長編『亀のゾンビサバイバルログ』(全26話番外編3話、完結済)
「それで、君は何がしたいのだ?」
朝。僕の甲羅から携帯食料を出して口に放り込みながら、神父が僕に訊いた。
「それ僕の携帯食料……」
「神父といえども腹は減る。鍛錬しているので一日一食で済むとはいえな」
「ええっと、ご自分の食料とかは持ってらっしゃらないんですか?」
「カンフーが得意な神父は無駄な物を持たない。そういうことになっているのだ」
持たないというか、持てないのではないか。神父の着ているキャソックには余計な物を入れるスペースがなさそうだ。他に荷物を持っている様子もない。そんな軽装でどうやってここまで旅をして来たのだろうか。
「よくわかりませんが、そうおっしゃるならそうなんでしょう」
頭に浮かんだ疑問は一旦棚上げすることにした。どこまでも同行してくれるのだから、神父と僕は運命共同体だ。食料を少し分けてあげるくらい、問題ないだろう。
「先ほどの問いに戻るが、君はこれから何をしようと思っている? 何がしたい?」
なぜそんなことを訊くのだろう。
「ええと……」
とりあえず考えてみる。
昨日までの僕の旅は、安全に過ごせそうな場所を求めての旅だった。
たどり着いた北の避難民村は亀のままでは定住できなさそうだったので、諦めた。旅を続けるにしても、他に安全そうな場所のあてはない。ならば、
「外に出たいです」
「ほう」
「でも、この地域は封鎖されていると聞きました。ただ、その話をしてくれた人も実際に見たわけではないので、本当に封鎖されているのか、どんな感じで封鎖されているのかをちょっと見に行ってみたいですね」
「それで、その封鎖はどこにあるのかね」
「県境ですかね……」
「曖昧ではないか?」
曖昧な情報を確かにするには、実際に確認するか、更に情報を集めるかだ。今回は場所自体が曖昧なので、確認しに行くには少々危うい。ということは、
「どこかで情報を集める必要がありますね……」
「どこで?」
「ええとその……ここからだと避難民村が一番近いと思います」
「では、次の目的地はそこで?」
「そこですね」
僕たちは避難民村に戻ることにした。
しかし。
「これは……」
戻ってみると村は荒れ果て、あちこちにゾンビが徘徊していた。
家は燃え、作物も薙ぎ倒されている。地面には弾痕があったり、空薬莢が転がっていた。
「記者さんやA亀さんは無事だろうか……」
村の入口に停まっていた記者さんの車はなくなっていたから、ひょっとすると逃げることができたのかもしれない。
ゾンビをなるべく避けつつ、襲い掛かってきたゾンビには対処しながら僕たちはA亀さんの家へ向かった。
道中、人間には一人も会わなかった。死体すらない。もしかすると、襲ってきたゾンビたちのうちの何人かは元村人だったかもしれない。ただ、その中に知っている顔はいなかった。
A亀さんの家は村の一番奥の少し外れたところにあったためか、燃えていなかった。
家の扉は開けっ放しだった。
「お邪魔します……」
中に入ってみると、部屋はひどく荒れていた。棚は倒れ、ベッドは大きくずれ、下に置いてあった甲羅が見えている。壁や床には弾痕もあった。壁にかかっていたライフルはなくなっている。
部屋を観察していると、突然声が聴こえた。
「あなた、誰?」
「えっ……A亀さん?」
ベッドの側、甲羅があった場所に、A亀さんがいた。さっき見たときはいなかったような気がしたのだが、見落としたのかもしれない。A亀さんは甲羅をつけていた。
