短編小説

 街にはイルミネーションが溢れている。
 まだ11月だというのに、赤と緑の飾りもチカチカ光る電飾も当然のようにそこにあり、存在を主張していた。
 本屋のディスプレイにもケーキの作り方や赤い服のおじいさんの本なんかが並んでいる。
 その割には街の雰囲気がそう楽しげではなくて、ちぐはぐだ、と思う。

 赤い服のおじいさん、サンタクロースの正体が異星人だと知れたのは、数年前の話だ。
 当時はテレビや新聞で随分報道されたけれど、出来事は風化するもの。そのニュースはあっという間に世に馴染み、サンタはどこから来るのなんて質問にはフィンランド星だよという答えが返るようになって、今や彼について、異星人なの? などと訊こうものなら時代遅れだとみなされ冷たい目を向けられる。
 サンタが異星人、ということは、それほどまでに常識となったのだ。
 だからといって、俺達の生活が大きく変わったなんてことはない。ただ、クリスマスの贈り物の届く率が、少し高まっただけだ。
 贈り物の内容は、贈られた者以外にはわからない。持ち主以外の目には見えないからだ。そのことが本当かどうかは、俺の周囲に子供がいなかったので確かめる術はなかったし、別に知ろうとも思わなかったので、あまり調べていない。俺が知っているのは当時メディアで報道されたことだけだ。それ以上を知っている者はいなかった。
 贈られる者以外にとっては、クリスマスはこれまでのクリスマスと何ら変わらない。それがここ数年間続いている日常だ。
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
 パソコンを叩きながら、そう返す。
 職場の窓から見える街はイルミネーションでチカチカと光っている。
「俺はもう帰るけどさ、――くんもいい加減なとこでやめて早く帰りなよ」
「はい」
 11月、つまり、年末が近い。年末が近いと忙しい。忙しいと仕事が溜まる。仕事が溜まると残業せざるを得なくなる。
 さっき昼食を食べたと思っていたのに、もう22時だ。先輩も帰るはずだ。
 俺は画面を睨む。
 表計算ソフトのセルにN/Aという文字列が出ている。エラーだ。さっきからずっと出続けている。
 上司に示すデータを作るためにこれをやっていたのだが、エラーが出ていては示すものも示せない。
 明日上司と顔を合わせる前にデータを完成させてしまって提出したいものだが、こう原因がわからないと諦めたくもなる。
 俺はため息をついた。
 周囲の電灯はほとんど消されており、俺のいるデスク周辺だけぼんやりと明かりが点いている。
 パソコンの画面を眺めていると、なんだか文字がぼやけてばらばらになっていくような気がした。
 耳鳴りがして、側頭部を押さえる。
 集中しなければ。
 画面を睨み付けた瞬間、フラッシュをたいたように周囲が白く光った。
 一瞬、何も見えなくなった。自分がちゃんとここに存在しているのかどうか不安になるほど。
 だがそれはすぐに治まり、暗い職場が再び戻ってきた。
 雷か何かだろうか。今日は晴れの予報だったけれど。
 俺は画面に目を落とす。
「あれ」
 エラーが消えていた。数値には何の問題もなく、これなら上司にも提出できそうだ。
 不思議に思う気持ちはあったが、それよりもようやく帰れるという喜びの方が大きくて、俺はぐっと伸びをした。
「帰ろっと」

 やっぱり、街はイルミネーションに溢れていた。
 人通りが少ない。もう22時過ぎだからな。みんな帰っただろう。そう思ってビル群を見上げると、ところどころ明かりが点いていた。
 怖い、みんな働きすぎだろう。この時間に帰るのでさえ嫌になるのに、これ以上会社に残ったらどんな気持ちになるのだろう。
 考えるのも嫌だった。
 駅も電車もまだ人でごった返していて、いつになったら空くのだろうと思う。首都圏だし、オフィス街だし、人間が働き続ける限りこの電車が空くことはないのかもしれない。
 朦朧とした頭で電車に揺られて1時間半。ようやく寮のある駅にたどり着いた。
 街の明かりはほとんど消えており、コンビニだけが光っている。
 かじかむ手をコートのポケットに入れて、足早に帰路を急いだ。

 食堂ではつけっぱなしのテレビが0時のニュースを伝えていた。
 宇宙ステーションが20周年を迎えたらしい。
 冷蔵庫に入っていた自分の分の食事を温めて、席につく。
 広い食堂には俺以外誰もおらず、テレビの音だけが響いている。
 俺はリモコンを取って、テレビの音量を下げた。
 スマートフォンを取り出して、SNSを開く。特に何のニュースもない。さっきの雷のことでも書いてあるかと思ったが、雷のかの字もなかった。
 メインディッシュのぶりの焼いたのを口に運ぶ。
 ニュースではまだ宇宙ステーションのことをやっていた。宇宙から見た地球の映像。大気のふちがぼんやり霞んでいる。
 今週末は宇宙ステーションが見えるかもしれません。アナウンサーはそう締めくくった。
 俺はテレビを消した。
 もそもそと夕食を食べ終わって、食器を返す。キッチンは真っ暗だった。
 エレベーターに乗って、5階が俺の部屋だ。
 さっと風呂に入って寝る準備をして、ベッドに入りかけたとき、アナウンサーの言葉を思い出した。
 宇宙ステーションが見えるかもしれません。
 群青色のカーテンを掻き分けてベランダに出る。
 見上げると、冷えた空気の中に輝く星々。まさしく空いっぱい、というのが正しいだろう。
 そういえば、ここは郊外だった。夜も遅いし、明かりも少ない。どうりで星がよく見えるはずだ。
 俺はだんだんわくわくした気分になってきて、あちこち見回してみた。
 空の上の方に、ひときわ大きく輝く星があった。あんな目立つ星は見たことがない。いや、目に入っていなかったのかも知れない。なんせここ最近、星を見上げることなどなかったから。
 なんという星なのだろう。青く白く輝いているが。
 スマートフォンで調べてみる。色々なサイトをサーフィンした結果、あれはシリウスという星だとわかった。
 行き当たった宇宙局のページに載っていたSNSのアカウントをフォローして、そこからなんとなく芋づる式に他の探査機やプロジェクトや何やのアカウントもフォローして、俺は寝た。
 次の日は寝不足で多少ハイだった。



