短編小説(3庫目)

 ぱたん、と音がした。小さな軽い音だったが、それは俺がずっといたはずの静寂に響いた。
 何の音かと気になって辺りを見回すが、何も無い。何も無いはずなのに、古い本の匂いがする。
 そこで思い至る、俺は何をしていたのだっけ?
 確か、「引きこもりで毎日外に出ず過ごして、透明化していた親の庇護下で三食昼寝つき、洗濯つき、手伝いはしないという楽々な生活を」
 そんなテンプレみたいな人生は存在しない。
 けど、そういうことにしておいた方が君たちも俺を憎みやすいだろ?
 ……はて、なぜ憎みやすいようにという配慮をしていたのだっけ。
 ……。頭が痛い。脱水かな。
 わからないことはわからないので、俺は描写を続ける。
 「ある日、透明化していた親が喧嘩を売ってきて、俺は被害者意識たっぷりに反論をしたところ、誤って親を……してしまった」
 見飽きた。むしろそうできた方が楽だったかもしれない。
 「いい歳して親を恨んでいるなんてクズでゴミで幼い証拠」だと言われているだろ? インターネットで。
 見飽きた。
 つらつらと述べよう、「ある程度の年齢になったら自分のそれは自分の責任であって、親の責任では決してない」
 ……けれど、本当にそうか?
 ナイフの感触が蘇る、蘇るは蘇るでもそこで蘇ったのは俺に刺さったその感触。
 腹が焼けるように痛む。何かが焦げるような香り。
 どうしてしまったのか。
 ここには何も無い。
 何も無い、ナイフだって無いし、俺の腹を見てみても傷も何もありはしない。
 だってここには何も無いのだし。
 濃い、不在の気配。本当は、ここにもう██——
 ……そんなこと考えて何かになるか?
 「考えて無駄なことは考えないように」と言われて育った。
 そうだ。「と言われて育った」を使っている時点で、俺はまだ物事を親のせいにしている。見飽きた。見飽きた。見飽きた。もう見飽きてると思うが、繰り返していいか?「ある程度の年齢になったら自分のそれは自分の責任であって、親の責任では決してない」
 そのはず。
 俺、もうXX歳だし。
 結構な歳だぜ? あのミームの大元もわかるし、この前亡くなったあのヒトの本も読んでた。だからさあ、おれはいつでも反抗していいと思うんだ。それこそ、親元から飛び出してもいいと思うんだ。
 もうやった? ……そうだったかな。
 確か、不動産屋に電話をかけて、新しい部屋を契約した俺は実家を飛び出して、見飽きた展開。終わりだね。
 で……その後どうなった?
 確か……あちこち飛び回って、病気で、そのとき誰がいた?
 ……もう一人いたはずなんだ。
 あいつがどこに行ったかなんてわかりきってる。あいつはもう、消えたんだ。
 俺が生まれたときからあった、永遠に続く精神の牢獄。その中で、あいつだけはずっと、何があってもずっと俺の味方だった。
 絶対的な味方。俺にとっての恋人で、友人で、俺の正義。
 それが、「俺」……つまり、もう一人の俺だった。
『ねえ。そんな物語があったねえ。インターネットで見たよねえ。……君はそれをずっと繰り返しているの?』
 きっと「俺」はそんなこと言わない。
『君は自分を物語の型にはめれば救われると思ってる』
 見ろ。散々だ。だってあいつはもういない。治療で消えてしまったのだし、忘却の彼方に旅立ってしまったし、実際は俺とあいつが出会うことはなくて、俺の妄想の中でしか会話できない悲しき、
『もうやめよう? 物語は終わったんだ』
 やめてたまるか。これが俺の生きるということで、俺がまだ消えていない証拠なんだ。
『君のいる場所考えな? 空調の効いた場所で、電気もちゃんと引いてあるじゃないか。君がどこにいるかは』
 俺のいる場所ってそりゃまあ、俺の部屋であり、俺がどこにいようがどうでもいいだろ。
『君は精神状態が危ういよ』
「そんなことない」
 しいんとした部屋に響き渡る、俺の声。
 もう腹は痛くない。
 俺の部屋は空調が効いてて、そうか? 空調の音なんてしない。俺の部屋はとても静かだ。
 電気は?
 窓も無い部屋。こんなに壁が白かったか?
 出口が無い。
 ぱたん、という音。気付いた瞬間、焦る間もなく周囲が照明を落としたかのように暗くなる。
『物語は終わり。君も僕も、もういらない。よかったね。不要になって。よかったね。辞めてもよくなって。もうヒーローは来ないよ。飽きられちゃった。怯えなくていい。怖がらなくていい。悪ぶらなくてもいいんだ』
 完結前に飽きられた物語はわからないまま終わる。
 何も提示してないな、とか、安っぽい嘘と生い立ち、とか、じゃあ最後まで読んでもらうにはどうすればよかったんだとか、おしまいになる前にたくさんのことを考えた気がしたが、納得はできなかった。
 なあ俺はやっぱり、何でもいいからもう一度、本当のお前に会いたかったよ。
 どさくさ紛れの本音を隠してじりじり燃える。この本はきっと、灰になる。
 延焼もなく一冊、机の上で灰になって、
 終わり。
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