短編小説

 半分こだからね、が彼の口癖だったらしい。何でも半分にして妹に分ける。分けられた妹は笑顔でおにいちゃんありがとうと言っていた。
 半分の少年は今は一人。机の下、狭い隙間に半分だけ顔を出している。
 覗き込むと空洞の目が虚ろに覗き返す。気付いたときこそ怖かったが、長く日常を過ごすうちにだんだんと慣れ、今や今日もいるなあくらいの反応になってしまった。
 少年の潜む机の周りは暗く淀み、昼間でもライトを点けねば作業が怪しいほどだ。まあ私が昼間机ですることといえば動画を見ることくらいだから、別段どうということもない。
 動画と動画の合間に机の下へ目をやると、半分の少年が半分だけ顔を出している。そんな狭い隙間に挟まって苦しくないのかと聞きたいが、生憎彼に言葉は通じない。口を開いても声にならない呻き声を出すだけだ。言葉が通じないのは別に構わないのだが、深夜に呻き声を出すのだけはやめてほしいと思う。ただでさえ眠れないのにもっと眠れなくなってしまうからだ。少年が深夜に呻くときは必ず私が金縛りに遭っているから、文句を言おうにも言えないし。

 あまりにも深夜の呻き声がひどいので通販でお札を買って机に貼ったのだが一夜にして黒く焦げ、塩なども盛ってみたもののそれも黒く溶けてしまった。呻き声はもっとひどくなった。
 今や部屋は真っ暗で、24時間明かりを点けている。昼間の呻き声はイヤホンをしていて聞こえないので問題ないのだが、夜の呻き声はやはり困る。お祓いとかしてもらった方がいいのかと思いつつも面倒くさくて頼めない。
 少年の地面から出ている部分もだんだん増えてきた気がする。机の下はぎちぎちだ。すり抜けるから問題ないものの、見た目暑苦しいのでやめてほしい。夏も近いし。
 黒い靄とかも出始めた。モニタを遮って困っている。手でぱたぱたと払うと晴れるので今のところは対処できているが。あまりにひどいようなら通販で扇風機でも買おうかと思っている。
 夜はますます眠れない。でもそれだって呻き声のせいだけではないのだと思う。気絶するように寝落ちることが増えた。

 少年が廊下にも現れるようになった。トイレに行くときとかに窓に突然映るのはびっくりするのでやめてほしい。廊下はとても暗いのに窓に映る少年の顔はくっきりと見えるのだ。科学を超越してるな、と思いながら、それなら他のものだってくっきり見えるようにしてほしいと思う。電気をパチパチするのだって労力を使うのだ。私はなるべく労力を使わずに生きていきたい。少年、お前の靄のせいで電気代が無駄にかかっているんだぞ。

 夜、パチッパチッという音がするようになった。ますます眠れなくなるかと思いきや、意外とリズミカルなので聴いているうちに眠りにつけることもあった。相変わらず、眠れない日の方が多いけれども。
 どちらにせよ眠れないのは少年だけのせいではない。
 動画を見ながら乾パンを食べていたら、
「ちょうだい……半分ちょうだい……」
 という声が聞こえた。
「え? これのこと?」
「ちょうだい……お姉ちゃん……」
「乾パンを半分こするのは難しいからこれ一個あげるね」
 机の下を覗き込み、乾パンを一個少年に押し付ける。乾パンは少年の体をすり抜け、床にからんと転がった。
「あ」
 からからから、と回る乾パン。
「えーと、なんかごめん」
 少年は空洞の目でそれをずっと見ていた。
 まあ、何かに集中できるということは悪いことではない。ずっと私の方ばかり見ていても疲れるだろうしな。それに、机の下に目をやったら必ず目が合うことを多少気まずく感じ始めていたところだった。なにしろ私はコミュ障なので、人の目を見るということが苦手なのだ。たとえそれが黒く塗りつぶされた穴であったとしても。

