短編小説(3庫目)

 天才の友人がいる。
 正確には、天才であるところの友人がいる。
 幼きころより周囲から天才と言われ続けてきたらしく、自認もその通り。だがそれを鼻にかけたりはしない。
 斜に構えた性格の俺が恥ずかしくなる程度には、まあ、性格が良い。
 普段会話しているときにも俺にはわからない理論をすらすらと説明してみせたり、俺の悩みに答えを出して見せたり、家では一日中勉強してみたり、効率のよい勉強法を追求してみたりと、俺にはよくわからないことをずっとやっている。

 そんな俺はといえば平凡な家庭に生まれた凡人で、小さい頃に学校の先生に日記を褒められたのを成功体験として、大学になるまで文章を書いてきた。当然、それなりに自信があった。
 だが反面、それは文章だけが取り得、ということでもあって。
 俺には文章があるから他のことは多少おざなりでも良いんだ、という言い訳と、それをもって余りある才能が俺にはあるという傲慢だった。
 俺は会う奴会う奴皆に自分の文章を見せて回った。もちろん、天才にもそうした。
「お前は文章が上手いな」
 天才はよく人を褒める。
「そうだろ? 高校は文芸部だったんだ、学内の冊子にも選ばれたりしてさ……」
 褒められた俺は嬉しくなって喋り出す、しかし。
「奇遇だな、俺も高校は文芸部だった」
「え……」
「今も書いてるぞ」
「それは……どっかで発表してるのか?」
「実はSNSにリンクがあるんだ」
「えっ……」
 
 心の中のいやなざわつきを必死で無視して、部屋に帰ってリンクを確認する。

『     』
 
 ……天才は文章も天才だった。
 俺の凡庸な文章と違い、場の空気の香りまで感じさせるようなそれ。俺も作品をWebで発表してぽつぽつと評価をもらってはいたが、天才のそれと比べると色褪せてしまうような出来だった。
 俺は焦った。
 文章では天才に勝てやしない。でも天才にもきっと、触れていないジャンルがあるはずだ。
 そう、絵とか。
 絵なら文章よりも直感的だ。もしかすると天才は論理方面の力が強くて直感方面は弱いのではないか? 完全なる憶測で確かめたことは一度もないが、やってみればいけるんじゃないか?
 と。文章では勝てないと踏んだ俺は、これまで一度も描いたことのない「絵」というジャンルであいつと勝負しようとした。
「最近、絵を描き始めたんだ」
「そうか。応援してるぞ」
「お前は絵、描かないのか?」
 調子に乗って聞いてみる。
「俺はアナログ中心だからな」
「見せてくれよ」
 天才にもきっと欠点はある。そう思った俺が馬鹿だった。
「高校のとき、展示会で賞を取ったものだ」
 天才にしては珍しい、満足気な声とともに目に飛び込んだのは色彩の洪水だった。
 広い、広い、冬の海。ずっと灰色だと思っていたそれが、たくさんの色を使って、まるで春のような、冬。
「……、そうか……」
 打ちのめされる。
 対して俺のそれは、適当にデジタルで塗りたくっただけのちゃちなキャラクターに過ぎなかった。
「お前の絵も見せてくれるか? 俺だけ見せたのでは不公平だろう」
「……また明日な」
 
 天才の天才具合を知るにつけ、俺は落ち込んでゆく。
 あいつは俺の完全上位互換。あいつ一人存在すれば、俺などいなくても構わない。
『お前はどうして天才なんだ?』
 訊けない。だって、きっとそれは生まれたときからだ。生まれたときからあいつは天才で、俺は凡人で。

『また明日な』

 ……。
 生まれたときから天才、だなんて。
 生まれたときから凡才だなんて。
 そんなこと認められるか?
 生まれの差? 環境の違い?
 そんなことで俺の文章とあいつの文章にあんなに大きな差がついて、そんなこと。
 
 ……天才と顔を合わせたくなくてだんだん大学にも行かなくなり、暗い部屋、スマートフォンに向かって小説を打ち込み続ける。落選。また落選。
 落選者には通知すら来ない。からっぽのメールボックスは俺だ。焦り、苦しみ、嫉妬、焼け付く泥を喉に流し込まれるみたいな気持ちになりながら俺は書いた。
 引きこもりながら毎日作品を発表する俺と比べて、大学に行きながら時折作品を発表する天才の小説は、ただでさえ天才の流れるような描写力がさらに上達していくようで、ネットの賞だとか、投稿サイトのコンペなんかに受かって名が売れ出していた。
 ……ああ。

『お前はどうして天才なんだ』
『お前さえいなければ俺は自らを"正しく"認識しなくてもよかった』
『俺は凡才だった』
『天才にはなれなかった』
『お前は』
『俺は……』

 訊きたかった、本当は訊きたかった。
 俺が天才じゃない理由を。
 あいつが凡才じゃない理由を。
 でもそれは、あいつの優しさに付け込むようで、いくら俺があいつのことをライバル視していようが、甘えるなんて許されなかった。
 あいつの優しさを利用する人間にだけはなりたくなかった、あいつはあくまでまっすぐに生きてほしかった、なんて、ああ。
 
 ふつりと糸が切れたかのように、俺は小説を辞めた。
 頑張るでも何でもなく、ただ引きこもった。
 完全に大学に行かなくなり、バイトもクビになった。

 ――それから何年も経つ。
 もともと嗜眠傾向のあった俺は、一日中眠って過ごしている。
 あの天才はというと、無事卒業して遠い場所で頑張っているらしい。新聞で見た。凄いな。ハハハ。

『お前はどうして天才だったんだ?』
 
 あのとき。あのとき、あのとき、あのとき、いくらでも訊く機会はあった。
 甘えだの何だの言わずに訊いておけばよかった。天才ならきっと、俺の納得する答えを返してくれたはず。だって、俺とあいつは――
 などと、離れてしまった今でも俺は、あの天才の天才さを信頼しているんだとわかって胸がつき、と痛む。

『また明日な』

 友人だったんだ。
 それはもう二度と来ない、昔のこと。
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