長編『亀のゾンビサバイバルログ』(全26話番外編3話、完結済)
防災公園を出発して住宅街を通り抜け、橋を渡り、遊歩道を進む。
右手の方に、木々がまばらに生えた広場のようなものが見えてきた。なんだかよくわからないオブジェのようなものもある。
「あれですかね、美術館。アーティスティックな感じがしますし」
「そうだろうな」
煉瓦造りの道を入ると、美術館らしき建物が見えた。
「こっちは裏側みたいですね……おや?」
オブジェの隙間から見える建物の壁に、金属でできた扉のようなものがある。
美術館の入口には見えないし、何だろう。
「神父、あれは……」
「扉だな」
「そうですね。ちょっと調べてみましょうか」
僕たちはオブジェの間を抜けて扉のところへ向かった。
道と同じ煉瓦造りの建物についたその扉は金属製で、黒っぽく光っていた。
明らかに異質だ。
よく見ると、扉には何か薄いものを差し込む隙間のようなものがついていた。横には小さいランプが取り付けられている。
カードキーだろうか。そんなものは……いや、そうだ、あれがあった。
僕は軍人からもらったカードキーを取り出し、隙間に差し込んでみた。
ランプが緑色に光る。カードキーを抜くと、ウィンと音が鳴って扉が開いた。
僕は神父の方を見た。神父は頷いた。
中に足を踏み入れると、背後で扉が閉まり、照明が少しずつ点いていった。
暗い色調の廊下が続いている。
廊下はスロープになっていて、曲がりながら下へと向かっていた。
「進むしかないようですね」
「そうだな」
僕たちは廊下を下り始めた。
足を踏み出す度、かつん、と音が響く。
「秘密基地みたいですね」
「……ああ」
「わくわくしますけど、ちょっと怖いです」
「そうか」
緊張するので早く先に進みたいが、走ったりするともっと大きな音が鳴りそうなので、我慢してゆっくり歩いた。
緊張が高まりすぎて逆に平坦な気持ちになってきたころ、僕たちの前に第二の扉が現れた。
扉には先ほどと同じような隙間とランプが取り付けられている。
ここもカードキーを使うのだろうか。
甲羅からカードキーを出して差し込んでみるとランプが光り、キーはそのまま内部に吸い込まれた。
『承認』
機械的なアナウンスが流れ、扉が開く。ばし、と照明の点く音。
「わ……」
そこは広い空間で、奥に向かってヘリコプターがずらりと格納されていた。
「まさにここ、ですね……」
情報は正しかったのだ。
しかし、地下にあるとは。
僕は辺りを見渡した。
僕たちがいるのは格納庫の右端で、ヘリが並んでいるのは前方のフェンスを越えた左側だ。左奥は暗くなっており、ヘリの数は確認できなかった。
正面に目を戻す。軍出張所で見た、アーケードゲームの筐体のような機械がここにもあった。
近付いてみると、ぶうんという音がして画面が明るくなった。
砂時計が映る。
ややあって、
『非常用ヘリポートへようこそ』
という文字が映し出された。
『クリアフラグBを準備してください』
「クリアフラグB……?」
疑問に思う暇もなく、左奥の方でごごん、という音がした。
見ると、ヘリが一機、ゆっくりとこちらに押し出されてきていた。
ヘリは目の前で止まり、ドアが勝手に開く。
ポン、と電子音が鳴り、フェンスが開いた。
『ご搭乗ください』
と画面にはある。
「乗っちゃっていいんですかね……?」
僕は神父を見た。神父は無表情でこちらを見ている。
恐る恐るヘリに近づき、タラップを上がる。
内部には少し広めの座席が二つあり、後部のスペースには何かよくわからない機械が置かれていた。
操縦席に操縦桿はついておらず、代わりにUSBポートがあった。
『クリアフラグBを差し込んでください』
という文字が目の前に浮かび上がった。
「USB……」
ひょっとしてあれのことだろうか……三つめの街で出会った工場長、コヅカさんからもらったUSB。
僕は甲羅からUSBを取り出し、ポートに差し込んだ。
かち、とUSBがはまる。
途端、エンジンがかかった。
