冴木宇田シリーズ
「二次会しようぜ! 会場はうちな」
観察対象、冴木優哉がそう言ったのは、12月24日のクリスマスイブ。SF研究会のクリスマスパーティの帰り道でのことだった。
秋の新歓コンパでの失態から、僕は「友人」として不自然でない範囲で冴木のことを監視している。
今日のクリスマスパーティでも、僕は冴木の隣に座って言動に変わったところはないか子細に観察していた。
そんな冴木と僕の帰り道は途中まで同じ方向で、大学通りをずっと北に進んだ、小さなスーパーのある交差点で左右に別れる。
閉店間際のスーパーの照明が頼りなく歩道を照らすその交差点で、冴木は冒頭の言葉を発したのだった。
「二次会、ですか」
「せや。お前も飲み足りないやろ」
「いや、冴木くんも僕もアルコールなんて飲んでないじゃないですか」
「そこは雰囲気やで。そこのスーパーでサイダーとかお菓子とか色々買ってさ、二人で飲むわけ。わくわくせえへんか?」
「いや、別に……」
「宇田がわくわくしなくても俺はわくわくするんや。大学生のクリスマスイブといえばクリスマスパーティ、クリスマスパーティの後に何をするかといえば、当然……ロマンチックな宅飲みやろ」
「はあ」
二次会自体はSF研究会の有志で催されるものがあった。それを、他にやることがある、と言って帰路についたと思ったら、こんなことを考えていたのか。
「ロマンチックな、っていうのはどういう要素から来るんですか?」
「ふふふ。それはな。ナイルプライムミュージックでクリスマスの音楽をかけるんだよ! めっちゃナイスアイディアじゃね?」
「はあ、まあ、クリスマス気分は盛り上がると思いますね」
僕は無難なコメントをした。
「せやろ? 俺ずっと考えててん。親友とのクリスマス宅飲みパーティを盛り上げるにはどうすればええんかってな……」
親友。
その言葉が胸の隅に引っかかる。認識セットの作用だろう。この国、この年代の「親友」という言葉はそれなりに重い。
「友人活動」は成功しているようだ。親友と思われているならば、そう思わせておいた方が都合がいい。活動は上々です、と後で上司に報告しておこう。
「ナイルプライムミュージックの利用はほんまにナイスアイディアやと思うねん」
「冴木くんがそう思うならそうだと思いますよ。それより、冴木くんってプライム会員だったんですね」
「せやで」
返事しながら冴木は歩き出す。スーパーに向かうのだろう。僕も鞄を背負い直して後を追う。
「好きなものにはお金を払うタイプなんですか?」
「タイプってほどじゃないけどな。俺、音楽好きやから。走ってる途中に頭の中で流す音楽を常に探してんねん」
「へえ」
冴木と僕はスーパーの自動ドアをくぐった。
走っている途中に頭の中で音楽を流すのか、とか、特定の音楽で満足せずに新規の音楽を常に探しているのか、とか思うところは多くあったが、あまり一気に訊くのは対象の心象を悪くするかと思い、頭の中の保留リストに入れる。
買い物かごを取りながら、冴木は続けた。
「音楽はええで。音楽聴いたら心が安まるからな。宇田は音楽好きなんか?」
「僕ですか?」
「あんまり音楽とか聴いてるイメージないからさ。でも、好きなんやったらどんな音楽が好きなんかと思って」
冴木は勝手知ったる様子でスーパーの棚の間を抜け、奥に向かう。
「僕はベン・E・キングの『Stand by Me』が好きですね」
さらりと答える。
心動かすほどの「好き」ではない。認識セットにそう設定されているからというだけだ。
「スタンドバイミー。ウェンザナイってやつか? 線路の上歩く映画の……」
「ええ」
「ほう、ええやん。俺も好きやでスタンドバイミー。メロディしかわからんけど。どんなとこが好きなん?」
