短編小説(2庫目)

 勇者が生まれるとき、魔王もまた生まれる。
 魔王が生まれるとき、勇者もまた生まれる。
 二つは対の存在であり、運命からは逃れ得ない。
 それは俺もそうだった。



 なんてことのない人間だった。
 ただの国民。
 剣を持ったことなんてない。毎日城下町のカフェで働いて、接客、ホール、仕入れ、買い物をして家に帰ってご飯を食べて。
 それだけで回っていた。
 たまに困ったことはあっても、何もなくとも幸せ、なはずだった。
 そんなある日、「勇者」の命が降りた。
 選んだのは、世界。
 勇者が生まれた以上、魔王もどこかで生まれる。
 滅しに行かなければいけないと、それが「選ばれた」お前の使命だと、誰からともなく言われて俺はカフェを退職し、旅に出た。
 一人だった。
 それはそうだ。
 危険な旅に誰かを連れて行けるわけがない。
 そもそもそんな相手もいないし。
 だから一人で。



 勇者と魔王は引かれ合う。
 だいたいどこにそれがいるか、はわかっていた。
 なんとなく、そちらに向かえば会えるような気がしていて。
 レールの上を歩いているかのように自動的に、抗う間もなく、俺は辿り着いた。
 辿り着いてしまった。
 魔王はまだ宝玉の形で。
 俺は勇者になったけれど、魔王の方はこれから生まれるところだった。
 滅せよ、と言われていたし、俺の方も、勇者なんて厄介な役目はさっさと終えてしまいたかった。
 だから割った。
 宝玉は塵になり、宙にさらさらと溶け消えた。
 それで終わり。



 俺は勇者ではなくなった。
 元の城下町に帰り、元のカフェには別の店員が入っていたから別の仕事を探す。
 しかし仕事は見つからない。
 金だけがなくなってゆく。
 だがそれでも別にいいと思った。
 勇者でなくなって、対の存在も死んだ、そのことで、なんだか俺の存在意義までなくしてしまったような気がして。
 別に悲しいとかそんな感情はない。魔王が死んで喜ぶならともかく、悲しむなんておかしいし。
 だから俺は黙って、食べては寝る。
 いつからか、元勇者だからという理由で援助が行われるようになった。
 果たしてそれが幸いだったのかどうかはわからない。



 ……気が付かぬうちに、少し長めの眠りについていたようだ。
 部屋は散らかり放題、埃まみれ。
 時代は変わっていた。
 見知った街が静けさに満ちている。
 ポスターにある見知った顔は歳を取っている。
 ということは、そこまで時間が経ったわけではないのか。
 そこまで、と言っても、人間である俺からすると結構な時間が経ってはいるが。
 道を歩いても、誰もいない。
 疫病に注意、の看板。
 魔王は死んだのに、どうして疫病が流行っているのだろう。
 しょせん魔王が生きるか死ぬかなんて人間たちには関係のないことだったのだろうか。
 それならどうして魔王は死んだのだろう。
 生まれもしなかった存在のことをどうして俺は気にしている?
 邪悪を悼むなんて、間違っているはずなのに。
 邪悪?
 人間たちには何も関係のない存在であったなら、それは本当に邪悪と言われるものだったのだろうか。
 魔王。
 俺にはわからない。



 ふらふらと歩くうちに、昔よく通っていた河原に辿り着く。
 自然だけはいつも通り、ちょうど春の花が咲いていた。
 ひらひらと散る。
 満開なのだ。
 ぼんやりと眺める。
 川の流れる音。
 水面は穏やかで、浅い。おそらく向こう側に行くことはできない。
 そんなことを考えること自体、センスがない。
 いいんだ、どうでもいいんだ。この時が過ぎ去ってしまえばそれで。
 本当に?
 わからない。
 眠っている間、ずっと夢を見ていた。内容は覚えていない、ただただ苦しくて、重くて。
 悲しむ?
 何を?
 そんなの一つしかない。対の存在。
 魔王、邪悪、そんなことは関係ない。
 自分が殺した存在を悼むことは間違っているのだろうか。
 ……わからない。けれど、兄弟のような存在を失ったこと、それは事実で。
 それなら俺は悼んだ方がたぶん良いのだ。
 悲しい、そう表現するのが正確で、おそらく俺は悲しんでいた。
 そんなことに今になって気付くなど、滑稽ではある。
 別にそれだってどうでもいい、と言ってしまうことはできるけれど。



 家に帰った俺は、部屋を掃除した。
 商店だけは空いていて、野菜やら肉やらを買って帰る。
 久しぶりに料理をした。
 これからどうなるか、なんてわからない。
 けれど、勇者だった頃に得た剣術で看板にあった警護依頼でもしようかなんて、
 そんなことを考えた。
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