長編『亀のゾンビサバイバルログ』(全26話番外編3話、完結済)

 外に出たくない。そう思って家から出なくなったのはいつからだったか。
 対人関係のストレスが積み重なって心の中は重圧だらけ、つらい日々が続いていた。
 相手を傷つけたかもしれない、嫌われたかもしれない。僕が何をしてしまったのはわからないが、口をきいてくれなくなった人も数人いた。
 彼ら彼女らが僕を無視するのは僕が悪いせいなんだろうと思ったが、自分の何が悪いのか、正確なところはわからなかった。
 嫌われた理由を妄想していつも自分を責めてばかり。そんなことを続けていても、状況は全く変わらなかった。もうそろそろ終わりにしたい。でも、命を絶つのは怖い。かといってこのまま日常を続けることには耐えられない。
 そこで僕は思い付いた。
 外に出なければいいんだ。

 そうして僕は引きこもった。
 お腹が空いたときだけ備蓄してある携帯食料をもそもそと食べ、一日の大半を寝て過ごす。
 誰からも連絡は来なかった。今思えば、その時点でおかしいと思うべきだったのかもしれない。だが僕はそれを自分が嫌われているせいだと考え、落ち込む材料にはすれどおかしいとも思わず引きこもり続けた。
 そうこうしている間に、少しずつライフラインが止まっていった。料金を払っていないからだろう。だが水の備蓄はあるし、備蓄食料は調理しなくてもいいものばかり。電気も、寝て過ごす分にはあまり問題はない。
 時々外がうるさかったけれど、部屋の中にいる僕には関係がない。だんだんと眠っている時間の方が長くなった。

 眠る。眠る。
 たくさん夢を見た。楽しいものも苦しいものもあったけど、どれも現実よりはましだった。眠りは楽だ。眠っている間は自分の過去の記憶、失敗しかなかった対人関係の記憶に悩まされずにすむからだ。
 楽しい夢を見たあとはまどろみながら続きを願い、苦しい夢を見たあとはまどろみながらそれが夢だったことに安堵し、次は楽しい夢を見られますように、と祈るのだった。

 そんなある日。久々に目を開けるとカーテンの隙間からは朝焼けらしき光が差し込んでおり、外ではスズメが鳴いていた。
 頭はすっきりとしており、身体は少しだるいが眠気は全くない。
 部屋の空気はひんやりとしており、悩み事など何もないようないい気分だった。
 外に出てみるか。
 漠然とそう思った。
 思い付いてみると後は速いもので、ちゅんちゅん鳴くスズメを一目見てみたいとか、コンビニに行って久しぶりに薬味つきジャンボ厚揚げなど食べてみたいとか、そういうことが次々と思い浮かんだ。
 僕は押入れの奥から深緑のジャージを引っ張り出して着、財布をポケットにつっこんでつっかけを履いてドアを開けた。

 最初に目に入ったのは遠くで煙を上げる街だった。
 何だろう、火事だろうか。しかし、それにしては人気がなさすぎる。
 僕はおそるおそるアパートの駐車場に出た。
 駐車場にはいつものように車が停まっていたが、なぜかその全てが破壊されていた。
 一番近くの軽自動車に近づいてみる。全体的に、壊れた部分にもほこりが積もっていた。破壊されたのはだいぶ前らしい。
 どの車もそんな感じだった。
 振り返ってアパートを眺める。1階部分の窓ガラスは全て割られていた。その窓から見える廊下は蛍光灯が割れていたり、妙に汚れていたりした。そして、アパート内にも人がいる気配は全くなかった。周囲は静まりかえっており、スズメの声以外、何の物音も聞こえない。
 僕が引きこもっている間に、一体何があったんだ?
 つっかけで辺りを調べ回るのは気が引けたので、一旦部屋に戻ることにした。
 汚くなっている廊下を歩いて部屋の前まで戻ると、ドアにペンキのようなもので大きく×マークが書かれていた。だいぶ前に書かれたもののようで、ところどころ剥げている。
 不思議に思って同じ階の他の部屋も確認してみたが、マークのあるドアとないドアがあった。マークがないドアは全て開きっ放しになっており、そこから見える室内はぐちゃぐちゃに荒らされていた。
 僕は急に不安になった。外はもちろん、ここでも何かよくないことが起きた……ような気がする。ここに居続けるのは危ないのではないか。
 僕は急いで部屋の中に入り、戸棚の奥からリュックを引っ張り出した。甲羅型のリュック。一昔前に流行って買ってもらったが、一度も使わなかったので新品同然だ。甲羅の部分は硬質な素材で作られているようで、爪で叩くとかちりかちりと音がした。
 リュックを開け、携帯食料と水を詰め込めるだけ詰め込む。開きっ放しの段ボールにつっこんであったヘッドライトもついでに入れた。
 重くなったリュックをよいしょと背負う。
 甲羅型リュックは一度も背負ったことがないにも関わらず、やけにぴったりフィットした。
 次の瞬間、頭の中に『あなたは亀です』という文字が浮かんだ。
 僕は亀?
 いや違う、僕は人間だ。
 人間なのに、人間から無視されるのか?
 人間ではなかったのか?
 では、亀だっただろうか。
 亀だったかもしれない。
 亀だったから、僕は仲間はずれにされてきたんだ。
 わかったぞ。
 僕は亀だったんだ。
 頭の中のスイッチが切り替わったような感覚だった。僕は亀だ。そして、今から旅に出る。

 その日、亀の僕は確固たる足取りで外への一歩を踏み出したのだった。
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