「僕もメロディが好きです」
これも、そう設定されている。メロディの知識はあるが、歌詞についてはない。だが、認識セットの設定以降に繁華街などでかかっているのを聴いて冒頭をうっすら覚えている程度の知識はある。
「ええよな。スタンドバイミー」
言いながら、冴木はサイダーのペットボトルをかごに入れる。
「炭酸いける?」
「大丈夫です」
サイダーならSF研究会の飲み会でたまに飲むし、認識セットにも知識が入っているので飲めるはずだ。
「お、抹茶入り緑茶や。これおいしいねんな。買お」
500mlペットボトルをかごに入れる冴木。
「宇田はなんか飲みたいもんないん?」
「え」
「割り勘やからな、好きなもの買おうぜ」
「僕は……」
好きな飲み物は緑茶ということになっているが、緑茶は既にかごに入っている。
他に好きなものとなると、何だろうか。
自分の記憶と認識セットが混合している頭の中を探ってみるが、特に何も出てこない。
「……冴木くんの好きなものでいいですよ」
「惜しい。そこは冴木くんの好きなもの『が』いいですよって言って欲しいとこやったな」
「はあ……じゃあ冴木くんの好きなものがいいです」
「言い直すんかい」
「言い直しますよ。だって」
「だって?」
「言って欲しかったんでしょう」
「うん? せやなあ、うん。そうか……ありがとな」
「いえ」
冴木は一人で何か納得したようだ。何を納得したのか気になったが、次の瞬間冴木が
「よし、じゃ、このコーヒーにしよかな。砂糖入ってるやつ」
と言って棚からコーヒーのペットボトルを取ったので僕は訊くのをやめた。
◆
「メリークリスマース」
「メリークリスマス」
ぺち、と紙コップで乾杯する冴木と僕。冴木のコップにはサイダー、僕のコップには抹茶入り緑茶が入っている。
「ぷはあうまい。やっぱクリスマスはサイダーやな」
冴木はサイダーを一気飲みし、コップをテーブルに置いた。
「どうぞどうぞ」
僕はペットボトルを取ってサイダーを冴木のコップに注ぐ。
「ありがとう」
サイダーをまた一口飲む冴木。
「宇田も飲もうぜ」
「ええ」
僕は紙コップから抹茶入り緑茶を一口飲んだ。
「うまいか?」
「……」
僕はこれまで緑茶をペットボトルの普通の緑茶しか飲んだことがなかったが、この抹茶入り緑茶は何というか、香りが違う。認識セットの中にある緑茶の味の純度を高めたような香りだ。感じたことのないものだが、嫌いではないと思った。こういった感覚のことをおいしいと言うのだろうか。
「おいしい、と思います」
「せやろ! なんてったって期間限定品やからな。俺も後で飲もっと」
「ええ」
「せやナイルプライムミュージック繋がな」
「そうですね。あ、コート脱いでいいですか?」
「いいぜ」
僕はコートを脱いで畳み、床に置いた。
冴木は家に着いてすぐ飲み物とお菓子の準備を始めたかと思うと速攻で乾杯に入ったので、僕たちは外用の格好をしたままだったのだ。
「冴木くんは脱がないんですか、コート」
「ほんまや、脱いでなかったな。道理で暑いと思ったわ。えーとパソコン」
冴木はコートを脱ぎながらベッドの上に仮移動されていたノートパソコンのスイッチを押した。画面が点く。
「これ立ち上がりめっちゃ遅いねん。学校のやつの方が速いってどういうことやねんな」
「古いんでしょうね」
「せやな、悲しいわ。ポテチ食べようぜポテチ」
冴木はテーブルに向き直り、ポテトチップスの袋を背中から開けた。
「なんですか、その開け方」
「パーティ開けやで」
「パーティ開け?」
「え、知らんのか! 普通に開けたら開け口が狭いし一方向からしか食べられへんけど、パーティ開けすると全方向からポテチ取れるんやで。俺はこれを人類の偉大な発明の一つやと思う」