「僕は、昨日村を案内してもらった避難民の亀です。村には住まないことになりましたけど。あの時はすみませんでした」
「昨日、避難民なんて来たかしら……?」
危ない目にあって記憶が混濁しているのだろうか。
「外から来た記者さんの車で来たんです。その後、A亀さんと僕は一緒に見回りに行きました」
「そうなの……? ごめんなさい、何だかおかしなことになってるみたい……」
「おかしなこと?」
僕は問い返す。
「今朝起きたら部屋がこんなことになってて……すぐに扉の外に出ようと思ったんだけど、なぜか出られなかったのよ。助けが来るかもと思って待っていたのだけど、誰も来ないし。村に何かあったのかもしれないと心配していたところなの」
「ああ……A亀さん、大変言いにくいのですが……」
そこで僕は言うべきか迷って、神父の方を見た。神父はじっとA亀さんの甲羅を見ていた。
隠しても仕方がない。いずれ知ることだ。僕はA亀さんに目を戻した。
「村は、もう……駄目だと思います。見る影もなく荒れていましたし、ゾンビだらけで……ここに来るまで、村の人には一人も会っていません」
A亀さんは大きく目を見開いた。そして、そう……と言った。
しばらく誰も何も言わなかった。
「あの……」
「誰も来ないわけね。いいえ、来ない方がよかったかもしれない。あなたが一番に来てくれてよかったわ」
「え……?」
そこまで言ってもらえるほど僕とA亀さんは親しくなっていただろうか。もしかすると、親しくない人(亀)、事情をよく知らない人(亀)が一番に来たのがよかったと言いたかったのかもしれない。
「それで、あなたたちはどうしてここに戻ってきたの?」
A亀さんは急に話題を変えた。
「えーと僕たちは……外に出たくて」
僕はなんとか頭を切り替えて、続ける。
「それで、この村の人なら封鎖のことを知ってるかもしれないから訊こうと思って」
「封鎖って、軍がやってるあれ?」
「軍がやってるのかどうかはわかりませんが、それだと思います」
「あれ、近付くと問答無用で撃たれるらしいわよ」
「突破は難しい感じですかね……?」
「南のは知らないけど、北のは厳しいと思うわよ。前にこの村の住人たちがほぼ総出でかかったそうだけど、近付く隙がなかったらしいから」
「そうなんですか……じゃあ南に行ってみることにします」
「そんなに簡単に決めてしまっていいの?」
「ええ。村の方々が総出でかかって無理だったなら、二人しかいない僕たちにはとても無理でしょう。それに、南にはいくつか街があります。そこで生きている人に出会えたら情報収集もできますし。A亀さんも一緒にどうですか? ここはゾンビだらけで危ないですし……」
「私はいいわ。しばらく一人になりたいの」
「でも……」
「大丈夫。鍵をかけていればゾンビは入ってこれないし、食料の蓄えもある。いざとなったら甲羅にこもればいいし、ね」
本当に大丈夫なのだろうか。僕は再び神父の方を見た。
「本人がここにいることを望んでいるのならば、無理に連れて行くべきではないだろう」
神父はA亀さんの甲羅から僕に目を戻してそう言った。
「そうですね……」
しかし、僕はまた後悔する選択をしようとしているのではないだろうか? あの亀の少女のときのように。
本人が望んでいるとはいえ、ここで彼女を置いて行ってしまうのはあまりにも薄情では……?
