長編『亀のゾンビサバイバルログ』(全26話番外編3話、完結済)
工場の街の居住地部分の探索中、生きている人には会えなかった。
もうそろそろこの街を発とうと思って歩いている途中、路地裏から子供が飛び出してきた。
「わっ」
僕は驚いて立ち止まる。子供は僕たちの目の前に立ちふさがっている。何の用だろう。
「お兄ちゃんたち、生きてる人間だよね?」
「うん……こっちの人は人間ですが、僕は亀です」
「亀? 変なの。それ、甲羅?」
僕は少しショックを受けた。変なの、とは。
「お兄ちゃん?」
「あ、甲羅です、これ」
「ふうん」
子供は僕の甲羅をぺたぺたと触った。そして、言った。
「亀のお兄ちゃん、僕を連れてってよ」
「えっ」
思いがけない申し出だった。これまで一緒に行こうと思って行けなかった人(亀)たちのことが脳裏によぎる。
「お一人なんですか?」
「うん。誰も心配する人はいないよ。僕はすばしっこい少年。僕を連れてってくれたら、毎日一つ食べ物を取ってくるよ」
交換条件を出してくるとは、したたかな子だ。
「僕たちは外への旅の途中です。一緒に行くとなると、あなたも外を目指すことになりますよ。それでもいいんですか?」
どのくらい移動するかもわからないし、封鎖を越えるのも大変だと思うが耐えられるか、という意味で僕は訊いた。しかし、
「外って何?」
予想外の質問が飛んできた。外、と省略したのがいけなかっただろうか。
「このゾンビだらけになってる地域の外のことですよ。どこまでゾンビだらけになってるのかはまだわからないですが、封鎖を越えた外にはゾンビはいないんじゃないかと思ってます」
「えー、ゾンビはどこにでもいるもんでしょ。いなかったのは昔の話だよ」
「うん? それは封鎖の外にもゾンビはいるってことですか?」
「さっきから言ってる封鎖? って何?」
「封鎖をご存知ない?」
「うん……」
少年は少し困惑している様子だった。
「つかぬことをお聞きしますが、この街の外に出ようとしたことは」
「ないよ。僕は生まれてからこの街を出たことないから、出てもどこ行ったらいいかわかんないし」
「お家とかは……」
「ないよ。あったけど、どこにあるかわかんなくなっちゃった。僕、気がついたらここにいたんだ。家に帰ろうとしたんだけど道がわかんなくて、歩いてたらまたここに帰ってきちゃった」
「ああ。混乱の中ここまで来て、迷子になってしまったということですね」
「たぶんね」
それはさぞ心細かろう。ぱっと見心細そうには見えないが、きっと心のどこかでは心細いと思っている、のかもしれない。
「これまで、僕たち以外の誰かに会いましたか?」
「ううん。亀のお兄ちゃんたちが初めて。だから連れてってもらおうと思って」
「一人じゃ心細いから誰かと一緒にいたいということですか? それとも、どこでもいいから他のところに行きたいということですか?」
「どれも違うよ……僕は一人の方が気楽だし、この街が好きだから離れる気もないし。ただ連れてってほしいだけで……あれ?」
「あれ?」
なんだか、言っていることが矛盾している。僕は困って神父の方を見た。神父は何の感情も浮かばぬ目でこちらを見ている。助言してくれる気はなさそうだ。
この人、神父という割には妙に他人、というか僕以外、僕以外? ……まあいいか。とにかく、僕以外にドライな気がする。神父ってもっと迷える子羊を導くみたいな感じじゃなかったか。目の前に迷える子羊……子供がいるというのに。
「神父も何か言ってくださいよ」
