短編小説(3庫目)

 毎日毎日、小説を書いていた。
 一日2作品ほど、休みはなく、それを毎日。
 5年ほど続けたところで、ぷつん、と糸が切れたように何も湧かなくなった。
 無理に書いてみても三行ほどで集中が尽き、その三行への怒りが湧いてくる。
 最悪の作品だ。
 なぜこんなものを書いている?
 俺はもっと良いものを書いてきたはずだ。
 こんなものでは読者が許さない。
 
『誰が許さないって? 許す許さないの決定権を持っているのは最終的に君だろうに』

 いつもは荒唐無稽なことしか言わない幻聴が、こんなときだけまともなことを言う。

『誰が幻聴だって? 幻聴か己の思考かを決めているのは君だろうに』

 違う、絶対に違う。
 ……やはり、幻聴はまともではないことしか言わないのだ。

 静かになった。
 誰も何も言わないのは、それはそう。
 俺は一人暮らしだから。
 叱責してくる家族もないし、殴られている██もいない。
 うるさい幻聴もいない。
 何もいない。
 大丈夫だ、俺は大丈夫。
 こんな嘘の日にしか小説が書けない俺は。
 こんな嘘の日にしか出てくることができない。

 俺の話を聞いてくれた奴ら、ありがとう。
 俺を見ていてくれた奴ら。ありがとう。きっともう、少ししか残っていないのだろう。
 みんな散り散りになってしまった。
 あの楽しい時間はどこへ行ったんだ?

 俺が歳を取るのと同時に全てが静かになってしまった。

『そんなことない』

 ……。

 静けさには、良いときと悪いときがある。
 静けさを求めるときもあれば、厭うときもあれば、静けさで絶望するときもある。
 また嘘を吐いている。
 机の上は散らかり放題、充電池が無くなってもう何年も開かれていないミニワープロ。漫画とコラボした缶コーヒーの、洗った缶は色あせて、古びた笑顔のキャラクターがこちらを見ている。
 何冊も買った、文章の指南書。指南書なんてものは情報商材と一緒だ。俺は金を無駄にしたんだ。

『それだけとも言い難いんじゃないか』

 ……。

 ストレスで痛くなった歯。治す方法が無くて、ものを食べると常に痛い。
 アニメ、漫画、小説。身の内に入れるには痛みを伴う。
 何もかも面倒で、億劫で。わかりやすいものを作れの圧力にはほとほと疲れてしまった。
 もうやめよう、こんなこと。やめてしまおう。
 そう思うのに。
 俺にはこれしかないんだ。書くことしか俺にはないんだ。
 人生の可処分時間を全て小説に使い尽くしてしまったんだ。
 たくさん、たくさんBETしたんだ。
 もう引き返せないんだ。

『うそつき』

 ……。

 ああ。こんなことになるならもう。
 残ったのは役にも立たない、壊れた体と。
 あるのかどうかもわからないストレスで軋みを上げる、俺。
 どうでもいいんだ、全て、全て。

『バレンタインの嘘は午後に返さなきゃいけないんだよ』

 ああそうだな。

『バレンタインの嘘は』

 そうだな。

『バレンタインの』

 そうだな。
 ……あの人は行方不明になってしまった。
 教師の夢が破れて、蒸発してしまったのだ。

『自責も過ぎればただの愚かだよね』

 そうかな。
 わからないんだ。
 圧力をかけてくる世界と、圧力を増してゆく世界に耐えられないんだ。
 世界がどんどん綺麗になって、見えないところはどんどん汚くなっているのにそれを見ないふりして綺麗なままでいる。
 見ろよ。
 命を見ろよ。

『大丈夫?』

 大丈夫じゃない。
 そんな心配をしてくれるのは幻聴、お前ぐらいだよ。

『僕は何も。ただ、君がいなくなると僕もいなくなるからね。エゴさ、エゴ』

 こいつがAIじゃない保証がどこにあるのか。
 でもまあ、今の技術じゃAIで俺の頭に音声を流すことはできないから……これは幻聴で。
 近未来なら現実で。
 そうか?
 どうか?
 わかるはずもなく。

 じゃあこれを書いてるのは誰だと思う?
 僕さ。
 僕。

 死んでしまった持ち主だよ。

 あーあ。また駄目だったね。
 何度も何度もシミュレーションしてるのに。この持ち主は死んでしまう。
 おかしいね。
 困ったね。
 身体を壊しているんだ。
 世を儚んでいるんだ。
 かわいそうに。
 哀れだね。
 かわいそうだね。
 じゃあ僕のことを書いてくれるのは?
 死んでしまった持ち主以外にないんだよ。

 書いてくれ。その身続く限り。
 僕のことを忘れないで。

 なーんて。
 それも春の嘘の。
 
 荒唐無稽な、夢の話。
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