「行って。それが私のためになる。もしここであなたが私を連れて行くことにしても、私には絶望が増えるだけ。一人で考えを整理したいの。それにはきっと長い時間がかかるから」
A亀さんの目は真剣だった。この人は、心から自分を一人にしてほしいと頼んでいるんだ。
「ごめんなさい……A亀さん。それじゃあ僕たち、行きますね」
「ええ。ドアは閉めておいて」
去り際、神父がA亀さんの甲羅をまたちらりと見た。
さよなら、とA亀さんが言った。
ドアが閉まった。
「亀は死んでも甲羅を残す、か」
「何ですか、不吉なことを言わないでくださいよ」
「亀同士の場合、甲羅さえあれば生者も死者もそう変わりはないのだろうな」
「そんな、甲羅だけあってもどうしようもないですよ……」
「君がそう思いたいならそう思えばいい」
近付いてきたゾンビに蹴りで穴を空けながら、神父が言う。
「神父の言葉にはよくわからないことが多いですね……」
そして、僕たちは今度こそ村を去った。
朝。僕の甲羅から携帯食料を出して口に放り込みながら、神父が僕に訊いた。
「それ僕の携帯食料……」
「神父といえども腹は減る。鍛錬しているので一日一食で済むとはいえな」
「ええっと、ご自分の食料とかは持ってらっしゃらないんですか?」
「カンフーが得意な神父は無駄な物を持たない。そういうことになっているのだ」
持たないというか、持てないのではないか。神父の着ているキャソックには余計な物を入れるスペースがなさそうだ。他に荷物を持っている様子もない。そんな軽装でどうやってここまで旅をして来たのだろうか。
「よくわかりませんが、そうおっしゃるならそうなんでしょう」
頭に浮かんだ疑問は一旦棚上げすることにした。どこまでも同行してくれるのだから、神父と僕は運命共同体だ。食料を少し分けてあげるくらい、問題ないだろう。
「先ほどの問いに戻るが、君はこれから何をしようと思っている? 何がしたい?」
なぜそんなことを訊くのだろう。
「ええと……」
とりあえず考えてみる。
昨日までの僕の旅は、安全に過ごせそうな場所を求めての旅だった。
たどり着いた北の避難民村は亀のままでは定住できなさそうだったので、諦めた。旅を続けるにしても、他に安全そうな場所のあてはない。ならば、
「外に出たいです」
「ほう」
「でも、この地域は封鎖されていると聞きました。ただ、その話をしてくれた人も実際に見たわけではないので、本当に封鎖されているのか、どんな感じで封鎖されているのかをちょっと見に行ってみたいですね」
「それで、その封鎖はどこにあるのかね」
「県境ですかね……」
「曖昧ではないか?」
曖昧な情報を確かにするには、実際に確認するか、更に情報を集めるかだ。今回は場所自体が曖昧なので、確認しに行くには少々危うい。ということは、
「どこかで情報を集める必要がありますね……」
「どこで?」
「ええとその……ここからだと避難民村が一番近いと思います」
「では、次の目的地はそこで?」
「そこですね」
僕たちは避難民村に戻ることにした。
しかし。
「これは……」
戻ってみると村は荒れ果て、あちこちにゾンビが徘徊していた。
家は燃え、作物も薙ぎ倒されている。地面には弾痕があったり、空薬莢が転がっていた。
「記者さんやA亀さんは無事だろうか……」
村の入口に停まっていた記者さんの車はなくなっていたから、ひょっとすると逃げることができたのかもしれない。
ゾンビをなるべく避けつつ、襲い掛かってきたゾンビには対処しながら僕たちはA亀さんの家へ向かった。
道中、人間には一人も会わなかった。死体すらない。もしかすると、襲ってきたゾンビたちのうちの何人かは元村人だったかもしれない。ただ、その中に知っている顔はいなかった。
A亀さんの家は村の一番奥の少し外れたところにあったためか、燃えていなかった。
家の扉は開けっ放しだった。
「お邪魔します……」
中に入ってみると、部屋はひどく荒れていた。棚は倒れ、ベッドは大きくずれ、下に置いてあった甲羅が見えている。壁や床には弾痕もあった。壁にかかっていたライフルはなくなっている。
部屋を観察していると、突然声が聴こえた。
「あなた、誰?」
「えっ……A亀さん?」
ベッドの側、甲羅があった場所に、A亀さんがいた。さっき見たときはいなかったような気がしたのだが、見落としたのかもしれない。A亀さんは甲羅をつけていた。
