亀のゾンビサバイバル・プロトタイプ

1
 オネエサンの夢を見た朝。外は曇天。窓の外を徘徊する「ヒトだったもの」。フートンに引きこもった僕を置いて世界は変わった。
 怖い怖い外の世界はもうない。どうせ死んでしまうなら、健康的に外を出歩くさ。
 僕は残っていた携帯食料を防災仕様甲羅型リュックに詰め込み、家を出た。


2
 アスファルトに薄い太陽光が射している。
 僕は甲羅を背負ってのんびり歩いていた。
 思った通り、ヒトの目がない世界は気楽だった。たまに出くわすゾンビも物陰でじっとしていればやり過ごすことができた。快適な終末だ。
 しばらく歩いているとゾンビの集団を見つけた。輪になって何かを囲んでいるようだ。気になったので背伸びしてみると、生きているヒト達が見えた。恐怖と嫌悪で歪んだ表情。せっかくの終末気分が台無しだ。だからといって割って入るのも嫌だった。そもそも勝算がゼロだ。
 終末とはいえ、命は大事にしたいよ。
 僕はその場を速やかに去った。


3
 陽が落ちてから動くのも危ないと思ったので、放棄されたコンテナに潜り込み、早めに寝た。浅い眠りの中で素敵なゾンビに食べられる夢を見た。残念ながら、夢は夢だった。そうして目が覚めると、扉の隙間から光が差していた。
 ごそごそ起き出して外の様子を見る。ふらふら歩くゾンビのようなヒトがいた。コワイ。
 目を合わせないようにしたのだが、努力虚しくそのヒトは近付いてきて僕に声をかけた。
「よう。食料を賭けてゲームしないか」
 目の下にクマをつくったそのヒトはゲーム機を二台取り出し一台を僕の前に置いた。
「pkmnバトルだ」
 あなたのロムでですか。
 相手は凡ミスを連発し、結果的に僕が勝った。寝不足だったんだろう。前日の夜からこんな早朝までフラフラ歩いていたそうだから、当たり前と言えば当たり前だ。
「やるじゃねえか……約束通りほら、食糧だ」
 そう言って相手が差し出したのは携帯食料が一つと、あとはおにぎりやパン類だった。
 生憎僕のリュックには空きが一つ分しかないんです。
 そう言って携帯食料だけをもらい、あとは丁寧にお返しした。
「こんな世界ですし、きちんと寝た方がいいと僕は思います」
 暗い目の彼は今が楽しけりゃいいんだよと応えてまたフラフラと去って行った。
 久しぶりにヒトと喋って疲れたので今日はもう危険が迫ってこない限りゴロゴロしていよう。素敵なゾンビの夢の続きが見たい。そう思いながら僕はゆっくり目を閉じた。


4
 突き抜けるような青空の下、今日ものんびり歩いていたら、遠くからワンという声がした。
 ゾンビ犬にはリアルじゃなくてもトラウマしかないので、僕はいそいそと手近な建物に隠れる。
 足元がジャリジャリしていて神経を使う。底の厚い靴でもあればなあと思っていたら、あった。
 「安全靴」というふれこみ。どうも新製品らしい。ふうんと思いながら、リュックに箱ごと詰める。
 よっぽどのことがない限り次の新製品は出ないだろうね。
 周りにとっては平和だった変化前の世界。その変化がなければ衰弱死していただろう僕。記憶は曖昧模糊としていて、遠い昔の夢のように思えた。僕はポメラニアンでもないけど、この世界でどこまで生きられるかな。
 携帯食料を頬張りながらぼんやりとそんなことを考えていた。


5
 昨日手に入れた安全靴が嬉しくて、色々なところを探索しようとうろちょろしていた。
 そうして入った廃屋。
 足元に気を遣わなくていいのでガンガン歩ける。
 軽くスキップなどしつつドアを開けたら、人がいた。
 血走った目のその男は僕に銃を突きつけ、
「お前も俺の食料を狙っているのか?」
 と言った。
 疑い、敵意、焦り……ひどい表情だ。先ほどまでのタノシイ気分が一気に萎む。
「生憎食料は間に合ってるので」
 投げやりに言葉を吐いて、ドアを閉める。
 疑心暗鬼になりすぎてあんなにやつれてしまったんだろう。
 探索する気分でもなくなったので僕は足早に廃屋を出た。


6
 安全靴生活二日目。
 荒廃したスーパーでスキップをしていたら、浮かれすぎて棚に甲羅をぶつけ、ごま油の瓶が落ちてきた。反応する間もなく瓶は足の上に落下したが、安全靴のおかげで安全だった。
 靴の上で安定している瓶を見ていたら、ものすごいことを思い付いた。
 ごそごそと作業する。少々手間取ったがなかなかそれっぽいものができた。
 火炎瓶だ。
 リュックは荷物でいっぱいになったが、僕の頭は火炎瓶を使ったかっこいいアクションプランでいっぱいになった。
 あんなこともできる。こんなこともできる。
 無人のスーパーに僕のくすくす笑う声がしばらく響いていた。


