冴木宇田シリーズ
時は学期後期。10月。俺は部活動掲示板の前で悩んでいた。
『SF研究会、部員募集。Big brother is watching you.』
とゴシック体で書かれている貼り紙。
高校時代は陸上部だったからという安易な理由で、大学でも陸上部に入った。部活動掲示板の前に来たのも、次の駅伝の出場メンバーを確かめるためだ。しかし俺は、この貼り紙を見つけてしまった。
俺は異星人が好きだ。だがそのことはずっと周囲に隠して生きてきた。地元にいる俺の彼女は異星人の疑いのある人物だが、その彼女にすら異星人のことは話していない。
異星人は地球人の間に交じって俺達を監視していると俺は考えている。そんな状況の中、迂闊に異星人の話などしては、異星人にマークされ最悪消されてしまうかもしれないからだ。
しかしSF研究会とはいったい何をするところなのだろうか。貼り紙には活動内容が全く書かれていない。SFを研究する。どのように?
俺が考え込んでいると、
「あ」
という声が後ろからした。
振り返る。
「ああ、宇田か」
宇田。人文科学科一年生。学部は違うが、第二外国語の授業で一緒のグループになってから少し喋るようになった。
「冴木くん。こんにちは」
「よう。ただ別に俺はSF研究会に興味があるとかそういうのとは違うんや」
「へえ……」
「もちろん違う。宇田は興味あるんか?」
「僕はまあ……入ってます」
「マジ?」
「ええ。秋の新歓が今日ですからね。念のため集合場所を確認しに来たんです」
「えっ行く」
「えっ興味ないんじゃなかったんですか」
「いやまあ、その。新入生は無料やろ? ええやん。タダで飲み食いできるのは最高やからな」
「へえ……。まあ、いいですよ。案内します」
「ありがとう」
「いえ。新入部員は歓迎です」
そう言って、宇田は歩き始めた。
「集合は南門前、18時です」
「何、もうそんな時間か」
「ええ。冴木くんはこんな時間まで学校にいたんですね」
「部活や部活」
「ええと」
宇田は俺の格好を上から下まで眺め回した。今は何の変哲もないジャージを着ているはずだ。
「走り込み……?」
「陸上部だよ」
「ああ。モロでしたか」
「モロってなんやねん」
「モロはモロですよ」
「宇田、お前案外面白いな」
「冴木くんには負けますよ。だいたいなんですかその変な関西弁」
「いや俺大阪出身やから」
「そうだったんですか?」
「最初の授業の時に言ったやろ。覚えてへんのか」
「ああ。その時期は……まあ」
「まあ?」
「何でもないです。南門見えてきましたよ」
教養棟の裏の林を抜けると、駐車場と南門に着く。
駐車スペースには多くの人が集まっているのが見えた。SF研究会の部員たちだろうか。
「集まってますねえ。みんな何かと理由つけて飲みたがるから……」
「そうなのか」
「ええ。若者は飲み会が好き。道理です」
「まあ、この地方の奴って酒好きやんな。俺はそこまででもないけど」
「そこまででもないのに新歓に?」
「ああまあ、そら食事目当てよ。陸上部はお腹が空くからな」
「そうなんですか」
「そうだ」
「へえ……」
そんな会話をしながら、SF研究会の集団に紛れ込む。集団はそれなりの音量でそれぞれがやがやと喋っている。
「これ特に紹介とかしてもらわなくてもいい感じなん?」
俺は周囲を見回す。俺達二人に目を留める者は誰もいない。
「自己紹介は会が始まってからですからね」
「そうなんか」
「ほら、出発するみたいですよ」
「おお。わくわくやな」
そうですね、と宇田。
会場である食事処には徒歩10分。なかなか歩いた。地の利がないのでどこをどう通ってきたかいまいちわからない。帰り一人で帰れるだろうか。
「冴木くん」
「おう」
靴を脱いで、下駄箱に入れて上の階に上がると、もう食事は用意されていた。
俺は宇田の隣に座り、コップにウーロン茶など注ぎ合いつつ始まるのを待った。
ほどなく、
『えー皆さん』
スピーカーから声がした。
『この度はお集まりいただき誠にありがとうございます。秋の新歓。始まります。堅い話は抜きにしましょう。今期もSF研究会、楽しくやっていきたいと思います。じゃあ乾杯します。乾杯!』
乾杯、と唱和する。同じテーブルの人たちとグラスを合わせ、一口飲む。
「さて」
と右端の席の人が言う。
「新入部員を連れてきてくれたのは宇田くんか。よくやった。自己紹介してもらいましょうか」
髪が長い女性だ。この感じからすると、先輩だろうか。
「冴木優哉と言います。宇田と同じ、一年生です。走るのが好きです。よろしくお願いします」
「おお。ジャージ着てるし、陸上部かな?」
「はい」
「うちの部活、体育会系は珍しいから嬉しいね。やったね宇田くん」
宇田はそうですね、と呟いた。
「じゃあ飲もう飲もう。冴木くんはウーロン茶だけど、ビールはいいの?」
宇田が顔を上げる。