「へえ……」
パーティ開け、などというものは認識セットに入っていなかった。比較的新しい文化なのか、それとも認識セットの基礎を作った第一次調査班が取りこぼしていたか。まあ、この年代に交じるのは僕たちの代が初めてだから、色々漏れていることもあるだろう。
「パーティ開け知らんとか宇田もまだまだやな」
「ええ。教えてくれてありがとうございます」
「え」
「僕は若輩者ですから、知らないこともたくさんあります。こうやって教えていただけるというのも、『親友』ならではのことですね」
冴木は固まっている。
ポテトチップスを取ろうとしていたのか、袋の開け口に手を伸ばしたままだ。
「なにか?」
「宇田」
冴木は両手を開いてそっとテーブルの上に置いた。
「親友じゃなくても、わからないことがあったら訊いていいんやで。俺と宇田は親友やけど、俺でよければ何でも教えるから気軽に訊いてな」
「ええと」
認識セットにインプットされている地球の創作物の中だと、親友同士は物事の許容範囲が広い傾向がある。それを踏まえた発言だったのだが、どうも反応が微妙だ。
「ありがとうございます」
何にせよ、認識セットの精度を上げるために必要な知識を観察対象である冴木から得られるというのは一石二鳥だ。利用しない手はない。
「気軽に訊かせてもらいます」
冴木はうんうんと頷いている。
「あの、冴木くん」
「うん?」
「パソコン点いたんじゃないですか?」
「ほんまや。ナイルナイル」
冴木はパソコンに向き直り、デスクトップにあった青いアイコンをクリックした。すぐにウィンドウが立ち上がる。
「便利やろ。ナイルミュージック、アプリあるからな。えーと、クリスマスに聴きたい曲集。これやな。ほい」
音楽が流れ出す。静かなコーラスだ。
「『星に願いを』、ですか」
「せや。これを筆頭に様々なクリスマスにぴったりのミュージックが流れるというクリスマスイブにぴったりなプレイリスト……ああ俺の発想が怖い。このプレイリストを作ったユーザーも怖い。きっとものすごい再生数やで。いや別にナイル運営が作ったやつかもしれんけどさ」
「そうですね」
「スピーカー繋ぐか」
そう言うと冴木は本棚の上からスピーカーらしき黒い物体を取り、電源を入れた。
ほどなく電子音が鳴り、PCから流れていた音楽がスピーカーに切り替わって流れ始める。
「ええ音やろ?」
「立体的ですね」
「せやねん」
「低音がよく聞こえます」
「せやろ! 帰省したときに奮発した甲斐があったわ」
それから「クリスマスに聴きたい曲集」をBGMに冴木と僕は色々な話をした。主に冴木が最近見て面白かった映画とか本とか授業とか、部活でタイムが上がったとかいう話をして、僕がそれに相槌を打つという形だった。
お酒も飲んでいないのに冴木はやたらと饒舌で、一体何が原因なのかと話を聞きながら考えていた。
そういえば、冴木の家で飲み会のようなことをするのは初めてだ。共通の授業の課題なんかを一緒にやったりはしていたが、飲むためだけに二人で会うということはなかった。
二人で勉強会をしていて飽きてくると冴木は本棚から本を取り、内容に突っ込みを入れ始める。行動自体はあまりよく理解できなかったが、その本棚は今テーブルの横に見えているそれだ。
木製で、白く塗装されていて、横長の二段重ね。並んでいる本はSFやファンタジー、宇宙や星なんかの本が多かった。
今日は割と長くここにいるが、まだ本を取り出す様子は見えない。
引き続き観察を続けていると、
「そうだ」
突然冴木が立ち上がった。
「なんですか」
「プレイリスト何周もしてるし、飽きてこおへん? 曲探そうぜ」
「探すとは?」
