長編『亀のゾンビサバイバルログ』(全26話番外編3話、完結済)

 二つ目の街に来た。
 辺りを見回すと、田んぼの中に工場が点々と立っている。
 一つ目の街、甲羅アタックを思い付いたり回転キック&パンチの訓練をしたりした街では特に情報が得られなかったけど、ここはどうだろうか。封鎖について、少しでもわかるといいのだが。
 しかし、さすがに工場に人は残っていないだろう。ひょっとして、休憩室とかに食料品などが残っていたりしないだろうか。
「神父」
「何かな」
「この辺りで食料を探してみたいんですけど」
「よいのではないか?」
「ありがとうございます。じゃあそこに見えてる工場に入ってみましょう」
 今僕たちがいるところは工場の裏手のようだった。高い壁に阻まれ、ここからは入れそうもない。
「ちょっと回ってみましょう、とりあえず時計回りで」
「うむ」
 僕たちは工場の周囲をぐるりと回った。
「壁がやけにきれいですね。放置されていたらツタでも生えてそうなものですが」
「そうだな」
「あ、あそこ壁が切れてますよ。入口じゃないですか?」
 はやる気持ちを抑えて慎重に近付く。ゾンビが出てくる可能性もあるからだ。
 開いている門からそっと中を覗き込むと、駐車場らしきスペースがあって、そこに白衣の人物が立っていた。
「こゃっ……いえ、ようこそ、CC1(仮)工場へ」
 白衣の人物はこちらを向いてそう言った。
「あ、ど、どうも」
 どこから声を出したらそんな声が出るのかわからないような声を相手が出したので、僕は少し戸惑った。まるで何かの鳴き声めいていた。
 しかし、そんなことよりも、まさか人がいるとは思わなかった。ようこそ、ということは、工場に生存者が残っているということかな……?
「私は工場長のコヅカです」
「僕は亀です」
「私はカンフーが得意な神父だ」
 白衣の人物、コヅカさんが自己紹介をしたので、僕たちも名乗った。
「お二人とも、生存者の人間……亀さんは人間ではないようですが、亀……ということでよろしいですか?」
「はい、大丈夫です」
「こんなところまで来られたのには、何か事情がおありでしょうね」
「ええ、実は……」
 僕が説明しようとすると、コヅカさんはそれを遮った。
「やはり、あるのですね。立ち話も何ですので、中へどうぞ。大したもてなしはできませんが、インスタントコーヒーくらいならばお出しできます」
「ありがとうございます!」
 このご時世にコーヒーが飲めるとは。なんて文化的な場所なんだ。僕は目を輝かせた。

 コヅカさんの案内で正面玄関らしきところから入り、廊下を進む。窓のない部屋があったり、窓から作業している人たちが見える部屋があったりした。
 この工場はまだ稼働しているのか。こんなときに顧客なんていないだろうに、一体何のために?
 僕が不思議そうにしているのに気付いたのか、コヅカさんが口を開いた。
「現在は外部と連絡を取るための通信機器を作っているんですよ」
「えっ、外へのですか!」
 それは考えたことがなかった。情報統制されているという話だから、ジャミングでもされていて外部に連絡は取れないだろうと思っていたためだ。
「政府のジャミングか何かをかいくぐれるような通信機器を作られてるんですか?」
「ええ、まあそのようなものです」
「すごいですね!」
「ありがとうございます。さて、着きました。ここが応接室です」
 応接室、というプレートのかかった部屋をコヅカさんが押し開ける。鍵はかけていないようだ。
「お好きなところにお座りになってください」
「失礼します」
「失礼する」
 僕と神父は大きなテーブルの側にあるソファに腰掛けた。応接室には大きな窓があり、そこから庭のようなものが見える。
 庭には松などが植わっていた。
「神父、庭ですよ、手入れされた庭」
「そのようだな」
 僕たちが庭を見ている間に、コヅカさんがポットでお湯を沸かし、どこかぎこちない手つきでインスタントコーヒーを作ってくれた。
 僕と神父それぞれのところにカップを置くコヅカさん。
「お二人とも、砂糖とミルクはどうされますか?」
「僕は両方お願いします」
「私はなしだ」
「わかりました」
 神父はブラック派か。イメージ通りだな。
「どうぞ」
 コヅカさんがスティックシュガーとミルクを僕のところに置いてくれた。
「ありがとうございます」
 子供舌の自覚はあるが、砂糖とミルクを入れると甘味と苦みがまろやかに混ざり合っておいしいのだ。
 コヅカさんの方は、と思って眺めると、コヅカさんのカップにはお湯が入っていた。
「すみません、僕たちだけ。貴重な物資ですよね」
「いえ、そうでもないですよ。むしろ余っているのです」
「え、皆さん飲まれないんですか?」
「ええ。皆、刺激の強い飲食物は苦手なのです」
