長編『亀のゾンビサバイバルログ』(全26話番外編3話、完結済)

 道端で破れたビラを拾った。
『M病院にて食料配給中。君も急ごう!』
 という一文が赤字のポップ体で書かれており、その下に簡単な地図が描かれている。ビラはそれだけで、日付も時間も示されていない。
「怪しいですね」
「そうだな」
「でも本当に食料配給してくれていたら儲けものですし、様子だけ見に行ってみませんか」
「いいだろう」

◆◆◆

 果たして、M病院は荒れ果てていた。
「やっぱり……」
 例によって窓ガラスは全て割れており、正面玄関はトラックが突っ込んで大破していた。焦げたような跡もあるが、内部に火の気はないようだ。
 外から見る限り、人がいる気配は全くない。
「は、入ってみます? もしかすると食料が残っているかもしれませんし」
「やめてもいいのだぞ」
「いえ……少しでも可能性があるなら賭けたいですし……」
 人がいなさそうなのがせめてもの救いだ。僕は恐る恐る、神父は特に変わりない様子で廃病院に足を踏み入れた。
「お邪魔します……」

◆◆◆

 意外にも、病院内はきれいだった。ところどころ割れたり欠けたりひびが入ったりしていたが、欠片やごみが落ちていたりということがなかった。
「手入れされているな」
 神父が言う。
「手入れですか? 誰が……?」
「あなた! 元気じゃないわねえ」
 突然の人の声に、僕は跳びあがった。
 僕たちはいつの間にかナースステーションまで来ており、そのナースステーションに、人がいた。
「HPが減ってるんじゃない? 同行してあげましょうか?」
 その人はつかつかと僕たちに近付いてきてそう言った。よく見ると、全体的に白い。ステレオタイプな、いかにも看護師といった恰好だ。
「あ……あなたは看護師さんですか?」
「そうよ」
「ここの?」
「そうよ」
「他に人は……?」
「いないわよ。病院は壊滅。残ってるのは私だけ」
「あ……すみません……」
 僕は謝った。また余計なことを訊いてしまった。
「いいのよ。たまに患者さんは来るし、救急箱や治療薬もある。壊滅したと言っても、できることはあるから」
「ひょっとして、この病院の手入れをしているのも……」
「私よ」
「すごい……どうしてそんなボランティア精神に溢れた行動を……」
「なんででしょうねえ。身体が勝手に動くのよ」
 僕はもう一度すごい、と言った。
「それで? 同行してほしいの、ほしくないの?」
「いえ……看護師さんがいらっしゃることでこの地域の人々はかなり救われているんじゃないかと思います。僕たちに同行していただくとその、ここで治療をする人がいなくなってしまうのではないかと」
「それもそうね」
「お気づきでなかったのですか?」
「うーん。口が勝手にそう言ってたのよ。今も言いそうね」
「困った人を見るとつい助けたくなってしまうのではないでしょうか」
「そうかもねえ」
 看護師さんは苦笑いしたが、その理由はわからなかった。
「ところで、看護師さんはゲームがお好きなんですか?」
「え? どうして?」
「HPが減っている、という表現を使われたので」
 僕がそう言うと、看護師さんはきょとんとした顔をした。
「ゲームなんてしたことないわよ」
「HPが減っているというのは、疲れているということの比喩表現ですよね?」
「比喩なんかじゃないわ。事実よ」
「事実?」
「疲れたり怪我したりするとHPが減る代わりに治るでしょ。それのことよ」
 当然の事実であるかのように看護師さんは言う。
「まさか、そんなゲームの中みたいな」
「あなた、物を知らないのねえ。今どきの若者は……」
「本当にそうなんですか? 前から?」
「そうに決まってるじゃない、常識よ?」
 僕は神父の方を見た。神父は僕に頷いて見せた。
「そうなっているのだ」
「そうなんですか……」
 神父がそう言うからにはそうなのだろう。ただ、前からかどうかはわからない。僕が昔転んで怪我したときなんか、その怪我はなかなか治らなかったし、HP消費で傷や疲れが治るなら、世の中に入院患者なんていないからだ。
 だが、少なくとも今はあるのだと思う。そうでなければ、古着屋で捻挫したときやビルから落ちたときに怪我がすぐ治っていった原因がわからない。
「僕が疲れをあまり感じないのも、怪我したらすぐ治るのも、HPが代わりに消費されてるからでいいんでしょうか」
「そうよ」
 看護師さんは、本当に知らないのねえ、と嘆息した。
「それなら僕のHPって結構減ってるんじゃ……」
「半分以下になってるって言ったでしょ」
「そうなんですね……」
 少々ショックだった。HPなんてものが存在していたのはもちろん、それが半分を切っていたという事実にも。
 しかし、今はHPのことよりも食料不足の方が問題だ。手持ちの携帯食料は出発時の三分の一。僕が怪しいビラを信じてみる気になったのも、その食料不足のせいだったからだ。
「ところで看護師さん、このビラのことはご存知ですか」
 僕は件のビラを見せた。
「それ、誰かが勝手に作った扇動ビラよ。配給って情報を見て集まった人たちを極限まで待たせてから、自然発生を装って襲撃をかけた。それで、この病院は壊滅したんだから」
「そんなことがあったとは……」
 僕は扇動ビラに騙されたということか。
 僕のようにダメ元で病院へ向かった人のうち、どのくらいが襲撃に参加したのだろうか。まだ三分の一残っているからいいものの、食料があと一日分しかなくて目の前で襲撃が起こっていたら、どうだったろう。
 そんなことを考えた。
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