「私は亀、君の同行者だからな。君の選択に従うと決めている」
それはつまり、自分で乗り切れということか。
「えーと、少年。あなたは、今でも僕たちと一緒に行きたいと思ってますか?」
「一緒に行きたくはないよ。でも連れてってほしいんだ。ねえお兄ちゃん、僕はなんでそう思ってるんだろ? 僕はここにいたいのに、連れてってほしいって声が離れないんだ」
「ううん。本当は一緒に行きたいと思ってる、とかですかね? 何らかの理由で行きたくないと思ってるだけで。その逆も考えられますね、本心は行きたくないけど何らかの理由で行きたいと思ってるとか」
「どうして連れてってほしいのか、考えても見つからないんだよ」
「ご両親が、誰かに連れて行ってもらいなさいと言い残したとか……?」
「……」
「あ、ごめんなさい」
少年は無言でうつむいた。思い出したくないことを思い出させてしまっただろうか。
「申し訳ない……そんなつもりはなかったんです……」
少年は黙って何か考えているようだった。やっぱり思い出させてしまったんだ。僕はおろおろした。
「携帯食料でも食べます?」
僕は甲羅から携帯食料を取り出そうとした。その手を少年が押しとどめる。
「すみません……思い出したくなかったですよね……」
「違う。思い出せないんだ」
「え?」
「お父さんとお母さんのことが思い出せない」
「それはどういう……」
「いたことは思い出せるし、ゾンビにやられたことも思い出せる。でも、何を言われたかとか、一緒にどんなことをしたかとか、全く思い出せないんだ」
「思い出そうとすると頭痛がするとかありますか?」
「ないよ。空っぽだよ。なんで? なんでないの? お兄ちゃん、わかる?」
「ご両親を失ったショックで記憶を封印しちゃったとか……うん、ありえますね」
「そうなのかな?」
少年は不安そうな顔で僕を見ている。
「そうじゃないですかね?」
僕の返事を聞いた少年は、それでもまだ不安そうな顔で何事か考えている様子だ。
「やっぱり記憶がないのは不安ですよね。僕も自分の両親が亀だったのかどうかがわからないんですよ、あやふやになってて、それで……」
「僕の家って本当にここにあったのかな……? ううん、僕は本当にここに住んでいたのかな……? 本当にお父さんとお母さんはいたのかな……? 僕は、」
そのとき、一陣の風が吹いた。掃除する者がいなくなって放置された落ち葉が勢いよく舞い上がり、僕の視界を遮った。
「僕は、……あれ?」
「大丈夫ですか?」
「連れてってくれないんじゃしょうがないな。僕は他の人を待つよ」
「え、そんなこと一言も」
僕の頭に疑問符が浮かぶ。どういうことだろう。この少年の頭の中で色々な思考が繰り広げられた結果、僕が何か「一緒には行けない」とかなんとか言ったということになった、とかだろうか。それにしたってこの表情は何だ。
少年の顔には先ほどまでの曇りが欠片も見られなかった。あんなに不安そうにしていたのに、まるで何事もなかったかのようだ。
屈託のない笑顔で手を振る少年。
「じゃあ、気を付けてね」
そう言って、少年は駆けて行った。その姿は横道に入り、すぐに見えなくなった。
「……」
僕は神父を見る。
「神父、何かしました?」
「私ではない」
「私ではない? それはつまり、」
僕は混乱し、何か言おうとして口を開いた。
が、言葉を発する暇もなく、携帯食料が僕の口に押し込まれた。
「まあ食べたまえ」
僕は携帯食料を咀嚼する。この神父、僕の知らない間に携帯食料を甲羅から取って隠し持ってないか?