「決まってるだろ、お前の好きな曲だよ」
「好きな曲」
「スタンドバイミーだよ。ナイルにあるかな」
言いながら、冴木がPCを操作し始める。
「あった。やっぱ有名な曲だしあるよな。よし」
冴木がマウスを動かすと、前奏が流れ始めた。
「いいよなベース」
「ええ」
正直僕にはよくわからなかったが、適当に相槌を打っておく。
そんなことをしているうちに、歌が始まった。
「英語や」
「それはそうでしょう」
「夜が来るときって言ってるのはわかる」
「へえ」
認識セットに入っている英語知識は語学学習に支障のないレベルだが、上手すぎて目立ってしまわないように調整してあり、僕もそううまく聞き取れるわけではない。
冴木は最初のうちは歌詞を追おうとしていたが、だんだんわからなくなったようで、曲に合わせて鼻歌を歌い出した。それにやけに気を取られてしまい、僕も歌詞を追えなくなる。
曲が終わる。
「リピートしとこ。ええ曲やし」
冴木がマウスをカチカチ操作すると、曲がまた頭から始まった。
それから冴木はStand by Meにまつわる思い出なんかを話していたが、なんだかうとうとし始めたなと思った次の瞬間には寝落ちていた。
「冴木くん」
返事はない。軽く揺すってみるも、深く寝入っているようだ。
今日も陸上部の練習はあったようだから、おそらく疲れているのだろう。だからどうとは思わないが。
僕は物体操作を使って冴木をベッドに運んだ。
今日のことを上司に報告しなければ。
僕は冴木をそのままにして外に出る。
新歓コンパのときのように誰かに見られるということもなく、報告は無事終わった。
冴木の部屋に戻ると、かけっぱなしのStand by Meがまだ鳴っていた。
先ほどは聞き取れなかったしなと思い、なんとなくそれを聴く。
大切な人に傍にいてくれと願う歌だった。
僕には関係ない。
そう思って、音楽を止めた。
(おわり)
観察対象、冴木優哉がそう言ったのは、12月24日のクリスマスイブ。SF研究会のクリスマスパーティの帰り道でのことだった。
秋の新歓コンパでの失態から、僕は「友人」として不自然でない範囲で冴木のことを監視している。
今日のクリスマスパーティでも、僕は冴木の隣に座って言動に変わったところはないか子細に観察していた。
そんな冴木と僕の帰り道は途中まで同じ方向で、大学通りをずっと北に進んだ、小さなスーパーのある交差点で左右に別れる。
閉店間際のスーパーの照明が頼りなく歩道を照らすその交差点で、冴木は冒頭の言葉を発したのだった。
「二次会、ですか」
「せや。お前も飲み足りないやろ」
「いや、冴木くんも僕もアルコールなんて飲んでないじゃないですか」
「そこは雰囲気やで。そこのスーパーでサイダーとかお菓子とか色々買ってさ、二人で飲むわけ。わくわくせえへんか?」
「いや、別に……」
「宇田がわくわくしなくても俺はわくわくするんや。大学生のクリスマスイブといえばクリスマスパーティ、クリスマスパーティの後に何をするかといえば、当然……ロマンチックな宅飲みやろ」
「はあ」
二次会自体はSF研究会の有志で催されるものがあった。それを、他にやることがある、と言って帰路についたと思ったら、こんなことを考えていたのか。
「ロマンチックな、っていうのはどういう要素から来るんですか?」
「ふふふ。それはな。ナイルプライムミュージックでクリスマスの音楽をかけるんだよ! めっちゃナイスアイディアじゃね?」
「はあ、まあ、クリスマス気分は盛り上がると思いますね」
僕は無難なコメントをした。
「せやろ? 俺ずっと考えててん。親友とのクリスマス宅飲みパーティを盛り上げるにはどうすればええんかってな……」
親友。
