていた。
 これまで疲れることなどなかったのに、今日はどうしたんだろう。
 目の前には教会があった。
 神父も教会にいたことがあったのだろうか。
 そういえば、僕は神父の過去を全然知らない。神父も僕の過去なんか知らないはずだ。
 神父は自分のことをあまり話さない。僕も自分の過去についてはあまり話したくないため、そういう話題を避けていた。
 神父。
 今日はここで休もう。
 僕は教会の扉を開いた。
「遅かったな」
 聞き覚えのある声。扉から吹き込む風に紺色のコートが揺れていた。
「神父……」
「食事は抜いていなかっただろうな」
 神父がこちらに近付いてくる。
「夕食まだです……」
「食べたまえ」
 僕の手に携帯食料を押し付け、神父は教会の扉を閉めた。
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