「彼、お酒はあんまり好きじゃないみたいで」
「そうなんだ。宇田くんと一緒だね。仲良しか。まあ飲もう飲もう」
そういう流れで、グラタンを取り分けたり唐揚げを取り分けたりして食べながら飲み会は進んでいった。
途中、新入部員の紹介でマイクが回ってきて、さっきと同じようなことを言った。少し緊張して舌が回らなかったが、許容範囲だ。
新入部員は数人しかいなかったがまあ秋だし、そういうものだろう。宇田に訊いたら、少なくても春秋ごとに新歓はやるんです、とにかく飲みたい人が多いので、とのこと。本当に酒が好きなのだな、この地方の人は。
それから陸上部の話をしたり、学科の話をしたり、SF研究会の活動内容を教えてもらったり、最近読んだ本の話なんかをしたりした。それは順調に進んだ。
途中お手洗いに行きたくなったので中座して、一階の男子トイレに行った。
手を拭きながらトイレから出ると、見知った後ろ姿が玄関を出て行くのが見えた。
宇田だ。
何だろう。
俺は後を追った。
靴を履いて、玄関をくぐる。見回しても宇田はいなかったが、声は聞こえた。
「ええ。新入部員が入りまして。はい。特に問題はありません。引き続き観察を継続していきたいところですが、ええ……」
相手の声は聞こえないから、電話だろうか。
声のする方向に向かう。
路地の奥まった所に、宇田がいた。
電話かと思ったが、両手は空いている。空中に何か映像が浮かんでいて、それがぷつんと消えたのがわかった。
映像?
「宇田」
びくり、と身体を震わせて、宇田は振り返った。
「……見ましたか?」
先端技術、という言葉が頭に浮かぶ。空中に映像を浮かばせる技術なんて、今の人類にはまだない。
脳細胞の全てが励起したような感覚。
「まさか、宇田ってさ」
「はい」
「い……」
視界がぶれる。
俺の意識はそこで落ちた。
◆
『あれ、これ一度記憶処理されたことがあるみたいですね。やけに異星人に拘るが真実には辿り着けない感じの……悲しい人ですね。今回はちょっと消すだけですむので悪く思わないでくださいね』
◆
がばりと起き上がる。
朝日が射していた。
「おはようございます」
「宇田! 俺は……飲み過ぎたんか」
「ええ。すみません、先輩が調子に乗りすぎて」
「頭いたっ! 困ったもんやでほんま……」
「よく言っておきますので。はい、水どうぞ」
見慣れないカップだ。土星が描かれている。
そこで初めて周囲を見回した。
「ここ……俺の家じゃないな」
「僕の家です。冴木くんのおうちは知らなかったので、とりあえず」
「ああすまん。介抱してくれたってことか」
俺は水を受け取り、一気に飲んだ。
「うまい」
「ありがとうございます。水道水を濾過しただけのやつですけど」
「濾過してるんか。ハイグレードな文明の香りを感じるな」
「冴木くん?」
宇田が伺うようにこちらを見上げてくる。青みがかった瞳。
「いや、何でも」
「へえ。まあ、気になることがあったら何でも言ってくださいね」
「ああ……ありがとな。親切やなお前は」
「そんなことは……」
宇田は俯いた。
「俺、こっち来てからあんま友達できてへんねん。せやから、宇田が親切に介抱してくれたの、すごい嬉しかってん。ありがとな」
「いえ……」
俺はカップをサイドテーブルに置き、宇田の両手を取ってぶんぶんと振った。
「これからもよろしくな」
「ええ」
そのときの宇田の声は、なぜか震えていた。
それから宇田は俺によく話しかけてくるようになった。以前は構内で会っても目を逸らされたりしていたのに、気を許してくれたのだろうか。
今度の週末は一緒に駅の本屋に行く約束をしている。宇田も俺と同じくSF小説が好きなようで、一緒の本を読んで感想を言い合ったりなどするのは楽しい。
宇田になら異星人のことを話してもいいかな、なんて思っているが、それは当分先の話になりそうだ。
ひとまずは冬のスキー合宿でアブダクション特集セミナーをやるらしいので、それを楽しみにしておく。
冬は近い。
(おわり)
『SF研究会、部員募集。Big brother is watching you.』
とゴシック体で書かれている貼り紙。
高校時代は陸上部だったからという安易な理由で、大学でも陸上部に入った。部活動掲示板の前に来たのも、次の駅伝の出場メンバーを確かめるためだ。しかし俺は、この貼り紙を見つけてしまった。
俺は異星人が好きだ。だがそのことはずっと周囲に隠して生きてきた。地元にいる俺の彼女は異星人の疑いのある人物だが、その彼女にすら異星人のことは話していない。
異星人は地球人の間に交じって俺達を監視していると俺は考えている。そんな状況の中、迂闊に異星人の話などしては、異星人にマークされ最悪消されてしまうかもしれないからだ。
しかしSF研究会とはいったい何をするところなのだろうか。貼り紙には活動内容が全く書かれていない。SFを研究する。どのように?