その言葉が胸の隅に引っかかる。認識セットの作用だろう。この国、この年代の「親友」という言葉はそれなりに重い。
「友人活動」は成功しているようだ。親友と思われているならば、そう思わせておいた方が都合がいい。活動は上々です、と後で上司に報告しておこう。
「ナイルプライムミュージックの利用はほんまにナイスアイディアやと思うねん」
「冴木くんがそう思うならそうだと思いますよ。それより、冴木くんってプライム会員だったんですね」
「せやで」
返事しながら冴木は歩き出す。スーパーに向かうのだろう。僕も鞄を背負い直して後を追う。
「好きなものにはお金を払うタイプなんですか?」
「タイプってほどじゃないけどな。俺、音楽好きやから。走ってる途中に頭の中で流す音楽を常に探してんねん」
「へえ」
冴木と僕はスーパーの自動ドアをくぐった。
走っている途中に頭の中で音楽を流すのか、とか、特定の音楽で満足せずに新規の音楽を常に探しているのか、とか思うところは多くあったが、あまり一気に訊くのは対象の心象を悪くするかと思い、頭の中の保留リストに入れる。
買い物かごを取りながら、冴木は続けた。
「音楽はええで。音楽聴いたら心が安まるからな。宇田は音楽好きなんか?」
「僕ですか?」
「あんまり音楽とか聴いてるイメージないからさ。でも、好きなんやったらどんな音楽が好きなんかと思って」
冴木は勝手知ったる様子でスーパーの棚の間を抜け、奥に向かう。
「僕はベン・E・キングの『Stand by Me』が好きですね」
さらりと答える。
心動かすほどの「好き」ではない。認識セットにそう設定されているからというだけだ。
「スタンドバイミー。ウェンザナイってやつか? 線路の上歩く映画の……」
「ええ」
「ほう、ええやん。俺も好きやでスタンドバイミー。メロディしかわからんけど。どんなとこが好きなん?」
「僕もメロディが好きです」
これも、そう設定されている。メロディの知識はあるが、歌詞についてはない。だが、認識セットの設定以降に繁華街などでかかっているのを聴いて冒頭をうっすら覚えている程度の知識はある。
「ええよな。スタンドバイミー」
言いながら、冴木はサイダーのペットボトルをかごに入れる。
「炭酸いける?」
「大丈夫です」
サイダーならSF研究会の飲み会でたまに飲むし、認識セットにも知識が入っているので飲めるはずだ。
「お、抹茶入り緑茶や。これおいしいねんな。買お」
500mlペットボトルをかごに入れる冴木。
「宇田はなんか飲みたいもんないん?」
「え」
「割り勘やからな、好きなもの買おうぜ」
「僕は……」
好きな飲み物は緑茶ということになっているが、緑茶は既にかごに入っている。
他に好きなものとなると、何だろうか。
自分の記憶と認識セットが混合している頭の中を探ってみるが、特に何も出てこない。
「……冴木くんの好きなものでいいですよ」
「惜しい。そこは冴木くんの好きなもの『が』いいですよって言って欲しいとこやったな」
「はあ……じゃあ冴木くんの好きなものがいいです」
「言い直すんかい」
「言い直しますよ。だって」
「だって?」
「言って欲しかったんでしょう」
「うん? せやなあ、うん。そうか……ありがとな」
「いえ」
冴木は一人で何か納得したようだ。何を納得したのか気になったが、次の瞬間冴木が
「よし、じゃ、このコーヒーにしよかな。砂糖入ってるやつ」
と言って棚からコーヒーのペットボトルを取ったので僕は訊くのをやめた。
◆
「メリークリスマース」
「メリークリスマス」
ぺち、と紙コップで乾杯する冴木と僕。冴木のコップにはサイダー、僕のコップには抹茶入り緑茶が入っている。
「ぷはあうまい。やっぱクリスマスはサイダーやな」