横を見ると、神父はいつの間にか席につき、シートベルトまで締めている。
準備が早いな。
「君も座りたまえ」
神父が促す。
「そうします」
僕は操縦席に座り、シートベルトを締めた。
ヘリの扉が閉まる。
がごんという音と共に、地響きがした。
周囲の景色が下に下がってゆく。
「これは……」
ヘリを乗せた床が、上昇しているのだ。
上を見ると、ハッチのようなものが次々開いていた。
上昇が続く。周囲の景色が過ぎていく。
ラボのような部屋や管制室のような部屋を通り過ぎた。そして、絵画が飾られた部屋も。
絵画ということは、ここってやっぱり美術館の地下だったのか。
ひときわごつそうなハッチが開く。
青空だ。
またがごんという音がした。上昇が止まったようだ。
屋外に出たらしい。下には先ほど通ってきた庭園が見える。
美術館の屋上か。
僕の目の前に文字が映し出される。
『脱出しますか? はい いいえ』
僕は神父の方を見る。神父は頷いて見せた。
文字の方に手を伸ばし、
>はい
を選択した。
エンジンの回転数が上がる。
プロペラが回り、周囲に風が巻き起こった。
ヘリコプターが、ゆっくりと浮かび上がった。
「飛びました!」
美術館が遠ざかってゆく。
「おおすごい……」
眼下に四つ目の街が広がった。
さよならだろうか。街が遠くなる。
色々な所に行った。
中央街にも、元避難民村にも、工場の街にも、避難所の街にも、この街にも、もう戻ることはないだろう。
色々な人と出会った。
暗い目の男にも、亀の少女にも、記者さんにも、A亀さんにも、工場長のコヅカさんにも、すばしっこい少年にも、避難所に行った綾西さんにも、古郷さんにも、クラスメイトにも、看護師さんにも、治療薬をあげた軍人にも、お金持ちの男性にも、執事さんにも、あの生存者の人達にも、再会できるかどうかはわからない。
神父は……と考えかけたとき、ポーン、という音が鳴った。
目の前に文字が浮かぶ。
『地域外に入ります。「同行者」を連れていきますか?』
同行者? 神父のことだろうか。
僕は神父を見た。
「神父、これって……」
「……」
神父は黙って窓の外に目をやっている。
「神父?」
いつもなら僕と目を合わせてくれるのだが、どうしたのだろうか。
「……君は」
外を見たまま、神父が言う。
「君は、外に出た後も……私に同行して欲しいと望むかね?」
僕は少し不安になった。
「ひょっとして、気が変わりましたか?」
「変わってなどいない。君が望むなら、どこまでも同行しよう。私は君の気持ちを訊いているのだ」
「そんなの、今更確認するまでもないですよ……最初から今までずっと同じです。神父は僕を見捨てず一緒に来てくれた。これまでも……これからも同行していただけるのなら、どんなに心強いか」
神父がふっとこちらを見た。
「それで、君の望みは?」
「同行してください。それが僕の望みです」
ふわりと風が吹いた。目の前の文字が点滅する。
『承認』
神父のコートが風にあおられ、そして、元に戻る。
ややあって、神父はわかった、と言った。
「同行しよう」
「ありがとうございます」
「ああ」
そして、神父は自らの両手を見た。
「どうかしましたか?」
「生きている実感、というのはこういうことなのだな」
ゾンビだらけの地獄から脱出できて、生を噛みしめているのだろうか。
まるで生きているみたいだ。
生きているみたい、って何だ。神父が生きてることなんて、わかりきってるじゃないか。
いつも冷静だから感情がなさそうというか、そういう風に作られた機械のように見ていたのだろうか。
戦う機械。なんだかかっこいい響きだな。でも、神父はこうして生きている。生きている実感をまさに今噛みしめているのだ。
「神父もそういうことを考えるんですね」
「生きているのだから、そういうことも考える」
しかし、と続ける神父。
「それも主の思し召し次第だ」
「久々に神父らしいことを。レアですね」
「神父だからな」
「ふふ」
沈黙が落ちた。不思議と気まずくはない。
外を眺める。