「そうなんですか……?」
 集まっている人みんなコーヒーが苦手とは、そんなことってあるだろうか。
「ここは一族で操業しておりますので、皆似通った嗜好を持っているのです」
「なるほど」
 一族の中で食生活が似通っているなら、嗜好が似るのも頷ける。
「さて」
 とコヅカさんが言った。本題に入るようだ。
「お二人はなぜ、この工場までいらしたのですか?」
「メインの理由は、ここに人がいるとは思っていなかったので残っている食料を拝借しようかと思ったからですが、」
 正直ですね、とコヅカさん。すみません、と僕。
「今は食料をいただこうなんてことは考えていませんので大丈夫です。それで、ここまで来たそもそもの理由は、南の封鎖を突破する手がかりを得るためです」
「というと?」
「僕たちはこの地域の外に出たいんです。死ぬのが嫌で、ゾンビのいない安全な場所へ行きたくて」
 コヅカさんはふむふむと頷いた。
「脱出されたいということですね」
 はい、と僕。
「まだ諦めていない方がおられたのですね。素晴らしい」
 ぱちぱち、と手を叩くコヅカさん。
「封鎖の簡単な情報なら私たちも持っています。お教えしますよ」
 そう言って、コヅカさんは南の封鎖について説明してくれた。
 封鎖は厳重なもので、外から入ることはできても内からはどんな生物も通さないようになっているらしい。境界は分隊規模の軍隊が24時間入れ替わり立ち代わりで見張っているとのことだ。
「ありがとうございます。突破するのは難しそうですね……他の手段を探した方がいいんでしょうか」
「私の方からは何とも言えません。我々が持っている情報は最新のものではないので、今は状況が変わっているかもしれない。更に南下し、封鎖に近い場所で情報を得られた方が確実かとは思います」
「なるほど……どうしますか、神父」
「君に任せる。外に行きたいというのは君の希望だからな」
 コーヒーをすすりながら神父は答えた。いつの間に出したのか、携帯食料まで食べている。
「では、南下して情報を集めることにします」
「ええ……それがいいでしょう」
 コヅカさんはそう言うと、カップに入っていたお湯、もう水になっているが、それを飲み干した。
「ありがとうございました、コヅカさん」
「いえいえ」
 僕は席を立った。神父が残りのコーヒーを流し込む。
 来たときと同じように玄関まで案内されて、別れる前にコヅカさんが言った。
「亀さん、神父さん。脱出を目指されるならばこのUSBメモリを持って行ってください」
 コヅカさんが白衣のポケットからUSBを取り出し、僕に差し出す。
「もし封鎖が突破できず別の手段を探される場合に役立つと思います」
「ありがとうございます」
 僕はUSBを受け取って、コヅカさんを見た。
「詳細は不明ですが、何かの鍵になるようです。先代の工場長が軍人を助けた際にもらったそうで」
「そんな大事なものをいただいちゃっていいんですか?」
「ええ。私たちはここでやることがありますから。代わりと言ってはなんですが、一つだけ頼みがあります」
「なんでしょう?」
「無事脱出できたら、どこでもいいので豆腐屋さんに行ってみてください。原発事故の件でコヅカが連絡を取りたがっていた、と言って、これをお渡しいただければわかります」
 そう言って、コヅカさんが何かを差し出した。僕は右手を出して受け取る。よく見ると、それは青色のヒスイが加工された勾玉だった。
「一族に伝わるお守りのようなものです。気休めのようなものですが、豆腐屋さんに渡すまではあなたに持っていていただけるといいかと思います」
「ありがとうございます」
「お礼を言うのはこちらの方です。どうかご無事で」
 コヅカさんが手を振った。
 僕は頭を下げ、神父は片手を上げた。
 門から外に出る。
「いい人でしたね、コヅカさん」
 遠くに見える街を目指して田んぼの脇を歩く。
「そうだな」
 神父が工場の方を見る。僕もつられて眺めると、工場の門は閉まっており、外壁はツタだらけになっていた。
「え? え? なんで?」
 明かりは点いていたし、機械が動く音も遠くに聞こえる。ただ外側だけが薄汚れた状態になっていた。
「外見はどうでもいい者たちだったということだろう」
「どういうことですか?」
「化かされでもしたのではないか?」
「いや……きっと僕たちの見間違いでしょう」
 現実でそんなことがあったら面白いとは思うけど、実際のところ、狐も狸も誰かを化かしたりはしないのだから。
「そうかもしれんな」
 神父はもう一度だけ工場の方を見ると、食べかけの携帯食料をポケットから取り出して、かじった。
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