 毎晩見るSNSのホーム欄に宇宙関連のものが増え、寝る前に時々空を見上げるようになった。
 夜空を眺めていると、自分が遠くに吸い込まれていきそうな気がする。
 たまに考える。
 このまま吸い込まれて戻ってこれなくなったら。
 まあ、それも悪くない。
 絶えることのない締め切りに追われる毎日には疲れ果てていたし、一日一回は逃げ出したいと思っている。
 宇宙が大好きというわけではないが、それなりに興味のあるそこへ行けるのであれば、こんな日常なんか捨ててしまってもいいかもしれないと思うようになっていた。
 思うだけだが。

「お疲れ様」
「お疲れ様です」
 パソコンを叩きながらそう返す。
「俺はもう帰るけどさ、――くんもいい加減なとこでやめて帰りなよ。今日ももう遅いしさ」
「はい」
 そう言い残すと、先輩はオフィスを出て行った。
 22時。クリスマスイブだというのにこんな遅くまで残業する先輩は会社員の鑑だ。
 たしか、先輩には家庭があったはず。家族サービスはいいのだろうか。
 付き合わせてしまって申し訳ないという気持ちと、もう疲れたし早く帰りたいという身も蓋もない気持ちが喧嘩する。
 俺はため息をついた。
 画面をじっと見る。
 書面上の数値とファイル上の数値が合わないのだ。
 ファイル上の数値は計算で出されているので、計算式がまずいか、データの参照の仕方がまずいか、データが間違っているかのどれかだろう。
 さっきから何度も確認しているのに、一向に原因が見つからない。
 視界の端に映る窓にはいっそう輝くイルミネーションが映っている。
 この前と違って、今日はイブだし街もどことなく浮かれているように見える。俺の気分の問題かもしれないが。
 数値が合わない。
 頭が痛くなってきた。
「……帰るか」
 問題は明日の俺に任せればいい。データの提出期限は過ぎているが、これ以上残業したら頭がおかしくなりそうだ。
 俺はパソコンを閉じて、デスクを片付け、鞄を持って外に出た。

 それからどこをどうやって帰ったのか覚えていない。
 こうして無事に部屋にいるということは、いつもの帰り道を辿ったのだろう。
 目がしばしばした。
 夕食を食べる気になれないくらい疲れていて、このまま寝る前にせめてもの癒やしとして空だけ見上げておこうとベランダに出る。
 シリウスは天頂を少し過ぎ、見知らぬ星座が見えていた。
 隅から隅まで観察する。
 あれから何度もこうして空を見ているのに、俺はオリオン座とシリウス以外の星を全く覚えていない。何度見ても覚えられないのだ。
 俺は部屋に入る。
 ベッドの上にある通勤鞄を見て、仕事のことを思い出した。
 締め切りは過ぎている。明日になってもデータが完成していないことに、先輩は怒るだろうか。あんなに付き合ってやったのに、と思われるかもしれない。
 失望されるだろうか。嫌われるだろうか。
 提出先に謝罪の電話をかけなければ。
 それが終わってもまた別の締め切りがある。
 明日。明日。明日が来る。明後日も明々後日も、この先永遠にやってくる。
 頭が痛い。
 俺は床にしゃがみこんだ。
 ふと。目線の先に、見慣れぬもの。
 半球系の、濃紺色の……スノードームのようなもの。
 持ち上げようとして、メモがついていることに気付く。
『メリークリスマス!』
 カタカナでそう書いてある。
 部屋に帰ってきたときはなかったものだ。
 そういえば、日付が変わっている。
 12月25日。
 昨日は24日。
 イブ。
 プレゼント。
 サンタ。
 そうだ、それしかない。こんな短時間に、俺に気取られることなく、プレゼントのようなものを置いていくなど、サンタクロースにしかできない所行だ。
 メモを机に貼り付けて、スノードームのようなものをじっと見る。
 紺色は深く深く、その中にキラキラきらめくものが散っている。
 明滅するそれは、模造雪にしては輝いていて、LEDにしては小さくて、まるで星のようだった。
 宇宙。
 灰色の砂漠のようになっていた心が、わずかに波立つ。
 宇宙だ。
 プレゼントを持ったまま、ふらふらとベランダに出る。
 宇宙に行きたい。
 宇宙に。
 宇宙。
 耳鳴りがする。
 フラッシュのような白い光が視界を埋め尽くした。



 上昇。漆黒の空間。
 星々が近い。
 遠ざかりゆく地上では、開いたままの窓から吹き込む夜風が群青色のカーテンを揺らしていた。


(おわり)
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