 あまりにも動画を見すぎたせいか、おすすめ機能に出てくる動画が視聴済みのものばかりになってきて、目を休めようと壁を見ながらチョコレートを貪り食っていた。
 机の下に目をやると、空洞の目がこちらを見ている。
「食うか?」
 私は少年にチョコレートを差し出した。
 少年は何の反応も示さない。
「賄賂ですよ、賄賂。これでこの黒い靄とか夜中の呻き声とか減らしてくれると助かります」
 言いながらチョコレートを少年の目の前に置くと、私は次の動画を探し始めた。
 それから私は少年にお菓子を押し付けることが増えた。机の下にお菓子の山が築かれてゆく。
 少年は物を食べないのだろうか。この菓子の山がずっとそのままだとそのうちGとか出ちゃいそうなんだがな。まあ、床とか黒い靄でほとんど何も見えないからGが出たところで気づかなさそうではあるが。

 机の下を覗き込んだときに少年と目が合う頻度が減った。最近、少年はお菓子の山を見つめていることが多い。それはそれで寂しいので
「私を見ろー!」
 などと叫んではみるものの、実際見られたら困るし何より叫んでも少年は反応しない。のれんに腕押しぬかに釘だ。
 半分の少年の輪郭が揺らいできたような気がする。

 廊下に少年が出なくなった。まあ、廊下に少年が出る家とかビックリドッキリハウス以外の何者でもないから出なければ出ない方がいいのだが。
 黒い靄も減ってきた気がする。PCの画面を邪魔されることが減った。嬉しいので動画でも一緒に見ようかと思い、子供の好きそうなかわいいネコチャンの動画などを探して流してみたのだが、少年は見向きもしないし私は飽きるしですぐにやめてしまった。結局いつものホラーゲーム実況に戻る。怖いのになぜか見てしまうのは人間の不思議って感じがして好きだ。
「ホラゲ実況ってマジ定番だよね。うわ今のめっちゃ怖い。見た? 床から半分だけ顔出てるとかどんな状況だよ。こえー」
 少年に画面を向けてみる。やはり見向きもしない。
「つれないなあ。たった一人の同居人だろ? お姉さんの孤独を癒してくれよ。半分こしてくれよ」
「半分こ……」
 お菓子の山から目を外し、空洞の目で少年が呟く。
「そうそう、半分こ。わかってるじゃないか」
「半分こ……」
「うんうん。半分こにするんだ。お姉さんの悩みとかお姉さんの苦悩も半分こしよう」
「……」
 少年はじっとこちらを見て、
「それは、むり」
 少年の輪郭が薄れる。
「ぼく、いかなきゃ」
「え?」
「ありがとう、お姉ちゃん」
 ざ、と風が吹いたと思ったら、お菓子の山ごと少年は消え失せていた。
 残ったのは靄の消えた無駄に明るい部屋と、すっきりした机の下。
「なんだよ……」
 画面の中では半分の少年がプレイヤーを追いかけている。
「なんだよ、それ」
 急に何もかも馬鹿らしくなってきて、PCを閉じて布団に潜った。
 黒い靄はない。パチパチという音もない。呻き声もない。
「ここまで付き合ったのに突然消えるとかひどいと思わないマジで? ひどくなったら一緒に連れてってくれるとか思うじゃん普通」
 私は布団を深く被る。
 眠れないかと思いきや、眠気はすぐにやってきた。

 目が覚めると夕方だった。
「かーっよく寝た! さーて今日もわくわく動画ライフを楽しみましょうかね」
 PCの前に座る。開ける。
 机の下を見る。妙に綺麗だ。
 壁を見る。白い。じわじわと、己の心の靄が精神を侵食しかけて、
『お姉ちゃん』
 机の下を見る。何もいない。
「気のせいか……」
『お姉ちゃん』
「うわ何!?」
『天界通信826』
「へーそりゃ便利なことで。で、何?」
『お父さんとお母さんがね、お姉ちゃんにお礼を言いなさいって』
「あーそう。どういたしまして」
『しばらくついててあげなさいって』
「はー? それは」
『お礼』
「へえ……そう」
『僕、新しいお菓子が食べたいな』
「えー。じゃあナイルでポチるか……」
『アンバー限定商品のタピオカドリンクが飲みたいの』
「えっどこ情報?」
『えっとね、お母さんが教えてくれた』
「えー、どうしても?」
『どうしても。ほら僕って長く生きてないし今のうちに色々経験しておきたいし』
「死者の言う言葉か、それ。はあ。わかったよ」
『やったー! 半分こね、お姉ちゃん』
「はいはい」
 その日、私は久しぶりに外に出た。


(おわり)
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