脱出にはいい日だ。天気もいいし。
窓から見える山々は紅葉していた。
右手の方に、木々がまばらに生えた広場のようなものが見えてきた。なんだかよくわからないオブジェのようなものもある。
「あれですかね、美術館。アーティスティックな感じがしますし」
「そうだろうな」
煉瓦造りの道を入ると、美術館らしき建物が見えた。
「こっちは裏側みたいですね……おや?」
オブジェの隙間から見える建物の壁に、金属でできた扉のようなものがある。
美術館の入口には見えないし、何だろう。
「神父、あれは……」
「扉だな」
「そうですね。ちょっと調べてみましょうか」
僕たちはオブジェの間を抜けて扉のところへ向かった。
道と同じ煉瓦造りの建物についたその扉は金属製で、黒っぽく光っていた。
明らかに異質だ。
よく見ると、扉には何か薄いものを差し込む隙間のようなものがついていた。横には小さいランプが取り付けられている。
カードキーだろうか。そんなものは……いや、そうだ、あれがあった。
僕は軍人からもらったカードキーを取り出し、隙間に差し込んでみた。
ランプが緑色に光る。カードキーを抜くと、ウィンと音が鳴って扉が開いた。
僕は神父の方を見た。神父は頷いた。
中に足を踏み入れると、背後で扉が閉まり、照明が少しずつ点いていった。
暗い色調の廊下が続いている。
廊下はスロープになっていて、曲がりながら下へと向かっていた。
「進むしかないようですね」
「そうだな」
僕たちは廊下を下り始めた。
足を踏み出す度、かつん、と音が響く。
「秘密基地みたいですね」
「……ああ」
「わくわくしますけど、ちょっと怖いです」
「そうか」
緊張するので早く先に進みたいが、走ったりするともっと大きな音が鳴りそうなので、我慢してゆっくり歩いた。
緊張が高まりすぎて逆に平坦な気持ちになってきたころ、僕たちの前に第二の扉が現れた。
扉には先ほどと同じような隙間とランプが取り付けられている。
ここもカードキーを使うのだろうか。
甲羅からカードキーを出して差し込んでみるとランプが光り、キーはそのまま内部に吸い込まれた。
『承認』
機械的なアナウンスが流れ、扉が開く。ばし、と照明の点く音。
「わ……」
そこは広い空間で、奥に向かってヘリコプターがずらりと格納されていた。
「まさにここ、ですね……」
情報は正しかったのだ。
しかし、地下にあるとは。
僕は辺りを見渡した。
僕たちがいるのは格納庫の右端で、ヘリが並んでいるのは前方のフェンスを越えた左側だ。左奥は暗くなっており、ヘリの数は確認できなかった。
正面に目を戻す。軍出張所で見た、アーケードゲームの筐体のような機械がここにもあった。
近付いてみると、ぶうんという音がして画面が明るくなった。
砂時計が映る。
ややあって、
『非常用ヘリポートへようこそ』
という文字が映し出された。
『クリアフラグBを準備してください』
「クリアフラグB……?」
疑問に思う暇もなく、左奥の方でごごん、という音がした。
見ると、ヘリが一機、ゆっくりとこちらに押し出されてきていた。
ヘリは目の前で止まり、ドアが勝手に開く。
ポン、と電子音が鳴り、フェンスが開いた。
『ご搭乗ください』
と画面にはある。
「乗っちゃっていいんですかね……?」
僕は神父を見た。神父は無表情でこちらを見ている。
恐る恐るヘリに近づき、タラップを上がる。
内部には少し広めの座席が二つあり、後部のスペースには何かよくわからない機械が置かれていた。
操縦席に操縦桿はついておらず、代わりにUSBポートがあった。
『クリアフラグBを差し込んでください』
という文字が目の前に浮かび上がった。
「USB……」
ひょっとしてあれのことだろうか……三つめの街で出会った工場長、コヅカさんからもらったUSB。
僕は甲羅からUSBを取り出し、ポートに差し込んだ。
かち、とUSBがはまる。
途端、エンジンがかかった。
横を見ると、神父はいつの間にか席につき、シートベルトまで締めている。
準備が早いな。