7
「コック! コックじゃないか!」
 大きな声に振り返ると、小柄な少女がコック帽の男性に駆け寄ったところだった。
 少女は背の高いコックに抱き着いて安心したように目を閉じる。
 僕はそれを眺めながら携帯食料を取り出した。
 君達は生き延びられたらいいね。
 もぐもぐと咀嚼し、飲み込んだ。


8
「こんばんはカメさん」
 にこやかな声に振り返ると、すらりと痩せたスーツ姿の男性がこちらに向かって微笑みかけていた。
「こんばんは……」
 僕は携帯食料を口にくわえたまま挨拶を返す。
 男性は笑みを浮かべたままこちらをじっと見た。
「ゾンビが蔓延する世界。あなたは幸福ですか?」
「……疑いようもなく幸福です」
 皺一つないスーツを見ながら僕は答えた。
「フフ、いいでしょう……あなたの行く先に幸いあれ」
 彼は僕の甲羅をちらりと見て、お辞儀した。
 僕は彼に背を向けた……瞬間、首筋に走る衝撃。何かが突き立てられたような、
「知っていましたか?」
 男性の声が耳元で響く。
「カメの生き血は身体によいそうですよ」
「……僕は亀だ」
 絞り出すように言うと、急に身体が軽くなる。
 警戒しながらゆっくり振り返る……誰もいなかった。怪我をしたと思った首も、傷一つない。
 極度の疲労感だけがずしりと残っていった。
「疑いようもなく……」
 僕は携帯食料をばり、と噛み砕き、夜の闇から目を逸らした。


9
「こんにちは!」
 うん? 最近よく声をかけられるな。まだ口に食料が入っているのに。
 振り返ると、カメラを構えた女性。
「ゾンビの世界。ジャーナリストとして人々の記録を残しておきたいんです。連れて行ってください!」
 ショートヘアの彼女は目を輝かせて僕を見ている。
 んー、と言って僕は口の中のものを飲み込む。
「僕じゃ無理ですよ。あまりヒトと関わらないし。……そこの人にでも頼めばいいんじゃないですか?」
 いつの間にか僕たちの後ろに立っていたスーツ姿の男性は、おやおやと言って首を傾げる。
「ジャーナリスト。あなたは幸福ですか?」
「幸福? 幸福といえば幸福……なんでしょうか……?」
 考え込む女性。
「まあいいでしょう。ついてきたいというのなら、ついてきなさい」
「えっ」
 ジャーナリストの女性は顔を上げて男性を見る。
「面白いものが見られます」
 女性の目は輝いている。
 これはまとまったな。
 新しい携帯食料を出しながら、二人に背を向ける。
 別に彼らがどうなろうと知った事ではないけれど、彼らが楽しめたらいいなと思った。
 でも、生き血はもう勘弁してくれよ。
 僕は携帯食料を頬張った。


10
「こんにち……」
「今度は誰です?」
「こんにちは、お兄さん」
 またヒトだ。
 子供だ。
 傷だらけだ。
 足を引きずっている。
 放っておくと死ぬ。連れて行かなきゃ人道団体から何か言われてしまう。
「あらあなた、こんなところに子供がいるわ」
「本当だ、死んだあの子にそっくりだよ」
「これはきっと神様の思し召しよ」
 僕は咄嗟にその場から駆け出していた。
 おかしいだろ。都合が良すぎる。
 這い上がる寒気を携帯食料と共に飲み下し、僕は走り続けた。


11
「ゾンビ……ゾンビナンデ?」
 廃ガソリンスタンドを通りがかったら、周りからうじゃうじゃとゾンビが出てきて囲まれてしまった。
 そうだ、こんなときこそ火炎瓶だ!
 投げてしまった後で気付く。
 ここはガソリンスタンド、火気厳禁だ。だが時既に遅し。
 KABOOM!
 大爆発が起きてゾンビもスタンドも僕も吹き飛んでしまった。
 幸いにしてダメージはなかったものの、浅はかな行動のせいで状態異常:回復不能を追ってしまった。
 回復不能。身体にこれといった異常があるわけでもない。なぜ回復不能になるのだろう。
 甲羅を見ると、でかでかと「回復できない」のショドー。なるほど。これでは回復できると思う方が間違いだな。
 災難だなあと思いながら僕は携帯食料を噛みちぎった。


12
「ヘイボーイ」
「あなたは……神父様!」
「いかにも。私は三回使える火炎瓶のようなものだ。三回だけ。三回だけ君に力を貸してやってもよいぞ」
「あ、生憎ですが僕の食料にはそんなに余裕が」
「背中に回復できないと書いてあるじゃないか! そんな亀を放っておくわけにはいかない! 動物愛護だよ、君」
「アッハイ」
「無理矢理ついてくる身体の大きい彼よりはマシだろう!」
「アッハイ……」
「よろしくな! おや、携帯食料か……悪いことは言わん、もっといいものを食べたまえ」
 携帯食料を口に詰め込みながら、諭すような目でこちらを見てくる神父。
 僕はそんな彼を見ながら、この先どうなってしまうのだろうと考えていた。