「風が強くなってきている」
ふぉうでふね、と僕。
「君は甲羅があるので飛ばされぬとは思うが、私はこの通り軽いのでね」
僕より筋肉がついてそうなのに? ひょっとしてこの甲羅は僕が思ってるより重量があるのだろうか。
もし神父が飛ばされてしまったら、と考えると、笑うより先になんだかぞっとしてしまった。ぞっとする、という事実に僕は何だか怖くなった。
そんなことを考えているうちに、僕は自分が先ほど何を言おうとしていたのかを忘れてしまった。
風はまだ吹き続けていた。
もうそろそろこの街を発とうと思って歩いている途中、路地裏から子供が飛び出してきた。
「わっ」
僕は驚いて立ち止まる。子供は僕たちの目の前に立ちふさがっている。何の用だろう。
「お兄ちゃんたち、生きてる人間だよね?」
「うん……こっちの人は人間ですが、僕は亀です」
「亀? 変なの。それ、甲羅?」
僕は少しショックを受けた。変なの、とは。
「お兄ちゃん?」
「あ、甲羅です、これ」
「ふうん」
子供は僕の甲羅をぺたぺたと触った。そして、言った。
「亀のお兄ちゃん、僕を連れてってよ」
「えっ」
思いがけない申し出だった。これまで一緒に行こうと思って行けなかった人(亀)たちのことが脳裏によぎる。
「お一人なんですか?」
「うん。誰も心配する人はいないよ。僕はすばしっこい少年。僕を連れてってくれたら、毎日一つ食べ物を取ってくるよ」
交換条件を出してくるとは、したたかな子だ。
「僕たちは外への旅の途中です。一緒に行くとなると、あなたも外を目指すことになりますよ。それでもいいんですか?」
どのくらい移動するかもわからないし、封鎖を越えるのも大変だと思うが耐えられるか、という意味で僕は訊いた。しかし、
「外って何?」
予想外の質問が飛んできた。外、と省略したのがいけなかっただろうか。
「このゾンビだらけになってる地域の外のことですよ。どこまでゾンビだらけになってるのかはまだわからないですが、封鎖を越えた外にはゾンビはいないんじゃないかと思ってます」
「えー、ゾンビはどこにでもいるもんでしょ。いなかったのは昔の話だよ」
「うん? それは封鎖の外にもゾンビはいるってことですか?」
「さっきから言ってる封鎖? って何?」
「封鎖をご存知ない?」
「うん……」
少年は少し困惑している様子だった。
「つかぬことをお聞きしますが、この街の外に出ようとしたことは」
「ないよ。僕は生まれてからこの街を出たことないから、出てもどこ行ったらいいかわかんないし」
「お家とかは……」
「ないよ。あったけど、どこにあるかわかんなくなっちゃった。僕、気がついたらここにいたんだ。家に帰ろうとしたんだけど道がわかんなくて、歩いてたらまたここに帰ってきちゃった」
「ああ。混乱の中ここまで来て、迷子になってしまったということですね」
「たぶんね」
それはさぞ心細かろう。ぱっと見心細そうには見えないが、きっと心のどこかでは心細いと思っている、のかもしれない。
「これまで、僕たち以外の誰かに会いましたか?」
「ううん。亀のお兄ちゃんたちが初めて。だから連れてってもらおうと思って」
「一人じゃ心細いから誰かと一緒にいたいということですか? それとも、どこでもいいから他のところに行きたいということですか?」
「どれも違うよ……僕は一人の方が気楽だし、この街が好きだから離れる気もないし。ただ連れてってほしいだけで……あれ?」
「あれ?」
なんだか、言っていることが矛盾している。僕は困って神父の方を見た。神父は何の感情も浮かばぬ目でこちらを見ている。助言してくれる気はなさそうだ。
この人、神父という割には妙に他人、というか僕以外、僕以外? ……まあいいか。とにかく、僕以外にドライな気がする。神父ってもっと迷える子羊を導くみたいな感じじゃなかったか。目の前に迷える子羊……子供がいるというのに。
「神父も何か言ってくださいよ」
「私は亀、君の同行者だからな。君の選択に従うと決めている」