「君も座りたまえ」
神父が促す。
「そうします」
僕は操縦席に座り、シートベルトを締めた。
ヘリの扉が閉まる。
がごんという音と共に、地響きがした。
周囲の景色が下に下がってゆく。
「これは……」
ヘリを乗せた床が、上昇しているのだ。
上を見ると、ハッチのようなものが次々開いていた。
上昇が続く。周囲の景色が過ぎていく。
ラボのような部屋や管制室のような部屋を通り過ぎた。そして、絵画が飾られた部屋も。
絵画ということは、ここってやっぱり美術館の地下だったのか。
ひときわごつそうなハッチが開く。
青空だ。
またがごんという音がした。上昇が止まったようだ。
屋外に出たらしい。下には先ほど通ってきた庭園が見える。
美術館の屋上か。
僕の目の前に文字が映し出される。
『脱出しますか? はい いいえ』
僕は神父の方を見る。神父は頷いて見せた。
文字の方に手を伸ばし、
>はい
を選択した。
エンジンの回転数が上がる。
プロペラが回り、周囲に風が巻き起こった。
ヘリコプターが、ゆっくりと浮かび上がった。
「飛びました!」
美術館が遠ざかってゆく。
「おおすごい……」
眼下に四つ目の街が広がった。
さよならだろうか。街が遠くなる。
色々な所に行った。
中央街にも、元避難民村にも、工場の街にも、避難所の街にも、この街にも、もう戻ることはないだろう。
色々な人と出会った。
暗い目の男にも、亀の少女にも、記者さんにも、A亀さんにも、工場長のコヅカさんにも、すばしっこい少年にも、避難所に行った綾西さんにも、古郷さんにも、クラスメイトにも、看護師さんにも、治療薬をあげた軍人にも、お金持ちの男性にも、執事さんにも、あの生存者の人達にも、再会できるかどうかはわからない。
神父は……と考えかけたとき、ポーン、という音が鳴った。
目の前に文字が浮かぶ。
『地域外に入ります。「同行者」を連れていきますか?』
同行者? 神父のことだろうか。
僕は神父を見た。
「神父、これって……」
「……」
神父は黙って窓の外に目をやっている。
「神父?」
いつもなら僕と目を合わせてくれるのだが、どうしたのだろうか。
「……君は」
外を見たまま、神父が言う。
「君は、外に出た後も……私に同行して欲しいと望むかね?」
僕は少し不安になった。
「ひょっとして、気が変わりましたか?」
「変わってなどいない。君が望むなら、どこまでも同行しよう。私は君の気持ちを訊いているのだ」
「そんなの、今更確認するまでもないですよ……最初から今までずっと同じです。神父は僕を見捨てず一緒に来てくれた。これまでも……これからも同行していただけるのなら、どんなに心強いか」
神父がふっとこちらを見た。
「それで、君の望みは?」
「同行してください。それが僕の望みです」
ふわりと風が吹いた。目の前の文字が点滅する。
『承認』
神父のコートが風にあおられ、そして、元に戻る。
ややあって、神父はわかった、と言った。
「同行しよう」
「ありがとうございます」
「ああ」
そして、神父は自らの両手を見た。
「どうかしましたか?」
「生きている実感、というのはこういうことなのだな」
ゾンビだらけの地獄から脱出できて、生を噛みしめているのだろうか。
まるで生きているみたいだ。
生きているみたい、って何だ。神父が生きてることなんて、わかりきってるじゃないか。
いつも冷静だから感情がなさそうというか、そういう風に作られた機械のように見ていたのだろうか。
戦う機械。なんだかかっこいい響きだな。でも、神父はこうして生きている。生きている実感をまさに今噛みしめているのだ。
「神父もそういうことを考えるんですね」
「生きているのだから、そういうことも考える」
しかし、と続ける神父。
「それも主の思し召し次第だ」
「久々に神父らしいことを。レアですね」
「神父だからな」
「ふふ」
沈黙が落ちた。不思議と気まずくはない。
外を眺める。
脱出にはいい日だ。天気もいいし。
窓から見える山々は紅葉していた。