長編『亀のゾンビサバイバルログ』(全26話番外編3話、完結済)

「神父」
「どうした」
「人が倒れてます」
「そうだな」
 路地裏の奥の方、壁にもたれかかって目を閉じている人がいた。恰好からして、軍人らしい。
「大丈夫ですかー?」
 子供のゾンビに襲われた日のことを思い出し、僕は遠くの方から声をかけた。
 軍人はゆっくりと目を開けた。
「大丈夫じゃないからこうしている。君、救急箱か治療薬を持ってないか」
「生憎ですが……」
「礼ならする。食料か、このカードキー……外への脱出手段だ」
「外」
 今の僕にとってはこの上なく魅力的なワードだ。ただ、今は食料が足りていないので食料を、とまで考えて、救急箱も治療薬も持っていないんだったと思い至る。
「亀よ」
「なんですか」
「甲羅の中だ」
 僕は甲羅に手をやった。開けて中を探る。
「食料と水しかないです」
「下ろさなければわからぬだろう」
「下ろすんですか……」
 気が進まないが、神父の言葉だ。やるしかない。
 甲羅を外す……甲羅を外す。
「う……」
 甲羅が外れる。それに伴ってやってきた強烈なめまいに、思わずしゃがみ込んだ。
 とす、と甲羅が地面に落ちる音がする。そうだ、甲羅に触れないと。
 ゆっくりと甲羅を下ろし、身体の前に持ってくる。両手を甲羅の上に置いた。そのまましばらくそうしていると、軍人が声をかけてきた。
「君は亀なのか」
「ええ」
「随分とつらそうだ」
「甲羅を外すとこうなるんですよ」
「そいつはすまないな」
「いえ」
 甲羅を開ける。ぱっと見、食料と水しかない。それももう残り少ない。
「うーん」
 最後の数個を取り出していたとき、何やらかさっという音がした。
 僕は甲羅を覗き込む。
 音の正体はメモだった。甲羅の一番底にある箱のようなものに貼り付けてある。
『亀へ 餞別だ 古郷より』
 この街で出会って避難所に案内してくれた男性、古郷さん。銃を持ち、あまり喋らない護衛兵のような姿を思い出す。
 箱の側面には『治療薬』とゴシック体の太文字で書かれていた。
 こっそり入れておいてくれたのか。おそらく最初は上の方にあったのが、教会で甲羅を倒したりしていた影響で埋もれてしまっていたのだろう。
「古郷さん……」
 よそ者の僕に対し、撃つこともなく拠点に連れて行ってくれ、避難民の人々への聞き込みを許してくれた。それだけでもありがたいのに、物資まで授けてくれていたとは。
 僕は治療薬からメモだけ取り外し、そのメモを二つに折って甲羅の底に大事にしまった。
「ありましたよ、治療薬」
 神父が頷く。
 僕は甲羅を閉め、背負いなおした。
「どうぞ」
 治療薬を持って軍人に近づく。
「感謝する」
「いえいえ」
 軍人は治療薬の箱を受け取り、開けた。
 そこには液体の入った注射器がうやうやしく入っていた。
 中身はこんな風になっているのか。
 僕がまじまじと見ていると、軍人はあまり見ない方がいい、と言った。
「なぜですか?」
「今から傷に注射するんだが、傷口なんて見たくないだろ」
「傷が?」
「足にな」
「治ってないんですか?」
「ゾンビに噛まれると治らないらしい」
「噛まれたんですか!」
「ああ。それがこの治療薬で治る。ありがたいことだよ」
 軍人がズボンをたくし上げる。
 その様子をじっと見ていると、視界が暗くなった。
「あれ?」
「じっとしていろ」
「神父」
 ということは僕の視界を遮っているのは神父の手か。何だ? 過保護か?
「君は血が苦手だろう」
「どうしてわかるんですか」
「手が震えていた。忠告されたなら目を逸らしていればいいものを」
「いえ……」
 目を逸らすのは失礼だと思ったのだ。しかし、確かに僕はひどい傷口なんかを見ると力が抜ける。ならば神父がこうしてくれているのはありがたいことなのかもしれない。軍人さんだって自分の傷口を見て力が抜ける相手なんて見たくないだろうから。
「ありがとうございます」
 僕はお礼を言った。
 しばらくして、視界が明るくなった。
「どうですか?」
 僕は軍人に問いかけた。
「きれいさっぱり、だ」
 軍人はそう言いながら立ち上がり、軽くその場で足踏みしてみせた。
「ありがとう」
「いえいえ」
「それで、礼はどちらがいい?」
「食料か外への脱出手段かでしたよね。外への脱出手段、というのは?」
「ヘリポートに続く扉のカードキーだ」
「そのヘリポートはどこにあるかわかりますか?」
「南の方の隣街にあると聞いた。正確な場所までは俺もわからない」
「いただける食料の方はどのくらい……」
「三日分ある」
 三日では手持ちと合わせても封鎖地点までたどり着けないな。それなら、ヘリポートを探した方が脱出には近いんじゃないか。
「では、カードキーをいただきます」
「ああ」
 軍人は僕の手にカードキーを握らせた。
「それじゃ、俺は散り散りになった仲間を探す。健闘を祈る」
 そう言って、軍人は去って行った。
「南下を続けましょう」
「そうだな」
 限界近くなった食料を調達するためにこの街に留まり続けていたが、一向に集まらないどころか減るばかりだし、たどり着けない封鎖点の情報を集めるよりは隣町でヘリポートを探した方が幾分かましだろう。
「希望が湧いてきましたね……少しだけですけど」
「ああ。食べたまえ」
 神父が僕の口に食料を突っ込んだ。
「も、もう数日分しかないんですよ。節約しなければ……」
「しかし節約していざという時に戦えなければ意味がないだろう」
「おっしゃる通りですね。食事にしましょうか」
 太陽の位置から見てももうすぐお昼時だし、いいか。
 そして僕たちは座ってランチタイムを過ごしたのだった。
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