俺が考え込んでいると、
「あ」
という声が後ろからした。
振り返る。
「ああ、宇田か」
宇田。人文科学科一年生。学部は違うが、第二外国語の授業で一緒のグループになってから少し喋るようになった。
「冴木くん。こんにちは」
「よう。ただ別に俺はSF研究会に興味があるとかそういうのとは違うんや」
「へえ……」
「もちろん違う。宇田は興味あるんか?」
「僕はまあ……入ってます」
「マジ?」
「ええ。秋の新歓が今日ですからね。念のため集合場所を確認しに来たんです」
「えっ行く」
「えっ興味ないんじゃなかったんですか」
「いやまあ、その。新入生は無料やろ? ええやん。タダで飲み食いできるのは最高やからな」
「へえ……。まあ、いいですよ。案内します」
「ありがとう」
「いえ。新入部員は歓迎です」
そう言って、宇田は歩き始めた。
「集合は南門前、18時です」
「何、もうそんな時間か」
「ええ。冴木くんはこんな時間まで学校にいたんですね」
「部活や部活」
「ええと」
宇田は俺の格好を上から下まで眺め回した。今は何の変哲もないジャージを着ているはずだ。
「走り込み……?」
「陸上部だよ」
「ああ。モロでしたか」
「モロってなんやねん」
「モロはモロですよ」
「宇田、お前案外面白いな」
「冴木くんには負けますよ。だいたいなんですかその変な関西弁」
「いや俺大阪出身やから」
「そうだったんですか?」
「最初の授業の時に言ったやろ。覚えてへんのか」
「ああ。その時期は……まあ」
「まあ?」
「何でもないです。南門見えてきましたよ」
教養棟の裏の林を抜けると、駐車場と南門に着く。
駐車スペースには多くの人が集まっているのが見えた。SF研究会の部員たちだろうか。
「集まってますねえ。みんな何かと理由つけて飲みたがるから……」
「そうなのか」
「ええ。若者は飲み会が好き。道理です」
「まあ、この地方の奴って酒好きやんな。俺はそこまででもないけど」
「そこまででもないのに新歓に?」
「ああまあ、そら食事目当てよ。陸上部はお腹が空くからな」
「そうなんですか」
「そうだ」
「へえ……」
そんな会話をしながら、SF研究会の集団に紛れ込む。集団はそれなりの音量でそれぞれがやがやと喋っている。
「これ特に紹介とかしてもらわなくてもいい感じなん?」
俺は周囲を見回す。俺達二人に目を留める者は誰もいない。
「自己紹介は会が始まってからですからね」
「そうなんか」
「ほら、出発するみたいですよ」
「おお。わくわくやな」
そうですね、と宇田。
会場である食事処には徒歩10分。なかなか歩いた。地の利がないのでどこをどう通ってきたかいまいちわからない。帰り一人で帰れるだろうか。
「冴木くん」
「おう」
靴を脱いで、下駄箱に入れて上の階に上がると、もう食事は用意されていた。
俺は宇田の隣に座り、コップにウーロン茶など注ぎ合いつつ始まるのを待った。
ほどなく、
『えー皆さん』
スピーカーから声がした。
『この度はお集まりいただき誠にありがとうございます。秋の新歓。始まります。堅い話は抜きにしましょう。今期もSF研究会、楽しくやっていきたいと思います。じゃあ乾杯します。乾杯!』
乾杯、と唱和する。同じテーブルの人たちとグラスを合わせ、一口飲む。
「さて」
と右端の席の人が言う。
「新入部員を連れてきてくれたのは宇田くんか。よくやった。自己紹介してもらいましょうか」
髪が長い女性だ。この感じからすると、先輩だろうか。
「冴木優哉と言います。宇田と同じ、一年生です。走るのが好きです。よろしくお願いします」
「おお。ジャージ着てるし、陸上部かな?」
「はい」
「うちの部活、体育会系は珍しいから嬉しいね。やったね宇田くん」
宇田はそうですね、と呟いた。
「じゃあ飲もう飲もう。冴木くんはウーロン茶だけど、ビールはいいの?」
宇田が顔を上げる。
「彼、お酒はあんまり好きじゃないみたいで」