13
「早くも囲まれている……これは神父の出番では」
「すぐに私に頼るのはよくないぞ? それにほら、車が」
「わブッ」
 目の前に迫る車。吹っ飛ばされる僕と、僕を囲んでいたゾンビたち。神父はひらりとそれらをかわす。
 車は大破、ゾンビは全滅、僕は地面に叩きつけられた。
 不思議なことに、痛みは全くない。その代わり、ピンク色の靄のようなものが僕から流れ出した。
 ははん、これが生命力だな。これがなくなったら僕は死ぬ。
「なかなかダメージを受けてしまったな、君」
 甲羅から勝手に携帯食料を取り出しながら、神父。
「もっと早く教えてくれれば避けられたんですがねえ」
「おかげで私との別れが延びたではないか、よかったな!」
「……」
 携帯食料を懐にしまった神父は車の残骸に近付く。
 運転席を覗き込み、おや、と呟いた。
「どうしましたか」
「ドライバーがいない」
「なんですって?」
 僕が訊き返すと、神父は両手を広げて首を横に振った。
「ホラーめいた事象だな、君」


14
「神父! この数! なんとかしてください!」
「まあ待て、まだ下がれるぞ?」
「冗談じゃない!」
「ほら、このドアを開け……、」
「神父?」
「開かないな」
「助けてー!」
 その時だ!
 ドバン!
 何かがドアをぶち破る音。バットを持ったお姉さんが部屋に跳び込んできた。
 お姉さんはゆっくりとバットを構え直し、少し暗い目でゾンビたちを見据えた。
 気圧されたのか、ゾンビたちは後ずさりする。
「神父! ぼうっとしてないで、」
「インストラクションワンだ、君。その甲羅は飾りかね?」
「エッ?」
 神父は僕を掴んで固めて放り投げた。
 ぐるぐる回りながらゾンビに突っ込む僕。堅い甲羅がゾンビたちを薙ぎ倒す。そして勢いのついた僕は
「グワーッ!」
 ものすごいスピードで壁に激突した。ばたんと床に倒れる僕。華麗にゾンビを叩きつぶすお姉さん。僕はぐるぐる回る視界でその活躍を見ていた。
「ありがとうございました……!」
 全てのゾンビをやっつけて去りゆくお姉さんの背中に、僕は何度も頭を下げた。
「君の活躍はほんの一瞬だったな! これでは私がいなくなった後が心配だ!」
 ぺしぺしと甲羅を叩きながら携帯食料をかじる神父。贅沢にも二つ一気に食べようとする。
「神父!」
「こら! 私を噛んではいけない! わかったわかった、君も一つ食べたまえ」
 僕の頭に食料をぽんと載せる神父。
 お姉さんの背中はもうだいぶ遠くなっている。
 暗い、だが強い目をしたお姉さん。次はどこを目指すのだろう。
 神父と僕は並んで食料を咀嚼しながら、夕闇の中を遠く遠く去ってゆくお姉さんを見送った。


15

 神父が戦闘訓練をするというので、ビルの屋上までやってきた。
「この甲羅で敵を潰せばよいのですね?」
 棒高跳びめいて後ろ向きにぴょんと跳びあがりゾンビをプレスする。甲羅越しにめきめきいう音。空は今日も青い。
 仰向けになると、起き上がるのに時間がかかる。寝転がったまま空を見ていたら、何かに足を掴まれた。
 神父ではないだろう。神父は僕の倒したゾンビたちの上に腕組みして立っている。
 となると、これはゾンビだ。
 ずりずりと引っ張られ、あるところで急にその力が強くなり、足が屋上からはみ出す。
 何が起こっているんだ。僕は起き上がろうと手足をばたつかせた。
「まだまだ一人では戦えんな」
 身体が反転する。足を掴んでいた何かが外れる。
 僕はぐるんとうつ伏せになった。
「逆甲羅返しだ。起き上がる感覚を覚えたまえ」
 頭上で聞こえる声。
「僕は戦いたくないのに」
 うつ伏せのまま呟く。
 いつも即座に返ってくる返事が、なかなか帰ってこない。
 おかしいなと思って見上げる。
「ではどうすれば」
 神父は僕を真っ直ぐ見ていた。
「どうすれば、戦わずに暮らせるだろうな?」
「……外に出ないこと」
「他には?」
「逃げ続けること」
「他には?」
「ええと……隠れる……」
 そうして僕の考え付くありとあらゆる答えを聞き尽くすまで、神父は問い続けたのだった(お腹が空いた)。


16
 それから僕たちがどうしたか。
 日々は過ぎていった。荒廃した世界なのに、食料もなんだかんだで見つかって、淡々と非日常を進んでゆく。
 どこまで行っても世界は荒廃していた。果てがないのかとすら思えたが、僕たちは進み続けた。
 旅の途中、白い巨大な何かがいなくなったと聞いた。
 世界が見捨てられたという根拠のない噂。
 仮にそれが真実だとしても、僕たちが今生きている以上、生き続けるしか道はないのだ。
 まだ、生きていたい。
 漠然とそう思う。
 青空に、ないはずのヘリコプターの音が聞こえた。
 
 僕は今も神父と旅をしている。


(おわり)
1/1ページ
    スキ