「僕は、昨日村を案内してもらった避難民の亀です。村には住まないことになりましたけど。あの時はすみませんでした」
「昨日、避難民なんて来たかしら……?」
危ない目にあって記憶が混濁しているのだろうか。
「外から来た記者さんの車で来たんです。その後、A亀さんと僕は一緒に見回りに行きました」
「そうなの……? ごめんなさい、何だかおかしなことになってるみたい……」
「おかしなこと?」
僕は問い返す。
「今朝起きたら部屋がこんなことになってて……すぐに扉の外に出ようと思ったんだけど、なぜか出られなかったのよ。助けが来るかもと思って待っていたのだけど、誰も来ないし。村に何かあったのかもしれないと心配していたところなの」
「ああ……A亀さん、大変言いにくいのですが……」
そこで僕は言うべきか迷って、神父の方を見た。神父はじっとA亀さんの甲羅を見ていた。
隠しても仕方がない。いずれ知ることだ。僕はA亀さんに目を戻した。
「村は、もう……駄目だと思います。見る影もなく荒れていましたし、ゾンビだらけで……ここに来るまで、村の人には一人も会っていません」
A亀さんは大きく目を見開いた。そして、そう……と言った。
しばらく誰も何も言わなかった。
「あの……」
「誰も来ないわけね。いいえ、来ない方がよかったかもしれない。あなたが一番に来てくれてよかったわ」
「え……?」
そこまで言ってもらえるほど僕とA亀さんは親しくなっていただろうか。もしかすると、親しくない人(亀)、事情をよく知らない人(亀)が一番に来たのがよかったと言いたかったのかもしれない。
「それで、あなたたちはどうしてここに戻ってきたの?」
A亀さんは急に話題を変えた。
「えーと僕たちは……外に出たくて」
僕はなんとか頭を切り替えて、続ける。
「それで、この村の人なら封鎖のことを知ってるかもしれないから訊こうと思って」
「封鎖って、軍がやってるあれ?」
「軍がやってるのかどうかはわかりませんが、それだと思います」
「あれ、近付くと問答無用で撃たれるらしいわよ」
「突破は難しい感じですかね……?」
「南のは知らないけど、北のは厳しいと思うわよ。前にこの村の住人たちがほぼ総出でかかったそうだけど、近付く隙がなかったらしいから」
「そうなんですか……じゃあ南に行ってみることにします」
「そんなに簡単に決めてしまっていいの?」
「ええ。村の方々が総出でかかって無理だったなら、二人しかいない僕たちにはとても無理でしょう。それに、南にはいくつか街があります。そこで生きている人に出会えたら情報収集もできますし。A亀さんも一緒にどうですか? ここはゾンビだらけで危ないですし……」
「私はいいわ。しばらく一人になりたいの」
「でも……」
「大丈夫。鍵をかけていればゾンビは入ってこれないし、食料の蓄えもある。いざとなったら甲羅にこもればいいし、ね」
本当に大丈夫なのだろうか。僕は再び神父の方を見た。
「本人がここにいることを望んでいるのならば、無理に連れて行くべきではないだろう」
神父はA亀さんの甲羅から僕に目を戻してそう言った。
「そうですね……」
しかし、僕はまた後悔する選択をしようとしているのではないだろうか? あの亀の少女のときのように。
本人が望んでいるとはいえ、ここで彼女を置いて行ってしまうのはあまりにも薄情では……?
「行って。それが私のためになる。もしここであなたが私を連れて行くことにしても、私には絶望が増えるだけ。一人で考えを整理したいの。それにはきっと長い時間がかかるから」
A亀さんの目は真剣だった。この人は、心から自分を一人にしてほしいと頼んでいるんだ。
「ごめんなさい……A亀さん。それじゃあ僕たち、行きますね」
「ええ。ドアは閉めておいて」
去り際、神父がA亀さんの甲羅をまたちらりと見た。
さよなら、とA亀さんが言った。
ドアが閉まった。
「亀は死んでも甲羅を残す、か」
「何ですか、不吉なことを言わないでくださいよ」
「亀同士の場合、甲羅さえあれば生者も死者もそう変わりはないのだろうな」
「そんな、甲羅だけあってもどうしようもないですよ……」
「君がそう思いたいならそう思えばいい」
近付いてきたゾンビに蹴りで穴を空けながら、神父が言う。
「神父の言葉にはよくわからないことが多いですね……」
そして、僕たちは今度こそ村を去った。