それはつまり、自分で乗り切れということか。
「えーと、少年。あなたは、今でも僕たちと一緒に行きたいと思ってますか?」
「一緒に行きたくはないよ。でも連れてってほしいんだ。ねえお兄ちゃん、僕はなんでそう思ってるんだろ? 僕はここにいたいのに、連れてってほしいって声が離れないんだ」
「ううん。本当は一緒に行きたいと思ってる、とかですかね? 何らかの理由で行きたくないと思ってるだけで。その逆も考えられますね、本心は行きたくないけど何らかの理由で行きたいと思ってるとか」
「どうして連れてってほしいのか、考えても見つからないんだよ」
「ご両親が、誰かに連れて行ってもらいなさいと言い残したとか……?」
「……」
「あ、ごめんなさい」
少年は無言でうつむいた。思い出したくないことを思い出させてしまっただろうか。
「申し訳ない……そんなつもりはなかったんです……」
少年は黙って何か考えているようだった。やっぱり思い出させてしまったんだ。僕はおろおろした。
「携帯食料でも食べます?」
僕は甲羅から携帯食料を取り出そうとした。その手を少年が押しとどめる。
「すみません……思い出したくなかったですよね……」
「違う。思い出せないんだ」
「え?」
「お父さんとお母さんのことが思い出せない」
「それはどういう……」
「いたことは思い出せるし、ゾンビにやられたことも思い出せる。でも、何を言われたかとか、一緒にどんなことをしたかとか、全く思い出せないんだ」
「思い出そうとすると頭痛がするとかありますか?」
「ないよ。空っぽだよ。なんで? なんでないの? お兄ちゃん、わかる?」
「ご両親を失ったショックで記憶を封印しちゃったとか……うん、ありえますね」
「そうなのかな?」
少年は不安そうな顔で僕を見ている。
「そうじゃないですかね?」
僕の返事を聞いた少年は、それでもまだ不安そうな顔で何事か考えている様子だ。
「やっぱり記憶がないのは不安ですよね。僕も自分の両親が亀だったのかどうかがわからないんですよ、あやふやになってて、それで……」
「僕の家って本当にここにあったのかな……? ううん、僕は本当にここに住んでいたのかな……? 本当にお父さんとお母さんはいたのかな……? 僕は、」
そのとき、一陣の風が吹いた。掃除する者がいなくなって放置された落ち葉が勢いよく舞い上がり、僕の視界を遮った。
「僕は、……あれ?」
「大丈夫ですか?」
「連れてってくれないんじゃしょうがないな。僕は他の人を待つよ」
「え、そんなこと一言も」
僕の頭に疑問符が浮かぶ。どういうことだろう。この少年の頭の中で色々な思考が繰り広げられた結果、僕が何か「一緒には行けない」とかなんとか言ったということになった、とかだろうか。それにしたってこの表情は何だ。
少年の顔には先ほどまでの曇りが欠片も見られなかった。あんなに不安そうにしていたのに、まるで何事もなかったかのようだ。
屈託のない笑顔で手を振る少年。
「じゃあ、気を付けてね」
そう言って、少年は駆けて行った。その姿は横道に入り、すぐに見えなくなった。
「……」
僕は神父を見る。
「神父、何かしました?」
「私ではない」
「私ではない? それはつまり、」
僕は混乱し、何か言おうとして口を開いた。
が、言葉を発する暇もなく、携帯食料が僕の口に押し込まれた。
「まあ食べたまえ」
僕は携帯食料を咀嚼する。この神父、僕の知らない間に携帯食料を甲羅から取って隠し持ってないか?
「風が強くなってきている」
ふぉうでふね、と僕。
「君は甲羅があるので飛ばされぬとは思うが、私はこの通り軽いのでね」
僕より筋肉がついてそうなのに? ひょっとしてこの甲羅は僕が思ってるより重量があるのだろうか。
もし神父が飛ばされてしまったら、と考えると、笑うより先になんだかぞっとしてしまった。ぞっとする、という事実に僕は何だか怖くなった。
そんなことを考えているうちに、僕は自分が先ほど何を言おうとしていたのかを忘れてしまった。
風はまだ吹き続けていた。