短編小説

 君に教えてもらった歌を、今もまだ聴いている。

 一生懸命恋をする君が好きだった。まっすぐに恋をする君が好きだった。
 君が好きな人は気まぐれで、秋の空のように機嫌を変える人だった。
 君の想いは周囲の人たちや当人にまですっかり知れ渡っていて、知らないのは君だけで。
 振り向いてもらおうと彼女からの難題に答える君、日常生活を懸命に過ごす君、勉強が不得意な君は進級すら危うくて、彼女と一緒の学年で居続けるため必死で頑張っていた。
 頑張っている。時折落ち込みながらも、仲間たちに励まされて懸命に頑張っている。
 そんな君のことが、私は好きだった。
 恋だったのかどうかはわからない。ただ、君の姿が好ましいと、そして、その恋が……ずっと叶わなければいいと、心の底で思っていただけ。
 恋が叶ってしまえば君は頑張ることをやめてしまうかもしれない。輝きを失ってしまうかもしれない。そう思う気持ちが、叶わなければいいと思わせていた。
 無論、表向きは応援しているし、相談にも乗る。ああしてみればこうしてみればとアドバイスもするし、落ち込んでいたら慰めもする。だが、心の奥では、別のことを考えていた。
 それを別段罪と思うわけでも悩むわけでもない。他人事のように、そうなんだなと思うだけ。好ましいと思う気持ちの方だって、大きくなることも小さくなることもなく、ふらふら揺れながら君との交流の中で継続していった。
 好ましさの扱いに困ることもなく、外面と内面の不一致に悩まされることもなく、平穏に毎日が過ぎる。

 そんなある日。なんてことのない日常会話の中で、君が曲を教えてくれた。おすすめの曲だ。
 私はその頃から音楽を聴くのが好きで、ちょうど聴く曲のストックが切れたので君に話題を振ってみたのだ。
 君はぶっきらぼうな態度で私に一つだけ曲を教えてくれた。私は部屋に帰ってからその曲を買って、携帯音楽プレーヤーに入れて聴いた。
 機械人形が恋に戸惑う歌。
 好みの曲調だったので、私はそれをたまに聴いては楽しんだ。
 君と話した日。君の相談に乗った日。君が落ち込んでいるのを見た日。君が笑顔だった日。図書館で、一人の帰り道で、部屋の中で、その曲を聴いた。
 卒業が近かった。いわゆるへたれである君は、おそらくきっと彼女に告白することなくこのまま卒業してゆくのだろうと私は楽観視していた。

 冬。
 卒業論文の提出も終わり、引っ越しをする者もちらほらと出てきて皆が名残を惜しみだした頃、君が告白したという噂を聴いた。
 私は君を探しに研究室に出かけて行った。
 研究室に着いて、探すまでもなく、ソファにもたれて座っている君を見つけた。
 どことなく沈んだ様子の君に私は声をかけた。
「やあ」
「ああ……――か」
「告白したんだって?」
「えー。誰から聞いたの」
「やだなあ、みんな知ってるよ。噂になってるんだもん」
「そっか……」
 君はソファに沈み込む。
「で、どうだったの、結果」
「……」
 君の様子を見れば、結果などわかりきっていた。ただ、君から直接聞きたくて、私は質問をした。
「駄目だった」
「そう」
「恋愛対象として見れないって言われて……そりゃそうだよな、っていうかあいつ彼氏いるもん」
「恋愛対象として見られてないなら意識させるように頑張ってみれば?」
「無理だよ……もうすぐ卒業だぜ」
「じゃ、諦めるの?」
「そうだよ……どう考えても無理でしょ……」
「でも、まだ好きなんでしょ?」
 君は無言で頷いた。
 彼女に対する君の恋の始まりは、一目惚れ。確かそうだった。新入生ガイダンスの時に隣に並んでいた彼女を見て、好きだと思った、そう言っていた。
 一目惚れを諦めるというのは難しいだろうと思う。私は一目惚れをしたことがないからわからないけれど、否応なく恋に落ちてしまったそれは自分の意志ではどうにもならないことだから、諦めることだって自分の意志ではどうにもならないのだろうなと。そう推測することくらいはできる。
「まあ、卒業してからも交流できるでしょ。会いに行けばいいじゃん。しばらくは卒業生飲みとかもあると思うし」
「でももう敗れちゃったからなあ。もう、いいんだよ」
「……そっか」
 沈黙が落ちる。
 私は君を見詰めた。君は物思いに沈んでいるようで、ぼうっと視線を宙に向けている。
 君はたびたび落ち込む人だが、その後はいつもきちんと復活して明るく頑張る君に戻るのだ。
 今回は失恋ということで今までにない落ち込みだろうとは思うが、私以外の皆も慰めることだし、またしばらくしたら元に戻るのだろう。
 私は君から視線を外す。
 今日は寒い。せっかく大学に来たのだし、日が暮れるまで大学図書館にでも寄っていくか。
 そう思って踵を返しかけたとき、
「――、」
 君が私を呼んだ。
「何?」
 私は君に向き直る。
「お前はさ、好きな人とかいないの」
「……」
 私は黙した。
 好きな人。この場合は、恋慕う人がいるかどうか、ということだろう。
 いない、と言おうとした口が、
「どうだろうね」
 言葉を紡いでいた。
「どうだろうねって……どうなんだよ」
「いるかもしれないし、いないかもしれない」
「なんだよ、秘密主義か」
「謎があった方が面白いじゃん。じゃ、私はこれで」
「ちぇー。弱みを握ってやろうと思ったのに。うん、またな」
 私は今度こそ君に背を向けた。研究室のドアを開けて、閉める。背後で君が再びソファに沈み込んだのがわかった。

 それからすぐに私は引っ越し、君とは会わなくなった。
 地方は遠く離れているし、何より私たちは特別に約束して会うほどの仲でもなかったからだ。
 連絡もなく、便りも着かず、近況も知らない。
 しかし、その曲を聴くときだけ思い出す。
 輝いていた君のこと、曲を教えてくれた君のこと、冬の終わりのあの日のこと。
 機械人形が、恋に戸惑う歌のこと。


(おわり)
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