冴木はサイダーを一気飲みし、コップをテーブルに置いた。
「どうぞどうぞ」
僕はペットボトルを取ってサイダーを冴木のコップに注ぐ。
「ありがとう」
サイダーをまた一口飲む冴木。
「宇田も飲もうぜ」
「ええ」
僕は紙コップから抹茶入り緑茶を一口飲んだ。
「うまいか?」
「……」
僕はこれまで緑茶をペットボトルの普通の緑茶しか飲んだことがなかったが、この抹茶入り緑茶は何というか、香りが違う。認識セットの中にある緑茶の味の純度を高めたような香りだ。感じたことのないものだが、嫌いではないと思った。こういった感覚のことをおいしいと言うのだろうか。
「おいしい、と思います」
「せやろ! なんてったって期間限定品やからな。俺も後で飲もっと」
「ええ」
「せやナイルプライムミュージック繋がな」
「そうですね。あ、コート脱いでいいですか?」
「いいぜ」
僕はコートを脱いで畳み、床に置いた。
冴木は家に着いてすぐ飲み物とお菓子の準備を始めたかと思うと速攻で乾杯に入ったので、僕たちは外用の格好をしたままだったのだ。
「冴木くんは脱がないんですか、コート」
「ほんまや、脱いでなかったな。道理で暑いと思ったわ。えーとパソコン」
冴木はコートを脱ぎながらベッドの上に仮移動されていたノートパソコンのスイッチを押した。画面が点く。
「これ立ち上がりめっちゃ遅いねん。学校のやつの方が速いってどういうことやねんな」
「古いんでしょうね」
「せやな、悲しいわ。ポテチ食べようぜポテチ」
冴木はテーブルに向き直り、ポテトチップスの袋を背中から開けた。
「なんですか、その開け方」
「パーティ開けやで」
「パーティ開け?」
「え、知らんのか! 普通に開けたら開け口が狭いし一方向からしか食べられへんけど、パーティ開けすると全方向からポテチ取れるんやで。俺はこれを人類の偉大な発明の一つやと思う」
「へえ……」
パーティ開け、などというものは認識セットに入っていなかった。比較的新しい文化なのか、それとも認識セットの基礎を作った第一次調査班が取りこぼしていたか。まあ、この年代に交じるのは僕たちの代が初めてだから、色々漏れていることもあるだろう。
「パーティ開け知らんとか宇田もまだまだやな」
「ええ。教えてくれてありがとうございます」
「え」
「僕は若輩者ですから、知らないこともたくさんあります。こうやって教えていただけるというのも、『親友』ならではのことですね」
冴木は固まっている。
ポテトチップスを取ろうとしていたのか、袋の開け口に手を伸ばしたままだ。
「なにか?」
「宇田」
冴木は両手を開いてそっとテーブルの上に置いた。
「親友じゃなくても、わからないことがあったら訊いていいんやで。俺と宇田は親友やけど、俺でよければ何でも教えるから気軽に訊いてな」
「ええと」
認識セットにインプットされている地球の創作物の中だと、親友同士は物事の許容範囲が広い傾向がある。それを踏まえた発言だったのだが、どうも反応が微妙だ。
「ありがとうございます」
何にせよ、認識セットの精度を上げるために必要な知識を観察対象である冴木から得られるというのは一石二鳥だ。利用しない手はない。
「気軽に訊かせてもらいます」
冴木はうんうんと頷いている。
「あの、冴木くん」
「うん?」
「パソコン点いたんじゃないですか?」
「ほんまや。ナイルナイル」
冴木はパソコンに向き直り、デスクトップにあった青いアイコンをクリックした。すぐにウィンドウが立ち上がる。
「便利やろ。ナイルミュージック、アプリあるからな。えーと、クリスマスに聴きたい曲集。これやな。ほい」
音楽が流れ出す。静かなコーラスだ。
「『星に願いを』、ですか」