「そうなんだ。宇田くんと一緒だね。仲良しか。まあ飲もう飲もう」
そういう流れで、グラタンを取り分けたり唐揚げを取り分けたりして食べながら飲み会は進んでいった。
途中、新入部員の紹介でマイクが回ってきて、さっきと同じようなことを言った。少し緊張して舌が回らなかったが、許容範囲だ。
新入部員は数人しかいなかったがまあ秋だし、そういうものだろう。宇田に訊いたら、少なくても春秋ごとに新歓はやるんです、とにかく飲みたい人が多いので、とのこと。本当に酒が好きなのだな、この地方の人は。
それから陸上部の話をしたり、学科の話をしたり、SF研究会の活動内容を教えてもらったり、最近読んだ本の話なんかをしたりした。それは順調に進んだ。
途中お手洗いに行きたくなったので中座して、一階の男子トイレに行った。
手を拭きながらトイレから出ると、見知った後ろ姿が玄関を出て行くのが見えた。
宇田だ。
何だろう。
俺は後を追った。
靴を履いて、玄関をくぐる。見回しても宇田はいなかったが、声は聞こえた。
「ええ。新入部員が入りまして。はい。特に問題はありません。引き続き観察を継続していきたいところですが、ええ……」
相手の声は聞こえないから、電話だろうか。
声のする方向に向かう。
路地の奥まった所に、宇田がいた。
電話かと思ったが、両手は空いている。空中に何か映像が浮かんでいて、それがぷつんと消えたのがわかった。
映像?
「宇田」
びくり、と身体を震わせて、宇田は振り返った。
「……見ましたか?」
先端技術、という言葉が頭に浮かぶ。空中に映像を浮かばせる技術なんて、今の人類にはまだない。
脳細胞の全てが励起したような感覚。
「まさか、宇田ってさ」
「はい」
「い……」
視界がぶれる。
俺の意識はそこで落ちた。
◆
『あれ、これ一度記憶処理されたことがあるみたいですね。やけに異星人に拘るが真実には辿り着けない感じの……悲しい人ですね。今回はちょっと消すだけですむので悪く思わないでくださいね』
◆
がばりと起き上がる。
朝日が射していた。
「おはようございます」
「宇田! 俺は……飲み過ぎたんか」
「ええ。すみません、先輩が調子に乗りすぎて」
「頭いたっ! 困ったもんやでほんま……」
「よく言っておきますので。はい、水どうぞ」
見慣れないカップだ。土星が描かれている。
そこで初めて周囲を見回した。
「ここ……俺の家じゃないな」
「僕の家です。冴木くんのおうちは知らなかったので、とりあえず」
「ああすまん。介抱してくれたってことか」
俺は水を受け取り、一気に飲んだ。
「うまい」
「ありがとうございます。水道水を濾過しただけのやつですけど」
「濾過してるんか。ハイグレードな文明の香りを感じるな」
「冴木くん?」
宇田が伺うようにこちらを見上げてくる。青みがかった瞳。
「いや、何でも」
「へえ。まあ、気になることがあったら何でも言ってくださいね」
「ああ……ありがとな。親切やなお前は」
「そんなことは……」
宇田は俯いた。
「俺、こっち来てからあんま友達できてへんねん。せやから、宇田が親切に介抱してくれたの、すごい嬉しかってん。ありがとな」
「いえ……」
俺はカップをサイドテーブルに置き、宇田の両手を取ってぶんぶんと振った。
「これからもよろしくな」
「ええ」
そのときの宇田の声は、なぜか震えていた。
それから宇田は俺によく話しかけてくるようになった。以前は構内で会っても目を逸らされたりしていたのに、気を許してくれたのだろうか。
今度の週末は一緒に駅の本屋に行く約束をしている。宇田も俺と同じくSF小説が好きなようで、一緒の本を読んで感想を言い合ったりなどするのは楽しい。
宇田になら異星人のことを話してもいいかな、なんて思っているが、それは当分先の話になりそうだ。
ひとまずは冬のスキー合宿でアブダクション特集セミナーをやるらしいので、それを楽しみにしておく。
冬は近い。
(おわり)