「せや。これを筆頭に様々なクリスマスにぴったりのミュージックが流れるというクリスマスイブにぴったりなプレイリスト……ああ俺の発想が怖い。このプレイリストを作ったユーザーも怖い。きっとものすごい再生数やで。いや別にナイル運営が作ったやつかもしれんけどさ」
「そうですね」
「スピーカー繋ぐか」
そう言うと冴木は本棚の上からスピーカーらしき黒い物体を取り、電源を入れた。
ほどなく電子音が鳴り、PCから流れていた音楽がスピーカーに切り替わって流れ始める。
「ええ音やろ?」
「立体的ですね」
「せやねん」
「低音がよく聞こえます」
「せやろ! 帰省したときに奮発した甲斐があったわ」
それから「クリスマスに聴きたい曲集」をBGMに冴木と僕は色々な話をした。主に冴木が最近見て面白かった映画とか本とか授業とか、部活でタイムが上がったとかいう話をして、僕がそれに相槌を打つという形だった。
お酒も飲んでいないのに冴木はやたらと饒舌で、一体何が原因なのかと話を聞きながら考えていた。
そういえば、冴木の家で飲み会のようなことをするのは初めてだ。共通の授業の課題なんかを一緒にやったりはしていたが、飲むためだけに二人で会うということはなかった。
二人で勉強会をしていて飽きてくると冴木は本棚から本を取り、内容に突っ込みを入れ始める。行動自体はあまりよく理解できなかったが、その本棚は今テーブルの横に見えているそれだ。
木製で、白く塗装されていて、横長の二段重ね。並んでいる本はSFやファンタジー、宇宙や星なんかの本が多かった。
今日は割と長くここにいるが、まだ本を取り出す様子は見えない。
引き続き観察を続けていると、
「そうだ」
突然冴木が立ち上がった。
「なんですか」
「プレイリスト何周もしてるし、飽きてこおへん? 曲探そうぜ」
「探すとは?」
「決まってるだろ、お前の好きな曲だよ」
「好きな曲」
「スタンドバイミーだよ。ナイルにあるかな」
言いながら、冴木がPCを操作し始める。
「あった。やっぱ有名な曲だしあるよな。よし」
冴木がマウスを動かすと、前奏が流れ始めた。
「いいよなベース」
「ええ」
正直僕にはよくわからなかったが、適当に相槌を打っておく。
そんなことをしているうちに、歌が始まった。
「英語や」
「それはそうでしょう」
「夜が来るときって言ってるのはわかる」
「へえ」
認識セットに入っている英語知識は語学学習に支障のないレベルだが、上手すぎて目立ってしまわないように調整してあり、僕もそううまく聞き取れるわけではない。
冴木は最初のうちは歌詞を追おうとしていたが、だんだんわからなくなったようで、曲に合わせて鼻歌を歌い出した。それにやけに気を取られてしまい、僕も歌詞を追えなくなる。
曲が終わる。
「リピートしとこ。ええ曲やし」
冴木がマウスをカチカチ操作すると、曲がまた頭から始まった。
それから冴木はStand by Meにまつわる思い出なんかを話していたが、なんだかうとうとし始めたなと思った次の瞬間には寝落ちていた。
「冴木くん」
返事はない。軽く揺すってみるも、深く寝入っているようだ。
今日も陸上部の練習はあったようだから、おそらく疲れているのだろう。だからどうとは思わないが。
僕は物体操作を使って冴木をベッドに運んだ。
今日のことを上司に報告しなければ。
僕は冴木をそのままにして外に出る。
新歓コンパのときのように誰かに見られるということもなく、報告は無事終わった。
冴木の部屋に戻ると、かけっぱなしのStand by Meがまだ鳴っていた。
先ほどは聞き取れなかったしなと思い、なんとなくそれを聴く。
大切な人に傍にいてくれと願う歌だった。
僕には関係ない。
そう思って、音楽を止めた。
(おわり)